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紅と白の“枯山水”に宿った小宇宙は、“ひとりホワイト・アルバム”。 

           MUSICMAN     桑田佳祐

        

         現代人諸君!! (イマジンオールザピープル)
         ベガ
         いいひと ~Do you wanna be loved ?~
         SO WHAT ?
         古(いにしえ)の風吹く杜
         恋の大泥棒
         銀河の星屑
         グッバイ・ワルツ
         君にサヨナラを
         OSAKA LADY BLUES ~大阪レディ・ブルース~
         EARLY IN THE MORNING ~旅立ちの朝~
         傷だらけの天使
         本当は怖い愛とロマンス
         それ行けベイビー!!
         狂った女
         悲しみよこんにちは
         月光の聖者達 (ミスター・ムーンライト)


 2010年大晦日も大詰め。 
 日本歌謡界で最も盛大なセレモニーであり、国民的祭典でも
 ある「紅白歌合戦」も終盤を迎える頃。 
 遂に今回のスペシャル・ゲストが登場した。
 
 そこには、紋付き袴を纏い、
 黒いストラトを抱えた“日本のディラン”がマイクに向かう。
 「あっ、やっぱり病み上がりっぽいかなぁ・・」
 思わず、こうつぶやいてしまったが、
 やや痩せたかなぁと感じた面とは裏腹に、
 まるで60年代のディランの髪形を意識したかの
 ようなボリュームのあるヘアーで、おもむろにワイルドなカッティングを始めた。 

 「 適当に手を抜いて行こうな。  真面目に好きにやんな。 」 

 まさか、術後初めての生出演、生歌披露に、
 未発表曲をブチかましてくるとは・・。
 しかもゲストとはいえ、「紅白」です。
 一番日本国民が観てる「音楽番組」です。
 前代未聞。  こんなの観たことない。 
 やってもいいのか?
 普通なら、みんなが聞きたい曲や有名な曲を歌うのがパターンなのに。

 まず真っ先に、なんで「紅白」に出るの?って思いましたよ。
 今さら。
 あの伝説と化してる、82年のサザン2度目の「紅白」出演。
 今も脳裏に鮮明に刻まれてる。
 白塗りした“バカ殿”メイクに、紅白の紋付き袴で、
 当時は「紅白」常連だった三波春夫をパロって、
 「裏番組はビデオで取りましょう」と悪ふざけも甚だしく、
 “チャコ”を歌うパフォーマンスで、日本中の“大ひんしゅく”を買ってから28年。
 (当時の「紅白」は、まさに歌謡界の聖地。
  これこそ“究極のパンク”だ!)

 翌年にも出演したが、
 それ以来「紅白」のステージからは縁を切ったはずなのに。
 毎年毎年、NHKの幹部が“三願の礼”をしても、
 絶対首を縦に振らなかったのに。

 でも大晦日には、炬燵を囲んで、
 年越しそばを食べながら、一杯やりながら、
 ついでに、みかんも剥きながら、
 テレビは「紅白歌合戦」を家族で観る。
 これが、この日本(くに)の大晦日の
 最もスタンダードな過ごし方であったはず。

 そして昨年は、そのテレビの向こうには
 “桑田佳祐”がいたのであった。
 何たること。 何たる贅沢。
 この上ない“幸せ”の時間(とき)ではないか。
 よく考えてみれば、
 「この日本のシーンには、彼がいるのだ」と感慨深くなった。

  

 術後初の復帰のステージは“何処”するか。 
 桑田は、あえて「紅白」を選んだ。

 「折角有難きお話をいただき、
  自らの復帰のタイミングとして甘えさせて頂いた」
 というコメントを残しているが、
 それは、永遠に枯渇することのないサービス精神
 に裏打ちされた感謝の気持ちそのものなだろう。 
 要は、単なる“出たがりスケベおやじ”なんですよ、桑田って。 
 (そのくせ、すごい“照れ屋”なのだが)
 彼は、自分が“国民的歌手”であるという自負など持っていないと
 謙遜するだろうが、最も分かりやすく、ファンに感謝の気持ちを表す“場所”は、
 今はココがベストだと。
 それは、ディランのライブ盤のタイトルと重なるが、
 まさに「偉大なる復活」だった。

 もう3月になったのに、今頃になって「紅白」の話をするのは、
 日本中で私だけだと思ってますが、
 昨年7月、日本中を激震させた初期の食道がん発見のニュースから、
 手術の成功とリハビリ療養後、中断していたアルバム制作の再開を経て、
 ようやく待望の4枚目のソロ・アルバム「MUSICMAN」を
 完成させた桑田佳祐。
 やはり今話さずして、いつ話すか。 
 いつもは歴史に残るアーカイブ・レビューばかりしてるんで、
 久し振りに新譜のレビューもいいかなと。
 今宵は、あの「紅白」で、老若男女、世代を超えて、
 真の意味で“国民的ミュージシャン”の座を射止めた、
 桑田佳祐の話によろしくお付き合いを。
 (今回もレビュー上、“桑田”と呼び捨てにて執筆いたします。 お許し下され。)


