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拝啓マクラーレン殿。勝手に逝きやがれ!! 

      NEVER MIND THE BOLLOCKS 
                HERE'S THE SEX PISTOLS


           

            Holidays In The Sun
            Bodies
            No Feelings
            Liar
            God Save The Queen
            Problems
            Seventeen
            Anarchy In The UK
            Sub‐Mision
            Pretty Vacant
            New York
            EMI

 もう完全に話題が遅れてしまったんだけど、去る4月8日に
 パンク・ムーヴメントの仕掛け人であり、あの“ピストルズを操った男”である
 マルコム・マクラーレンが、中皮細胞のがんのため、スイスの病院で亡くなった。

 正直なとこ、彼に対しては、これといった思い入れはありません。 全く。
 なんで、あえて追悼記事も書かずに、スルーしちゃおうかな・・と思ったんだけど、

 このブログを始めて、そろそろ5年になりますが(丸2年は断筆してましたが)
 考えてみたら、“パンク・ロック”って全然書いてないんですよ。 
 「たか兄さん、パンクはお嫌い?」  とんでもない! 大好物ですよ!
 しかしねぇ・・。  ダメな私ですよ。
 書こう、書かなきゃ、書きたいな、・・・ そんな思いを巡らせてはスルーの連続。
 でも、もう書きます。 マルコムの死が背中を押したんじゃありませんからね。
 (強調すればするほど・・ねぇ。 ・・ダメだなぁ)

 今宵は、マルコム・マクラーレンと、彼に操られたロンドン・パンクの伝説である、
 セックス・ピストルズについて語りたく思います。 よろしくお付き合いを。

  

 マルコム・マクラーレン。 パンク・カルチャーの仕掛け人、いや、またの名を
 “ロックン・ロールのペテン師 (Rock'n Roll Swindle)”とも言われる。
 元々この人、デザイナーとしてブティックを経営してたけど、74年に渡米した際、
 パンクの発祥地ニューヨークで、そのアンダーグラウンド・シーンにおける、
 思想やアート、音楽(ロック)、そして、ファッションである“パンク(クズ)”
 の源流に多大な衝撃を受ける。 そして、そのシーンのアイドル的バンドだった
 ニューヨーク・ドールズを気に入り、自らマネージャーを買って出る。
 デビュー作は、まずまずだったけど、2枚目はダメ。 散々の結果だった。

 でも、その反骨精神と、熱いパンクへの思いは消えず、CBDBというライブ・クラブで、
 (有名パンク・ミュージシャン、バンドが生まれ、巣立った伝説のクラブだ)
 あの髪を短く刈って逆立て、Tシャツはビリビリに破ってレザー服に鋲といった、
 パンク・ファッションの創始者である、テレヴィジョンを脱退したリチャード・ヘル
 と出会う。 彼に惚れ込んでしまい、彼を売り込もうと、なんとロンドンに
 持って帰ろうと画策するも、あっさり断れ、彼はロンドンに帰ってくる。

 そして、ニューヨークで受けた“刺激”をロンドンにも拡げようと企んでいく。

 73年7月3日、デヴィッド・ボウイの「ジギー引退公演」で、その舞台裏に侵入し、
 楽器や機材を盗んで、バンドを始めたバカな奴らがいた。
 そのバンド名「THE STRAND」。 ロキシー・ミュージックの曲から拝借した名前。
 そこに、スティーヴ・ジョーンズ(g)とポール・クック(ds)がいた。

 奴らは、やがて「LET IT ROCK」というブティックに出入りするようになる。
 その経営者は、あのマルコム・マクラーレンだ。
 そこに、土曜だけバイトに来てたのが、グレン・マトロック(b)。
 マルコムは、店でたむろしてた、こいつらに「バンドをやってみろ」と仕向ける。
 問題はヴォーカリストだ。 これが、なかなか決まらない。
 決まったのは、75年。 オーディションに来てたのは、同じく店の常連で
 「俺はピンク・フロイドが大嫌いだ」とプリントしたTシャツを着てふらついてた
 男で、今まで“まとも”に歌なんか歌ったことがなかったが、“ひとわめき”で、
 ジョン・"ロットン”・ライドン(Vo)に決めてしまう。
 
 そして、自らのブティックの名前も「SEX」に変え、
 バンド名も、セックス・ピストルズに。 

    

 活動2年半。 シングル4枚。 そして、アルバムたった1枚。 それだけ。
 攻撃と破壊。 刹那主義。 快楽主義。 権威否定。
 奴らは長いロックの歴史に永遠に消えない、深い“傷痕”を残したのだ。 

 マルコムは、自分の商売道具としてピストルズというバンドを作り、
 自らのイメージを具体化させるために、奴らを調教する。
 「客に唾を吐け!」「もっと過激に振る舞え!」「人に嫌われろ!」と、
 “政治色の濃い、不良のベイシティ・ローラーズ”っぽくしたかったらしく、
 ザ・フー、ニューヨーク・ドールズやアリス・クーパー、イギー・ポップなど、
 歴代の悪者、反社会ロッカー達の楽曲を習わせ、メンバー達を仕込んでいった。

 すべてが型破りで刺激的。容姿や音は当然、発言も行動も危なすぎて問題だらけ。
 76年11月に、EMIから“Anarchy In The UK”でデビューするも、社会的非難から
 契約破棄されてしまう。 翌年A&Mとバッキンガム宮殿前で契約するも、数日後、
 契約破棄に。 いずれもレコード会社が違約金を払ってまで“追っ払う”始末。
 やっと3度目に、当時は新興レーベルだったヴァージンが興味を示し、契約できて、
 そのたった一枚のアルバムが、この「勝手にしやがれ!!」だ。

 しかし、当時のヴァージン・レコード社長はこう述べてる。
 「奴ら(ピストルズ)は、アルバム1枚しか作らないだろうと思ってた」
 もともと長続きするとは、最初から思ってなかったわけである。
 新興レーベルだったヴァージンを宣伝するには、格好の存在だったし、
 メジャーと比べて、自由でやりやすいレーベルだった両者の思惑が一致していた。

