秘密の窓を隠し持つ、陶酔と幻惑のアパート。
PHYSICAL GRAFFITI LED ZEPPELIN

Custard Pie
The Rover
In My Time Of Dying
Houses Of The Holy
Trampled Under Foot
Kashmir
In The Light
Bron-Yr-Aur
Down By The Seaside
Ten Years Gone
Night Flight
The Wanton Song
Boogie With Stu
Black Country Woman
Sick Again
書いてませんでした・・。 レッド・ツェッペリン。
約4年前に、頭とお尻のアルバムを書いっきり、そのままにしてました・・。
一昨年には、一度きりの再結成もありましたが、ブログ断筆中だったんで、
全く触れずじまいでしたし、なぜか記事にするまで時間がかかってしまいました。
でもようやく、“重い筆”を上げて、久し振りにZEPを語っていこうと思います。
今宵は、“偉大なるロックの巨神”レッド・ツェッペリンの巻。 よろしくお付き合いを。
では、どれを書いていこうかと考えたんですが、久し振りだし、ここは肩肘張らず
素直に一番好きなアルバムで書いてくことにしました。
アトランティックとの契約がアルバム5枚で満了して、彼ら自身のレーベルを設立。
その「スワン・ソング(SWAN SONG)」レーベルからの第1弾アルバムである、
「PHYSICAL GRAFFITI (フィジカル・グラフィティ)」。
「物理的な落書き」と訳していいのか。 いや、「肉体の展覧会」とも訳せるか。
どちらにしろ、なんとも想像力を掻き立てるタイトルだ。
彼らのアルバムは、どれも一筋縄では説明できない奇妙な作品ばっかなんだけど、
コレもそう。 けっこう、コレを最高傑作に推す人も多いようです。
しかし私にゃ、聴き始めはどうも馴染まなくて、好きじゃなかったんだけど、
どういうことか、いつの間にやら、一番好きなアルバムになってまして。
これも、彼らの神通力なのか、はたまた、「嫌よ嫌よも、好きのうち」なのか?
なんとも不思議な魅力を持った2枚組だ。
まずは、アナログ当時のギミック・ジャケット(特殊ジャケット)が目を引く。

このアルバムで描かれている風景は、
実際にあるニューヨークのセント・マークス96番地にあったアパート。
アパート前のごみ箱や非常階段の感じ、消火栓、入り口の作り(彫刻)に、
入り口の階段に座り込む人など、とてもいい感じ。 味がある。
そのアパートの窓がくり抜かれ、内袋に印刷された写真が見えるわけです。
表面は昼間の風景だけど、裏面は夜の風景になってる。 2度おいしいワケ。
アルバム自体が2枚組なので、内袋が2種あって、いろいろ差し替えて楽しめる。
印刷されているイラストや写真は、かなり有名なものが多く、
もちろんメンバーの写真も含まれている。 でも、凝り過ぎだって、コレ。
このアルバムの発売が延期された理由が、「ジャケット制作の遅れ」ですもの。
今じゃ、有り得ないですって。

このアルバムを語る上でのキーワードは、
「限りなき実験精神」と、「ワールド・ワイドな雑食性」。
彼らには、単なる普通のハード・ロック・バンドという括りにとらわれない、
特異な音楽性と、奥深いルーツを図り知ることができる。
これは、よく知られている事ですが、当初は2枚組の構想ではなかったって事。
しかし、曲が出来上がってきた時点で、アルバム1枚半くらいの曲があり、
いつもなら、何曲かを諦めて1枚に収めるけれど、これまでのアルバムでも、
漏れた曲が何曲かあったんで、それらを集めて2枚組としてリリースされた。
もともと、このセッションで録音された曲は次のとおり(収録順に羅列)
Custard Pie
In My Time Of Dying
Trampled Under Foot
Kashmir
In The Light
Ten Years Gone
The Wanton Song
Sick Again
それに、以前のアルバムのアウト・テイクを引っ張り出してきて、
70年の「Ⅲ」のセッションから、
Bron-Yr-Aur
71年の「Ⅳ(俗名)」のセッションから、
Down By The Seaside
Night Flight
Boogie With Stu
73年の「聖なる館」のセッションから、
The Rover
Houses Of The Holy
Black Country Woman
の7曲を加えて、完成された。

多様な音楽性とルーツは、黒人音楽から東洋音楽までに至る。 それは、
ブルースからファンク、海を越えて、アラブやインド音楽までも飲み込んでしまう。
“Custard Pie”は、非常にZEPらしいハード・ロックだけど、古い南部ブルースを
巧妙に改作して、ハープやクラヴィネットでアクセントをつけて、ヘヴィーに唸る。
“In My Time Of Dying”は、ディランのデビュー作でも取り上げたフォーク・
トラディショナル 。 これもZEPは原曲を勝手に引用して、もうやりたい放題。