 「 このアルバムは、ここを注意して聴いて欲しいっていう限定
   などない作品と思ってるんで、
   どういう聴き方をしてもらっても構いません。
   無責任にポンポン飛ばして、シャッフルして聴いて欲しいですね。 」

 どういうことだ? 
 以前、ソロ・アルバムを制作するためには、明確な理由と
 意味がなきゃ作らないって、語っていたはずなのに・・。
 (ただ、前には質の高いシングル曲の寄せ集め的なアルバムでも
  構わないとも言ってるが)

 「ロックは英語でなきゃいけない」という、
 日本人のコンプレックスとアンチテーゼに真っ向から挑戦した
 桑田初のソロ企画KUWATA BANDの「NIPPON NO ROCK BAND」。

 小林武史と藤井丈司とスタジオに籠り、サザンでは表現できない、
 緻密かつ斬新なエレクトリック・ポップを構築したスタイルを
 確立した「Keisuke Kuwata」。

 小倉博和と膝を突き合わせ、私的葛藤や社会への疑問や不満を
 アコギに乗せて、キレて怒りをぶつけまくる、
 ラブ・ソングなどクソ食らえ的な男気に満ちた問題作「孤独の太陽」。

 斉藤誠を核としたバンドとタッグを組み、精巧かつクオリティの高い
 60~70年代のロックの贋作をバックに、メッセージならぬ
 “ぼやき節”炸裂の「ROCK AND ROLL HERO」。

 どれもソロ・アーチスト・プロジェクトとして、レベルの高い、
 明確なコンセプトが確立していた傑作ばかり。

 アルバムばかりでなく、96年から2009年までの間の
 11回「ACT AGAINST AIDS」チャリティー企画で、
 毎回洋邦ジャンル問わずテーマを設けた究極のエンターテインメントを披露。
 スタンダード・ジャズ、昭和歌謡、エリック・クラプトン、ビートルズ、
 R&Bソウル、英国ロック、アメリカン・ロック、紅白歌合戦、映画音楽と、
 考えられない振り幅の広さだ。
 
 そんなソロ活動で身に付けた“アイテム”をこれでもかとつぎ込んだ到達点が、
 この「MUSICMAN」。  
 私は“ひとりホワイト・アルバム”とあだ名をつけるが。

 この17曲すべてをレビューしたくも思うが、
 何曲かピックアップしてみたく思う。
 (初回版BOXにパッケージされたブックレットに桑田本人による
  詳細なライナーノーツを読んで見てもらえばいいだろう。 
  この作品への熱い思いがひしひし伝わります)

 まずこのアルバムからのシングル曲は、
 サザンの無期限活動停止後から翌年の2009年12月に“君にサヨナラを”と、
 アルバム完成間際の食道がん治療による中断の最中の昨年8月に
 “本当は怖い愛とロマンス”を発売した。
 どちらも、メロディ・センスとポップ・センスのバランスが
 見事なレベルの高い楽曲だ。

    

 “君にサヨナラを”
 「 希望を胸に生きるは 僕ひとりのせいじゃない  ・・今もそばにいる 」 

 初期のビージーズやジェームス・テイラーを思い起こさせるような
 70年代初期のアメリカン・フォークのエッセンスや、ガズ・ダッジョンと
 やっていた頃の初期のエルトン・ジョンみたいなセンチメンタリズムあふれる
 メロディ・ラインを彷彿させて、爽やかなんだけど、
 どことなく“死の匂い”が漂う切ない歌詞が胸に響いてくる。
 2008年に実姉を亡くされたことも大きいのでは。 
 ある意味“鎮魂歌”だろう。
 
 “本当は怖い愛とロマンス”
 「 男の些細な仕草が女は我慢出来ない 出逢った頃と違うよ 
   裁くチャンスを狙い澄ましている            」
 

 ズバリ、桑田版“Lady Madonna”。
 「青盤」の頃のポールの楽曲要素をこれでもかと盛り込んだ、
 インパクトから、詞、曲、アレンジ、全てにおいて、
 非の打ちどころのない完璧なモダン・ポップ。  
 “キラーチューン”ってのはこういう曲ことを言うのだ。
 ワケも解らず女性に切り捨てられた男の情けない心情と
 言い訳する様子が歌われているが、
 桑田と同じく、私も女性っていう生き物ってのは、
 何とも不思議だなって思ってますが・・。  怖いっす。

 アルバムに収録される新たな楽曲も、実にクオリティが高い曲がズラリと並ぶ。

 “ベガ”
 「 離れたくない気持ちが All Night ふたりの桃源郷(Xanadu) そして
   指絡め 身を悶え 重ねたキッスは 喜びと悲しみを宇宙に(そら)に放って 」


 ベガ=織り姫。 七夕に彦星と年に一度の逢瀬。 
 きっと、いけない恋なのだ。
 官能的なのにクールでシャープ。 
 スティーリー・ダンでもなきゃ、ロキシーでもない。
 R&BやAORの技術的手法を用いて、打ち込みを駆使したフロー感漂う
 スウィート・ソウルに仕上がった。 
 もしマーヴィン・ゲイが生きていたら・・と解釈できる曲だ。
 前後の辛辣な曲にさりげなく挟まれているが、
 Bメロのメジャーからマイナーへ転調するコードなんか一筋縄じゃない。 
 こういうセンスが、ホントに凄い。
 