 しかし意外かもしれないが、いわゆるパンク・ブームの中から出てきた
 他のバンドに比べて、(ストラングラーズや弟分のクラッシュやダムドなど)
 アルバムを発売した時期が、実は最も遅い。
 理由はズバリ。 「アルバム志向のロック・ビジネスへの反抗」だ。
 もうアルバムを出すこと自体、ダサい、遅れている、反革命的という風潮で、
 シングル盤で、何の予告もなくゲリラ的に発売、攻撃し、煽りまくるという
 ロック王道路線への挑戦と、パンクの新しい方向性を示したものだった。

 

 EMI時代のデビュー曲“Anarchy In The UK”と、ヴァージンから3枚のシングルに、
 (“God Save The Queen”、“Pretty Vacant”、“ Holidays In The Sun”)
 初回プレスのLPにオマケでついてた片面シングル“Sub‐Mision”が、CD化の際に
 付け加えてるんで、7曲がアルバム用の曲といえると思う。 しかし、
 ヴァージンと契約以降は新曲を一切作っておらず、というか、作れない状態で、

 (アルバム制作途中に、バンドの中で唯一“まともな”ソングライターだった
  グレン・マトロックを「ポール・マッカートニーが好きだったから」という
  理由でクビにしてしまったためだ。 ロットンとの確執もネックになったが・・。
  その後任には、マルコムの思うイメージ・キャラにピッタリってことで、
  ロットンの親友で、まともにベースも弾けないシド・ヴィシャスにしたことに、
  このバンドの末路を更に早めてしまう結果になる。)

 ヴァージンも、これを承知の上での契約をしたというニュアンスの発言もあり、
 この何とも得体の知れないパンク・バンドのインパクトと瞬発力に賭けたワケだ。

 今日でも、パンク・ロックの「基本」として通用している、このブツ。
 3コードで、タテのりで、前のめりで、究極の“ヘタウマ演奏”で“がなり立てる”。
 確かに「勝手にしやがれ!!」には、音楽的な革新性があるわけではなく、
 ギターにしろ、ベースにしろ、ドラムにしろ、演奏がスゴいわけでもない。
 メロディーはあってないようなものだし、コード進行もどうってことない。
 また、人によっては、この上なく不快で、うるさいだけのシロモノだ。

  

 しかし何度聴いても、独特のインパクトがあり、他では聴けないグルーヴが、
 が全体にみなぎっている。 単にヘタクソだけじゃ、絶対にこんなに魅力的な
 音は生まれない。 練習したり、勉強したりして習得できるものとは違う。
 パンクの「怒り」とかエネルギーとかいったものだけじゃ、こんな音はでない。

 クリス・トーマスとビル・プライス(エンジニア)により、プロデュース、
 ミックスされた“パンク版ウォール・オブ・サウンド”の分厚く、荒削りで、
 強力なエネルギーの磁場は、今日に至っても影響を与え続けている。

 執拗にオーバーダブされたスティーヴ・ジョーンズのギターは、混沌とノイズと
 ポップ・センスと攻撃性とを非常にうまく合体させている。
 ポール・クックのドラミングは、単純なタテのりではなく、すばやくパターンを
 変化させ、オカズを多用することで曲の疾走感を劇的に盛り上げている。
 そこに、ジョニー・ロットンの早口で捲し立て、巻き舌と語尾をシャクリ上げる
 狂躁的でフリーキーなボーカルは、過激で退廃的かつ、攻撃的に迫ってくる。
 そして、これらの要素が一体となって、前代未聞のアナーキズムを誇示するのだ。

 その結果、パンク・ムーブメントを巻き起こし、女王陛下をコケにし、
 英国王室を侮辱しながらも、結局のところ、英国をパンク産業大国にならしめ、
 祖国に経済的貢献をもたらした奴らは、皮肉なことに、“最高のビジネスマン”
 となってしまうのだ。  みんな、まんまとやられてしまったわけです。
 更にマルコムは、“してやったりか”、意気揚々に大衆を煽りまくる。
 「こいつら全然演奏できねぇんだ」と、言いふらす策略、演出で、注目を集め、
 メディアを利用して、その存在をセンセーショナルにアピールしていった。

 とは言っても。 このマルコム・マクラーレンという男。
 ピストルズのファンからも、ハード・コアなパンクスからも、そして、
 音楽批評家からも、「インチキ野郎!」「このイカサマめ!」「ゲス野郎!」
 と罵られ、批判され続けてきた。

  

 元々はブティックを経営していただけの人物で、当時のイギリスのメディアに、
 絶大な影響力を持っていたわけでもなく、(彼がマネージメントしたバンドは、
 大体メチャクチャになってしまう)、音楽業界からもほとんど相手にされて
 いなかったような奴だ。
 (2007年ロンドン市長選に立候補したときの選挙公約(マニフェスト)は、
  「マリファナの全面解禁」だった)
 
 いくら独特の感性とユーモアな話術を持ってても、過激な演出をしても、
 そんな“時代と寝すぎた男”には、イギリスのメディアも騙されることはなく、
 思いどおりに操れるわけがない。

 ただロットンにシド。 その後にはアダム・アントにバウ・ワウ・ワウ。
 これがダメになると、ジョージ・オダワドという青年を見つけてくる。
 (彼は後にボーイ・ジョージと名乗り、カルチャー・クラブを結成する)
 また、トレヴァー・ホーンと共作した自らのアルバム「DUCK ROCK」('83)
 では、ワールド・ミュージックに、ヒップ・ホップのサンプリングを
 切り貼りしてコラージュする手法は、当時、誰もやってなくて斬新だった。
 だから、目の付けどころは鋭い。 案外、先見の目は持ってる奴なのだ。

 そんなインチキ臭さ、うさん臭さをぷんぷん臭わせることができるというのは、
 ある意味、奇特な才能だと思うし、心から憎めない奴でもあったのだが。

 マルコムはアンディ・ウォーホルになりたかったのではないかと思う。
 ウォーホルがヴェルヴェット・アンダーグラウンドを作ったように、
 彼もセックス・ピストルズを作った。
 それは、既存の概念、ロック、サブ・カルチャーを破壊したかったからだ。
 だとしたら、それは大いに成功した。
 それどころか、ウォーホルがヴェルヴェッツでやろうとした事以上の
 衝撃と影響を、当時の若者に与えたのだから。