11分強と非常に長いが、起伏に富んだルーズさと、“決めるとこは決める”、
メリハリのある演奏で、全く飽きさせない。
ペイジのスライドと、ボンゾのパワフルで変則的なドラミングのコントラストが凄い。
“Trampled Under Foot”は、ZEP流創作ファンク。 この曲に、ファンクに対する
リスペクトなんてものは全く感じられず、あくまで音楽構築の要素として、
うまく拝借してるだけ。 ずるいんですよ、ZEPは。 おいしいとこだけ持ってく。
ジョーンジーのクラヴィネットの使い方なんて、あの“迷信”そのもの。
そして、“Kashmir”だ。 文句なく、このアルバムの最重要曲。
ギターの変則チューニング によって繰り出されるリフと、アラブ風ストリングスを
同時に上下させて、更にケルト(多神教)やインド音楽をも意識した音階を踏んだ、
永遠のトランス性。 ポリリズム。 夢幻の官能性。 まさに「光」と「影」。
ちょっと“ラーガ・ロック”でもやってみました、なんてレベルを超越した偉大な曲だ。
(“In The Light”でも、プラントのインドやケルト趣味が強く、ドローン攻撃の連続)
アウト・テイクの曲も、なんでお蔵にしてたのか、もったいない曲ばかり。
“Bron-Yr-Aur”や、“Down By The Seaside”、“Black Country Woman”での
絶妙なフォークやアコースティック・アレンジは、彼らの“白人的ルーツ”を
垣間見れるし、(“Down By The Seaside”は、ここではエレキ処理されてるが、
もともと「Ⅲ」の時に作られたんで、概念としては、アコースティックの曲だろう)
“6人目のストーンズ”として愛されたブルース・ピアニストの、
故イアン・スチュワートのホンキー・トンクなプレイがフューチャーされた
“Boogie With Stu”も 聴きごたえ十分だ。
考えてみると、ジミー・ペイジは、ZEPを結成する際に、フォーク色の強いバンド
にするか否か、非常に悩んだという。
ペイジ自身、フォーク(アコースティック)に対する想いは相当強かったけど、
結局は、ハードな路線に向かった。大多数のファンは、それで正解だったと思ってる
だろうけど、彼らのフォーク・アレンジに凝縮された中身の濃さは、思いの深さが
伺える。 今聴くと、ハードな路線は、パープルやサバスに任せといて、ZEPは
もっとトラディショナルなフォーク路線を探求していっても、違った歴史を
築けたんじゃないかな、面白かったんじゃなかったかなとも思う。
このアルバム全体的に肩の力が抜けたリラックスした雰囲気で覆われて、そのため、
雑多な要素が盛り込まれることになり、良く言えば、多様な音楽が混在し、今までに
見られなかった側面なども出てくるけど、悪く言えば、ゴチャゴチャしてて散漫な
印象も。 ただ私しゃ、ビートルズのホワイト・アルバムだってそうだけど、
これくらい、いろんなジャンルの要素が聴けて、この振り幅の広さは嬉しい限り。
ZEPの“雑食性”が、後のロック・サウンド構築に与えた影響は少なくないはずだ。
ZEPのアルバムの歴史は、実験とその成果の繰り返しの歴史でもあるんだから。

Custard Pie
The Rover
In My Time Of Dying
Houses Of The Holy
Trampled Under Foot
Kashmir
In The Light
Bron-Yr-Aur
Down By The Seaside
Ten Years Gone
Night Flight
The Wanton Song
Boogie With Stu
Black Country Woman
Sick Again
書いてませんでした・・。 レッド・ツェッペリン。
約4年前に、頭とお尻のアルバムを書いっきり、そのままにしてました・・。
一昨年には、一度きりの再結成もありましたが、ブログ断筆中だったんで、
全く触れずじまいでしたし、なぜか記事にするまで時間がかかってしまいました。
でもようやく、“重い筆”を上げて、久し振りにZEPを語っていこうと思います。
今宵は、“偉大なるロックの巨神”レッド・ツェッペリンの巻。 よろしくお付き合いを。
では、どれを書いていこうかと考えたんですが、久し振りだし、ここは肩肘張らず
素直に一番好きなアルバムで書いてくことにしました。
アトランティックとの契約がアルバム5枚で満了して、彼ら自身のレーベルを設立。
その「スワン・ソング(SWAN SONG)」レーベルからの第1弾アルバムである、
「PHYSICAL GRAFFITI (フィジカル・グラフィティ)」。
「物理的な落書き」と訳していいのか。 いや、「肉体の展覧会」とも訳せるか。
どちらにしろ、なんとも想像力を掻き立てるタイトルだ。
彼らのアルバムは、どれも一筋縄では説明できない奇妙な作品ばっかなんだけど、
コレもそう。 けっこう、コレを最高傑作に推す人も多いようです。
しかし私にゃ、聴き始めはどうも馴染まなくて、好きじゃなかったんだけど、
どういうことか、いつの間にやら、一番好きなアルバムになってまして。
これも、彼らの神通力なのか、はたまた、「嫌よ嫌よも、好きのうち」なのか?