 “古の風吹く杜”
 「 古都を見下ろして長谷へと下る 旅路切通りよ
   そこに行き交う“今生きる”も“今は亡き”人も  」


 鎌倉 江の島 江ノ電 134号線・・。 
 今も変わらぬエバーグリーン。
 桑田は、今までソロ活動してきた中で、あえてサザンではやれない
 新しいフィールドで挑戦するスタンスでソロ・ワークを勤しんできたはず。
 しかしこれは、“サザンオールスターズド真ん中”。
 しかも懐かしき曲想。
 例のワードを詞にバンド・フォークっぽくして、原坊がコーラスに加われば、
 もうサザンだ。
 桑田も、今になって、やっと若かりしデビュー時のサザンの姿を
 愛せるようになったという。
 “音楽人”としての自らのキャリアを考えてみれば、
 そんな垣根など桑田にはもうないのだ。
 これから、もうサザンだソロだという次元で、桑田を語ってはいけないのかも。
 
 “銀河の星屑”
 「 哀れみの献花(はな) そんなモノはまだ僕は欲しくない
   払い終わらぬ借金(ローン) エトセトラ・・
   まだ人生には未練がいっぱい              」


 この詞を初めて読んだ時、
 これは絶対“術後”に書かれた詞なのだろうと思った。
 アコーディオンやバイオリンをフューチャーしたジプシー調の
 アレンジを施した80'sっぽいニュー・ウェイブ・サウンドから放たれる言葉は、
 “涅槃の世界”だ。
 (このバイオリンやリズム・パターンは、ディランの“Hurricane”も想起したが)
 しかし、歌入れされたのは6月22日。
 まだ“がん”発見前だったという。
 何たる偶然なのか、神のイタズラなのか。 
 やはり“持ってる男”なのだ。

 “グッバイ・ワルツ”
 「 この国に生まれたら それだけで「幸せ」と言えた日が懐かしい
   川に浮かんだ月にはなれず 時代(とき)に流され参ります  」


 何だ、この曲は。
 エディット・ピアフさながらのシャンソンに、トム・ウェイツ
 みたいな“酔いどれ感”を漂わせて、出来たのは、古きワルツ歌謡みたいな。
 “東京”もそうだったけど、
 この曲も日本人、いや桑田にしか書けない曲。
 皮肉に満ちた郷愁と諦め。
 バイオリン、チューバの響きが胸にグサリ。 深すぎる。 

 “それ行けベイビー!!”
 「 終りなき旅の途中は予期せぬことばかり
   命をありがとネ いろいろあるけどネ  それなのに明日も知らぬそぶりで 」

 
 鋭い眼差しと生々しい歌声と躍動感。 
 迷いなし。 遠慮なし。 容赦なし。
 簡潔にストレートに、粗めに掻き鳴らすエレキ・ストロークに
 乗せてブチまけるのみ。 
 やはりこの曲も“勘ぐって”しまったが、がん発見前の5月10日に歌入れされている。
 が。 
 術前であろうが後であろうが、死と声を失う恐怖を乗り越えた男の歌は強い。
 世界で最も高純度なディランの遺伝子を継承しているのは、
 極東のちっぽけな島国の音楽界でトップの走るこのオヤジなのだと、
 当のディラン本人は知る由もなかろう。

   kuwata musicman

 しかし、このアルバムの“肝”になる曲は、
 “月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)”
 茅ヶ崎の一少年が、ビートルズとの出会いによって、
 すべてを変えてしまった。
 
 「 知らずに済めば良かった  聴かずにおけば良かった 」 
 
 それは、取り戻すことができない時間の流れに思いを
 馳せて描かれる、自らの過去と未来を交錯させた人生観を歌にしたものだ。
 66年に羽田に来日したビートルズが、
 首都高を移動する4人の車の映像ドキュメンタリーの
 バックで流れていた“Mr. Moonlight”。 
 “音楽人”桑田の原点は、この風景にあった。

 「 古いラジオからの切ない“Yeah Yeah(イエ・イエ)の歌” 」
                         (She Loves You)
 「 ビルの屋上の舞台(ステージ)で、巨大(おおき)な陽が燃え尽きるのを見た 」 
             (映画「LET IT BE」での、アップル・ビル屋上ライブ)

 燃え尽きることのないビートルズへの愛を散りばめらながら、
 悩み苦しむ現代人への
 心を浄化し、歩き続けようと励ます壮大な賛歌だ。 
 なんと感動的な曲なのだろう。
 
 この年になって、生きてきた中で数え切れない様々な曲や
 アルバムを聴いてきて、自分が新曲を聴いて、
 感動のあまりに涙を流すことなど、もうないのかもと思っていた。
 しかしまさか、“ここに及んで”なお、こんなにも素晴らしい曲を生み出すとは・・。

 「 現在(いま)がどんなにやるせなくても 明日は今日より素晴らしい 」

 このフレーズで、私の乾ききった涙腺から、
 とめどなく涙が頬をつたっていった。


 桑田には、サザンという偉大なる“既成モンスター”の概念に
 捉われることなく、自由なフィールドで音楽活動をして欲しいと思いつつも、
 このアルバムを聴くまでは、
 「いつサザンが再始動するのだろう・・」なんて考えることもあった。
 でも、このアルバムを聴いたら、
 「しばらくサザンなんてやらなくてもいいよ、桑田さん」って、マジで思った。