 78年1月5日から、初のアメリカ・ツアーを開始するピストルズだが、
 たった8公演の最終日の14日のサンフランシスコ公演でのステージで、
 ロットンは「騙された気持ちになったことがあるかい?」と、観客にそう
 問いかけて、そのままステージを去り、そこでピストルズは終わった。

 「俺たちは“やるべき事”をやったから、生き残れなかったんだ。」
 ジョニー・ロットンが、こう言うように、すべては“ニセモノ”で
 すべては、マルコムに仕組まれた“子供だまし”だったのかも。 

 私も、その“子供だまし”に踊らされた一人。 パンクに魅せられた一人。
 くたばれ、マルコム。 そして、ありがとう。
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2010/04/30 Fri. 00:30 [edit]

Category: 70年代ROCK、POPS

Thread:洋楽CDレビュー  Janre:音楽

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北欧産POP王は国境も世代も超えて。 

      GOLD (GREATEST HITS)     ABBA

         

         Dancing Queen
         Knowing Me, Knowing You
         Take a Chance on Me
         Mamma Mia
         Lay All Your Love on Me
         Super Trouper
         I Have a Dream
         Winner Takes It All
         Money, Money, Money
         S.O.S.
         Chiquitita
         Fernando
         Voulez-Vous
         Gimme! Gimme! Gimme! (A Man After Midnight)
         Does Your Mother Know
         One of Us
         Name of the Game
         Thank You for the Music
         Waterloo
 
 昨年末の話題に戻るんですが、毎年恒例になった「ロックの殿堂」入り
 アーチストに、ジェネシス、ジミー・クリフに、ホリーズ。
 それから、イギー・ポップ率いるストゥージズ(これは嬉しいぞ)に、
 なんと、ABBAが選ばれた。

 「ABBAが殿堂入り!?」  「ABBAって“ロック”なの?」  
 とか、きっとそう思ってる人が多いんじゃないのかなぁ・・。

 当然です。  むしろ、「やっと選ばれたか」って思うくらい。

 確かに、ABBAは“ROCK”じゃない。 “ROCKの魂”のかけらもない。

 しかし、以前どこかの記事にも書いたことがあるんだけど、
 「ROCK」という音楽は、20世紀最大のポピュラー音楽であり、
 最も巨大化、大衆化した現代音楽。 ゆえに、今世紀に入ると、
 もうジャンル区分が困難なくらい、「ROCK」はミクスチャー(混成)
 されてしまってる状態だ。 今なら、広~く言えば、ABBAも「ROCK」だ。
 だから、「ロックの殿堂」って名称より、「ポピュラー音楽の殿堂」って
 言った方が、的を得てるのが現実だろう。
 (そうすると、前に書いてた、敬遠されている“カーペンターズの殿堂入り”も
  あながち遠くないだろうなぁ・・。)

 

 母国スウェーデンで一番外貨を稼いだのは、某有名な自動車メーカー。(VOL・・)
 そして、2番目に外貨を稼いだのは、この「ABBA」だろう。
 そう一国の経済をも支えたグループなのだ。
 そして何よりも、ABBAの世界は、我々音楽ファンにとっては、“永遠の青春”だ。

 上の写真から順に、
 アグネッタ、ビョルン(g)、アニー・フリード(フリーダ)、ベニー(key)の4人。
 72年にビョルン&ベニーの2人にアグネッタとフリーダが加わって、4人組でデビュー。
 初めは4人の名前を羅列したグループ名だったが、長ったらしいんで、イニシャルを
 とって、「ABBA」に。 最初の「B」が反転してるのは、当時それぞれ2人が結婚して
 (現在は既に離婚してるが)、互いに向き合う姿を表した意味と、もう一つは、
 スウェーデンには、「ABBA」という缶詰のメーカーが既に実在していたので、
 問題にならない為に、「B」を反転させたという説があるらしい。

 アグネッタは、素晴らしい美声と美貌を兼ね備えた、言わずと知れたABBAの
 リード・ボーカリスト。 裏声など一切使わずに、さらりと数オクターブを歌いあげる
 実力と汚れを知らない自然体の歌声というか、ナチュラルさと情感豊かな歌いっぷり
 は、他に類を見ない。 まず聞き間違えようのない、特徴ある声質も素晴らしい。

 それに、ノルウェー人で古典民謡のルーツを持ちやジャズ・バンドのシンガーだった
 多彩な経験を持つフリーダも、やや低音が魅力の非常に個性的な声質の持ち主。
 ベニーは、「ABBAサウンドってものがあるならば、それはあの2人の声そのものだ。」
 というように、この天才的2人の女性ヴォーカリストが、偶然の出会いによって生まれた
 ポピュラー音楽史の奇跡の賜物が「ABBA」なのだ。

 そして、ABBAのすべての楽曲を手掛けているのが、ビョルン&ベニーの男性コンビ。
 ポピュラー音楽史の中では、名ソングライター・コンビが数多く誕生しているが、
 (レノン/マッカートニーを筆頭に、ジャガー/リチャード、ゴフィン/キング、
  バート・バカラック&ハル・デイヴィッド、エルトン・ジョン/バーニー・トーピン
  など)
 このビョルン&ベニーも、これらの名ソングライター・コンビに恥じない名コンビだ。
 それ以上に、そうしたコンビも音楽的な方向性の転換や、友情の亀裂などでコンビを
 解消したるするケースが多い。 だが、このビヨルンとベニーがユニークなのは、
 66年に出会って以来現在まで、その音楽的パートナーシップを継続し続けているという
 点だ。 それは、まるで終わる事のない永遠の友情で結ばれているのだ。

 ABBAは、音楽完全主義者。 特にビョルン&ベニーは、熱心な音楽オタクだ。
 時間をかけて緻密で計算されたクリアなポップ・サウンドを創り上げた功績は、
 素晴らしい。 ほんとに良く出来てるんですよ、ABBAの曲って。

