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演じたカルト・ヒーローを宇宙へ葬った“時代と寝た男”。 

        SCARY MONSTERS    DAVID BOWIE 
      
          

           It's No Game, Pt. 1
           Up the Hill Backwards
           Scary Monsters (And Super Creeps)
           Ashes to Ashes
           Fashion
           Teenage Wildlife
           Scream Like a Baby
           Kingdom Come
           Because You're Young
           It's No Game, Pt. 2


 秋深し。  いかがお過ごしでしょうか。
 公私とも、日々追われの毎日。 有難く思う反面・・。
 ゆっくりじっくり、このページと向き合う時間も限られてしまうのも事実。
 こんな時私は、自分のページで「何を書いてきたか」振り返ってみたりします。
 けっこう“ひらめいたり”して、ペンが進んだりするんで。

 こうやってみると・・
 ずいぶんと記事を書き留めてきたように思います。 
 が。  まだまだ書いていないビッグ・アーチストも、たくさんいます。 

 デヴィッド・ボウイ。  なんとしたこと。  まだ書いてませんでした・・。

 今宵は、時代と共に“変わり続けた”男の話に、よろしくお付き合いを。


 いきなりですが、「YOUNG OH! OH!」って、昔のテレビ番組知って見えます?
 関西の方ならご存じでしょうが、(これは全国ネットだったのかなぁ)
 吉本芸人の大御所から若手芸人まで登場する伝説的公開総合バラエティ番組。
 (この番組のスポンサーのおかげで、“カップヌードル”の存在を知りました)

 三枝師匠が“サニー”の愛称で司会して、「八方、文珍、きん枝、小染」のザ・パンダ
 に、若手の急先鋒だった、さんまが入って(まだ掛布や小林の野球モノマネをやってた頃)
 「SOS(サニー・オーサカ・スペシャル」。 阪神巨人に、紳竜、ぼんち、のりおよしお
 が加わって、「チンチラチン」(だっけ?)といった、現在の番組制作でも用いられる、
 “ユニット結成”というの若手芸人の売り込み方のプロトタイプを確立したのも画期的
 だったし、吉本の全国進出のきっかけをつくったのも、この番組だった。

 コレが大好きで、毎週日曜夕方は「笑点」ではなく、ウチじゃこれを見てました。

 何故こんな話を書いたかというと、この番組は歌手も出演して歌ったりもしたんだけど
 (「全員集合」みたいに、セットの途中で)、総合司会が川村ひとし(龍一)さんで、
 なんと洋楽を紹介してくれるコーナーがあったんですよ。 ノーランズとかアラベスク、
 ABBA、ポリス、EW&Fなどなど、夕飯食べながら、なんだかラジオで聴いたことがある曲が
 ドンドン紹介されるワケです。 (今考えると、スゴい番組だよなぁ)

 そこで紹介されたんです。 ボウイの摩訶不思議なビデオを。

     
   
 「なんじゃコレは・・?」
 ピィヨ~ンとした変な音に、ピエロの恰好した男が溺れてる姿は脳裏に焼きついた。
 もちろん誰なのかは知る由もなく、当時のガキでは理解不能です。
 これが私のボウイとの初対面。  意外な場所での出会いでした。
 (後になり、「ベストヒットUSA」で再び見た時には、「あ~!」って声が出ましたよ)

 常に新しいことに挑戦し、これまでの己のキャリアのことを顧みることなくことなく、
 “変わり続け”、常に突き進み続ける男デヴィッド・ボウイ。
 その七変化はリスナーを追随させず、常に最前線にあろうとする。

 青白い顔にメイクした美しいピエロに扮したボウイの写真がジャケット表裏の所々に
 散りばめられ、明るい配色で並べられている。 

 この前3作がブライアン・イーノと組んで、ヨーロッパ美学を構築したいわゆる
 「ベルリン3部作(「LOW」「“HEROES”」「LODGER」)」だった。
 細かく深い情景描写をシンセに織り込み、ギター・アンサンブルで膨らませ、
 調和させた内省的な独自のテクノ・ミュージックは、来たるニュー・ウェイブの
 源流となった。

     

 発表は1980年。  時はまさにニュー・ウェイブが注目を集め始まった時期だ。
 アートとコマーシャリズムを無理なく結びつける巨大都市ニューヨーク。
 アメリカを去ったボウイが、再びアメリカを“意識”し始めた時期でもあった。

 「 タイトルは、お菓子の箱のキャッチコピーからとったんだ。
   「シリアルな箱の中身を食べると、“恐ろしい怪獣たち”と出くわしますよ」
   って、書いてあったんだ。                       」 

 「SCARY MONSTERS」は、その3部作の延長線上の作品といってもいいが、
 辛辣なメッセージを歌詞に載せるも、反動的にサウンドはポップで分かりやすい。
 ベルリンで培ったテクノ感覚、質感をバラバラに解体して、繋ぎ合わせて、
 明るく切り貼りしたコラージュ感が特徴だろう。
 
 一世風靡していたパンク・ムーブメントに乗っかるほど、ボウイは“子供”ではなく、
 己の過去の栄光にすがって生きるほど、彼は燃え尽きてはいなかった。

 時代と“寝てきた”が、けっして尻軽じゃなかった。

 “恐ろしい怪獣たち” 
 それは、様々に“気ぐるみ”した70年代のボウイ自身なのかも。
 ビックリ箱にそれまで演じてきた様々な仮面や衣裳と共に、過去の己の
 カタルシスもパッケージして、ポップアートで包装した作品がコレだ。

 「 シルエットや影が革命をみている。 もう天国への自由の階段は無い・・ 」
 “It's No Game, Pt. 1”で、なんと日本人女性のナレーションで幕を開ける。
 (ニューヨークで知り合った、前衛パーカッショニストのジョージ・ヒロタの
  妻であるミチ夫人が担当している)
 逆回転させたようなロバート・フリップの歪曲的ギターと、ヘヴィーなドラム、
 そして、絶叫するボウイがこの不気味な日本語と絡まって、おぞましさを増幅させる。
 (ボウイの歌詞を日本語で聞くと、こんなに過激だったと思い知らされる)
 ベルリン発ジャーマン・ロック経由ニューヨーク着といった趣きか。
 サウンドに関係なく、あまりにアバンギャルドにフリップが弾きまくるんで、
 ボウイが最後に「シャラップ!!」と黙らせて終わるほどだ。

 でも、このアルバムの“核”は、“Ashes to Ashes”だ。

      

   「 灰は灰に。 臆病者はさらに憂鬱になるだけ。
     私たちは、トム少佐は麻薬中毒だって知ってる。
     天の高みまでハイになってたけど、もがき苦しんでる。
     今は最悪。 ずっと落ち込んだまま。
  
     ママが言うんです。
     やるべきことをしっかりやりなさい。 そして、
     トム少佐と関わってはいけませんよって・・。    」


 “Ashes to Ashes”は、“灰は灰に”と言う意味で、キリスト教の葬儀に使われる
 祈祷の言葉の一節で、「土は土に、灰は灰に、塵は塵に」の中の一部。
 海外映画やドラマの吹き替え無しの物(もちろん英語物)を見て、葬式、それも
 埋葬のシーンが出てくると牧師なんかが、これをを良く口ずさんでいるのがわかる。