なんとも不思議な魅力を持った2枚組だ。
まずは、アナログ当時のギミック・ジャケット(特殊ジャケット)が目を引く。

このアルバムで描かれている風景は、
実際にあるニューヨークのセント・マークス96番地にあったアパート。
アパート前のごみ箱や非常階段の感じ、消火栓、入り口の作り(彫刻)に、
入り口の階段に座り込む人など、とてもいい感じ。 味がある。
そのアパートの窓がくり抜かれ、内袋に印刷された写真が見えるわけです。
表面は昼間の風景だけど、裏面は夜の風景になってる。 2度おいしいワケ。
アルバム自体が2枚組なので、内袋が2種あって、いろいろ差し替えて楽しめる。
印刷されているイラストや写真は、かなり有名なものが多く、
もちろんメンバーの写真も含まれている。 でも、凝り過ぎだって、コレ。
このアルバムの発売が延期された理由が、「ジャケット制作の遅れ」ですもの。
今じゃ、有り得ないですって。


このアルバムを語る上でのキーワードは、
「限りなき実験精神」と、「ワールド・ワイドな雑食性」。
彼らには、単なる普通のハード・ロック・バンドという括りにとらわれない、
特異な音楽性と、奥深いルーツを図り知ることができる。
これは、よく知られている事ですが、当初は2枚組の構想ではなかったって事。
しかし、曲が出来上がってきた時点で、アルバム1枚半くらいの曲があり、
いつもなら、何曲かを諦めて1枚に収めるけれど、これまでのアルバムでも、
漏れた曲が何曲かあったんで、それらを集めて2枚組としてリリースされた。
もともと、このセッションで録音された曲は次のとおり(収録順に羅列)
Custard Pie
In My Time Of Dying
Trampled Under Foot
Kashmir
In The Light
Ten Years Gone
The Wanton Song
Sick Again
それに、以前のアルバムのアウト・テイクを引っ張り出してきて、
70年の「Ⅲ」のセッションから、
Bron-Yr-Aur
71年の「Ⅳ(俗名)」のセッションから、
Down By The Seaside
Night Flight
Boogie With Stu
73年の「聖なる館」のセッションから、
The Rover
Houses Of The Holy
Black Country Woman
の7曲を加えて、完成された。

多様な音楽性とルーツは、黒人音楽から東洋音楽までに至る。 それは、
ブルースからファンク、海を越えて、アラブやインド音楽までも飲み込んでしまう。
“Custard Pie”は、非常にZEPらしいハード・ロックだけど、古い南部ブルースを
巧妙に改作して、ハープやクラヴィネットでアクセントをつけて、ヘヴィーに唸る。
“In My Time Of Dying”は、ディランのデビュー作でも取り上げたフォーク・
トラディショナル 。 これもZEPは原曲を勝手に引用して、もうやりたい放題。
11分強と非常に長いが、起伏に富んだルーズさと、“決めるとこは決める”、
メリハリのある演奏で、全く飽きさせない。
ペイジのスライドと、ボンゾのパワフルで変則的なドラミングのコントラストが凄い。
“Trampled Under Foot”は、ZEP流創作ファンク。 この曲に、ファンクに対する
リスペクトなんてものは全く感じられず、あくまで音楽構築の要素として、
うまく拝借してるだけ。 ずるいんですよ、ZEPは。 おいしいとこだけ持ってく。
ジョーンジーのクラヴィネットの使い方なんて、あの“迷信”そのもの。
そして、“Kashmir”だ。 文句なく、このアルバムの最重要曲。
ギターの変則チューニング によって繰り出されるリフと、アラブ風ストリングスを
同時に上下させて、更にケルト(多神教)やインド音楽をも意識した音階を踏んだ、
永遠のトランス性。 ポリリズム。 夢幻の官能性。 まさに「光」と「影」。
ちょっと“ラーガ・ロック”でもやってみました、なんてレベルを超越した偉大な曲だ。
(“In The Light”でも、プラントのインドやケルト趣味が強く、ドローン攻撃の連続)
アウト・テイクの曲も、なんでお蔵にしてたのか、もったいない曲ばかり。
“Bron-Yr-Aur”や、“Down By The Seaside”、“Black Country Woman”での