 しかし、ビョルンが「僕たちは音楽性よりもイメージで避難されてきた」と嘆く
 ように、ABBAは、批評家達から不当に酷評され続けてきた。
 (ロックの殿堂入りに、かなり前から候補に挙がっていたにも関わらず、
  落選し続けていたのもそうだ。)

 そんな理由からなのか、
 ABBAを、音楽的見地から語られることがあまりないような気がするんですよ。

 その一方では、ABBAへの賛辞を贈る声は絶大なものがあり、世界中の偉大なる
 アーチスト達から愛されるのも、「ABBA」であった。
 私の知る限り挙げていくと・・。
 ジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ライドン(SEX PISTOLS)、
 エルヴィス・コステロ、ブルース・スプリングスティーン、リッチー・ブラックモア、
 フランク・ザッパ(!)、マイク・ラヴにブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)
 オリヴィア・ニュートン・ジョン、カイリー・ミノーグ、ジーン・シモンズ(KISS)
 ビョーク、イレイジャー、エイス・オブ・ベイス、ノエル・ギャラガー(元オアシス)
 そして、世界で最も有名なABBAマニアである女王マドンナなどなど・・。

 このジャンルや国境を越えて、多彩で幅広いアーチストに支持され、愛されてるABBA。
 既に、こんな多くのロックの殿堂入りしている偉大なアーチスト達にも尊敬されてる
 わけです。 殿堂入りなんか、当然なのだ。

 また、92年にイレイジャーが「ABBA-ESQUE」なるABBAのカバー・アルバムを発表
 して、イギリスで大ヒットした辺りから、ABBAが再評価されだし、このベスト盤も
 好セールスを記録し、ABBAリバイバル・ブームが巻き起こる。 しかし、世界中の
 大衆が望んでも、一向に“出てこない”んで、カバー・アルバムがたくさん作られ、
 いろんなそっくりさんやカバー・バンド、いや、究極の“なりきり”バンドが、
 大ウケしてるのも、(「ABBA GOLD」たるバンドが、世界ツアーで大成功)
 うなずけるし、ABBAの大ヒット曲27曲をフィーチャーした、99年にロンドンで
 オープンした「MAMMA MIA」っていうミュージカルも凄くて、(日本でも大人気) 
 空前のロングランを記録。 メリル・ストリーブ主演で映画化もされた。

 というように、この当時、英語圏以外のアーチストが、世界で大成功を収めたのは
 極めて稀なことで(あったしても、一発屋で終わってしまう)、ロック・ポップス
 界の世界地図を塗り替えたのも、ABBAだったといっていい。

 「ロック・ポップスは、世界の共通語てある」ということを、ABBAは証明したのだ。

 え~い! 控えい! 控えい! ABBAはエラいのだ。  

 

 まず私なりに、ABBAの音楽性について書かせてもらうと・・。

 ABBAは北欧出身なだけに、初めは黒っぽさは全然ない。 ところが、
 ヒット曲が出て、アルバムも作られるごとに、他の音楽要素を貪欲に取り入れ、
 R&Bやロックンロールなんかの黒っぽい要素も吸収し、勉強して、かつ当時の
 先端だったディスコ・サウンドにも挑んで、分かりやすくて、誰にでも愛される
 独自のサウンドを構築。 北欧流のマイナーコードをうまくメロディラインに
 組み込んで、しかもセンスと洗練さと、「決め」のサビが光る名曲をたくさん
 作り上げたわけだし、この後に出てくるユーロ系キャンディ・ポップの
 先駆的役割を果たし、デジタル・ビート主体の機械的ダンス・ポップビート
 (ユーロビート)も、ABBAからインスパイアされたビートだ。
 
 それと、ABBAがエラいのは、その“ブランド”堅持力だ。
 こんなに、ロック・ポップス界に功績があるのに、「安売り」しないのだ。
 81年に突如解散して以降、この4人がステージに立つことは、現在に至ってもない。
 60年代以降の偉大なる功績のあったバンドが、一度きりでも大体再結成してる事実
 からすると、やってないのは、ABBAくらいじゃないのかな。

 それに、ABBAは、他のアーチストに絶対にサンプリングの許可をしないことも、
 ブランドを大切にしてる証拠で、承諾を得るのは至難の業なのだ。

( しかし、あの女王マドンナがビョルン&ベニーに直々に使者を送り、デモCDと
  熱いメッセージを書いた手紙を渡し、どれだけABBAを敬愛しているかを伝えた
  そうだ。 それでも、すぐにはOKはもらえなかったそうだが、やはり女王様は
  別格だったようで、あの“ピンクのレオタード”が強烈な“Hung Up”で、
  “Gimme! Gimme! Gimme!”のイントロ部分が、特別にサンプリング使用された。
  ベニーは、こう述べてる。
 「僕たちの曲を使いたいっていうリクエストはものすごく多い。でも、
  大体は“No”って言ってるんだ。 許可したのはこれで2度目だよ。
  今回“Yes”って言ったのは、僕たちもマドンナを崇拝してるからなんだ。
  彼女にはガッツがあるし、21年もの間、一線で活躍してきた。
  悪いものになるわけがない。もし良くなければ、OKしないよ。 
  いいトラックだ。」                            )
  
      

 ABBAの代表曲と言えば、皆さん、あの“Dancing Queen”を挙げるでしょうが、
 単なる「あ~懐かしい~」っていう想い出だけで終わってません?
 いけませんよ、それじゃ。
 英米を含む13か国でNO.1に輝く、この70年代を代表する永遠のポップ・クラシックを
 しっかり評価しなきゃいけません。

 いきなり「♪You Can Dance~」からのサビから突入するアグネッタとフリーダの
 圧倒的なハイピッチ・ボーカルで、ガッチリとリスナーの心を鷲掴みする展開が見事。
 高揚感みなぎる煌びやかなサウンドといい、絶妙な間でのベニーのピアノのアクセント
 といい、計算し尽くされた完璧な演奏といい、これぞ、神業的の職人技。

 初め、この曲のレコーディングは75年8月に始まってたんだけど、途中中断を挟んで、
 12月初めまでかかって完成してる。(1曲にこれだけ時間かけてるんですよ、ABBAは)
 76年3月にシングル発売する予定だったらしいんだけど、マネージャーの判断で先送り
 にして、代わりに、“Fernando”をリリースした。