 発売され聴き始めて10日あまり。 
 どっぷり聴き込んでいくと、聴くたびに
 新たな発見ができ、別のイメージも膨らむ。 
 非の打ちどころなし。 完璧。
 「MUSICMAN」。  桑田のソロ、いや・・。 
 サザンを含め、キャリアでの最高傑作である。  
 決めるのは、まだ早いかもしれないけど、そう言ってもいい。 
 うん、間違いなく。

 現代人諸君よ‼  桑田の声をしかと聴け!
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2011/03/04 Fri. 23:20 [edit]

Category: サザンオールスターズ

Thread:CDレビュー  Janre:音楽

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妥協なきトライアングルが築いた、和製「RAM」。 

          Keisuke Kuwata     桑田佳祐 

          

          哀しみのプリズナー
          今でも君を愛してる
          路傍の家にて
          Dear Boys
          ハートに無礼美人 (Get out of my Chevvy)
          いつか何処かで (I feel the echo)
          Big Blonde Boy
          Blue ~ こんな夜には踊れない
          遠い町角 (The wanderin’street)
          悲しい気持ち (Just a man in love)
          愛撫と殺意の交差点
          誰かの風の跡

 もう一週間経ちましたが・・。
 そろそろ書かなきゃ・・と思ってたとこに、あの衝撃的ニュース。

 安心しました・・。  早く見つかってよかったです、ほんと。  
 あえてここで“ガン”について、蒸し返さないですが、一報を聞いたときは、
 「ガ~ン」と真っ暗になりましたよ。 ・・・。  でも、不幸中の幸い。
 ラジオで肉声を聞いたら、とても元気でなによりでした。
 手術も無事に成功し、その後の経過も良好で驚くほどの回復ぶりとのことですが、
 ここはじっくり療養に努めて、一日も早い“戦線”復帰を願いたく思います。

 あなたは、日本音楽界の最大の“至宝”。
 いなくなってもらっちゃ、困るんです。 まだまだ倒れてもらってはいけないんです。

 今宵は、私があなたの“虜”になったきっかけのソロ第1弾を語って参りたく思います。
 よろしくお付き合いを。

 (このレビューの便宜上、以後、「桑田さん」とは記さず、申し訳ありませんが、
  “呼び捨て”で書かせていただきます。  師(マスター)お許しくだされ。)


 コレが出た時のことを今でもよく覚えているけど、「あれ~?」って感じだった。

 当時の背景を思い出してみると・・。
 84年に、サザンが正面切って“デジタル”と対峙して、渾身の力で見事に結実させた
 大傑作「kamakura」を完成後、ハラボー(原由子)の長男出産、次男妊娠の産休により、
 サザンは活動休止に。 残ったメンバーらは、それぞれソロ活動を展開し始めた。

 桑田のソロは、他のメンバーに比べてスタートは遅く、まずは、サザンの“殻”を破り、
 学生気分に立ち戻り、“ロック”の世界にどっぷり漬かり直そうと、1年間限定で、
 フライト・ジャケットやタンクトップよろしく、男臭い集団「KUWATA BAND」を結成。

 活動終了後、2枚のソロ・シングルを発表。
 デビュー・ソロは、“悲しい気持ち (Just a man in love) ”。
 軽快なモータウン・ビートのR&Bテイストあふれるポップ・チューン。
 フィル・コリンズが“You Can't Hurry Love”をカバーして、大ヒットさせたみたいに、
 この頃は、こういうオールディーズっぽい曲調を今風にアレンジしてるのが流行ってた。

     

 2ndソロは、“いつか何処かで (I feel the echo)”。
 うってかわって、ミディアム・シャッフル・ビートとノスタルジックなメロディが
 印象的な、初期のエルトン・ジョンをテクノ化させたような真摯なラヴ・ソング。
 小林武史のアレンジと藤井丈司のプログラミングが存在感あふれる名曲だ。

 88年はサザン結成10周年の年で、記念シングル“みんなのうた”を発表。 
 サザン10周年「大復活祭」たるツアーを夏に敢行。 大成功を収める。
 (前の「あれ~?」ってのは、サザンのアルバムだと思っていたからでした)

 KUWATA BAND活動中は、レコーディングはスタジオセッションで比較的短時間で仕上げ、
 ライブやテレビ出演も精力的に行ったものの、それらの活動が終わった後、このバンド
 での活動に疑問を感じ(テクニック至上主義バンドの実験と限界)、サザンに“帰還”
 する前に、もう少ししばらくソロとしての時間が欲しい、今度はスタジオにじっくり
 篭って、曲作りに専念したいという、この桑田自身にとって、ある種“自信”を感じて
 いた時期。 その勢いに任せて、アルバム制作が始まった。

 87年夏から、約1年掛かりでレコーディングは続けられて、サザンのデビュー10周年の
 時期と重なってしまい、 サザン復活の直後の88年に、このソロアルバムをリリース
 ということになってしまったワケだ。