絶妙なフォークやアコースティック・アレンジは、彼らの“白人的ルーツ”を
垣間見れるし、(“Down By The Seaside”は、ここではエレキ処理されてるが、
もともと「Ⅲ」の時に作られたんで、概念としては、アコースティックの曲だろう)
“6人目のストーンズ”として愛されたブルース・ピアニストの、
故イアン・スチュワートのホンキー・トンクなプレイがフューチャーされた
“Boogie With Stu”も 聴きごたえ十分だ。
考えてみると、ジミー・ペイジは、ZEPを結成する際に、フォーク色の強いバンド
にするか否か、非常に悩んだという。
ペイジ自身、フォーク(アコースティック)に対する想いは相当強かったけど、
結局は、ハードな路線に向かった。大多数のファンは、それで正解だったと思ってる
だろうけど、彼らのフォーク・アレンジに凝縮された中身の濃さは、思いの深さが
伺える。 今聴くと、ハードな路線は、パープルやサバスに任せといて、ZEPは
もっとトラディショナルなフォーク路線を探求していっても、違った歴史を
築けたんじゃないかな、面白かったんじゃなかったかなとも思う。
このアルバム全体的に肩の力が抜けたリラックスした雰囲気で覆われて、そのため、
雑多な要素が盛り込まれることになり、良く言えば、多様な音楽が混在し、今までに
見られなかった側面なども出てくるけど、悪く言えば、ゴチャゴチャしてて散漫な
印象も。 ただ私しゃ、ビートルズのホワイト・アルバムだってそうだけど、
これくらい、いろんなジャンルの要素が聴けて、この振り幅の広さは嬉しい限り。
ZEPの“雑食性”が、後のロック・サウンド構築に与えた影響は少なくないはずだ。
ZEPのアルバムの歴史は、実験とその成果の繰り返しの歴史でもあるんだから。
6人の視線の先は苦悩の灯火か。
IN THROUGH THE OUT DOOR
LED ZEPPELIN


In The Evening (イン・ジ・イヴニング)
South Bound Suarez (サウス・バウンド・サウレス)
Fool In The Rain (フール・イン・ザ・レイン)
Hot Dog (ホット・ドッグ)
Carouselambla (ケラウズランブラ)
All My Love (オール・マイ・ラヴ)
I'm Gonna Crawl (アイム・ゴナ・クロール)
セピア色に古ぼけた薄暗い酒場の中の7人。
火を付けた白いスーツの男を中心に彼に向けられた視線の角度から、
6種類のジャケットが生まれた。
(裏ジャケは火を付ける前のカットなんで、合わせれば12種類ある)
また、“おまけ心”をくすぐるように茶袋に入れて発売して、
買って開封しないと、どのカットかわからないという、
なんとも人を食ったようなアイデアだった。
もちろん、制作はデザイン・アート集団ヒプノシスによるものだ。
(あなたはどのジャケでした? 私は左下のカットでした。
でも中には、全部揃えたツワモノも多々いるかと。)
しかし、中身はというと・・、
とかくこのアルバム、ZEPファンには人気がないというか、
イマイチというか、評判がよくないのだ。
「あんなのはZEPじゃない」とか、やれ“散漫”だの“失敗作”だの、
「駄作」と言い切る奴までいる。(何もそこまで言わんでもいいと思うんだけど・・)
私の見解はと申しますと、 う~ん・・。
ZEP唯一のR&Bアルバムというか。
ペイジの持つグルーヴ重視の作風から、ジョーンジーのリズム重視の作風にした結果、
試行錯誤の末、「次回作が楽しみだったのに」という思いを募らせる、
発展途上作になってしまった感じなんかなと。
でも、けっして嫌いじゃなく、むしろよく聴いたアルバムでした。
(ちょっと、小細工しましたが・・)
でも、絶対名盤ではないし、ZEPの代表作でもない。
ただ言えることは、これがZEPの事実上最後の作品になってしまったことだ。
まさか、そうなるとは思ってなかったにしろ、
このラスト作を、あれやこれや文句を言われることが悲しくてならんのです。
(あぁボンゾよ。 なぜにボンゾ・・。)
否定派の気持ちも良く解かるんです。
ZEPにやたらシンセを多用するシンフォニック・ロックなんて似合いっこないし、
ヘヴィーなリフを弾かないペイジなんて、
雄叫びを上げずシャウトしないプラントなんて、
大人しくリズムを刻むボンゾなんて・・、
ZEPなんかじゃねぇ~!!