 デモの段階では。タイトルは“Boogaloo(ブーガルー)”。
 ただこの段階では、ビョルンもベニーも全然満足した出来じゃなかったらしく、
 2人は当時世界的なブームとなりつつあったディスコ・ミュージックの要素を取り込もう
 と考えていたものの、どうもリズム感覚が上手く掴めなかった。
 そこで、彼らはマイアミ・ソウル歌手のジョージ・マクレーの大ヒット曲である
 “Rock Your Baby”をヒントに、リズムのベースを作り、なんと、
 あのドクター・ジョンのアルバム「GUMBO」(“Iko Iko”収録の)を参考にして
 複雑なドラム・パターンを練り上げて、あの“Dancing Queen”が完成してるんです。
 「僕らの国には存在しないリズムだったから苦労したよ」と後に、ビヨルンが
 語っていますが、そうしたハンデを全く感じさせない、実に完成度の高い曲だ。

 ABBAはディスコ・サウンドの代表格と言われてるけど、それは、間違ってる。
 ABBAが本格的にディスコ・サウンドにトライしたのは、79年のアルバム
 「VOULEZ‐VOUS(ヴーレ・ヴー)」だけ。 原型になったのは、この曲だけど、
 やっぱ今聴くと、ディスコにしてはスローすぎる。 しかし、なぜかフロアが
 閑散としたところに、この曲がかかると、一気に盛り上がる“マジック”を持つ
 この曲のイメージが、あまりにも強烈なんだろう。

 この“Dancing Queen”1曲だけで、こんなに書いてしまったんで、
 他の曲のことが書けなくなったけど、どの曲も、実に緻密で良質なポップ・ソングの
 結晶がここにある。 (日本じゃ、コンパクトにまとめた、いい独自企画盤が出てる
 けど、この続編の「MORE GOLD」と合わせれば、ほぼABBAの魅力が堪能できる。)

 今年3月15日ニューヨークで、ロックの殿堂授賞式が行われる。
 果たして、ABBAは“4人”で姿を現すのか、いや、パフォーマンスはあるのか・・?
 注目したいとこだ。

2010/01/10 Sun. 10:54 [edit]

Category: 70年代ROCK、POPS

Thread:洋楽CDレビュー  Janre:音楽

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部屋着で紡ぎ出す永遠のメロディ。 

        TAPESTRY (つづれおり)     CAROLE KING

            
            
        I Feel The Earth Move (空が落ちてくる)
        So Far Away (去りゆく恋人)
        It's Too Late (イッツ・トゥー・レイト)
        Home Again (恋の家路)
        Beautiful (ビューティフル)
        Way Over Yonder (幸福な人生)
        You've Got A Friend (君の友だち)
        Where You Lead (地の果てまでも)
        Will You Love Me Tomorrow
               (ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー)
        Smackwater Jack (スマックウォーター・ジャック)
        Tapestry (つづれおり)
        (You Make Me Feel Like)A Natural Woman
                (ナチュラル・ウーマン)

 これ、どこで買ったんだっけ・・?  いつ買ったんだっけ・・?
 あれっ? もらったんだっけ・・?  全然覚えてないし・・。 
 
 皆さんも、そんなレコードを一枚くらいは持ってないでしょうか?

 窓辺で着慣れたセーターにくたびれたジーンズ。 裸足でなおかつ、すっぴん。
 飾らない人なんでしょう。 無愛想な愛猫まで居心地が良さそうです。
 彼女の人間性、音楽性を、このジャケットがすべてを物語ってる。 

 彼女には失礼ですが、この女性シンガーソングライター史上不朽の名作と
 誉高い、この「つづれおり」。 (ま、書いてるうちに思い出すかも。)
 たぶん、このアルバムは私なんかよりも、感受性のある女性の方のほうが
 よく理解されているでしょう。 (入手あてすら覚えてないなど、問題外!)
 そんな不届き者の私のキャロル・キングの話。 私目線で紡いで参ります。

 もうご存知でしょうが、彼女は70年代初めにに女性シンガーソングライターとして、
 人気を博す以前は60年代の初めから、最初の夫であるジェリー・ゴフィンと、
 なんと10代で詩がゴフィンで、曲が彼女というコンビを組んで、数々のヒット曲、
 名曲を生み出した、名声と実績のある職業作曲家であったことは有名だ。 
 当時のアメリカの60年代初頭の時代背景はティーンエイジ・ポップ全盛の時代。 
 (当時のNYの音楽産業の中心の象徴“ブリル・ビルディング”・サウンドの黄金期)

          

 このゴフィン/キングの書いた曲も、ほとんどは他愛もない軽快なアメリカン・ポップ。 
 (曲を上げたらキリがないけど、 ビートルズの“Chains”は、彼らのカバーだし、
  ソングライター名を共作クレジットにしたのも、ゴフィン/キングを目指したから。
  リトル・エヴァの“ロコモーション”ならカバーも多いし、みんな知ってるのかな。
  ちなみに、ニール・セダカの“おおキャロル!”って、キングのことを歌った歌。)
 それが次々に量産されてヒットするのが当時のアメリカの主流だった。

 しかし、そんな彼らの曲に憧れ、希望を持って英国の小さな港町からやってきた、
 “操り人形みたいな4人組”のアメリカ上陸によって、量産工場は陰りを見せ始める。 
 ライターが歌手のイメージに合わせて曲を書くという、日本でいえば歌謡曲のような
 分業制は、“レノン/マッカートニー”を名乗る若造による、“自作自演”を主体にした
 曲作りとスタイルの確立によって、それは“古い概念”となり衰退していく。

 しかも、とどめを刺したのは、後に“ロックの仙人”となるボブ・ディランの登場だ。
 彼の文学性が高く、メッセージ性の強い曲は「時代の代弁者」として崇められ、
 その曲の持つ影響力と衝撃は計り知りしれず、引導を渡された形に。
 それは来たるべきシンガーソングライター時代の先駆けでもあった。
 (彼の曲を聴いてショックを受けたゴフィンが、自分のレコードを叩き割ってしまった
  というエピソードがあるくらいだ)

