才能豊かな友達の助けを、“いっぱい”借りて。

     PHOTOGRAPH (THE VERY BEST)    RINGO STARR

            

             Photograph
             It Don’t Come Easy
             You’re Sixteen
              (You’re Beautiful And You’re Mine)
             Back Off Boogaloo
             I’m The Greatest
             Oh My My
             Only You (And You Alone)
             Beaucoups Of Blues
             Early 1970
             Snookeroo
             The No-No Song
             (It’s All Down To) Goodnight Vienna
             Hey Baby
             A Dose Of Rock ’N’ Roll
             Weight Of The World
             King Of Broken Hearts
             Never Without You
             Act Naturally (duet with Buck Owens)
             Wrack My Brain
             Fading In And Fading Out


 しばらくでございます。  実は先週、体調を崩してしまいまして・・。
 おまけに、PCの不具合もありまして、 記事も“固まった”状態でしたが、
 ようやく、体も戻ってきたり、環境も整ったので、またポツポツと進めて参ります。


 さて年も明け、昨年のビートルズ・リマスター騒動(私はそう呼んでます)から、
 時間も経つにつれ、ずいぶん落ち着いた感があるように思います。

 が。  当の“生きるビートル”2人は、どうしてるのかといいますと・・。
 隠居なんて言葉は、いやはや、この2人の辞書には全くありません。
 ベテランなどという域を遥かに超えた、“伝説”であるにも関わらず、精力的に
 現役ミュージシャンとして活動しています。  嬉しいじゃありませんか。

 まずポールは、昨年7月にニューヨークで行われた最新ライブを11月に緊急リリース
 して、健在ぶりをアピール。  エラい人ですよ、ほんと。  この底のない
 エンターテイナーぶり、“オーディエンス至上主義”のミュージシャン・シップは
 ほんと頭が下がります。 素晴らしい。 ブラボー。 気持ちの“入り”が全然違う。
 今のバンド・メンバーになって、間違いなく最高の出来。 まだまだ“できる”。
 また機会を設けて、しっかりレビューしなくては。

    

 そして、リンゴも、今月なんと2年ぶりのニュー・アルバム「Y Not」を発表。
 (実は、コレを書いてる段階では、まだ未聴なんですが・・。)
 今回は初のセルフ・プロデュース。 そして、またまた彼の人柄に魅せられた豪華な
 ゲストが今回もたくさん参加してくれて、リンゴを盛りたてて、引き立てる。 
 しかも、98年の「ヴァーティカル・マン」以来となる、ポールも参加して、
 デュエツトしたり、ベースまで弾いてくれたりと、これまたニンマリしてしまう。

 本名・リチャード・スターキー。  芸名・リンゴ・スター。
 ビートルズ加入前に在籍してたロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ時代、メンバーが
 アダ名で呼び合ってた時、指輪(Ring)を4つも付けてた彼を「Rings」って呼んでて、
 それが、なまって「Ringo」に、でも、リンゴ・スターキーじゃ、長ったらしいんで、
 半分に縮め、Rを付けて、「リンゴ・スター」に。

    

 今回は、他の3人よりも、ずいぶんレビューが遅くなってしまったけど、
 (ごめんよ、リンゴ)
 “偉大なる天才ドラマー、かつ、稀代の天然シンガー”である、
 第4のビートル、リンゴ・スターの話でございます。 よろしくお付き合いを。


 私は、ある人にこう言ったことがある。
 「ビートルズは、3人の天才と1人の優れた才能を持った男の音楽集団だ」って。

 3人の天才っていうのは、“あの2人”と、もう1人は“リンゴ”のことです。
 (ジョージは天才じゃありません。 彼は優れた才能を持って生まれ、あの2人の
  天才のもとに隠れ、その能力を温め、努力して、最後には見事に大開花させた人。)
 「えっ、リンゴが天才?」 そう思う方も多いと思いますが、 
 これは、彼の天性のドラミング・センスが、タダものではないということ。

 歌なんか、正直、そんなにうまくない。 いや、音痴とヘタウマのギリギリの
 ラインを狙ってるっていうか・・。 いやはや、オンリー・ワンだ。
 あの“Yellow Submarine”や、“With A Little Help For My Friends”
 なんて、書いたあの2人が歌っても、“あの味”は出ない。 リンゴだけだ。
 (例のリマスター盤を高く評価してる私ですが、ダメな曲だってありました。
  リンゴの“美声”が最高に癒してくれる“Good Night”だけど、あれはダメ。
  リマスターで、ストリングスとコーラスがクリアになったのはいいんだけど、
  中盤以降、リンゴの声が埋没してしまう結果に。 MONOはもっとダメ。   )
 音楽的才能も、う〜ん・・なんだけど・・。 まぁ、ご愛嬌よろしく。

 しかし、天才ですよ。 彼が叩いてなきゃ、あのビートルズ独特のグルーヴ感は絶対
 生み出されていない。 そして、真似できない魅力があるんですよ、リンゴには。

 まず、リンゴのドラミングは“前に出過ぎず、後ろに下がり過ぎず”曲の良さを
 引き立てる的確なサポートが基本。 (手数が多くて“オカズ”の多い派手さはない)
 初期から「LET IT BE」以前まで、一貫してシンプルな「ラディック」のジャズ・
 セットモデルを愛用。 初期から中期は皮をピンと張ったハイ・チューニングの
 跳ねる音。 (ノリと勢いに任せて、走ったりモタったりと、まぁ大騒ぎなこと)
 後期は緩めに張って、深みの出るロー・チューニングの重厚な音へと変化していく。
 
 この当時多かったジャズドラマーや鼓笛隊のようにスティックを逆手持ちせず、
 手の甲を上に向けて叩く。 初期から中期のロック調の曲ではハイハット半開きの
 往復ビンタ攻撃が得意技。 (イチローじゃないけど、振り子打法の原理です)
 手首のスナップをフルに効かせています。 これが独特なグルーヴを生み出すんです。
 (ノってくると、髪を振り乱して叩くんだけど、なぜかうるさくならない。 
  軽やか。)

 ドラムやってる人なら、わかると思うんですが、
 コレ、なかなか練習しても身に着くものじゃない。 
 持って生まれたセンスなんだろう。

    

 またリンゴは、実は左利き。 でも、右利き用のドラムのセットで叩いてるんです。
 だから、通常のドラム・アクセントにはならないような感じもわかる。
 元来シャッフル・ビートが上手いんで、ロック的な8ビートを要求しても、
 どこかシャッフル気味なドラミングになってしまうことが、ビートルズのサウンドの
 特長にもなってる。