 コレは、“宇宙物”でブレイクしたボウイの初期の悼尾(とうび)を飾る葬送曲。
 この曲でデビュー以来、様々な曲で主人公を務めてきた人物をジャンキー(薬物中毒)
 であったと“オチ”をつけて、今までの物語は全てジャンキーの妄想だったと、
 幻想的な初期の己に終止符を打つのだ。

 これは、ベルリンでの生活で、すっかりドラッグが抜けきって、過去の堕落した
 自分の無軌道、無鉄砲さを自戒し、改心したボウイの自画像でもあるのだろう。

 オーヴァーダブを幾度も重ねた、チェック・ハマーによるギター・シンセサイザーの
 音色の斬新なアレンジに、“ピヨ~ン”としたニュアンスのハーモナイズした旋律は
 かつての“異星人”ジギ-・スターダスト時代のボウイには全くなかったもので、
 “グラム”を自ら捨て去ったのだという決意も感じる。

      

 高度10万マイルに達したところで宇宙船が故障し、“メジャー・トム(トム少佐)は
 「地球は青い。 僕は無力。 できることなんか何もない」 という言葉を残して、
 曲は終る。 管制塔への通信は不通となり、誰もがトム少佐は地球に戻ることなく、
 そのまま宇宙空間の中へ消えていったと思われていた。

 しかし「Space Oddity」から11年後、
 この曲は 「あの男の話を覚えていますか」という問いかけから、
 地上管制塔に、活動家(Action Man)いわゆる“彼”からのメッセージを受け取った
 という逸話が語られていく。 残酷なまでに研ぎ澄まされた美しいメロディラインの
 中で、麻薬中毒に苦しむトム少佐の言葉で埋め尽くされていく。

 または、こんなことが言える。
 ボウイの歌詞が、過去にもSFチックであったり、“演じる”社会派であったりと、
 ロック的思想が、他のロック・アーチストとは視点が違う点も孤高の存在だった。
 宇宙開発の夢が崩れても、相変わらずの“大国”の国益優先主義を嘆いて、
 宇宙に行っても無意味だったという不条理観を、トム少佐を再び登場させ、
 彼を責めてはダメだよと歌う。 ボウイの視線が再び“大国”に向いてきた証拠だ。
 
    ashes 3

 私がガキの時にテレビで遭遇した、ロックビデオ・クリップ史に残る傑作は、
 当時25万英ポンドの巨費を投じて制作され、ニュー・ロマンティックの先駆者である
 スティーヴ・ストレンジと共に、ドーバー海峡の面した内陸側南端の古い歴史の残る
 ヘイスティングスで早朝に撮影された。 ナターシャ・コルニロフが手がけるピエロの
 衣装に、室内シーンは、前年末に制作し新録された“Space Oddity”のビデオからの
 応用で、オスカー・ワイルド的な世界観に、チューブにつながれて浮遊し続ける
 “トム少佐”など見どころに事欠かない。

 あまりに“Ashes to Ashes”が美しく素晴らしいためにクローズアップされないが、
 この曲では弾いていなくも、アルバム全編に渡り、キング・クリムゾンの頭脳である
 ロバート・フリップが活躍して独特なギター・トーンで、アルバムを色付けしている。

       

 このアルバムで残念なのは、後半(B面)で若干パワーダウンする点だろうが、
 2ndシングルの80'sニューヨーク・モードを、みんな同じ方向で“キザな奴”と
 バッサリ切り捨てる、ボウイがNYパンクに呼応した“Fashion”での鋭角的で
 屈折したソロも、“Teenage Wildlife”での坦々とした8ビートで刻む彼の
 ギター・パートは、“Heroes”よりも素晴らしく魅力的で、坦々とした曲調から、
 だんだんドラマティックな展開をしていき、「俺をカリスマとして扱うのはやめろ」
 と衝撃の内容で歌うボウイのヴォーカルも、曲の展開に合わせて、断末魔の如く
 テンションが上がっていく。 この曲のギター・ソロが最も効果的に発揮されていて、
 ボウイのヴォーカルは、ファルセットや重低音の声も含めて、バラエティーに富んだ
 ヴォーカル・スタイルが聴ける。   

 ゆえに、“表現者”としての飽くなき欲求は、留まる事などないのだ。

       

 その後、ボウイは宇宙に還っていく。
 しかし、80年代に彼は新しいポップ・スターとして、再び降臨する。
 ただそれは・・。
 ボウイそっくりの“レプリカント”が、代わりに地球に送られてきたとは言い過ぎかな。
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2010/10/17 Sun. 14:41 [edit]

Category: 80年代ROCK、POPS

Thread:洋楽CDレビュー  Janre:音楽

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リズムビートと打楽器の革新性は、顔をも溶かす。 

    PETER GABRIEL Ⅲ (Melt)  PETER GABRIEL

          

            Intruder (侵入者)
            No Self-Control
            Start
            I Don't Remember (記憶喪失)
            Family Snapshot
            And Through The Wire
            Games Without Frontiers
            Not One Of Us  (異邦人)
            Lead A Normal Life
            Biko


 みなさん、さらに、W杯盛り上がってますでしょうか。

 我ら青きサムライたちの見事な一次リーグ突破はもちろん。 
 熱きスーパープレーの連続に、また、意外な番狂わせもありと。  
 寝不足の毎日ですわ・・。

 今回の南アフリカ大会は、W杯史上初のアフリカ大陸での開催ということで、
 開催前には、何かと不安視される面もあったようですが、
 今のところは、滞りなく順調に大会も運営されるようですね。


 南アフリカといえば、94年にネルソン・マンデラ大統領が就任するまでは、
 有色人種に対する隔離政策(アパルトヘイト)が合法的に推進されていました。
 (撤廃された現在も、経済格差や失業率、教育水準の低さなどが、未だに
  影響を及ぼしており、これが今日まで至る、治安悪化の根底がここにある)

 かつては、このアパルトヘイトに対して、「間違ってる! バカげてる!」と
 怒りを露わにしてたミュージシャンたちが、たくさんいました。
 
 彼も、その一人です。
 ピーター・ガブリエル。(今じゃ“ゲイブリエル”と言われてるみたいですが)

 初期のジェネシスのフロントマンとして君臨し、ヴォーカリストとしてよりは、
 表現者として、偏執狂ともいえる、独特の“カリスマ”で魅了し、脱退後に、
 ソロになっても、独自の世界観で、現在も“カリスマ”を発揮し続けている。
 今宵は、“稀代のカリスマ”こと、ピーター・ガブリエルにて、
 よろしくお付き合いを。
 

 「 アルバムのジャケットは、雑誌の表紙のような感じで行こうと思ってね。
   例えば“TIME”なら毎号毎号タイトルは「TIME」だろう?
   違うのは、毎回表紙が僕だってことだけさ。             」

 アルバムにタイトルをつけるのが、大嫌いなんだそうだ。

 このアルバムの正式なタイトル名は、「PETER GABRIEL」であり、
 「Ⅲ」は、日本でのタイトル名である。  1枚目から4枚目までの、
 すべてのアルバムが「PETER BABRIEL」というタイトルで、“統一”されている。