 起死回生を図り、オリジナル・レーベルを立ち上げるも、あえなく閉鎖。
 結婚生活も破綻し離婚、コンビも解消。 栄光からドン底への試練の日々を送る
 彼女を救ったのが、オリジナル・レーベル時代に知り合ったベーシストであり、
 次の夫になるチャールズ・ラーキー。 活動の舞台を東海岸から西海岸へ移し、
 その親友であったギタリストであるダニー・コーチマーと、「THE CITY」を結成。
 (ジェイムス・テイラーと親友だった彼の影響で、この辺りから結びつきが
  強くなる。)
 そこで、「ODEレーベル」を立ち上げたプロデューサーのルー・アドラーと知り合う。
 配給問題でゴタゴタしてるうちに、バンドは消滅。 キングはソロ・アーチストとして
 スタートを切り、そのセカンド・アルバムが、「TAPESTRY(つづれおり)」だ。

            

 彼女って美声ではないし、歌唱力も声量も心もとない。 どこかしら不安定。
 そもそも、歌うということに怯えているような・・。 でも、そこも不思議な魅力。
 素朴。 自然体。 でも、シンプルでカジュアルなのに質感高い音楽性。
 まるで部屋で友人に語りかけるかのような、ナチュラルで朴訥とした雰囲気。
 だから、不安がない。 安心できる。 最良の友と出会えた幸福感を感じる時も、
 発売当時はベトナム戦争が泥沼化して、アメリカ全体が“病んでいた”時。
 つらい別れに傷ついた心も、沈んだ気持ちも癒してくれる、心強い味方。

 「つづれおり」って、こんなアルバム。  だから、永遠に愛されるんだ。

 珠玉の12曲には、このアルバムを愛する人のそれぞれの想いが詰まっている。
 私は、R&Bっぽくてファンキーな“空が落ちてくる”から“恋の家路”までの
 一連の流れが大好きだ。 ノッケで、地球が揺れるほどときめいた恋をしたのに、
 次では、「あなたは、もう遠い彼方」へ、そして、「もう遅すぎるのよ」と恋に破れ、
 「家に帰って、ひとりぼっちで落ち着けば、それが幸せ」と自らを慰める。
 いったいどれだけの恋に破れた女性が、この曲の流れに涙したことでしょう。
  
 シンプル極まりないんだけど、各楽曲のレベルの高さと完成度は文句無し。
   
 中でも、大ヒット曲の“It's Too Late”のアレンジは、アルバムの中でも秀逸。
 リズム・ベースはラテン調なのに、キャロルのピアノを中心にドシッと据えて、 
 エスニックっぽいダニーのギターと、カーティス・エイミーのサックスで味付けして、
 (彼の“去りゆく恋人”でのラスト近くでのフルート・ソロも絶妙かつ効果的)
 全体的には、わかり易い上質なポップ・ソングに仕上げるとこなど、
 さすがは職人技。 うまい。

 B面に行っても、クオリティは更に高まり、今も色褪せない珠玉の名曲群が続く。 
  (唯一、アルバムらしくない呑気な殺人鬼の歌っていうか、キャロル版の
   Maxwell's Silver Hammer”だと思う“スマックジャック・ウォーター”だけ、
 ちょっと毛並みが違う感じだけど、 コレもいいアクセントになってる)

 ジェイムス・テイラーやダニー・ハザウェイにも提供した“君の友達”は、今でも、
 アメリカ国民の愛唱歌。 落ち込んだ時、人生に疲れた時、人恋しくなった時。
 そんな時は、どこに居ようと、季節を問わず、いつでも駆けつけてくれる。
 彼女は、誰にでも“友達”のように語りかけてくれる。  なんて優しい歌なんだろう。
 キャロルの切ない歌声とメロディ、そして、バイオリンの音色が心を癒してくれる。
 (JTのフォーク調でボサノバっぽいアレンジより、キャロルの方がしっくりしてる。)

 もちろん、“ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー”
 (シレルズでシングル・ヒット)は、
 ゴフィン-キング時代の女性から男性への女性が綴るラヴ・ソングの最高峰。
 まぁ男なら、女性に「I Love You」って表現しがちだけど。
 (安っぽくなるんだよなぁ・・。)
 「明日も、私を愛してくれるのかしら。」って言葉は男じゃ、まず浮かんでこないし。
 「女性として精一杯生きていく」と、アレサのソウルフルで力強い名唱でも知られる
 “ナチュラル・ウーマン”のセルフ・カバーも、キャロルの控え目かつ穏やかでも、
 女性が持つ秘めたる思いがひしひし伝わってくる。

 タイトル曲で、「私の人生は、豊かで気高いつづれ織りのよう」と歌い始める。
 抽象的な詩だけど、人を一本の糸に例えて、人生とはそれが幾重にも、
 織り綴られて彩られているもの。 けっして自分一人ではここまで来れなかったと、
 感謝の意を込めた曲なのだろうけど、 シンガソングライターとしての自立を
 意識してなのか、キャロルがピアノ一本で独唱している。

 不朽の名作は、多くを語らず。  百聞は“一聴”にしかず。
 聴いて欲しいではない。 聴かなくてはいけないと思う。  
 あなたが、音楽を愛しているならば。

 「つづれおり」は、ほんとに雨の日が一番よく似合う。

 どうやって、手に入れたんだろ・・。
 これだけ書き綴ってきたけど、とうとう思いだせなかった。 

 あ~あ、今日も雨か・・。

2009/07/10 Fri. 00:50 [edit]

Category: 70年代ROCK、POPS

Thread:洋楽CDレビュー  Janre:音楽

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「みんなのうた」は天使の歌声。 

        NOW AND THEN      CARPENTERS
    

               

           Sing (シング)
           This Masquerade (マスカレード)
           Heather (ヘザー)
           Jambalaya (ジャンバラヤ)
           I Can't Make Music (アイ・キャント・メイク・ミュージック)
           Yesterday Once More (イエスタデイ・ワンスモア)
           Fun,Fun,Fun (ファン・ファン・ファン)
           End Of The World (この世の果て)
           Da Doo Ron Ron (ハイ・ロン・ロン)
           Dead Man's Curve (デッドマンズ・カーブ)
           Johnny Angel (ジョニー・エンジェル)
           Night Has A  Thousand Eyes (燃ゆる瞳)
           Our Day Will Come (アワ・デイ・ウィル・カム)
           One Fine Day (ワン・ファイン・デイ)
           Yesterday Once More (Reprise) 
                (イエスタデイ・ワンスモア (リプライズ)) 