ごもっとも。 よくわかります。
ペイジは、悩んでいたのではないか。
ポイントは、2点ある。
まずは、ジョーンジーに舵取りを任せてしまったことだ。
これは、けっして悪いわけじゃなく、ZEPの音楽性のレンジを拡げる意味でも、
ジョーンジーの曲作りに対するやる気はプラスに働いてもよかったはずなのだ。
しかし、大胆なシンセ導入や、リズムアレンジの奇天烈さと、
「おい、おい」と一言言ってもよかったんじゃないの、ペイジさん。
何を気使ってるの?
従来のハード路線を封印してまで、“らしさ”を消し去る必要があったのだろうか。
(次回作「CODA」に収録されるハード路線の“Ozone Baby”、“Darlene”、
“Wearing And Tearing”をボツにしてまでも)
それと、プラントのペイジ離れの始まりだ。
数々の名曲を生み出してきた黄金のタッグが危うくなってきた。
それは曲作りでも明らかで、「ペイジ-プラント」の曲は、
プラントがエルビスを気取り、ペイジのもつれ気味のプレイがズッコケる、
エセ・カントリー&ウエスタン“Hot Dog”だけじゃなぁ~。
ジョーンジーが曲作りに加わるようになったのはいいにしろ、
プラントのシャウトばかりじゃなく、亡き息子に捧げた“All My Love”のような、
ソウルフルな曲も歌いたいという願望は、
ペイジより、ジョーンジーに擦り寄っていったのではないか。
(気を使っていたのは、プラントに向けてだったのかもしれない)
アルバムのバランスや方向性を考えた上で、
(アナログ当時の時間の関係もあっただろうが)
このハードな3曲を泣く泣くボツにしてしまったペイジだが、
私はこの3曲を加えた「完全版」というテープを作って、よく聴いてました。
“In The Evening”のモヤモヤとした陶酔の世界から始まり、
様々なリズムを駆使した曲や、大胆にシンセ・アレンジした曲に、
ハードな曲を絡めて、プラントのソウルフルな静けさの後に、
ZEP史上屈指のハード・ドライブな“Wearing And Tearing”で締めるみたいな。
でも、ペイジはあえてしなかった。
それはアルバムの“質”より、バンドの“和”を選んだのではないか。
このレコーディングの後、ペイジはボンゾと次回は逆襲とばかりに、
ハードでソリッドな作品にしようと約束したそうだ。
しかし、永遠に叶うことはなかったが・・。
次回の“糧”として担うはずだったこのアルバム。
ラスト作にしては、あまりに荷が重過ぎる。
重ね重ね、これが残念でならない。






In The Evening (イン・ジ・イヴニング)
South Bound Suarez (サウス・バウンド・サウレス)
Fool In The Rain (フール・イン・ザ・レイン)
Hot Dog (ホット・ドッグ)
Carouselambla (ケラウズランブラ)
All My Love (オール・マイ・ラヴ)
I'm Gonna Crawl (アイム・ゴナ・クロール)
セピア色に古ぼけた薄暗い酒場の中の7人。
火を付けた白いスーツの男を中心に彼に向けられた視線の角度から、
6種類のジャケットが生まれた。
(裏ジャケは火を付ける前のカットなんで、合わせれば12種類ある)
また、“おまけ心”をくすぐるように茶袋に入れて発売して、
買って開封しないと、どのカットかわからないという、
なんとも人を食ったようなアイデアだった。
もちろん、制作はデザイン・アート集団ヒプノシスによるものだ。
(あなたはどのジャケでした? 私は左下のカットでした。
でも中には、全部揃えたツワモノも多々いるかと。)
しかし、中身はというと・・、
とかくこのアルバム、ZEPファンには人気がないというか、
イマイチというか、評判がよくないのだ。
「あんなのはZEPじゃない」とか、やれ“散漫”だの“失敗作”だの、
「駄作」と言い切る奴までいる。(何もそこまで言わんでもいいと思うんだけど・・)
私の見解はと申しますと、 う~ん・・。
ZEP唯一のR&Bアルバムというか。
ペイジの持つグルーヴ重視の作風から、ジョーンジーのリズム重視の作風にした結果、