 例えば、“Something”のイントロのフィルインなんかそう。
 この曲では、ポールのベースが絶賛されるけど、これは、“黄金のバッテリー”だ。
 ポールのベースとリンゴのドラムとの濃厚なデュエット。 この2人しかできない。 
 (この2人のベスト・ヘヴィー・グルーヴは、“Rain”。 やっぱ、これだろう。)
 ジョージが泣くように、「♪I Don't Know〜。 I Don't Know〜。」と歌った
 直後の下降フレーズの絡みとこなんか、円熟の域だ。

 また、彼は太鼓の「1音」の温かみというか、深みというか、そういう味を持った
 ドラマーでもある。 (ジョンの“Mother”での1音1音刻まれるスネアの見事なこと)

 ビートルズって、どんなにアヴァンギャルドにぶちキレても、
 どこか人なつっこい響きがするのは、このリンゴのドラムのおかげなんじゃないかぁ。

 「あの3人とは、みんないい友達さ。」
 「僕の曲なんて、アルバムに最低1曲入ってればOKさ。」
 「人気投票だったら、他の3人には敵わないけど、
  2番目に好きなメンバーは誰って投票なら、1番になれるよ。」
 こんな彼の発言にある通り、リンゴの人柄がにじみ出てるコメントばかりだ。

 この絶妙なポジション取りというか、自分をよく解ってるっていうか、
 「徳」を持ってんですよ。  これも、“天性”の驚くべき才能だ。
 だから、「ねぇ、ちょっと助けてくれないかなぁ・・。」なんて言うと、おいこらと
 ばかりに、なぜかどんどん友達が集まってくる。  何もしなくても。

 ソロ・アルバムを作るとなれば、作曲から演奏、コーラス、プロデュースと、
 錚々たるミュージシャンが次から次へ、名を連ねる。 今日までに、
 元同僚の3人、エリック・クラプトン、ドクター・ジョン、ボブ・ディラン、
 ザ・バンドの面々、ビリー・プレストン、エルトン・ジョン、マーク・ボラン、
 ブライアン・ウィルソン、ハリー・ニルソン、デヴィッド・フォスター、
 ジェフ・リン(ELO)、オジー・オズボーン、ジョー・ウォルシュ(イーグルス)
 などなど・・。 これは、ほんのごく一部。 あまりに幅広い交友関係だ。  
 ジャンルや国を問わず、あり得ないメンツばかりが、ズラリを顔を揃える。

 シーンにカムバックした89年から、オールスター・バンドを構成してツアーを敢行。
 現在に至るまでに、その都度、豪華なメンバーを入れ替えて、続けられてる。

 みんな、リンゴが大好き。  みんなが、助けてくれるんです。

 これは、リンゴ初のオールタイムのベスト盤。 
 ビートルズ解散後、CAPITOL(Apple)からリリースしていたが、
 (アナログ時代のベスト盤「BLAST FROM YOUR PAST」以降、Appleを離れる)
 その後、アトランティック、マーキュリー、ボードウォーク、THE RIGHT STUFF
 など、(RING‐Oなんて、自身のレーベルも設立したこともあったけど、大失敗)
 鳴かず飛ばずだった70年代後半から80年代は、様々なレーベルを渡り歩いていただけに
 音源が四方八方に散乱していたけど、今回は、そのレーベルを越えたオールタイムな
 ベスト盤となっただけに、それだけでも、とても意義がある内容。

       

 CAPTOL時代の“It Don't Come Easy(明日への願い)”、“Photogragh”や、
 “Back Off Boogaloo”、“You're Sixteen”などといった大ヒット曲から、
 近代になる90年代から現在に至るまで、コンスタントに選曲された、
 ヒストリー的ベスト盤だ。
 (ただあまりに凋落の激しかった80年代からは、81年にギリギリTOP40ヒットになった
  “Wrack My Brain”だけとは寂しいなぁ・・。 いい曲けっこうあったんだけど。)

 ただ紛れもなく、リンゴは“ビートルズ”の一員。
 他の3人と同様に、彼の残した音源は、貴重であるし、もっと大事にしないと。

            

 私が、一番好きなのは、やっぱ“It Don't Come Easy(明日への願い)”。
 70年2月に「SENTIMENTAL JOURNEY」制作時に録音されたが、オクラ入りに。
 その後、71年4月に、英米共に4位の大ヒットを記録した、リンゴの出世作がコレ。
 この曲って、リンゴ作だけあって、全然コード展開しないんだけど、ジョージの絶妙な
 アレンジとセンスでもって、良質なポップ・ソングに仕上げたのは、さすが。
 CS&Nのスティーヴン・スティルスがピアノで参加し、ハンブルグ時代の親友で
 名ベーシスト兼画家のクラウス・フォアマンがベース。
 (あの「REVOLVER」のジャケットを書いたのは彼)
 そして、あの“My Sweet Lord”にも登場させるバッド・フィンガー率いる
 「ハレ・クリシュナ隊」がバック・コーラスで、リンゴをしっかりサポート。
 ジョージとしたら、「ALL THINGS MUST PASS」の“練習台”としては、
 上々の出来だろう。

 また続く、ジョージがプロデュースしたファンキーな“Back Off Boogaloo”は
 “のほほん”としたリンゴの楽曲の中でも、スリリングな展開が魅力。 
 ジョージのスライドが縦横無尽に唸り、リンゴも珍しくドタバタとスネアを歪ませ、
 フォアマンのベースも固くゴンゴンと刻んで、もの凄いヘヴィー・グルーヴを生む。

         

 そして、ド派手なイルミネーションで自分の名前をタイトルにした、まさに、
 リンゴ版「ザッツ・エンターテインメント」であり、かつ、リンゴの最高傑作である
 「RINGO」のオープニングでもあった、ジョン作の“I'm The Greatest”だ。
 「俺様は、偉大なる人物である」と、“豪語”できるというか、ハッタリかませるのは
 リンゴだから。 (ジョンが、もしこの曲を歌ったもんなら、何を言われるか・・。)
 この曲は、「“ポール”レス・ビートルズ」。 ポールに言わせたら、“3 Legs”。
 「3本足の犬なんて、歩けっこないよ」って曲にしてるくらいだけど、いやいや、
 ジョンが、ピアノとハモリでアクセントを加え、ジョージが決めのフレーズを入れる。
 “彼”の代わりに、ビリー・プレストン(Org)と、フォアマンがベースに加わり、
 リンゴにしたら、少々辛めの切れ味鋭い、屈折ポップに。 これは、かっこいい。 

 しかし、ポールも、この「RINGO」では、“You're Sixteen”では、ひょうきんに、
 バック・コーラスに参加。 のんびりとしたポールらしい“Six O'clock”を提供。
 あの近親憎悪ともいえる、お家騒動や罵り合いの真っ最中に、この「RINGO」では、
 リンゴの音頭取り一つで、全員が同じスタジオで演奏こそなかったものの、
 あの“FAB 4”が勢ぞろい。 アルバムに「ビートルズ」が共存しているのだ。