   いきなりですが、日本人はカーペンターズが大好きだ。
   今年の4月22日で、A&Mからメジャー・デビューして、40周年なんだそうです。
    (この前、リチャードが来日して、4月22日を「カーペンターズの日」に、
     しようって、日本記念日協会に申請して認められ、制定されたみたい)
   日本じゃ、シングル盤はあのビートルズよりもたくさん売れてるし、
   洋楽なんて全然知らない人でも、口ずさんでますもん。
   「♪エビィ~シャラララ~、エビィウォウォウォ~」とか。
   み~んな知ってる。 み~んな聴いてる。 み~んな大好き。
   カーペンターズは、そう、「みんなのうた」なのだ。

   カーペンターズをきっかけに洋楽を聴くようになった方も多いでしょう。
   ただ昔に私がビリー・ジョエルの記事の時にも書いたんだけど、
   聴きやすい、親しみやすいアーチストは、誰でも“敷居が低い”。 でもそれが、
   軽く扱われてしまって、そのアーチストのレベルが低いということに捉われがち。
   しかし、絶対そんなことはない!と改めて言いたく思う。

   当時ロックが好きだった奴らは、バカにしてたよなぁ。 毛嫌いしてた。
   でも言わしてもらえば、あまりにも、曲、歌、アレンジすべてが完璧すぎて、
   優等生っていうか、嫌味がなく清廉潔白っていうか、健康的っていうか。
   面白くなかったんですよ、きっと。 カッコつけてたからね、奴らって。

   そんな奴らも、今はどう思ってんでしょ。 もういいオヤジになってさ。

   これには異議を唱える人も多いそうだけど、私はカーペンターズを、
   “ロックの殿堂”に入れるべきだと、前から思ってる。 (グラミーは殿堂入り済)
   誰が決めてるのか知らないけど、 わかってんの?って言いたい(怒)。
   現代音楽におけるロックという音楽の最大の功績は「革新性」と「影響力」。
   スタイルとかじゃないんだ。 ただ大音量でギターかき鳴らして25年やってたら、
   殿堂入りできるの? 違うでしょ。 彼らは確かに、音は“ロック”じゃない。
   だけど、ロックが反逆の音楽のみという考えは、もう古い。 それこそ保守的。

   ロックは進化する音楽。 彼らは当時は保守的と批判されたけど、
   今はそんな垣根なんてもうないんだ。 もっと広い視野で物事は見つめないと。
   リチャードがクラシックや管楽器を巧みに使ったアレンジ力はもっと評価すべきだし、
   カレンの歌声に一体世界中のどれだけの人達が魅了され、ジャンルを問わず、
   影響を与えてきたことか。 現在殿堂入りしている面々を見る限り、
   カーペンターズにその資格がない理由がわからないし、 早く殿堂入りさせて、
   その功績を大いに称えるべき。 「ソフトだから」じゃ理由にはならない(怒)!  
     
   話が逸れてしまいました・・。

   そんな彼らのデビュー40周年ベスト盤「40/40」も発売されて、
   時代を超えて、今もなお輝き続けるカーペンターズ。
   とはいえ、この私も彼らって、やっぱヒット曲単位でしか聴いてこなかった。
   アルバムっていえば、この「NOW AND THEN」くらいしか聴いてないんですが・・。

   青い空に大きな家(当時の彼らの自宅)に、リチャードの愛車フェラーリに乗る兄妹。
   まさにカリフォルニア! 憧れのカリフォルニア! 日本人の夢です。
   (でも、ジャケ・アートは、あのEW&FやELOで有名な長岡秀星氏ってとこがミソ)
   これが、カーペンターズのアルバムでの傑作と誉れ高い作品だ。

   「♪ランララ、ララ~」って、学校でもみんなで歌った“シング”で始まり、
   “マスカレード”で抜群の歌唱力を披露、カントリー・タッチの“ジャンバラヤ”も、
   軽快に。 そして、ハイライトの“イエスタデイ・ワンスモア”の組曲へ。
   「♪昔、ラジオで好きな曲が掛かるのを待ってたものよ。」とカレンが、
   オールディーズ・メドレーへ導くLPでいうB面は、完璧なトータル・コンセプト。
   これは、「ABBEY ROAD」のB面にも匹敵するほど。
   カーペンターズはほんとに感心するほど、カバーのうまいグループだ。 
   とにかく楽しい時も、ほろ苦い時も、いつ聴いても懐かしい気持ちになれる。

   カレンの歌声の最大の魅力は、その湿っぽい低音域(アルト)に他ならない。 
   その表現豊かな歌唱力は、万人の心の琴線をくすぐる、まるで魔法のようだ。
   でも、彼女は“歌えるドラマー”を自認してて、デビュー当時は叩きながら歌ってた。
   (このアルバムでは、“ジャンバラヤ”を除いて、すべてドラムを叩いてる)
   ただ背が低いため、叩きながらだと、セットで隠れて見えなくなってしまうんで、
   キレイな衣装を着せて、真ん中で歌わせるようにしたらしいけど。
   ほんとは嫌だったんだって。 イメージを作られてるみたいで。
   カレンだって、もっとドラム叩いて、ロックンロールしたかったのかもしれない。
   
   かつ彼女は、とてもやさしく傷つきやすい人だった。
   個性の強い兄リチャードに守られて、自分も自立して幸せになる決意をしたけど、
   理想と現実の間で、疲れ果ててしまったんでしょう。
   世界のみんなに、その歌声であふれるほどの幸せを与えられても、
   自分の幸せは掴めなかった。  なんて皮肉なんだろ・・。

   今、ほんとの“歌”がなくなってしまったこの時代。
   でも、カレンの歌声は、みんなのこころに永遠に生き続けるんだ。     
          

2009/05/15 Fri. 19:30 [edit]