 ここで桑田は、2人のクリエイティヴな若き才能の持ち主とスクラムを組む。

 まず一人は、藤井丈司。
 コンピューター・マニピュレイター兼アレンジャーの第一人者で、後期YMOでの
 活躍がきっかけで、サザンの“ミス・ブランニュー・デイ”でのシンセ・アレンジを
 担当。 あのイントロのキラキラした響きは、時代が経った今でも鮮明だ。
 以後、桑田の信頼を得て、「kamakura」での全面的デジタル・ワーク、プログラミング
 は、まるで“和製トーマス・ドルビー”ごとく、重厚かつ大胆だ。
 
 もう一人は、小林武史。  
 今では“泣く子も黙る”天才プロデューサーも、当時は新進気鋭のアレンジャーだった。
 しかしながら、卓越した知識と彼の持つ独特な“洋楽テイスト”な音楽観は、桑田に
 多大な影響を及ぼして、90年代初めまでのサザンの“ブレイン”として貢献した。

 この“Wタケシ”に、桑田の“トライアングル”が融合した名盤がコレだ。
 (しかし、この3人の“天才”は、誰も妥協は許さず、互いに主張を曲げなかった
  ために、アルバム制作が頓挫してしまう可能性もあったとのことだ)

 ジャケットには桑田の“ピカソ風”の肖像画が使用され、歌詞カード内部や裏面には、
 レコーディングスタジオの風景が写されている。 写真には桑田のほかプロデューサー
 兼サポートメンバーの藤井丈司と小林武史も共に写っている。

 

 桑田が、この世で一番好きなアルバムの一枚がポール・マッカートニーの「RAM」。
 あのアルバムがなかったら、今の自分はないかもしれないとまで言い切る。

 “あそこ”まで、ホームメイドで手作りな作風を狙うには、いささか“デジタル”
 が過ぎるが、無機質な音にも、その肌触りと職人気質さが窺い知れる。
 (アルバム中、唯一「RAM」を意識してるのが、ウクレレの音色がリラックスした
  雰囲気を漂わすテクノ牧歌“Dear Boys”くらいだが)
 
 このアルバムのテーマは、
 「コンピュータと生の楽器をいかにうまく同居させて、より良い“楽曲”を作るか」
 だったのではないかと。

 このテーマには、ノッケの10数秒で答えが出てしまうことに・・。
 “哀しみのプリズナー”は、私の中ではサザン、桑田オールキャリアの楽曲の中でも、
 最も好きなイントロ。  シンセとアコースティック・ギターのカッティングの
 バランスのとれた混ざり方、響かせ方、そして、桑田の“歓喜の叫び”の絡み・・。

 素晴らしい。 この数秒で当時ガキだった私の心を鷲掴みにしてしまったんです。

 それと、このアルバムでの、桑田の最大の武器である楽曲レベルやメロディの
 センス、歌詞の韻の踏み方や“空耳”度、造語性などは、もちろん際立っているが、
 彼の“ヴォーカリスト”としての資質の高さには、改めて気づかされる点が多い。

 クレジットを見る限り、このセッションで桑田はギターを手にしていない。
 ゆえに、初のヴォーカリストとしての比重を置いた作品であるともいえる。

 このアルバムのオリジナル・アナログ盤の帯のキャッチコピーは、
 「 くちづさんでいるのは、彼です。 」  なのだから。

    

 “今でも君を愛してる”での多重コーラスはもとより、ナチュラルからシャウトまで
 幅広く、“誰かの風の跡”では、ファルセットを駆使した高難度もこなす。
 桑田の“声色”の器用さ、変幻自在さ、“何でも歌える”度は、サザンの楽曲でも、
 折り紙付きだけど、このアルバムでは、さらに繊細さも成熟度も増した感がする。 

 桑田は、このアルバムでは詩の内容にも力を入れたといい、以前の作品のような、
 語感重視の言葉遊びで終わらせるのではなく、洗練された表現も豊かな内容の詩が多い。

 「 雨に寄り添えば、すれ違いばかり 誰の心に君は眠るの 」  “いつか何処で”
 「 別れた駅に降り立つ度に振り返る街角 」  “遠い町角 (The wanderin’street)”
 「 他人の空似ばかりの行き交う女性(ひと)にあきらめをなぞるような独り言 」
                              “誰かの風の跡”
 なんかそう。

 また、英語部分を前活動のKUWATA BANDの英語詩を担当していたトミー・スナイダーが
 全編に補作しているのも大きいし、桑田夫妻に長男、次男が生まれていた時期でもあって、
 子供の目線での詩やメッセージをテーマにした曲もあるのも関係しているのかも。

 このように、“ビート”に従属しにくい(乗っけにくい)日本語と桑田との戦いは、
 このアルバムで、テクノロジーの力を得て、完全に融合して、音と言葉は一体と化し、
 若き日の小林武史と藤井丈司の協力で彩るサウンド・アレンジ、コラージュは、
 一片の破綻もなく、骨太かつ透明感にあふれつつ、圧倒的にパワフルでメロディアスな
 完璧なる「ポップ・ミュージック」を結実したのだ。