 この事実だけでも、リンゴの役割、位置取り、キャラクターがわかる。

 先の“It Don't Come Easy”のB面だった、“Early 1970”は、“あの3人”について
 その微妙な距離感と、自分の率直な気持ちを綴った歌だ。 
 

   農場に住んでて、愛嬌もたっぷり。
   牛は飼ってないけど、羊はいっぱい飼ってるんだ。
   新しい奥さんと家族に囲まれてる。
   そして、彼がこの街にやってきたら、
   僕と一緒にプレイしてくれるのかなぁ・・。

   ベッドに横たわって、テレビばっか見てる、
   クッキーと彼女をそばに、はべらせてさ。
   彼女は日本人さ。 大声で叫んだかと思ったら、
   もう彼らは自由の身なんだ。
   そして、彼がこの街にやってきたら、
   僕と一緒にプレイしてくれるに決まってるのさ。

   彼は、内股で髪の長いギタリストさ。
   脚の長い彼女は、雛菊を庭で摘んでスープに入れるんだ。
   40エーカーもある家で、彼を見ることなんてないんだ。
   なぜなら、彼はいつでも僕と一緒にプレイしてるからさ。

   そして、僕が街に行ったら、3人みんなで会いたいなぁ・・。


 当時、この曲を聴いて、心を痛めていた、世界中のビートルズ・ファンは、
 どれだけ、救われたことでしょう。 癒されたことでしょう。
 
 

 やっぱ、「リンゴはリンゴ」だ。  
 たぶん、リンゴの作品をまとも(?)に聴いているのは、99%ビートルズ・ファン
 だと思うけど、、けっして、リンゴに傑作を求めるファンはいないのでは・・。
 悪い意味ではありません。 聴いていて、心地良ければそれでいい。

 盛り上がってくる、ノッテくる、アドレナリンが出まくってくる雰囲気を
 一気にクールダウンさせる、生ぬる〜い、負のパワー。 
 良くも悪くも、マイナスイオン出しまくりの存在感。
 ビートルズの張り詰めた、研ぎ澄まされた緊張感には、最高の中和剤。
 これが、リンゴの真骨頂。

 ビートルズ時代から、リンゴの曲を聴いた後に、
 「人と争いたくなりますか? ケンカしたくなりますか?」と言いたくなる。

 落ち目だった70年代後半以降からは、日本のCMにも、たくさん出てた。
 大昔に何のCMかは忘れちゃったけど、UFOから宇宙服来て降りて出てきたり、
 炭酸飲料とか、チュウハイのやつだと、「リンゴ、擦ったぁ〜」って・・。
 笑顔でニッコリ。(失笑よりも、ちょっと悲しかった記憶があるけど)
 リンゴは、仕事も選びません。

 人徳は強し。 究極の癒しキャラ。 みんなが、ニコニコしていられる。
 だから、リンゴの元にはいつも一流のミュージシャンが揃うのだ。

 「♪僕がキーをはずして歌ったら、君はどう思うのかな。
   音程をはずさないように、精一杯頑張って歌うよ。
   僕には、友達が助けてくれるから、うまく歌えるし、楽しく歌えるんだ。」

 20代そこそこで、「最高の友達たち」が、この曲をリンゴにプレゼントしてくれた。
 これが、まるで予言していたかのように、今後の彼の音楽人生を
 そのまま物語るなんて・・。

子供にわかってたまるもんか!

         WHAT'S GOING ON       MARVIN GAYE

           

            What's Going On
            What's Happening Brother
            Flyin' High (In The Friendly Sky)
            Save the Children
            God Is Love
            Mercy Mercy Me (The Ecology)
            Right On
            Wholy Holy
            Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)

 先日、ある飲み会での出来事なんですが、うちの会社の若い野郎が、ある女性に
 「ブラック聴くなら、マーヴィン・ゲイの「WHAT'S GOING ON」だね・・。」
 こう言って、“口説いてる”のが、ふと耳に入りまして。
 別の話で盛り上がってたのに、あの2人が寄り添って、ヒソヒソやってんですよ。

 ちなみに、自分の音楽趣味について、あまり人に口にすることはしてないんです。
 (ましてや、こんなこと書いてることなんか、会社の人など誰も知りません。)
 
 へぇ〜・・。 こんな趣味あるんだぁ・・、と思ったんだけど、
 話が聞こえてくるうちに、どう考えても、これを好感度アップの材料か、
 口説きのアイテムとして利用してるだけっぽい感じになってきたんで、 
 面白くなってきて、ちょっと試してやろっと思い、
 「ふ〜ん・・。 その「WHAT'S GOING ON」って、どんな感じの曲なの?」
 って、ちょっと割って入ったら、 アイツ、得意気な顔して、
 「あれは、永遠のラブソングなんすよねぇ・・。 ぜひ女性に聴いてほしいっすね。」
 「・・・。(いい加減にしろ!)」  心の中で激しいツッコミを入れたのでした。

 正直。 私しゃ、そんなにブラック・ミュージックに精通してるわけじゃありません。
 しかし、先に「ROCK」と出会ってしまったばかりに、言い方は悪いんですけど、
 “後回し”になっただけなんで、 BLACKを知ることで、「ROCK」もより深く
 認識、確認することができたと思います。
 今、ギター抱えて、中指立ててるキッズ諸君も、軽くでもいいんで、一度はBLACKの道
 を辿っておくといい。 損はしません。 よりROCKの奥深さが理解できるはずです。
 (私のBLACKとの出会いは、スティーヴィー・ワンダーでした。)

 私が彼の音楽と出会ったのは、「モータウン」を遡っていくうちになってからで、
 更に、ほんとに良さが分かるようになってきたのは、最近になってから。
 なので、あまりエラそうなこと書けないんですが・・。
 そんなこんなで、“アイツ”が久々のBLACKのネタの火種をくれたんで、
 今宵は、私なりのマーヴィン・ゲイの話に、よろしくお付き合いを。


 「クール、、メロウ、かつ、スィートネス = 孤高で悲劇の“愛と性の伝道師”」

 一般的に彼を表現したら、こんな感じで表したらいいんだろうか。
 (だから、口説きのアイテムと、誤解されちゃうんだろうけど・・。)

 これは、いわゆる「天才ミュージシャン」と言われる人には、なぜか多いんだけど、
 この人も、紆余曲折と波乱に飛んだ起伏の激しい人生を歩んだ一人でして。
 私は、彼は「トラウマと生きた人生」だったと思う。

 その根源は、「彼の父親」にあった。 しかも、“屈折”した人だったみたい。
 牧師ということで、社会的にも影響ある立場にありながら、とにかく厳格。 キツイ。
 従わぬなら、暴力で服従させるいう側面があっても、なんと女装癖もあるという
 性的倒錯者だった。  これじゃ、まともに“育つ”わけありません。
 マーヴィンの性格は、そんな影響からか、とても繊細で傷付き易い「破滅型」。 
 わからなくもありません。