  ( でも、区別するという意味で、アルバムのデザインで各アルバムに
    あだ名がついてる。 Ⅰは、「Car(車)」、Ⅱは、「Scratch(引っ掻き)」、
    Ⅲは、「Melt(溶解)」、IV は、「Security(防犯)」。しかし、
    Ⅳは、アメリカで「いい加減タイトルをつけろ」とクレームがついたんで、
    アメリカ版は、「Security」の名が正式に付けられた。          )

     

 通称「Melt」。  いつ見ても、おっかいないジャケットだ。
 まさしく“溶ける”蝋(ろう)のような顔は、見る者をゾッとさせ、
 人によっては、恐怖感を植え付けられるかもしれない。 
 夜寝る前に初めて見せられたら、けっして気持ちが良いものではない。
 しかし、この強烈なインパクトは、脳裏に焼き付き、二度と忘れる事ができない。
 こういった、オカルト的、ホラー的要素のセンスは、彼の世界観の象徴だ。
 (この優れたジャケット・デザインは、「Ⅰ」から一連の作品を手掛けてる、
  元ヒプノシスのストーム・トーガソンによるもの)

 これが意味するものは、ガブリエル自身の顔が溶けて崩れていく描写そのままに、
 溶けていった顔の裏側に現れた人間の本性、恐ろしいものを表現したような
 アルバムである。

 タイトルも“侵入者”(発売当時の邦題)、“ノー・セルフ・コントロール”、
 “記憶喪失”、“異邦人”など、人間の負の部分を増幅して戯画化したような
 異様な世界が、まるで悪夢のように繰り広げられる。

        

 また、このアルバムから、ジェネシス時代のシニカルなおとぎ話の世界から
 一転して、リアルな現実を直視した、現実世界を描く作風に変化していく。

 ソロ・デビュー当時は、ジェネシス脱退後の心境をフォーキーに綴るような
 心象風景を描き、「Ⅱ」では、試行錯誤してるようだが、ニュー・ウェーブ
 へと傾倒したバンド・サウンドに挑戦。 だが、ジェネシスの幻影は、
 完全には払拭できなかったように思う。
 
 しかし、「Ⅲ」で、フィル・コリンズと共同開発した“ゲート・リヴァーブ”や、
 フェアライトなどシンセサイザーを大胆に導入し、ビートやリズムを強調した
 独自のスタイルを確立。

 また、シンバルやハイハットなどのいわゆる金物の音を聴こえなく処理して、
 これとマリンバなどのロックでは、あまり使われない打楽器の多用によって
 新しい音楽を構築し、アフリカン・ビートや民族音楽のリズムを大胆に導入
 して、ワールド・ミュージックへの関心を深めていくことになる。

 この後、80年代後半に起こった世界的なワールド・ミュージック・ブームは、
 彼がパイオニアとなって、起こしていったもの。 
 その源流は、このアルバムから始まったといっても過言ではない。
 
 プロデューサーには、当時新鋭だったスティーヴ・リリーホワイトを起用。
 大胆な手法と確かな先見性。 この“音”は、当時のシーンに衝撃を与え、
 その後のニューウェーブの流れを決定づけた戦慄の一枚となった。

 ジェネシスの幻影を溶かし、新たな自分に生まれ変わった意味もあるのだろう。

 

 アナログに針を落とした瞬間、予想もせず、想像すら出来なかった世界に誘う。

 ゲート・リヴァーブを使い、フィル・コリンズの歪んだドラムの重低音が、
 「ダドッ!ダドッ!」と空間中に響き渡る、異様なダイナミックさに、
 「ギリギリギリ・・」と、耳触りの悪い、軋むワイヤーのような金属音。
 もうこの最初の4小節で鳥肌が立つ。 これぞ、オカルト・ロックの真骨頂だ。

  ( ちなみに、ゲート・リヴァーブというのは・・、
    深めにかけたリヴァーブ(残響音)を、ノイズゲートを使って、
    意図的に残響の途中で切り落とすエフェクトの事で、
    スネアにかける事が多く、80年代に大流行した音像処理。
    普通、太鼓を叩くと、「ポォ~ン」と音が響く。 それを、機械的に
    「ォ~ン」の部分を切り落とす。 すると、「ポォ!」と音が歪む。 )

 この作品、ゲストも多彩で豪華なミュージシャンが脇を固める。
 シンセサイザーは、“シナジー”ことシンセの鉄人ラリー・ファスト。
 フィル・コリンズによる“技巧派ジャズ・ロック・ユニット”であるブランドX
 にも参加したモーリス・パートを、打楽器系やパーカッションに。

 基本のリズム隊は、メイン・ドラムのジェリー・マロッタに加え、
 盟友フィル・コリンズが、“Intruder”と“No Self-Control”でブッ叩き、
 “Family Snapshot”でも、印象的なスネアを聴かせてくれる。
 ベースは、ジョン・ギブリン(渋いセッションマンだ)と、これも盟友でも
 あるスティックの達人トニー・レヴィンが、“I Don't Remember”でプレイ。

   身分証明書などない。
   自分が何者かを示す書類もない。
   君が見出したそのままの俺を語るしかない。
   過ぎ去ってしまったことで俺を非難もできない。

   空っぽの胃袋。 空っぽの頭。
   空虚な心。 誰も居ないベッド。

   思い出せないんだ。 記憶がないんだ。  
   何も思い出せない。 何も思い起こせないんだ。
   何もかも。

 

 “Start”での、ディック・モリッシーのサックス・ソロの静寂を打ち破る
 かのような、強靭なビート。 凄いビートだ。 まさに、ビートの固まり。 
 多用するシンセサイザーとフリップの幾何学的ギター、そして、
 レヴィンのスティックが複雑に絡んで、マロッタのスネアも効果的。
 もはや、メロディ重視なプレイなどなく、すべてが、リズム楽器のような
 反復したフレーズを繰り返し、徹するのみ。

 ギタリストも多彩だ。 メインは、元XTCのデイヴ・グレゴリーと、
 デヴィッド・ローズに、ロバート・フリップが、(前作ではプロデューサー)
 “I Don't Remember”と、“Not One Of Us”で存在感を発揮。 
 当時はジャムだったポール・ウェラーも、“And Through The Wire”で、
 見事なカッティングを披露。

 ( ロバート・フリップとトニー・レヴィンは、ソロデビュー作で知り合った
  そうだが、このセッションがきっかけで、80年代のキング・クリムゾンが
  結成されたのだろう。 あの超ド変則な曲調についていけるのは、
  達人のレヴィンくらいしかいなかったと思うけど。           )
 
 また、ケイト・ブッシュも、“Games Without Frontiers”でコーラスに参加。
 彼女の個性を生かした浮遊感とアンニュイさが、見事に調和されてる。

 そして、このアルバムで一番重要なアフリカ民族音楽のファクターの注入だ。

 “No Self Control”や、名曲“Biko”のための序曲とも言える
 “Lead A Normal Life”でも、シロフォン(木琴の一種)が大活躍する。
  (本当はバラフォン類(アフリカ先住民の木琴状の民族楽器)を使いたかった
   のかもしれないが、たぶん音階が合わなかったのだろう)

 そして、その“Biko”の導入部分と終盤部分ではアフリカのコーラスが聞かれる。
 が、これはいわゆるサンプリングという、“ありきたり”な使い方ではなく、
 曲とは絡ませずに録音されたものを、そのまま効果音として使用している。
 いずれにせよ、民族音楽への意識の高まりが聴いて取れるアルバムである。