試行錯誤の末、「次回作が楽しみだったのに」という思いを募らせる、
発展途上作になってしまった感じなんかなと。
でも、けっして嫌いじゃなく、むしろよく聴いたアルバムでした。
(ちょっと、小細工しましたが・・)
でも、絶対名盤ではないし、ZEPの代表作でもない。
ただ言えることは、これがZEPの事実上最後の作品になってしまったことだ。
まさか、そうなるとは思ってなかったにしろ、
このラスト作を、あれやこれや文句を言われることが悲しくてならんのです。
(あぁボンゾよ。 なぜにボンゾ・・。)
否定派の気持ちも良く解かるんです。
ZEPにやたらシンセを多用するシンフォニック・ロックなんて似合いっこないし、
ヘヴィーなリフを弾かないペイジなんて、
雄叫びを上げずシャウトしないプラントなんて、
大人しくリズムを刻むボンゾなんて・・、
ZEPなんかじゃねぇ~!!
ごもっとも。 よくわかります。
ペイジは、悩んでいたのではないか。
ポイントは、2点ある。
まずは、ジョーンジーに舵取りを任せてしまったことだ。
これは、けっして悪いわけじゃなく、ZEPの音楽性のレンジを拡げる意味でも、
ジョーンジーの曲作りに対するやる気はプラスに働いてもよかったはずなのだ。
しかし、大胆なシンセ導入や、リズムアレンジの奇天烈さと、
「おい、おい」と一言言ってもよかったんじゃないの、ペイジさん。
何を気使ってるの?
従来のハード路線を封印してまで、“らしさ”を消し去る必要があったのだろうか。
(次回作「CODA」に収録されるハード路線の“Ozone Baby”、“Darlene”、
“Wearing And Tearing”をボツにしてまでも)
それと、プラントのペイジ離れの始まりだ。
数々の名曲を生み出してきた黄金のタッグが危うくなってきた。
それは曲作りでも明らかで、「ペイジ-プラント」の曲は、
プラントがエルビスを気取り、ペイジのもつれ気味のプレイがズッコケる、
エセ・カントリー&ウエスタン“Hot Dog”だけじゃなぁ~。
ジョーンジーが曲作りに加わるようになったのはいいにしろ、
プラントのシャウトばかりじゃなく、亡き息子に捧げた“All My Love”のような、
ソウルフルな曲も歌いたいという願望は、
ペイジより、ジョーンジーに擦り寄っていったのではないか。
(気を使っていたのは、プラントに向けてだったのかもしれない)
アルバムのバランスや方向性を考えた上で、
(アナログ当時の時間の関係もあっただろうが)
このハードな3曲を泣く泣くボツにしてしまったペイジだが、
私はこの3曲を加えた「完全版」というテープを作って、よく聴いてました。
“In The Evening”のモヤモヤとした陶酔の世界から始まり、
様々なリズムを駆使した曲や、大胆にシンセ・アレンジした曲に、
ハードな曲を絡めて、プラントのソウルフルな静けさの後に、
ZEP史上屈指のハード・ドライブな“Wearing And Tearing”で締めるみたいな。
でも、ペイジはあえてしなかった。
それはアルバムの“質”より、バンドの“和”を選んだのではないか。
このレコーディングの後、ペイジはボンゾと次回は逆襲とばかりに、
ハードでソリッドな作品にしようと約束したそうだ。
しかし、永遠に叶うことはなかったが・・。
次回の“糧”として担うはずだったこのアルバム。
ラスト作にしては、あまりに荷が重過ぎる。
重ね重ね、これが残念でならない。
ロックの巨神、衝撃の船出。
LED ZEPPELIN
LED ZEPPELIN
<
Good Times Bad Times (グッド・タイムス・バッド・タイムス)
Baby I'm Gonna Leave You (ゴナ・リーヴ・ユー)
You Shook Me (ユー・シュック・ミー)
Dazed And Confused (幻惑されて)
Your Times Is Gonna Come (時が来たりて)
Black Mountain Side (ブラック・マウンテン・サイド)
Communication Breakdown (コミュニケイション・ブレイクダウン)