 しかし、父の影響から、聖歌隊で歌いだし、楽器も覚えます。 そして、歌手の道へ。
 ドゥーワップっぽいバンドを経て、あのムーングロウズに参加。 そして、あの
 設立間近だった「モータウン」のベリー・ゴーディJrに紹介されるわけです。
 ドラマーとして仕事を初め、なんとすぐに、ベリー・ゴーディ・Jrの娘アンナと
 すぐに結婚。 61年にソロ・デビューした。
 (彼女が18歳も年上だったこともあったり、彼自身めちゃくちゃモテる男だったので、
  だんだん結婚生活がもめて、最後は離婚問題に至るわけですが・・。 )

 62年あたりからヒット曲が出て来て、64年の“悲しい噂”が大ヒット。
 あと、“Ain't That Peculiar”や“Pride and Joy”とか“Your Precious Love”
 などなど、ヒットを連発します。 彼が一番得意なのは、ナット・キング・コール
 みたいな、ジャジーでシルキーな曲。 元々、スタンダード・シンガーを目指してた
 といいます。 明らかに、良い子悪い子で分けると“良い子”の歌ですよね。
 まだ、背景に教会を背負っているところがあると思うんだけど、マーヴィンは
 ほんとは、これがやりたかったんですよ、きっと。 ただそれも、
 忌まわしい幼児体験から来るものだと思うんですが・・。

 そして、彼を成長させた、もう1つ影響として、モータウンの女性ミュージシャンとの
 デュエット作品だ。 メアリー・ウェルズ、キム・ウェストンなんかと歌ってるけど、
 中でも、一番彼に影響を与えたのは、私生活でも“できて”しまうタミー・テレルだ。
 この2人のコンビネーションは、後にデュエットするダイアナ・ロスさえ超えられない
 ほど、深いものだった。
 
 しかし、彼女は70年3月16日脳腫瘍で亡くなります。 
 これがとてつもなく大きかった。
 これを境に、彼女の死を境に、彼は別人のような生活を送るんです。
 酒やドラッグに溺れたり、その挙げ句に、歌を辞めて、
 元々フットボール選手志望だけども、プロボクサーになりたいとか、
 変なことを言い始めたり・・。
 そのうちに、誰もわからないくらいに、人の前に出なくなるんです。

 また、70年って年は、モータウンにとっても、今までは、“やることなすこと”が
 ヒットしていたんですが、ヒット曲が出なくなるんですよね。
 モータウンも岐路に立っていた年なんです。
 そして、彼の評価もこれが、“前半”の山(“第一”って言った方がいいかな)。

 しかし、どん底のマーヴィンが、また起き上がります。
 「新しい音楽を創り出したい」という強い創作意欲だったのかも知れないけど、
 持ち前の完璧主義が復活し、作曲、アレンジから演奏まで、プロデューサーとして
 徹底したコントロールがなされ、初のセルフ・プロデュース作品である、
 「WHAT'S GOING ON」を生み出すんです。
 (セルフ・プロデュースは、スティーヴィー・ワンダーも、ほぼ同時期に始めたと
  思うけど、“初”としての完成度は、こちらの方が上だと思う。)
 ゆえに、このアルバムの評価が誉れ高いのは、黒人ミュージシャンとして、
 初めて「コンセプト・アルバム」を制作した意義にあること。

  

 マルチ・トラック・レコーディングを採用して、奥深いサウンドをベースに、
 当時、激化する一方のベトナム戦争に対する反戦、行き詰まる公民権運動、すでに、
 この時期から環境問題(エコロジー)まで展望した危機感、メッセージ性など、
 さまざまな社会的難題を「問題提起」する旗の下、
 ただネガティヴに惨状を嘆くのではなく、あくまで前向きな意思を語る彼の姿が
 勇ましくも美しい。 彼の歌声は、“癒し”でもあるんですよ。 
 そこに、“愛”があるんです。 (“愛”を履き違えちゃいけません)
 
 巧みな編集により、最初から最後までとぎれなく続く楽曲。 大編成のオーケストラ
 を基調とした華麗でゴージャスな雰囲気をバックに、何度も繰り返した多重録音で、
 彼のヴォーカルが幾重にもなってシルキーに夢幻的に包み込み、独特な浮遊感が被う。
 (アレンジャーである、デイヴィッド・ヴァン・ドゥピットの貢献が大きい)
 
 「 ねぇ、母さん。  なぜ、こんなに多くの人が涙の雨を降らせるの?
  仲間も次から次へ死んでいく。 こんなのもうたくさん。 戦争は解決法じゃない。
  一体、何が起こってるんだろう。 
  今ここで、人々に愛が降り注ぐ方法を考えよう。 」

 これが、あの“What's Going On”のメッセージだ。

 ゆったり漂うグルーヴに、甘いサックスがイントロを奏で、メジャー・セブンスの
 コードが醸し出す、幸福なビートに乗せて、やがて、彼が優しく入ってくる。
 ”ベトナム”という深刻なテーマを歌っているけど、あくまでフィーリングは
 ソフト&イージー。 説得力あるサビを歌い上げてから、大きく転調し、
 ファルセット・ヴォイスが天空を舞う。 これは何度聴いても背筋がゾクゾクしまう。

 そして、特筆すべきはこのアルバムで縦横無尽に弾きまくるジェームス・ジェマーソン
 のベースだ。 モータウンの多くの名作の中で鍵を握っているジェマーソンだが、
 ここではその持てる能力を最大限発揮した弾む ベース・ラインを“効かせている”。

        

 ルート音と簡単な5度の繰り返ししか弾いていなかった、それまでのベース・スタイル
 を根底から覆すような彼のベースは、、まさに驚異としか言いようのないもので、
 複雑な構成音やリズムを駆使していながら、ラインに装飾的に付く技術。
 (32分音符を独特なリズムを跳ねさせるテクは、グウの音も出ない。 凄いプレイ。
  ジャコもこれには敵わないだろうなぁ。)
 それにも関わらず、決してメインを“邪魔することのない”彼のプレイは、
 まさに、天才の称号がふさわしいベーシストであると思う。 こんな“裏方の鉄人”で
 ありながら、2000年に、サイドマン部門でロックの殿堂入りしているのも当然なのだ。

 マーヴィンは、以後「アルバム」という場に、自己表現の可能性を見出していく。
 次回作の、これも大傑作の「LET'S GET IT ON」は、“セックス”がテーマだし、
 76年のリオン・ウェアとのコラボだった「I WANT YOU」もそうだ。
 でも、こんなエロい方向に向かっていっても、品がいいんですよ。 艶がある。
 だから、クールでかっこいいんです。 (そりゃ、モテますわ)