    

   1977年9月、エリザベス港は快晴なり。
   留置所の619号室は、いつも通りの仕事振りだった。

   ビコ。 ビコよ。 なぜなら、ビコだから。
   イラ モジャ。
   男は死んだ。 一人の男が死んだ。

   眠ろうとすると、“赤い夢”しか見ない。
   外は、たった一人の黒人が死んだだけの“白と黒”の世界。

   ロウソクの火は消せても、火事は吹き消せやしない。
   一度“炎”が燃え広がれば、風がさらに大きく煽るのだ。

   そして、世界の目は今、ここに注がれてるのだ。
   世界中のみんなが見ているんだ・・。
 

       

 スティーヴ・ビコ。
 アパルトヘイト時代の南アフリカにおける“黒人意識運動”の活動家だ。

  一.“民主主義”を表看板とするリベラリズムは、白人優越・西欧中心主義の変形である。
    我々は、人種差別とリベラリズムからの黒人意識の解放を目指すこと。
  一.“非白人”というネガティブな規定や、“カラード”、“インド人”、“アフリカ人”
    という分断の強制を拒否すること。
   (ちなみに、当時の南アフリカでは、日本人は、“名誉白人”と言う名前で
    白人側として扱われていたようである。 複雑だなぁ・・)
  一.“黒人”とは、この南アフリカでは法と伝統で不当に差別されているが、
    自らの“希望”を実現する戦いに一体となって関わる人々のことを差す。

 あらゆる差別問題に完全な解答を示して見せた、唯一の人物である。
 それは、ガンジーの非暴力、キング牧師の温厚な考え方、マルコムⅩの大胆さ、
 これら全てを兼ね備えたものであった。

 しかし・・。
 ビコは殺害された。 その理由は、“黒人”だったから。
 貧困でも、戦争でも、妬みでも、思想でもなく、ただ肌の色が黒い。
 それだけで、プレトリアの警察署内で拷問による脳挫傷で殺されたのです。
 (当時警察は、ハンガーストライキによる死亡と発表している・・)

 このスティーブ・ビコを題材にして、西側諸国にアパルトヘイト問題を注目させる
 きっかけとなった名曲である。

 この曲を契機として、アパルトヘイトに対する注目は上がり、ロック界全体を巻き込んで
 後に「SUN CITY」などのオムニバスや、様々なイベントを巻き起こし、
 後に、ビコを題材とした映画も公開され、南アフリカのアパルトヘイト政策の転換に
 大きな役割を果たした、ガブリエルのというよりもロック界の名曲である。

 その後に、ガブリエル自身が「WOMAD」を開催してより民俗音楽に対する
 造詣と理解を深め、アムネスティなどの活動に身を投じる契機となった重要な曲だ。

 ( しかし、彼が主催した「WOMAD」というフェスティバルがアパルトヘイト政策下
   の南アフリカで開催して(何らかのバッシングを受けることを覚悟の上で)、
   評判を一気に落としてしまったこともあったけど、あえて、“この地”を
   選んだのは、それなりの意図があったはず。 
   南アフリカ政府側にも、国家政策を批判するアーティストに、
   公演の開催を許可したということは何らかの思惑があったはずだし。     )           

 このアルバムは“時代の”というよりも、“時代を変えた”アルバムであり、
 ガブリエル自身の創造性の頂点に立ったのは間違いなく、コレだ。

2010/06/27 Sun. 00:16 [edit]

Category: 80年代ROCK、POPS

Thread:洋楽CDレビュー  Janre:音楽

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愛しのコミカル・キャラ姉さんが歌う陽気な60'Sポップ。 

    YOU BROKEN MY HEART IN 17 PLACES  
                      TRACEY ULLMAN


         

          Breakaway
          Long Live Love
          Shattered
          Oh, What a Night
          (Life Is a Rock) But the Radio Rolled Me
          Move Over Darling
          Bobby's Girl
          They Don't Know
          (I'm Always Touched by Your) Presence Dear
          You Broke My Heart in 17 Places
          I Close My Eyes and Count to Ten        

 近年、なかなか突き抜けて明るいポップな曲って少ないように思う。
 80年代って、バブルになり始めて、好景気で浮かれ出した社会の時代だった
 ような気がするんだけど、良い時代だったんじゃないかなって思ったり。
 (少なくとも、今の時代よりは・・)
 
 黒いの白いの。 軽いの重いの。 いろんな音楽が世にあふれてました。
 音楽も世相を反映してか、巷に明るい曲もたくさんあふれてた。
 そんな中、50~60年代リバイバルもけっこう流行ってました。 
 ロカビリーや、シンプルなロックンロール・バンドもいっぱいいたし。
 良質なガールズ・ポップ・シンガーもたくさん出てきたのも80年代。

 トレーシー・ウルマン。  ご存知でしょうか。
 80'sマニアの方なら懐かしく思われる方も多いでしょうが、
 当時イギリスの人気コメディ・タレントで、83年に突如歌手デビューして、
 オールディーズ中心のとびきり明るいガールズ・ポップでヒットしました。
 今宵は、そんな愛しのコミカル・キャラ姉さん、トレーシー・ウルマンで
 ポップに参りたく思います。 よろしくお付き合いを。

    

 トレーシー・ウルマン。 現在でも幅広い分野で活躍してる喜劇女優。
 '59年12月30日生まれのイギリス人で、12歳から演劇を学び、16歳で舞台デビュー。
 その後ミュージカルに多数出演して、80年にはテレビ番組にも進出して、
 コメディ番組で人気者になっていたこの時期、歌手としての活動もスタートさせます。

 83年2月に“Breakaway”でレコード・デビュー。
 この曲は、オールディーズ・マニアに方はご存じでしょうが、ジャッキー・デシャノン
 の作曲で、64年にソウル歌手アーマ・トーマスのヴァージョンを基に、オリジナルより
 ビートが効いていて、スピード感満点の傑作ゴー・ゴー・チューン。 
 ちなみに、アーマ・トーマスで代表的な曲と言えば、ストーンズがカバーした
 あの“Time Is on My Side”が一番有名かもしれませんね。

 これがなんと、知る人ぞ知るパブ・ロックの名門「STIFF」からのデビューだった。


 ちなみに、「STIFF」についてですが・・。
 76年にDr.フィールグッドの初代マネージャーだった・ジェイク・リビエラと
 デイヴ・ロビンソンが興したインディ・レーベルで、当時ロンドンのアングラ・シーンで
 パンク・ブームの橋渡しになるパブ・ロック界の雄ニック・ロウを専属プロデューサー
 に迎え、ダムドやイアン・デューリー、そして、エルヴィス・コステロを輩出した。
 70年代後半のインディ・ムーヴメントのリーダー的存在の名門レーベルだ。

        

 しかし、パブ・ロックやパンクにこだわらず、ブリティッシュ・ビートやスカ
 (マッドネスが、STIFF中期の顔になるが)、そして、ポップスの分野にも拡大し、
 (トレーシー・ウルマンのプロジェクトもその一環)、サブ・レーベルの配給も始め、
 一時はアメリカから、あの“頭脳派変態バンド”DEVOも“輸入”して所属していた。
 その姿勢は「面白ければ何でもいい」という、小回りのきいたスタンスで、
 イギリスのみならず、世界中の“インディ”シーンに影響を与えた。
 (87年にアイランドに買収されて傘下になると、レーベルも閉鎖してしまう)
 