I Can't Quit You Baby (君から離れられない)
How Many More Times (ハウ・メニー・モア・タイムス)
そろそろ、書いてもいいかな・・。
思い入れが強すぎるばかり、あえて触れてこなかったんだけど。
輝かしいロックの未来の扉を開けたこの大傑作こそ、
新年第一弾に、これほど相応しいものはなかろう。
ジミー・ペイジが、こう語っていたそうだ。
「このファーストこそ、ツェッペリンの全てが詰まっている。
後はこれを、どのように発展させていくかだけだった。 」
ロックの歴史は、偶然と必然を繰り返しながら、数々の奇跡を生み出してきた。
長男(クラプトン)が去り、次男(ベック)も、可能性を求めて離れていき、
問題を抱えたまま、崩壊寸前のヤードバーズを支えた三男坊ジミー・ペイジ。
彼がライブやスタジオワークで、温めてきたアイデアやヴィジョンは、
当時のヤードバーズの土壌では、培うことができなかった。
どんどんメンバーが脱退するのが転じて、ロバート・プラント(vo)が参加し、
彼の推薦で、ジョン・ボーナム(ds)を口説き落とし、旧友である、
テクニシャンのジョン・ポール・ジョーンズ(b)を迎え入れて、
“ニュー・ヤードバーズ”は誕生した。
偶然の産物なのか、はたまた運命なのか。
ペイジの構想を具現化するには、この4人なくして有り得なかった。
やがて彼らは、“鉛のツェッペリン号”という飛行船を名乗り、
それは、衝撃の船出でもあった。
完成まで、わずか30時間。
ペイジのプロデュース、エンジニアは、あのグリン・ジョンズ。
既に、細部まで練り上げた上とはいえ、驚異的な時間だ。
いかに、高いテンションと集中力の中でのレコーディングだったかが想像できる。
私にとって、「Ⅰ」は、“グッド・タイムス・バッド・タイムス”に尽きる。
ペイジの強烈すぎる多重録音(ユニゾンなのに!)によるリフと、
溜めに溜め込んだパワーを一気に爆発させるギター・ソロを、
ジョーンジーのブレイクを巧みに使ったベース・ラインと、
ボンゾのパワフルで迫力満点のドラミングで支えて、
自由奔放に情感をコントロールしつつシャウトするプラント。
この2’47”で、ロックの未来は約束されたようなものだ。
この「Ⅰ」は、“ユー・シュック・ミー”や“君から離れられない”など、
ブルース色が濃いアルバムだと言われている。
ただ興味深いのは、ブルースに対するアプローチが、全く異質であるという点だ。
基本は、モダン・ブルース(シカゴ系)なんだけど、黒人に対する情景の念から、
なぞる(パクる)わけでなく、あくまでも、フィーリングを拝借する素材でしか、
とらえていないことだ。(しかし、見事にモノにしてしまってる)
イコール、己(ペイジ)のヘヴィーネスを探求するいい材料でありヒントでもあった。
だから、クラプトンやストーンズのように、ルーツを深く追求していく姿勢を、
彼らから感じ取ることができない。
また、“ゴナ・リーヴ・ユー”にあるような、トラッド・フォークに対する解釈も、
中間部からエレクトリックに料理して、全く別の代物にしてしまっているし、
“ブラック・マウンテン・サイド”は、アコースティックにタブラのような、
インド系ワールド・ミュージックのスパイスを加えて、
後のエスニックと融合しようとする指標が、既に伺える。
ZEPの初期というと、HR/HMの元祖として引き合いに出される場合が多いが、
断じて違う。 そんなもんじゃねぇ。
このように、ロックの可能性を無限大にまで拡げて、
多大なる遺産を残した巨神であるのだ。
冒頭のペイジの言葉通り、そのプロトタイプが「Ⅰ」にある。
それは、偶然が必然に変わった奇跡であり、ロックの歴史で、
実り多く、激動の70年代への離陸でもあった。
<

Good Times Bad Times (グッド・タイムス・バッド・タイムス)
Baby I'm Gonna Leave You (ゴナ・リーヴ・ユー)
You Shook Me (ユー・シュック・ミー)
Dazed And Confused (幻惑されて)