 確かこの頃に、ダイアナ・ロスが、“You Are Everything”っていうのを大ヒットさせた
 と思うんだけど、「♪You Are Everything・・。」ってマーヴィン・ゲイと
 ダイアナ・ロスが、耳元で囁き合うようなやつがあったじゃないですか。 
 あれって、“真っ最中”に囁きあってるようなんだけど、すごくかっこいい。 
 全然下品じゃない。  それが、マーヴィンの尊敬されるところじゃないかなぁ。

   

 とはいえ、78年のアンナ夫人との離婚劇をテーマにした、「HERE,MY DEAR」
 (邦題「離婚伝説」)は、恨みつらみがてんこ盛りの内容で、みじめなんですよ。
 (ディランの「血の轍」も、情けない未練たらたらのラブソングばっかでしたが)
 しかも2枚組で、長い時間タラタラ、ネチネチやられたら、アンナさんも
 たまったもんじゃない。 音楽センスは素晴らしいんだけど、男気なんてゼロ。

 この辺から、また下降線を辿っていき、彼の人生も凄惨を極めていくんだけど。

 税金滞納で差し押さえを食らったり、二人目の奥さんとの結婚も破たん。
 この後、身を潜め、ハワイの浜辺でワゴン車の中で寝泊まりしてたり、
 イギリスで、また“薬”に手を染めたりと、生活は荒れる一途を辿る。
 おまけに、あの「モータウン」とも、こじれちゃって断ち切られるはめになり、
 もう再起は不可能とも言われたらしい。

 しかし、「捨てる神あれば、拾う神あり」です。
 ベルギー人のプロモーター兼マネージャーとの出会いによって、彼は再々度、
 シーンに返り咲きます。 82年CBSと契約し、当時、先端を走ってたシンセを導入
 した意欲作「MIDNIGHT LOVE」をリリース。 あの“Sexual Healing”を
 大ヒットさせます。 (確か、この年のグラミー賞で、常連だったスティーヴィー
 や、飛ぶ鳥を落とす勢いだったマイケルを抑えて、R&B男性部門で受賞したのは、
 いかに彼が崇拝され、音楽的評価の高いミュージシャンだったかがわかります。)

 この時、彼は43歳。 これから円熟期に入り、まさに、これからっていう時でした。

 病弱な母を殴る、あの“父親”を止めに入ったマーヴィンと口論になった末に、
 彼は、父親に射殺されるのです。 その銃はマーヴィンがプレゼントした銃で。
 84年4月1日。 明日が誕生日という日・・。 あまりに酷な最期でした。

 アイツが、この記事を読んでることは、120%ないと思うけど、
 あの魂の曲を、口説きアイテムに使っちゃいけませんよ。
 (“Lets Get It On”ならまだしも・・。)
 いかんいかん。 アツくなってしまいました・・。

 彼は、どんなに怒っていても、クールでした。 大人でしたから。

北欧産POP王は国境も世代も超えて。

      GOLD (GREATEST HITS)     ABBA

         

         Dancing Queen
         Knowing Me, Knowing You
         Take a Chance on Me
         Mamma Mia
         Lay All Your Love on Me
         Super Trouper
         I Have a Dream
         Winner Takes It All
         Money, Money, Money
         S.O.S.
         Chiquitita
         Fernando
         Voulez-Vous
         Gimme! Gimme! Gimme! (A Man After Midnight)
         Does Your Mother Know
         One of Us
         Name of the Game
         Thank You for the Music
         Waterloo
 
 昨年末の話題に戻るんですが、毎年恒例になった「ロックの殿堂」入り
 アーチストに、ジェネシス、ジミー・クリフに、ホリーズ。
 それから、イギー・ポップ率いるストゥージズ(これは嬉しいぞ)に、
 なんと、ABBAが選ばれた。

 「ABBAが殿堂入り!?」  「ABBAって“ロック”なの?」  
 とか、きっとそう思ってる人が多いんじゃないのかなぁ・・。

 当然です。  むしろ、「やっと選ばれたか」って思うくらい。

 確かに、ABBAは“ROCK”じゃない。 “ROCKの魂”のかけらもない。

 しかし、以前どこかの記事にも書いたことがあるんだけど、
 「ROCK」という音楽は、20世紀最大のポピュラー音楽であり、
 最も巨大化、大衆化した現代音楽。 ゆえに、今世紀に入ると、
 もうジャンル区分が困難なくらい、「ROCK」はミクスチャー(混成)
 されてしまってる状態だ。 今なら、広〜く言えば、ABBAも「ROCK」だ。
 だから、「ロックの殿堂」って名称より、「ポピュラー音楽の殿堂」って
 言った方が、的を得てるのが現実だろう。
 (そうすると、前に書いてた、敬遠されている“カーペンターズの殿堂入り”も
  あながち遠くないだろうなぁ・・。)

 

 母国スウェーデンで一番外貨を稼いだのは、某有名な自動車メーカー。(VOL・・)
 そして、2番目に外貨を稼いだのは、この「ABBA」だろう。
 そう一国の経済をも支えたグループなのだ。
 そして何よりも、ABBAの世界は、我々音楽ファンにとっては、“永遠の青春”だ。

 上の写真から順に、
 アグネッタ、ビョルン(g)、アニー・フリード(フリーダ)、ベニー(key)の4人。
 72年にビョルン&ベニーの2人にアグネッタとフリーダが加わって、4人組でデビュー。
 初めは4人の名前を羅列したグループ名だったが、長ったらしいんで、イニシャルを
 とって、「ABBA」に。 最初の「B」が反転してるのは、当時それぞれ2人が結婚して
 (現在は既に離婚してるが)、互いに向き合う姿を表した意味と、もう一つは、
 スウェーデンには、「ABBA」という缶詰のメーカーが既に実在していたので、
 問題にならない為に、「B」を反転させたという説があるらしい。

 アグネッタは、素晴らしい美声と美貌を兼ね備えた、言わずと知れたABBAの
 リード・ボーカリスト。 裏声など一切使わずに、さらりと数オクターブを歌いあげる
 実力と汚れを知らない自然体の歌声というか、ナチュラルさと情感豊かな歌いっぷり
 は、他に類を見ない。 まず聞き間違えようのない、特徴ある声質も素晴らしい。

 それに、ノルウェー人で古典民謡のルーツを持ちやジャズ・バンドのシンガーだった
 多彩な経験を持つフリーダも、やや低音が魅力の非常に個性的な声質の持ち主。
 ベニーは、「ABBAサウンドってものがあるならば、それはあの2人の声そのものだ。」
 というように、この天才的2人の女性ヴォーカリストが、偶然の出会いによって生まれた
 ポピュラー音楽史の奇跡の賜物が「ABBA」なのだ。