 そんな彼女が歌手デビューを果たした記念すべき作品であり、当時イギリスでは
 有名人だったものの、他の国々では、ほとんど無名に近い存在だったトレーシーに
 世界的な知名度をもたらしたのが、このアルバム。
 
 80年代といえば、音楽的アプローチ、レコーディング技術が飛躍的に進化した結果、
 打ち込み中心の人工的な無機質サウンド、いわば“作られた音”が蔓延した時代。
 でも、彼女の作品はそれに逆行するような、人の温もりを感じさせるヒューマンな
 プロダクションだった。(彼女の明るいキャラクターも歌に反映されてる)
 取り上げていた楽曲がオールディーズ中心だったこともあるんだけれど、
 そんなスタンスが当時のリスナーには逆に新鮮に映り、彼女の歌手としての
 ブレイクに繋がったのではないかと思う。

 彼女って、ズバ抜けて歌が上手いというワケではないんです。 
 ただ表現豊かで少し高めのキュートな歌声は陽気なオールディーズ・ポップスとの
 相性が抜群。 バラード曲は別としても、オールディーズの魅力は楽しい雰囲気や
 ワクワクした気持ちにさせてくれるところだと思うんで、彼女はまさにピッタリ。

 簡単に言ってしまえば、マニアックなオールディーズのカバー集なんだけど、
 不思議と古さを全く感じさせない。 これは、今聴いても変わらない。

 しかし何といっても、この曲。  名曲は死なず。
 彼女の最大のヒット曲となった“They Don't Know”(夢見るトレーシー)。
 この究極的ドリーミー・ポップで、私のハートは鷲掴みされてしまったんです。

       

 彼女にとっては、2ndシングル(アメリカではデビュー曲)にあたるこの曲。
 初めは、これも隠れたオールディーズの名曲のカバーなのかなって思ったけど、
 実は、オリジナルはイギリスの名女性シンガー・ソングライターである
 カースティ・マッコールの79年のデビュー曲だ。 
 (“You Broke My Heart in 17 Places”では、楽曲提供とプロデュースも担当)

  
 カースティ・マッコールについて補足しますと・・。

      

 イギリス人では珍しいんではないかと思う、ギター系女性シンガーソングライター。
 その歌声は、フリートウッド・マックのクリスティン・マクヴィーに似てる感じで、
 やや湿ったナチュラル・ヴォイス。 79年にデビュー後、83年にSTIFFへ移籍。
 ニック・ロウ無き後のSTIFFのポップ部門の屋台骨を支えていたのは彼女だった。
 トレーシーの2枚のアルバムに参加したり、良質なギター・ポップを提供します。
 旦那さんは、あのU2やピーター・ガブリエルで有名な“ドラム革命”を起こした
 敏腕プロデューサーのスティーヴ・リリィホワイト。
 STIFFからポリドールに移籍後、旦那と制作した「A NEW ENGLAND」の大ヒットや、
 87年にポーグスとのクリスマス・シングルでの交流でヒットしたのも有名です。
 日本での知名度は低かったんですが、懐が深い女性シンガーソングライターでした。
 しかし残念なことに、2000年にボート事故による不慮の事故で他界しています。


 60年代のブリル・ビルデイング・ポップの影響を受けたソング・ライティングで、
 女性ボーカル・グループがそのまま歌えそうなオールディーズ風に作られてる。
 (トレーシーも、ほぼ完コピです) 間奏後に、ブレイクして「Baby!」と、
 歌われるところは、カースティのオリジナル当時のバッキング・トラックを
 ほぼそのまま使っているそうで、ミディアム・テンポ調の60年代ポップ・ソング
 へのオマージュいっぱいの、覚えやすくて、とてもキャッチーな曲だ。

 そう言えば、この曲のPVの最後に、なんとポールがちょっとだけ顔を出すんですよ。
 何でもポールの84年の主演映画「Give My Regards to Broad Street」に彼女が、
 出演したので、そのお返しの意味もあったみたいです。

           

 他にも、極上のマニアックなオールディーズのカバーが並ぶ。
 “Long Live Love”はサンディ・ショウの65年のヒット曲をキュートに歌い、
 “Oh, What a Night”はシカゴの名門ドゥー・ワップスのデルズの初期の傑作
 バラードのオリジナルを、かなり大胆なアレンジして、60'sポップ調に。
 日本でも有名な“Bobby's Girl”(ボビーに首ったけ)は、どのカバーよりも
 スピーディに展開して、痛快ポップに仕上がってる。
 (アルバム・プロデューサーがラッシュやクィーンズライクなんか手掛けてた
 ピーター・コリンズが担当してるんで、ドラムのキッキングなんかが、
 どの曲もロックばりにフックが効いてて、メリハリがある)

 などなど・・、どの曲を聴いても楽しく、ちょっぴり切ない60'sの淡い世界観を
 80年代に蘇らせて、我々を楽しませてくれた”あの頃”がギッシリ詰まっている。

 普通コメディアン(TVタレント)が、“シャレ”で曲を出したり、アルバムを
 出すことがいまだに多く見受けられるけど、まぁ、“ひとつのお約束的行事”
 だったりするのがほとんど。

 しかし、トレーシーは違った。 そんなレベルじゃなかった。

 このアルバムの完成度は、そんじょそこらのポップ・アーティストより遥かに
 高いレベルで、制作からアレンジまで“隅に置けない”密度の濃い内容で、
 私も当時軽い気持ちで買ったら、それが、とんでもない“お宝”だったワケです。

 (現在入手しやすいベスト盤では、ジャケットは、このアルバムのまんまだけど、
  RHINOから出てる収録曲の多い「The Best of Tracey Ullman」が一番かな)

 だからこそ、80'sマニアはもちろん、通好みのオールディーズ・マニアから、
 STIFFマニアまで、25年以上経った現在でも多くのファンがいて、2006年には、
 紙ジャケとして再発される立派な名盤として聴き継がれているのだ。
 (プラス効果として、彼女のブレーンとして参加していたカースティ・マッコールの
  再評価にも繋がったという、思わぬ副産物も提供してくれた)

 実質、彼女が歌手として活動していたのは2~3年。アルバムは2枚。シングルは8枚
 (全て英国基準)と、残念ながら、非常に短く少ない活動で終わってしまったが、
 彼女が音楽シーンに残した足跡は、いまだに消えることなく、
 輝かしい80sプレートにしっかりと刻まれている。

2010/05/07 Fri. 16:08 [edit]

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センスで固めたモダニズムは二度と振り返らず。(第2章) 

       Café Bleu     THE STYLE COUNCIL

         

         Mick's Blessings
         The Whole Point of No Return
         Me Ship Came In!
         Blue Cafe
         The Paris Match
         My Ever Changing Moods
         Dropping Bombs on the White House
         A Gospel
         Strength of Your Nature
         You're the Best Thing
         Here's One That Got Away
         Headstart for Happiness
         Council Meetin'