Category: 70年代ROCK、POPS

Thread:洋楽CDレビュー  Janre:音楽

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暴走する英国のやんちゃな奴ら。 

LIVE AT THE ISLE OF WIGHT FESTIVAL 1970 (DVD版)    
                                        THE WHO

                      amazonへ

            Heaven & Hell (ヘヴン・アンド・ヘル)
            I Can't Explain (アイ・キャント・エクスプレイン)
            Young Man Blues (ヤング・マン・ブルース)
            I Don't Even Know Myself (アイ・ドント・ノウ・マイセルフ)
            Water (ウォーター)
            Shaikin' All Over ~ Spoonful ~ Twist & Shout
        (シェイキン・オール・オーヴァー~スプーンフル~ツイスト・アンド・シャウト)
            Summertime Blues (サマータイム・ブルース)
            My Generation (マイ・ジェネレーション)
            Magic Bus (マジック・バス)
               from [ TOMMY ]
            Overture (序曲)
            It's A Boy (イッツ・ア・ボーイ)
            Eyesight To The Blind (The Hawker) (光を与えて)
            Christmas (クリスマス)
            The Acid Queen (アシッド・クイーン)
            Pinball Wizard (ピンボールの魔術師)
            Do You Think It's Alright? (大丈夫かい)
            Fiddle About (フィドル・アバウト)
            Go To The Mirror (ミラー・ボーイ)
            Miracle Cure (奇跡の治療)
            I'm Free (僕は自由だ)
            We're Not Gonna Take It (俺達はしないよ)
            Tommy Can You Hear Me? (トミー、聞こえるかい)

 今年の梅雨は、えらく長引いてて、まだ夏が来てないんだけど、
 野外ライブが、ぼちぼち始まりだしました。
 先日のウドー・ミュージック・フェス(ベック、ドゥービー、サンタナ、KISS!)
 から、毎年恒例のフジ・ロックに、ROCK IN JAPAN、そして、夢人島フェス・・。
 ということで、今回は野外フェスのネタで、お付き合いを。

 今回、引っ張り出してきたのは、THE WHO。
 1970年のワイト島のエネルギッシュなライブをパッケージングした熱い記録だ。
 (この前、NHKのBSでも放送してたみたいだけど)
 この頃のTHE WHOは、名ライブ盤「LIVE AT LEEDS」での、
 最高のパフォーマンスでもわかるように、
 バンドとしての絶頂期にあたる頃。
 けっして完成されたステージではないんだけど、全体に満ち溢れるエネルギーと、
 観客とのもの凄い熱気のやりとりがビシビシ伝わってくる。

 「LIVE AT LEEDS」が録音されたのが、70年2月14日。
 それから約半年後のライブなんで、当然絶好調だし、68年のウッドストックから、
 アメリカでのツアーで鍛え、蓄えられたエネルギーは最高潮にあった。
 そして、本国に“凱旋”してのライブ(おまけに野外)だ。
 ウッドストックのパフォーマンスも素晴らしかったけど、
 この凄まじさは、明らかに上回る出来だ。 

 久し振りに、この映像を観ると、やっぱ、キース・ムーンだ。
 このワイト島の主役は、ピートでも、ロジャーでも、ジョンでもない。
 キース・ムーンだ。 あんた、キレすぎだよ。
 ドラマーいや、リード・ドラマーって言ってもいいくらいだ。
 荒れ狂って突っ走るドラミングは、連動してキレまくるピートとの、
 “暴走ブラザーズ”は、誰にも止められない。

 ロジャーは、いつものヒラヒラのついたインディアン・ジャケを纏って、
 マイク振り倒してシャウトしまくる。
 センスを問いたくなる骸骨スーツのジョンは、暴走野朗を冷静に手綱を引く。
 やんちゃな奴らなんだけど、演奏力の高さと壮絶なグルーヴは、まさに“圧巻”だ。
 
 実際のステージでは、この構成ではなかったんだけど、前半がヒット・パレードで、
 後半は、「TOMMY」のダイジェストになっている。
 (なんでか、この単独ものには“Naked Eye”がカットされてるし、
  どうせなら、ステージ通りの構成にして、「TOMMY」の最後の盛り上がりから、
  “Summertime Blues”~“Magic Bus”の黄金悶絶パターンへなだれ込む方が、
  もっと全体を雰囲気を捉えられたのだけど。)

 “Young Man Blues”。 THE WHO、屈指のハード・ロックだ。
 「LIVE AT LEEDS」のオリジナルLPのオープニングはこれだった。
 凄い音だった。 オリジナル版の音質の悪さが更に熱気を感じさせたし、
 安いスピーカーからでも、ほとばしるエネルギーを発散しまくってた。
 このステージでも、そのエネルギーは持続されたまま。
 キースのダイナミックで手数のめちゃくちゃ多いドラミング、
 地を這うように、上下しながらキースを併走するジョン、
 魂込めて、ワイルドなのに貫禄たっぷりのロジャー、
 そして、的確なリズム・ストロークと切れ味抜群のカッティングそのままで、
 風車のごとく、グルグルを廻しまくるピート。
 唖然。 凄ごすぎ。 映像はウソつかないよ。
 
 ロック・オペラ「TOMMY」みたいな、コンセプトな作品をステージで、
 (しかも野外フェスで)演奏するという大胆な試みも、
 このバンドが更に発展して前進していくことになるんだけど、
 この“ライブのエネルギー”こそ、ロックの魂であり、前進の源なんだと、
 この頃のTHE WHOは証明してくれている。
 
 極論かもしれないけど、THE WHOの前進、興隆と失速、凋落は
 ロックの歴史と同じ歩みをしていると思う。
 この最高だった彼らの姿を、この映像は余すとこなく写し取っている。
 見逃してはなりませんぞ。 

 でもなんと、今年の秋に、THE WHOはニュー・アルバムを出すという。
 キースも、ジョンもこの世に居ない今、やはり少々複雑なとこだ。
 (ピート、頑張ってるのはわかるんだけど・・)             

2006/07/27 Thu. 13:33 [edit]

Category: 70年代ROCK、POPS

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