Your Times Is Gonna Come (時が来たりて)
Black Mountain Side (ブラック・マウンテン・サイド)
Communication Breakdown (コミュニケイション・ブレイクダウン)
I Can't Quit You Baby (君から離れられない)
How Many More Times (ハウ・メニー・モア・タイムス)
そろそろ、書いてもいいかな・・。
思い入れが強すぎるばかり、あえて触れてこなかったんだけど。
輝かしいロックの未来の扉を開けたこの大傑作こそ、
新年第一弾に、これほど相応しいものはなかろう。
ジミー・ペイジが、こう語っていたそうだ。
「このファーストこそ、ツェッペリンの全てが詰まっている。
後はこれを、どのように発展させていくかだけだった。 」
ロックの歴史は、偶然と必然を繰り返しながら、数々の奇跡を生み出してきた。
長男(クラプトン)が去り、次男(ベック)も、可能性を求めて離れていき、
問題を抱えたまま、崩壊寸前のヤードバーズを支えた三男坊ジミー・ペイジ。
彼がライブやスタジオワークで、温めてきたアイデアやヴィジョンは、
当時のヤードバーズの土壌では、培うことができなかった。
どんどんメンバーが脱退するのが転じて、ロバート・プラント(vo)が参加し、
彼の推薦で、ジョン・ボーナム(ds)を口説き落とし、旧友である、
テクニシャンのジョン・ポール・ジョーンズ(b)を迎え入れて、
“ニュー・ヤードバーズ”は誕生した。
偶然の産物なのか、はたまた運命なのか。
ペイジの構想を具現化するには、この4人なくして有り得なかった。
やがて彼らは、“鉛のツェッペリン号”という飛行船を名乗り、
それは、衝撃の船出でもあった。
完成まで、わずか30時間。
ペイジのプロデュース、エンジニアは、あのグリン・ジョンズ。
既に、細部まで練り上げた上とはいえ、驚異的な時間だ。
いかに、高いテンションと集中力の中でのレコーディングだったかが想像できる。
私にとって、「Ⅰ」は、“グッド・タイムス・バッド・タイムス”に尽きる。
ペイジの強烈すぎる多重録音(ユニゾンなのに!)によるリフと、
溜めに溜め込んだパワーを一気に爆発させるギター・ソロを、
ジョーンジーのブレイクを巧みに使ったベース・ラインと、
ボンゾのパワフルで迫力満点のドラミングで支えて、
自由奔放に情感をコントロールしつつシャウトするプラント。
この2’47”で、ロックの未来は約束されたようなものだ。
この「Ⅰ」は、“ユー・シュック・ミー”や“君から離れられない”など、
ブルース色が濃いアルバムだと言われている。
ただ興味深いのは、ブルースに対するアプローチが、全く異質であるという点だ。
基本は、モダン・ブルース(シカゴ系)なんだけど、黒人に対する情景の念から、
なぞる(パクる)わけでなく、あくまでも、フィーリングを拝借する素材でしか、
とらえていないことだ。(しかし、見事にモノにしてしまってる)
イコール、己(ペイジ)のヘヴィーネスを探求するいい材料でありヒントでもあった。
だから、クラプトンやストーンズのように、ルーツを深く追求していく姿勢を、
彼らから感じ取ることができない。
また、“ゴナ・リーヴ・ユー”にあるような、トラッド・フォークに対する解釈も、
中間部からエレクトリックに料理して、全く別の代物にしてしまっているし、
“ブラック・マウンテン・サイド”は、アコースティックにタブラのような、
インド系ワールド・ミュージックのスパイスを加えて、
後のエスニックと融合しようとする指標が、既に伺える。
ZEPの初期というと、HR/HMの元祖として引き合いに出される場合が多いが、
断じて違う。 そんなもんじゃねぇ。
このように、ロックの可能性を無限大にまで拡げて、
多大なる遺産を残した巨神であるのだ。
冒頭のペイジの言葉通り、そのプロトタイプが「Ⅰ」にある。
それは、偶然が必然に変わった奇跡であり、ロックの歴史で、
実り多く、激動の70年代への離陸でもあった。
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