 フランスの国旗のトリコロールの青は、『自由』の象徴。   
 そのパリにある、一軒のカフェでの風景。
 洒落たテーブルを囲んで、人は絵画や芸術、時には恋人について議論する。
 BGMは、もちろんモダン・ジャズ(バップ)。  このトーンで決まり。
 アート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズか、MJQか。 
 いや、マイルス・デイヴィスの「死刑台のエレベーター」みたいな、
 ミュート・トランペットの音色でしっくりまとめるのもいい。
 基調は、もちろん「青(ブルー)」で。

 これは、私のあくまで勝手な妄想なんですが・・。

 「Cafe Bleu(カフェ・ブリュ)」。 「青い喫茶店」でのこんな一コマを
 ポール・ウェラーも私と同じことを思い描いてたかは、わかりませんが、
 (たぶん、違うと思いますが・・)
 「クール」、「ヒップ」、「センス」といった記号だけでも成り立つような
 と言うか、ここまで似合うようなアルバムもそうはない。

 “ロックの人格者”であり、“永遠のモダニスト”こと、ポール・ウェラー。
 彼については、過去に一度取り上げたことがありますが、
 彼の哲学や音楽性について、もう一度、深く掘り下げてみたくなったんで、
 今宵は、その第2章「スタイル・カウンシル」について語ってみたく思います。
 (第1、3章も順次アップしていく予定) よろしく、お付き合いを。


 ポピュラー音楽の世界の中で、“英国”というのは、実に妙な存在でして。
 何か特別にオリジナルな音楽を生み出したわけでもないのに、独特の存在感がある。
 他の国の音楽が“英国”に入ると、妙な具合に変化しちゃうんです。

 例えば、レゲエならUB40とか、スカならスペシャルズとか。
 そもそも、ビートルズやストーンズだって、そう。
 彼らも、所詮はアメリカの黒人音楽のモノマネから始まったんです。
 彼らによって、“輸入”された音楽は、元々持っていた泥臭さみたいなものが抜けて、
 英国気質というか、ちょっと洗練されたようなセンスとムードの音楽になっていく。

 「スタイル・カウンシル」。 「おしゃれ議会」。
 ポール・ウェラー第2期の活動体は、まさにこの“スタイル”が当てはまる。
 (しかし、彼自身後から振り返って、「あれは黒人音楽の下手なコピーだった」と
  スタイル・カウンシルの失敗を認める発言をしているが・・)

 ザ・ジャムは、ほんとに、カッコいいバンドだった。 まさに“センスの固まり”。
 ギター・ベース・ドラムスという“3ピース”の最小限の楽器構成で、
 スモール・フェイシズをお手本にしたとおぼしきモッズ・ファッション。
 そのたたずまいだけで、もう単純にカッコいい。

 初期は、スピードとパワーにあふれたシャープな英国産ロックン・ロール。
 (あえて、彼らを“パンク・バンド”とは言いません)
 後にはそこにR&Bやソウルなど黒人音楽の要素が加わって楽曲の幅が広がった。

  

 ポール・ウェラーは、鋭くギターをかき鳴らしながらピート・タウンゼントみたいに、
 ステージ上でジャンプする。
 ブルース・フォクストンも、同じくジャンプしながら太い音で攻撃的ベース・ライン
 をはじき出し、
 リック・バックラーは、目にもとまらぬ速さで重機関銃のようなビートを叩きだす。
 とにかく、カッコいい奴らだった。

 解散の仕方だって、カッコよかった。
 「 このバンドでやれることは全部やった。このままバンドを続けていくことは
   できるが、そんなことをして醜い姿をさらしたくない 」と、
 当時、人気絶頂であったにも関わらず、ポール・ウェラーは解散を宣言。
 単純にウェラーがやりたい音楽と、パンクをやりたい他のメンバーの間に溝が出来て、
 己の“モダニズム”を追求していくには、ザ・ジャムの枠では収まりきれなくなった
 わけです。 そして、“Beat Surrender”という、めちゃくちゃにカッコいい
 シングルを最後にリリースして、ザ・ジャムを終わらせるわけです。
   ( ザ・ジャムについては、また第1章で書いていくことにします。 )

        

 そんなポール・ウェラーが次のステップとして始めたのが、
 「スタイル・カウンシル」という名のユニットだった。
 パートナーを組んだのは元デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズに在籍してた、
 キーボード(オルガン)・プレイヤーのミック・タルボット。
 当時はバンド全盛の時代であり、“ユニット”という考え方自体、とても珍しかった。
 当初の構想では、アルバムを作らず、シングル・リリースをメインに活動をしていく
 という、かつてのモータウンでのTAMLAみたいなやり方を真似したものだ。
 そのため、ミニアルバムや、ヴァージョン違いのシングル等を数多く発表するし、
 “レスポンド”という自身のレーベルまで立ち上げたのも、その方向性からだろう。

 ザ・ジャムを解散させてまで、ウェラーがやりたかった音楽とは、
 黒人音楽やジャズなどをブレンドした洗練された高品質なサウンドに、
 アンバランスなくらいに過激な歌詞を乗せるというもの。 
 結成当初はハモンド・オルガンとエレキ・ギターを中心にした、いわゆる
 “ネオ・クラシカル”な方向を模索しており、既にリスナーがシンセ中心の最新技術で
 固められたポップ・ミュージックに疲れてしまうことを知っていたのだ。
 この目の付けどころというか、ウェラーの先見性はやはり凄いと思う。
 (でも、後期のサウンドは、ヒップホップ的にも聞こえるほど、トゥー・マッチな
 いわゆる打ち込みものを多用したサウンドに変化していくが・・。)

 白人特有の淡泊感と切れ味が、黒人特有のコクのあるR&B、ソウルやジャズから、
 “色気”を取り去って、すっきりとした味わいにうまくまとめるという、
 高純度の蒸留サウンド。 これに、ウェラーのメロディ・メーカーの才能が
 加わった。 これが「スタイル・カウンシル」の目指した音楽だ。

 でも、曲だけ聴くと、ほんとにシャレてて、センスの光る良質なポップスなんだけど、
 中身は危ないくらいにロックの反骨魂を残したまま。 頭脳的政治批判、体制批判。 
 結局ウェラーのモッズ魂、実験精神は、音楽的表現方法を変えただけで、
 ザ・ジャム時代と何ら変わってないまま。 怒ってんですよ、ウェラーは。

       

 彼らがデビューして1年がたったころ、待望のフルアルバム「カフェ・ブリュ」が
 ようやくリリースされた。
 このタイトルに込められた、冒頭に描いた“妄想”のように、ウェラーが指向した
 「1960年代のフランス・ファッション」の雰囲気をアルバム全体にちりばめたくて、
 白いコートを着て、どこかのフランスのカフェの前で撮ったセピア調の
 彼らの写真は、当時めちゃくちゃカッコよく思えたものだ。

 このアルバムの開店ナンバーの“Mick's Blessing”から、ワクワクさせる。
 小気味良く、シャープでファンキーなピアノ・ソロ。 カフェの雰囲気を醸し出すには
 これほどマッチしたオープニングはない、最高のBGMだ。
 “The Whole Point of No Return”では当時デビューしたばかりだった、
 エヴリシング・バット・ザ・ガールのベン・ワットが、ボサノバっぽいあの特徴的な
 フレーズのギターを響かせ、“The Paris Match”では、トレイシー・ソーンまで登場
 して、けだるげなヴォーカルを披露し、ウェラーとのヴォーカルのコントラストが
 印象的だ。 (シングルでは、ウェラーが歌ってたが、ムーディな方は、コレ)
 パリっぽい退廃的なムードが、このアルバムのアレンジでも生きていて、
 既にジャズのスタンダード・ナンバーと言っていい風格たっぷり。