 いったい、どれだけこのアルバムを聴いたことか。
 サザン、桑田信者でない“非サザン系”を好む人からも、どれだけ賛辞を聞いたことか。
 
 こんなに手が込んで、細かい部分まで緻密に作り込まれ、斬新で高レベルなことを
 やってるのに、誰もが親しめて、底抜けに楽しめる作品に仕上げている。

 才能ある人間が、人材とお金と時間を自由に使いこなせば、どういうものができるか
 証明しているようなアルバム。

  

 現在出てる桑田のソロは、3枚いずれとも“性格”が全く異なるにも関わらず、
 どれも目的意識が高く、完成度もズバ抜けて高い。  ほんとにレベルが高い。

 彼こそ、日本のポップスの座標軸。  “宝”なんです。

 まだまだ、失うわけにはいけないんです。

2010/08/04 Wed. 22:44 [edit]

Category: サザンオールスターズ

Thread:邦楽  Janre:音楽

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ロックおやじの居直りとぼやき節。 

       ROCK AND ROLL HERO    桑田佳祐

           amazonへ

           HOLD ON (It's Alright)
           ROCK AND ROLL HERO
           或る日路上で
           影法師
           BLUE MONDAY
           地下室のメロディ
           東京
           JAIL~奇妙な果実~
           東京ジプシーローズ
           どん底のブルース
           夏の日の少年
           質量とエネルギーの等価性
           ありがとう

 ここ最近のニュースを見てるとつくづく思う。
 「いい加減、アメリカに頼るのやめたらどうなん」って。
 在日米軍再編だって、いくら“同盟”面されたって、安保という印籠の前には、
 「ははぁ~」と何も逆らえず、とんでもない負担額を回されるはめに。
 結局、中国や北朝鮮への抑止力を高めたいアメリカの意図のいいなり。
 拉致問題だって、横田婦人が、直接“泣きついた”のも大統領だし。
 (日本の政治家、何やってんの、まったく)
 BSE問題だって、たぶん、あやふやのまま再開されそうだし。

 あ~、やだやだ。
 大事なことなんだけど、こんなことでぼやきだした自分が嫌になってくる。
 (そんな歳になってきたのかな・・)
 タイトル曲みたいに、まさに、
   「 米国(アメリカ)は僕のHero
     我が日本人(ほう)は従順(うぶ)なPeople 」 そのもの。
 歌詞の聞き取りにくい独特の桑田節は、天才的語呂合わせと韻を踏んで、
 辛辣すぎる“自虐ネタ”にひた走る。
   「 安保(まも)っておくれよLeader 過保護な僕らのFreedom 」 
   「 国家(くに)を挙げての右習え 核なるうえはGo With You 」
   「 円で勝つ夢はMelt Away 後は修羅場だ。
                泡沫(あわ)のようにすべてが消えた 」

 T REXの“Get It On”のリフをパロって、ホンキー・トンク風に展開するこの曲。 
 めちゃくちゃかっこいいけど、軽快なロックンロールの裏側に、
 哀しき日本人の性(さが)を自嘲する。
 おまけに、米国の象徴的炭酸飲料のCMキャンペーン曲だったという皮肉とジョーク。 
 いやはや・・。

 ディランを真似たら右に出る者なしの“Hold On(It's Alright)”は、
 「 縁がありゃ(Ain't Got) 」「 優雅な(You Got) 」「 愛がありゃ(I Got) 」 と、
 現代風刺絵巻を勢いづける、この空耳シャウト(たぶん無意識に)で景気よくスタート。
 サイケデリックなオルガンが、ショッキング・ブルーを意識させる、
 “Blue Nonday”や、クリームの影響強い“地下室のメロディ”に、
 “JAIL~奇妙な果実~”は、ZEPのリフをイメージさせるし、
 “夏の日の少年”は、バーズみたいなフォーク・ロック。
 “質量とエネルギーの等価性”では、デジタル・ロックに挑戦し、ラップまで披露。

 極めつけは、真正面からジョンに挑んだ“影法師”だ。
 「Baby!・・」と、溜めに溜めた思いを吐き出すヴォーカルは、なりきり度100%以上。
 間の取り方といい、音数を極限まで削った空間の創り方といい、
 “Mother”そのものだ。
 ここまでいけば、パクリだのコピーだのといった雑音も、彼に関して言えば、
 その要素すべてが、彼のオリジナリティの一部なのだと納得させられる。

 しかし、“洋楽かぶれ”だけに甘んじてる彼ではない。
 日本歌謡の最後の伝道師は、ここでも“昭和”を匂わせる歌曲も、
 しっかり織り込んでいる。
 歌謡曲なのかポップスなのか、 ロックなのかブルースなのか理解に苦しむ、
 3拍子のドラムとピアノの単音が雨音にすら聞こえるダークな“東京”なんか、
 日本人にしか(彼にしか)書けない曲だし、
 ラストの“ありがとう”は唱歌の域で、懐かしい校歌のようだ。
  
 ただ、このあまりによくできた60~70年代ロックの贋作(がんさく)集は、
 全編ぼやき節だ。
 「夢の続きは見れそうもない」だ、「心にさす傘はない」だの、
 あげくには、「人間なんて嫌だ」なんて言う始末。
 何がそんなに不満なの?って言いたくなるほどだ。
 富も名誉も人気もすべてを得たはずの、あなたなのに。
 ただ聴けば聴くほど、哀しく情けなくなってくる。
 こんなロック・アルバムありゃしない。

 しかし、意義もある。
 これが、国民的ポップバンド“サザン”の桑田のソロだということだ。
 それを忘れてはいけない。 

2006/05/09 Tue. 22:35 [edit]

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スタンドアリーナ~!!もっとこんかい!こらぁ!! 