 そして、ABBAのすべての楽曲を手掛けているのが、ビョルン&ベニーの男性コンビ。
 ポピュラー音楽史の中では、名ソングライター・コンビが数多く誕生しているが、
 (レノン/マッカートニーを筆頭に、ジャガー/リチャード、ゴフィン/キング、
  バート・バカラック&ハル・デイヴィッド、エルトン・ジョン/バーニー・トーピン
  など)
 このビョルン&ベニーも、これらの名ソングライター・コンビに恥じない名コンビだ。
 それ以上に、そうしたコンビも音楽的な方向性の転換や、友情の亀裂などでコンビを
 解消したるするケースが多い。 だが、このビヨルンとベニーがユニークなのは、
 66年に出会って以来現在まで、その音楽的パートナーシップを継続し続けているという
 点だ。 それは、まるで終わる事のない永遠の友情で結ばれているのだ。

 ABBAは、音楽完全主義者。 特にビョルン&ベニーは、熱心な音楽オタクだ。
 時間をかけて緻密で計算されたクリアなポップ・サウンドを創り上げた功績は、
 素晴らしい。 ほんとに良く出来てるんですよ、ABBAの曲って。

 しかし、ビョルンが「僕たちは音楽性よりもイメージで避難されてきた」と嘆く
 ように、ABBAは、批評家達から不当に酷評され続けてきた。
 (ロックの殿堂入りに、かなり前から候補に挙がっていたにも関わらず、
  落選し続けていたのもそうだ。)

 そんな理由からなのか、
 ABBAを、音楽的見地から語られることがあまりないような気がするんですよ。

 その一方では、ABBAへの賛辞を贈る声は絶大なものがあり、世界中の偉大なる
 アーチスト達から愛されるのも、「ABBA」であった。
 私の知る限り挙げていくと・・。
 ジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ライドン(SEX PISTOLS)、
 エルヴィス・コステロ、ブルース・スプリングスティーン、リッチー・ブラックモア、
 フランク・ザッパ(!)、マイク・ラヴにブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)
 オリヴィア・ニュートン・ジョン、カイリー・ミノーグ、ジーン・シモンズ(KISS)
 ビョーク、イレイジャー、エイス・オブ・ベイス、ノエル・ギャラガー(元オアシス)
 そして、世界で最も有名なABBAマニアである女王マドンナなどなど・・。

 このジャンルや国境を越えて、多彩で幅広いアーチストに支持され、愛されてるABBA。
 既に、こんな多くのロックの殿堂入りしている偉大なアーチスト達にも尊敬されてる
 わけです。 殿堂入りなんか、当然なのだ。

 また、92年にイレイジャーが「ABBA-ESQUE」なるABBAのカバー・アルバムを発表
 して、イギリスで大ヒットした辺りから、ABBAが再評価されだし、このベスト盤も
 好セールスを記録し、ABBAリバイバル・ブームが巻き起こる。 しかし、世界中の
 大衆が望んでも、一向に“出てこない”んで、カバー・アルバムがたくさん作られ、
 いろんなそっくりさんやカバー・バンド、いや、究極の“なりきり”バンドが、
 大ウケしてるのも、(「ABBA GOLD」たるバンドが、世界ツアーで大成功)
 うなずけるし、ABBAの大ヒット曲27曲をフィーチャーした、99年にロンドンで
 オープンした「MAMMA MIA」っていうミュージカルも凄くて、(日本でも大人気) 
 空前のロングランを記録。 メリル・ストリーブ主演で映画化もされた。

 というように、この当時、英語圏以外のアーチストが、世界で大成功を収めたのは
 極めて稀なことで(あったしても、一発屋で終わってしまう)、ロック・ポップス
 界の世界地図を塗り替えたのも、ABBAだったといっていい。

 「ロック・ポップスは、世界の共通語てある」ということを、ABBAは証明したのだ。

 え〜い! 控えい! 控えい! ABBAはエラいのだ。  

 

 まず私なりに、ABBAの音楽性について書かせてもらうと・・。

 ABBAは北欧出身なだけに、初めは黒っぽさは全然ない。 ところが、
 ヒット曲が出て、アルバムも作られるごとに、他の音楽要素を貪欲に取り入れ、
 R&Bやロックンロールなんかの黒っぽい要素も吸収し、勉強して、かつ当時の
 先端だったディスコ・サウンドにも挑んで、分かりやすくて、誰にでも愛される
 独自のサウンドを構築。 北欧流のマイナーコードをうまくメロディラインに
 組み込んで、しかもセンスと洗練さと、「決め」のサビが光る名曲をたくさん
 作り上げたわけだし、この後に出てくるユーロ系キャンディ・ポップの
 先駆的役割を果たし、デジタル・ビート主体の機械的ダンス・ポップビート
 (ユーロビート)も、ABBAからインスパイアされたビートだ。
 
 それと、ABBAがエラいのは、その“ブランド”堅持力だ。
 こんなに、ロック・ポップス界に功績があるのに、「安売り」しないのだ。
 81年に突如解散して以降、この4人がステージに立つことは、現在に至ってもない。
 60年代以降の偉大なる功績のあったバンドが、一度きりでも大体再結成してる事実
 からすると、やってないのは、ABBAくらいじゃないのかな。

 それに、ABBAは、他のアーチストに絶対にサンプリングの許可をしないことも、
 ブランドを大切にしてる証拠で、承諾を得るのは至難の業なのだ。

( しかし、あの女王マドンナがビョルン&ベニーに直々に使者を送り、デモCDと
  熱いメッセージを書いた手紙を渡し、どれだけABBAを敬愛しているかを伝えた
  そうだ。 それでも、すぐにはOKはもらえなかったそうだが、やはり女王様は
  別格だったようで、あの“ピンクのレオタード”が強烈な“Hung Up”で、
  “Gimme! Gimme! Gimme!”のイントロ部分が、特別にサンプリング使用された。
  ベニーは、こう述べてる。
 「僕たちの曲を使いたいっていうリクエストはものすごく多い。でも、
  大体は“No”って言ってるんだ。 許可したのはこれで2度目だよ。
  今回“Yes”って言ったのは、僕たちもマドンナを崇拝してるからなんだ。
  彼女にはガッツがあるし、21年もの間、一線で活躍してきた。
  悪いものになるわけがない。もし良くなければ、OKしないよ。 
  いいトラックだ。」                            )
  
      

 ABBAの代表曲と言えば、皆さん、あの“Dancing Queen”を挙げるでしょうが、
 単なる「あ〜懐かしい〜」っていう想い出だけで終わってません?
 いけませんよ、それじゃ。
 英米を含む13か国でNO.1に輝く、この70年代を代表する永遠のポップ・クラシックを
 しっかり評価しなきゃいけません。

 いきなり「♪You Can Dance〜」からのサビから突入するアグネッタとフリーダの
 圧倒的なハイピッチ・ボーカルで、ガッチリとリスナーの心を鷲掴みする展開が見事。
 高揚感みなぎる煌びやかなサウンドといい、絶妙な間でのベニーのピアノのアクセント
 といい、計算し尽くされた完璧な演奏といい、これぞ、神業的の職人技。