 様々なタイプの曲を試しながら、その曲に相応しいミュージシャンやシンガーが
 いれば、呼んできてフロントに立ってもらう。 
 ウェラー自身は、自分は必ずしもフロントマンでなくてもいいってスタンス。
 これが「おしゃれ議会」だ。 なんて自由で革新的なユニットなんだろう。

   

 そして、アルバム前半のクライマックスは、“My Ever Changing Moods”。
 ここでは、シングル・バージョンとは趣を変え、アルバムの雰囲気に合わせて、
 ミックのピアノをバックに、ウェラーが熱いんだけど、シンプルに歌い上げる。
 このシングル・バージョンの元ネタは、カーティス・メイフィールドの“Move On Up”
 なんだけど、適度にファンキーで、ファルセットを使った歌い回しといい、
 ウェラーのリスペクトが透けて見えて、実に微笑ましい。 最高のシングルだ。
 
 アナログのA面は、 もろミュート・トーンな、いわばジャズ・サイド。
 ならB面は、スタックス系やファンクなどを下敷きにしたソウル・サイドとなる。

 ノッケから、ウェラーのラップがフューチャーされた"A Gospel"で始まる。
 当時は、ヒップホップがまだまだ新しい音楽だったし、意欲マンマン。
 ブレークビーツも織り込んだファンク・チューン“Strength of Your Nature”は、
 Pファンクを手本に料理して、ウェラーのファンク傾倒ぶりが伺える。
 そこから、彼らの持ち味である、爽やかなソウル・ミュージックの3連発。
 “You're The Best Thing”、“Here's One That Got Away”、
  "Headstart for Happiness"(このソリッドなアレンジも激シブ)と畳み掛けて、
 エンディングは、ブッカーT&ザ・MGズ風の、ミックの小品で締めるという、
 大好きな音楽を演奏する喜びが、伝染してくるようなアルバムだ。

 当時の私は、このアルバムから、まだ知らなかった音楽をたくさん教わりました。
 ジャズの楽しさ、心地よさ。 ちょっと首を捻りつつも背伸びをしましたし。
 ヒップホップやファンクのカッコよさ。 ボサノバなんて知らなかったですし・・。

 重苦しいザ・ジャムの呪縛から解放されたウェラーが、歓喜を謳歌するように、
 高らかに奏でた様々なスタイルの音楽たち。 それは、いつまでも新鮮。
 それはロックしか知らなかった私の前に開かれた無限の空間であったわけです。

 何度も読み返した教科書、もしくはガイドブックみたいな存在。
 私にとって、「カフェ・ブリュ」って、そんなアルバム。
 ポール・ウェラーという人は、当時の私にとって、自分の知らないカッコいい音楽を
 いっぱい知ってる、頼もしい兄貴だったワケです。

 ちょっと年上で、もちろん、それを楽しむ術を身に着けている人。
 しかるべき時に、そういう人と巡りあえることって、とても幸せなことだなと
 このアルバムを聴くたびに、つくづく思う。

2010/03/21 Sun. 10:57 [edit]

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ギターとTシャツとジーンズ、そして青春と。 

        RECKLESS       BRYAN ADAMS

         

          One Night Love Affair
          She's Only Happy When She's Dancin'
          Run to You
          Heaven
          Somebody
          Summer of '69
          Kids Wanna Rock
          It's Only Love
          Long Gone
          Ain't Gonna Cry

 「青春」とは、つくづく儚いもんです。  最近、なぜかそう思います。
 40も越して、今さら当時のことを思い返すこともないだろうと思ってましたが、
 日々の生活の中で、「あ~、若い時は良かった」とか、「昔に戻りたい」とか、
 ノスタルジックっていうか、とりとめのない理由で、口走ったり、思ってたり。 
 おかげさまで、これといった障害もなく、今まで生きてこれたんですが、
 どうもネガティブ・シンキング。 マイナス方向へ考えてしまうことが増えてきた。

 コレって、年のせい? なんでしょうか。

 「お前はまだ若いやろ!」と、“人生の諸先輩”からお叱りを受けそうな考えだとは
 思うんですが、私は、なんか本当に年を取る事が億劫になってきているようで・・。
 本当に、時がこのまま止まってくれたらいいのにと真剣に思うんですよ。
 (さらに、お叱りを受けそうですが・・。)

 この前、閉会したバンクーバー五輪での閉会式でも登場してくれた、
 “カナダが生んだ永遠のロック小僧”こと、ブライアン・アダムス。
 彼が96年に発表したアルバムのタイトルが、「18 TIL I DIE」。
 「オレは、18のまま死にてぇ」。  当時は、「やっぱアツいなぁ、コイツ」と
 冷めてみてましたが、 その気持ち、今は凄くわかるんですよ。
 大声で叫べることが逆にうらやましいくらいだ。  年なんて関係ないんです。
 THE WHOも叫んでました。「俺たちの世代なんだ。 年取る前に死にてぇよ」と。
 (とはいえ、彼らは“現役”で、杖をつくまでの勢いで頑張ってみえますが・・)

 今宵は、私の青春の一枚のひとつ、いや、私だけじゃなく、同世代の仲間達も
 青春の一枚であろう、ブライアン・アダムスの84年の大傑作「RECKLESS」で
 語って参ります。 よろしくお付き合いを。

      

 またまた前置きが長くなりましたが、言わずと知れた、ブライアンの特大ヒット作。
 おそらく99%以上の人は、これを代表作として選ぶでしょう。
 それもしかるべき事。 それほどまでに、このアルバムの完成度は群を抜いている。

 とにかく「聴きやすい」。 適度にハードで、適度にポップ、そしてメロディアス。
 (ロックは聴きたいし、興味もあるけど、ハードで重たいのは、ちょっとなぁ・・
  って言う女子には、どストライク。 ルックスもいいし。 当時は大人気でした。)
 そして、全長10曲で距離38分。 この長さが実にいい。 気持ちいい40分弱だ。
 それに加えて、どの曲も完成度がとても高くて、当時25歳のブライアンの勢いと
 充実ぶりが伺える内容。  文句なく、彼の代表作がコレだ。

 彼はカナダ出身でありながら、当時のアメリカン・ロックの最先端に立っていたん
 じゃないかなと思ってる。 大袈裟かもしれないけど、80年代アメリカン・ロックの
 メイン・ストリームの軸となった重要アーティストといっても過言じゃない。
 等身大で、若々しく、ストレートアヘッドで、素朴で素直なロックン・ロール。
 とにかく、“まっすぐ”な奴なんだ。

 ここで、当時の彼の周りには重要人物が3人いた。 

 一人目は、ジム・ヴァランス。 ソングライター兼キーボード奏者。
 同じカナダ人で、年長者の彼が曲作りのアドバイザー的立場に立ち、
 デビュー当時から、次回作「INTO THE FIRE」までのほとんどの楽曲をブライアンと
 コンビを組んで共作している。 ブライアンが20歳の時に、レコード屋で出会い
 意気投合。 以後、良き相棒として、キャッチーでツボをついた曲作りが冴え渡り、
 数々の名曲を生んでいく。 まだブライアンがブレイク前に、あのKISSの
 「暗黒の神話 (CREATHERS OF THE NIGHT)」で2曲作品提供している。