   歌う日本シリーズ1992~1993 (VHS版)  サザンオールスターズ

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       ネオ・ブラボー!!
       フリフリ’65
       ミス・ブランニュー・デイ
         (MISS BRAND-NEW DAY)
       せつない胸に風が吹いてた
       GUITAR MAN'S RAG
         (君に奏でるギター)
       ニッポンのヒール
       ブリブリボーダーライン
       ポカンポカンと雨が降る
       涙のキッス
       死体置場でロマンスを
       希望の轍
       真夏の果実
       HAIR
       亀が泳ぐ街
       CHIRISTMAS TIME FOREVER
       BOON BOON BOON~OUR LOVE〔MEDLEY〕
       シュラバ★ラ★バンバ
       DING DONG(僕だけのアイドル)
       ボディ・スペシャルⅡ
       みんなのうた
       勝手にシンドバット
       夕方HOLD ON ME
       慕情

 凄すぎ。 これこそ、究極のエンターテインメント。
 2005年11月12日のナゴヤドームのサザンのライブ。
 「KILLER STREET」という強力なアルバムと過去の名曲群を
 バランスよく散りばめた、素晴らしいライブでした。
 文句なく、ここ最近のツアーでは最高の出来でした。
 今回、運よくアリーナ中央付近で体験できたんですが、
 終盤の演出のおかげで、いい歳こいて、子供みたいにはしゃいでしまいました・・。
 (詳しいセットリスト、演出はオミットしときます)

 しかし考えてみたら、サザンには、純粋なライブ・アルバムは一枚もない。
 あれだけのライブをやりながら、意外な感じもするんだけど。
 たぶん、桑田さんが思うライブ・パフォーマンスのクオリティが
 ソフト化に値しないという、高い志があるのだろう。

 ライブ・アルバムを一枚パッケージするには、どうしても、
 大なり小なりオーバーダブやリミックスは必要となるし、
 調子の良し悪しもあるだろう。
 (ステージ構成のバランスも崩れるため、サザンのツアーは、
  基本的にセットリストも変えない)

 伝説となった、あの“茅ヶ崎ライブ”もソフト化せずに、
 BSの生中継のみだったのも、ライブ本来の臨場感が損なわれる危険があったし、
 その日の桑田さんの喉の具合もイマイチだったため、
 満足いくパフォーマンスができなかった自責の意味もあるのだろう。
 (しかし、会場内の雰囲気と高揚感は、過去最高だったが)

 「 ミスもトチリもありのままに、これこそライブ 」
 彼らの初めてライブをほぼ丸ごとパッケージングした、
 この作品を観直して、改めてそう思うのだ。
 1992年9月12、13日と、初の中国公演を大成功に収め、その勢いのまま、
 秀作「世に万葉の花が咲くなり」をひっさげて、
 日本凱旋ツアー“歌う日本シリーズ1992~1993”の中盤のハイライト、
 1992年12月29日の横浜アリーナの模様を収録したビデオだ。

 「世に万葉の花が咲くなり」というアルバムは、
 小林武史という有能なブレインとのタッグが熟練されてきたのか、
 音に幅と奥行きが広がり、楽曲も高濃度で質の高い曲が揃った秀作であった。
 そこからの曲を中心に構成されたセットリストも、過去の作品と
 遜色なく、レベルの高さを思い知らされる。

 このビデオの特徴は、ライブ版ビデオ・クリップみたいに、
 MCやバックステージの模様など省いて、純粋にパフォーマンスと
 観客の表情を伝える編集がされていることだ。
 故に、仕掛けや演出を極力押さえて、“演奏力”で魅せる、
 サザンの底力も知ることができる。
 (病欠の関口さんは不参加だったけど、サポートメンバーの
  貢献度もナカナカのものだ)

 ある意味、究極のワンパターンでもあり、お約束ごっこでもある
 サザンのライブ。
 しかし、この快感と興奮はなんなんだろう。
 やめられないのだ。 
 こんな合法的ドラッグはない。

 ただ言える事は、なんやかんや、ゆうたかて、
 楽しけりゃいいじゃん。 
 これだけだ。
    

2005/11/15 Tue. 19:07 [edit]

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ついに、怪人三十面相現る。 

     KILLER STREET     サザンオールスターズ

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           ディスク:1
         からっぽのブルース
         セイシェル~海の聖者
         彩~Aja~
         JUMP
         夢と魔法の国
         神の島遥か国
         涙の海で抱かれたい ~SEA OF LOVE~
         山はありし日のまま
         ロックンロール・スーパーマン ~Rock'n Roll Superman
         BOHBO No.5
         殺しの接吻(キッス)~Kiss Me Good-Bye
         LONELY WOMAN
         キラーストリート
         夢に消えたジュリア
         限りなき永遠(とわ)の愛