 初め、この曲のレコーディングは75年8月に始まってたんだけど、途中中断を挟んで、
 12月初めまでかかって完成してる。(1曲にこれだけ時間かけてるんですよ、ABBAは)
 76年3月にシングル発売する予定だったらしいんだけど、マネージャーの判断で先送り
 にして、代わりに、“Fernando”をリリースした。

 デモの段階では。タイトルは“Boogaloo(ブーガルー)”。
 ただこの段階では、ビョルンもベニーも全然満足した出来じゃなかったらしく、
 2人は当時世界的なブームとなりつつあったディスコ・ミュージックの要素を取り込もう
 と考えていたものの、どうもリズム感覚が上手く掴めなかった。
 そこで、彼らはマイアミ・ソウル歌手のジョージ・マクレーの大ヒット曲である
 “Rock Your Baby”をヒントに、リズムのベースを作り、なんと、
 あのドクター・ジョンのアルバム「GUMBO」(“Iko Iko”収録の)を参考にして
 複雑なドラム・パターンを練り上げて、あの“Dancing Queen”が完成してるんです。
 「僕らの国には存在しないリズムだったから苦労したよ」と後に、ビヨルンが
 語っていますが、そうしたハンデを全く感じさせない、実に完成度の高い曲だ。

 ABBAはディスコ・サウンドの代表格と言われてるけど、それは、間違ってる。
 ABBAが本格的にディスコ・サウンドにトライしたのは、79年のアルバム
 「VOULEZ‐VOUS(ヴーレ・ヴー)」だけ。 原型になったのは、この曲だけど、
 やっぱ今聴くと、ディスコにしてはスローすぎる。 しかし、なぜかフロアが
 閑散としたところに、この曲がかかると、一気に盛り上がる“マジック”を持つ
 この曲のイメージが、あまりにも強烈なんだろう。

 この“Dancing Queen”1曲だけで、こんなに書いてしまったんで、
 他の曲のことが書けなくなったけど、どの曲も、実に緻密で良質なポップ・ソングの
 結晶がここにある。 (日本じゃ、コンパクトにまとめた、いい独自企画盤が出てる
 けど、この続編の「MORE GOLD」と合わせれば、ほぼABBAの魅力が堪能できる。)

 今年3月15日ニューヨークで、ロックの殿堂授賞式が行われる。
 果たして、ABBAは“4人”で姿を現すのか、いや、パフォーマンスはあるのか・・?
 注目したいとこだ。

少年の鋭い視線の先に映るものとは。

            WAR(闘)        U2

           

             Sunday Bloody Sunday
             Seconds
             New Year's Day
             Like a Song...
             Drowning Man
             The Refugee
             Two Hearts Beat as One
             Red Light
             Surrender
             40

 新年、一発目はコレで参ります。 U2の「少年」3部作の最終章である、「WAR」。
 この時期寒くなってくると、初期のU2の冷めて乾きつつも鋭く切れ込むビートと、
 ボノのアツい“魂の叫び”が恋しくなるんですよ。

 初期U2サウンドの集大成であり、同時に80年代初期のロックシーンが生んだ傑作。
 このアルバムのクオリティの高さは、そのジャケットの少年の鋭い視線が物語る。
 (ボノの親友の弟である現在俳優のピーター・ローウェン君)

    

 U2はボノ(vo)、エッジ(g)、アダム・クレイトン(b)ラリー・マレン・Jr(dr)
 という結成以来変わらない鉄壁の4ピース・バンドで、現在もロックシーンのトップに
 君臨し、影響を与え続ける“現在”最強のロックバンドといっても過言じゃない。

 76年にアイルランドはダブリンで結成し、80年「BOY」で華々しくデビュー。
 当時のパンク/ニュー・ウェイヴの息吹を十分に吸い込みつつ、
 スリリングでかつ、荒削りでエッジの利いたサウンドと熱い政治的メッセージは、
 聴くものの心を揺さぶり起こした。 そんな彼らの初期のサウンドの魅力は、
 “冷たさ”と“熱さ”のコントラストの両立にある。

 直線的で複雑かつ空間を切り裂くギター音、腰で弾く強靭なベース音の巧みで
 正確なラインと、爆撃機のように連打されるドラムビートが織りなすアンサンブル。
 4ピース・バンドの特徴である楽器間の隙間だらけの空間をうまく生かした
 心地よい音の残響と、“ディレイ”を多様し、かつシャープで切れ味鋭い質感は
 実に鮮烈なんだけど、劇的にストイックなまでに繊細だ。

   

 こんなU2独自の音作りを手掛けたのは、XTCやピーター・ガブリエル、
 そしてデビュー以来から、彼らをプロデュースしてきたスティーブ・リリーホワイト。
 彼の手腕、エフェクト技術は素晴らしい。 ソリッドで荒削りなロックを録らせたら
 ピカイチだ。 それにメンバーの演奏力も相まって、一つの完成形を見ている。

 『 ここで、“ディレイ”について、簡単に解説しておきます。

   ディレイとは、原音と同じ音が、一定の時間、間を置いて聞こえてくる効果。
   「音の遅れ」のことです。 エフェクター(出力音を変化させる機器)から、
   リバーブ(残響)やエコー(山びこみたいに繰り返し遠ざかる音)のような
   残響系の録音技術も、総称して“ディレイ系”と呼ぶこともある。

   でも実際、1つの原音に対して、エフェクト音がだんだん小さくなりながら、
   繰り返して出力されています。 この繰り返しを“フィードバック”といい
   これを機器で、時間差や繰り返す回数なんかを調整して、空間演出してる。   

   初期のディレイ・マシンはもちろんテープ式の物でした。まず、磁気テープに
   原音を録音して、録音ヘッドと離れた異なるヘッドで、録音された音を再生して
   やれば、ディレイ音が出来る。

   レコーディングで取り入れられた歴史は案外古くて、50年代後半のプレスリーの
   ロックンロール・ヴォーカルもエコーとして、フィードバック・ディレイ
   が使われ、彼独特のヴォーカル・スタイルが確立した。
   (ジョンがロックン・ロール・ナンバーの中でフィードバック・ディレイを使う
    のも、この頃のエルビスの影響であるんじゃないかなぁ)

   60年代に入ってディレイ・マシンの使い方も様々になってきて、
   ビートルズの「イエロー・サブマリン」のサントラ盤は実は当時その
   最先端だった。
   ジョージ・マーティンは最新の録音機材に精通してて、そのサントラ盤の中で
   実験的にクラシック・パーカッションをディレイでフィードバックさせたり、
   テープを逆回転を使ったりしてより効果的な作品に仕上がっていました。