 二人目は、ギタリストのキース・スコット。 彼の弾く印象的でメロディアスなリフと
 カッティング・テク、表現豊かな音色が、ブライアンの楽曲の重要なファクターに
 なっていることは疑いの余地がない。 キース・スコットはグレッチから
 シグネチャー・モデルも出しているが、様々なギターを使い分けても、彼の場合、
 ストラトはストラトらしく、レスポールはレスポールらしく、それぞれのギターの
 特性を生かした素晴らしいトーンを引き出せる素晴らしいギタリストだ。

 そして3人目が、ミックス・エンジニアのボブ・クリアマウンテン。 まさに盟友。
 世界的な大ヒット作を手がけていて、ロック・ポップス界では、「泣く子も黙る」
 超一流ミキサー。 彼の作り出すロック・サウンドは後の多くのエンジニアに
 多大な影響を与え、80年代のロック・サウンドの基本的“音像”を生み出した巨匠。
 ブライアンとボブが作り上げた「RECKLESS」の“ROCK”は、奇跡の音。
 
 彼の代表作は、もちろんブライアンの一連の作品から、一躍彼の名を知らしめたのは、
 ストーンズの「TATTOO YOU」。 それに、ROXY MUSICの「AVALON」、
 デヴィッド・ボウイの「LET'S DANCE」や、ポールの「LIVE FANTASTIC」、
 ブルース・スプリングスティーンの「BORN IN THE USA」もあるし、
 ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「SPORTS」、INXSの「KICK」もそう。
 ホール&オーツの「BIG BAM BOOM」では、プロデュースも手掛けたし、
 最近じゃ、BON JOVIから、ポップなとこなら、ケニー・クラークソンまでと、
 数知れず。 「Mixed by Bob Clearmountain」というクレジットがあれば、
 その品質クオリティーは、まさに「保証済」。

      

 彼の音の特徴は、ズバリ「派手な音」。 音像を“クリア”にさせるために、
 各楽器のセッティングの細部までこだわり抜いて、楽器の輪郭を鮮明にする。
 更に、低音域を重視して(ベースはブンブンゴンゴン、バスドラはズンズン)
 デジタル・リバーブで適度に歪ませて、ギターなどの高音域とコントラストを
 つける。 このバランス感覚が実に絶妙。 高い技術とセンスが必要なのに、
 ミックスだけで「この人の音」とわかるミキサーは彼くらいじゃないかなぁ。
 80年代のオーソドックスなロック・サウンドの基準値を大きく底上げした
 ミックス・エンジニアの巨匠だ。

 まず“One Night Love Affair” のイントロでやられてしまう。
 尖ったギター・カッティングとゴンゴン唸るベースと、腹に響くバスドラの音で、
 もう、このアルバムは勝ったも同然。 ロック・キッズはもう虜となる。
 「一夜限りの情事」を惜しむ哀愁ソングなんて、微塵も感じない。

 「彼女は踊っているときが一番幸せなんだ」なんて、しょーもない(笑)けど、
 こういうゴキゲンなロックン・ロールが、ブライアンは一番映える。
 “Run to You”は、1stシングルになったけど、これまた哀愁満点のラブソング。
 しかし、ここでの深みのあるエコーを掛けたギター・リフと、歪ませたタムタムと
 バスドラに、突き抜けるリード・ギターとのコントラストが素晴らしい。
 
 そして、大ヒットした“Heaven”だ。 甘くて切ない典型的ラブバラードだけど、
 名曲だろう。 歯が浮いてしまいそうなくらい甘~い歌詞を、
 「君こそ僕が望むもの。 君が僕の腕の中にいることが未だに信じられない。
 ここは天国だ」と、ブライアンがハスキーなあの声で切なく歌う訳です。 
 これは反則です。 音も大袈裟で装飾が過ぎるかもしれないけど、
 (この曲だけ、どうもドラム・タッチが違うなぁと思ってたら、
  元ジャーニーのスティーブ・スミスがゲスト参加して叩いてました)
 一度聴けば耳から離れないこのメロディーは、この曲の大きな魅力。
 クサくたっていい。 昔も今も、みんな若い男はそうなんじゃないの?
 
 “Somebody”と“Summer of '69”は、青春の甘美な香りを運ぶ佳曲である。
 そして、その香りを更に凝縮した“Summer of '69” は、青春ソングの金字塔だ。
 それは、「1969年の夏」に自己の過去像を絞り、今の自分と対比させて行く。
 ジャクソン・ブラウンの“Runnin' On Empty”とか、浜田省吾の“路地裏の少年”といった、
 自分の年齢を特定して過去を語る手法の歌は、どこか生々しさがにじみ出てきて、
 青春の青臭さがグッと強まる。 歌詞に加えて、実に感傷的なサウンドもニクい。
 それが“狙い”だとしても、この切なさは、なかなか醸し出せるものではない。

        

 ここまで、山場の連続で突っ走ってきたけど、さらに加速する。 
 “Kids Wanna Rock” は、ヘヴィー・メタル並みにエッジを効かせて爆走する
 ロック・キッズの永遠のアンセムで、(ライブで拳を突き上げろ!)
 間髪いれず、耳をつんざくあのリフで“It's Only Love”に突入。“女ミック・ジャガー”
 こと、ティナ・ターナーとのデュエット曲だ。 ブライアンとティナの熱唱が重なる
 様子は、まさに豪快そのもの。 3分弱だけど、このアルバムはピークに達する。
 (キースのブルージーな、なんかジェフ・ヒーリーっぽいソロが、曲を更に盛り上げる)
 ブルージーな曲“Long Gone”を挟んで、“Ain't Gonna Cry”で、再び、爽快かつ豪快な
 ロックンロールで一気に駆け抜けて あっという間、かつ濃密な38分が終わる。

 しかしそれは同時に、再び現実へと戻ってくる瞬間でもある。
 青春当時は、爽快なロックン・ロール・ショーの終わりでも、 今は違う。
 それは、38分の儚くも感傷的な時間が終わったことを知るワケです。

 このアルバムで貫かれているのは、「青臭さ」「哀愁」「切なさ」。
 これって「青春」の構成元素。 だから私も、思春期の自分を想い出すワケです。
 25年後の私でさえこうなのだから、当時の若者への衝撃は遥かに強かっただろう。

  『 振り返ってみると、あの時は夏がいつまでも続くと思っていた。  
    もしできるなら、あの頃に帰りたい。  人生最高の時だった。

    時は移り行き、永遠に続くものなど何もない。
    時々あの古いギターを弾いてみて思うんだ。
    どうして君とうまくいかなくなってしまったんだろう。

    家の前で君は僕に、僕らの愛は永遠だと言ったね。
    でも君が僕の手を握っていた時、僕らには今しかないとわかってたんだ。
    あれが人生最高の時だった。   あの1969年の夏。            』

 「RECKLESS (無鉄砲な野郎)」。
 このアルバムは、一途だったあの頃をいつも懐かしく想い出してくれる。

 1年が不思議なほど長かった、あの頃のことを。

2010/03/07 Sun. 11:18 [edit]

Category: 80年代ROCK、POPS

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