          ディスク:2
         ごめんよ僕が馬鹿だった
         八月の詩(セレナード)
         DOLL
         別離(わかれ)
         愛と欲望の日々
         Mr.ブラック・ジャック~裸の王様
         君こそスターだ
         リボンの騎士
         愛と死の輪舞(ロンド)
         恋人は南風
         恋するレスポール
         雨上がりにもう一度キスをして
         The Track for the Japanese Typical Foods called Karaage & Soba
               ~キラーストリート(Reprise)
         FRIENDS
         ひき潮

 ある時は、ニール・ヤング またある時は、マーク・ボラン
 そして、またある時は、単なるエロオヤジ。
 その正体は、ロックンロール・スーパーマン!!

 待ちに待った、7年振りのオリジナル・アルバムだ。
 しかし、7年振りとはいえ、その間に、シングルも企画盤もあったんで、
 そんなに久し振りという感じがしないのだが、
 やはり、オリジナルとなると、意味が違ってくる。
 
 以前、桑田さんが、
 「アルバムは、シングルの寄せ集めでもいいと思ってる」
 との発言をしている。 
 これは、けっして、アルバムを軽視しているわけじゃなく、
 シングルも、グレート・シングルなら、それだけで構成されたアルバムでも、
 充分クオリティーを保てるとの意味で発したことなのだろう。

 彼らは、シングル一曲でも、全力で才気とパワーを注ぎ込む。
 そんな、大きな期待とプレッシャーの中で、
 桑田さんは数々の名曲を生み出してきた。
 そう考えると、2003年からのシングルは、このアルバムの為の
 中間報告みたいなものだったのかも。
 (ただ、アルバム製作モードに切り替えるのは、大変だったらしい)
 得てして、その通りのアルバムが完成した。

 まず、量だ。 圧倒的なこのボリューム。
 四段重ねの幕の内弁当を食べ尽くしたくらいの満腹感。
 まさに、これこそ、“サザンのホワイト・アルバム”だ。
 ジャンルゴッタ煮で曲数も同んなじ。(これは、狙ったな)
 しかし、二枚組全30曲のオリジナル・アルバムという、
 時代に逆行する、この暴挙。 アナログ的発想。
 (いくら、既発シングル、カップリング曲が12曲あるとはいえ)
 こんなことできるのは、サザンだけだろう。

 ただ、いくらサザンのアルバムとはいえ、桑田さんの才気と
 力量の強さ、リーダーシップが冴え渡る。
 2002年のソロで、よほど自信と信頼を得たのだろう、
 サポートの斉藤誠(ギター)、片山敦夫(key)などを従えて、
 全体的にグルーヴ感を押し出して、骨太な仕上げに。
 (既発曲もリミックスや肉厚して、バランスを整えたり、
  ビルドアップしているところなんか心憎い)

 ノッケの“からっぽのブルース”から、60'sサイケまる出しの
 ロックで幕開けする。(聴けば聴くほど味がでてくるんだ、コレ)
 時に、お得意の70'sミディアム・ファンクをやったら、
 次に、ボ・ディドリーで沖縄音楽やってみたり、
 ニーナ・シモンの真似ごとをしてみたり。
 また時に、ドゥービー・ブラザーズごっこをしたら、
 ついでに、ヤードバーズごっこもしちゃったり。
 8月にフィル・スペクターが出てきたら、ライチャス・ブラザーズに早変わり。
 そして、原坊は癒しの女神になる。
 それは、怪人三十面相ごとく、巨大音楽絵巻のように繰り広げられる
 ショーそのものだ。 量だけじゃない、質も極上。
 特に、60's、70'sロック好きには、たまらん出来だ。
 (ここで、私が一曲ずつ語るのは割愛しときます。
  リミテッド盤にある桑田さんによるセルフライナーノーツを読んだ方が
  数万倍好きになれますぞ。)
  
 曲順、曲間にも、細心の注意を払ってて、シングル曲もうまく
 配置されてて、完璧といっていい。
 イタリアン風インスト曲“キラーストリート”から、
 “夢に消えたジュリア”への流れなど、実にドラマティックだ。

 そのタイトルのつけ方や、ジャケットのデザインなんかで、
 思わず、またやりよったなと、ほくそ笑んでしまったが、
 けっして、“終わるんじゃなくて”、メンバーと改めて信頼を
 再確認しあって、つけたとのこと。
 たった8年で世界を変え歴史になるも、崩壊してしまったバンドよりも、
 27年間常にトップで居続けることの方がエライのかも。
 
 売れるに決まってる。 でも、枚数じゃない。
 彼らにとっては、それよりも、聴き手にいかに衝撃と感動を
 与えるかが大事なはず。
 それには、十二分に余りあるアルバムを作ってくれました。
 もう、お腹いっぱいです。 美味でございました。

 さあ、新たな名盤を引っさげて、いよいよツアーが始まります。
 今から、テンションの高まりを抑えつつ、待ってますぞ!

 

2005/10/08 Sat. 01:40 [edit]

Category: サザンオールスターズ

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