   70年代からは、ロックが目覚ましい発展を遂げる中、フィードバック・ディレイを
   うまく利用して、独自のスタイルを築き上げるアーチストが増えてきて、
   ピンク・フロイドのデイブ・ギルモアや、クイーンのブライアン・メイなんか
   マシンとテクニックを駆使した印象的な曲やフレーズを編み出していった。
   それ以降ディレイ・マシンはめざましい発展を遂げていくことになる。  

        

 80年代以降、“ディレイの達人”と言っていいのは、このエッジだろう。
 何て言うかなぁ・・。 不思議な奴ですよ。 オンリーワンな。 
 そんなギタリストだ。 でも、彼は取り立ててテクニックで魅せる
 タイプのギタリストじゃないと思うんだけど、
 (案外、その不足分をディレイでごまかしてたなんていう奴もいるけど、
  私しゃ、そうは思わない。 4ピースはヘタクソじゃ成り立たないんですから。)
 ディレイの音色を変幻自在に使い分け、彼が確立したギターサウンドは、
 限りなくギターの可能性を広げたことは間違いない。              』
    
 だがここで最も成長著しいのは、やはりボーカリストとしてのボノだ。
 まさに倒れんばかりに情熱を爆発させて。それが残響と空間を切り裂くエッジの
 ギターと重なって、凄まじいばかりの緊張感を醸し出している。 さらに歌の内容も、
 政治的なもの、暴動や戦争を意味したものなど、疑問と問題提起がリアルな形で
 結晶化される。 「音楽で世界は変えられるんだ」という旗の下に。

 しかし、ただ声高に大声だけ張り上げて、反戦や平和を叫ぶんじゃない。 
 ピュアなラブ・ソングのようにして、もう一つ意味を持たせるような形で心に
 訴えかける。 そこら辺が実にしたたか。 実に冷静なのだ。

   

 “Sunday Bloody Sunday”は、72年1月30日の北アイルランドのロンドンデリーで
 起きたデモに対して英国軍が発砲し、14人の無抵抗な市民が殺害された「
 血の日曜日事件」を題材にした曲。 そのあまりに悲しく空しい無念さを、
 ビートと歌声は怒りに満ちた感情を爆発させる。 荒々しいバイオリンも
 入っていて効果的だが、カッティングやストロークの直線的ラインのカッコよさが
 名曲を決定づけた。 U2しか歌えない永遠の曲だ。

 “Seconds”は、行進曲のようなビートで独特の重圧と冷たさが印象的な曲。 
 核戦争について考えさせる歌詞からそう思えるのかも知れない。
 死の灰が降り注ぐ荒野なのか、それを予期しても防げなかった空しさなのか、
 感じ方は人それぞれだが・・。 

 そして、“New Year's Day”だ。「1月1日(新年の日)」と名付けられた歌詞の
 内容は、当時、社会主義だったポーランドからの民主化運動(連帯)の労働闘争
 への苦悩を歌い、それでも応援するという側面を併せ持つ曲。 
 サウンドは疾走感抜群。 流れるようなリズム隊のビートに、印象的なピアノの
 フレーズも絡んで、ギターのラインも滑走するような独特な奏法でスピード感を
 増している。 これも、U2永遠の名曲。

 こうやって見ると、頭3曲で、こんなに政治的でかつ宗教的問題も絡み、
 やはり我々には重すぎる。

 しかし、“Red Light”での女性コーラスと、ボノのファルセットヴォイスから
 幾度も叫ばれる「Love」の歌詞。 怒りの中にも、「Love」が刻むことができるか
 どうか・・。  「WAR」の肝心要のメッセージの本質は「そこ」にある。 
 「愛」なのだ。 すべてに「愛」が必要なのだ。

 アルバムの最後、初期のコンサートでは必ず最後に演奏されていた“40”でこう歌う。
 「僕らはいつまで、歌い続ければいい・・」
 このアイリッシュ・メロディの温かさが、最後に「闘い」の癒しと安堵感を包んで
 くれるが、 それは、幼かった少年がやがて大人になって現実と直面し、
 打ちのめされながらも、真剣にこの現実と向き合おうと精一杯抵抗を試みる、
 “悪あがき”の言葉なのかもしれない・・。
 
 けれど、今何かしなければ、誰かが叫ばなきゃ、何も変わらないのだ。
 
 デビュー作「BOY」から3年、まだあどけなかった少年が、
 今や射すくめるような厳しい視線でこちらを見ている。

 恐る恐る世界に歩き出した「少年」は、そこに厳然と存在する矛盾や怒りに対し、
 「音楽」という“武器”で「闘い」に果敢に挑んでいったのだ。

2010年 謹賀新年。

 新年あけましておめでとうございます。

 昨年4月に、丸2年の“断筆”から突然復活して以来、
 常連様はもちろん各方面からご訪問いただき有難うございました。
 改めまして、感謝申し上げます。

 「こんなマニアックなブログ、誰が読むんだろう・・。」
 自分が書いた記事を振り返ってみると、つくづく思います。
 ダラダラと長文にお付き合いいただき重ねて感謝いたします。

 私の場合、1つの記事に時間をかけて(時間を見つけながらですが)
 書いてるんで、どうしても1週間から2週間に1回の更新ペースに
 なってしまいます。 (1回アップしたらグッタリで・・。)

 ただこのペース。 このゆるさがいいのかな。 そう思ってます。

 書き始めの頃より、ずいぶん分厚い記事になりましたが、
 志は何一つ変わっていません。
 「誰でも知ってるメジャーな作品、アーチストなのに、中味はマニアックに。」
 「初心者の方からも、マニアの方からも楽しんでいただける。」
 「ゆるさの中にも、独自の視点で切れ味鋭く。」
 この3つのモットーが私のブログの生命線です。

 今まで聴いてなくても、知らなくても、聴いたような気持ちにさせられたら、
 いや、今まで聴こうかな、知りたいなと思っていたアーチストやアルバムが
 あっても、そのままになってるというようなこともあると思います。
 そんな人の背中をポンと軽く押してあげられるような、
 そんな記事を書いていければなと心がけています。
 
 これからも、ROCKが中心となりますが、洋の東西、ジャンルを問わず、
 白いの黒いの、ソフトなものハードなもの、年代もオールディーズから
 最新のものまで、そして、あまり書けなかった邦楽も含め、
 他の方があまり書かないような、私の知りうる背景やエピソード、
 裏話なんかを交えながら語っていきたいと考えてます。

 三ツ星レストランやブランド志向の高い洒落た店など、性に合ってません。
 あくまで敷居は低く、どなたでも入りやすいお店でありながら、
 「知る人ぞ知る、隠れ家的名店」、そんなブログでありたく思います。

 本年もマイペースで参ります。  今後ともよろしくお付き合いを。
 
                       平成22年 元旦  たか兄
プロフィール

たか兄

  • Author:たか兄
  • 正統派音楽ブログ営業中。
    洋邦問わず、マイペースで語ります。
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