仁義なき兄弟ゲンカの末には・・。
Whatever oasis

(JAPANESE EP)
Whatever
(It's Good)to Be Free
Fade Away
Listen Up
Half The World Away
I Am The Walrus
(Live at the Glasgow Cathouse)
ついに、ノエルが辞めちまった・・。 ん~・・。 でも仕方ないか。
いい音してたのになぁ、こいつら。 これは、致命的だよ・・。
「 今夜オアシスを脱退する。 悲しいことだが、気持ちがとても楽になった。
世間の人は好き勝手なことを言ったり書いたりするだろうが、
僕はもうこれ以上リアムと一緒に活動はできない。 それだけだ。 」

「 細かいことは重要ではないし、(脱退した理由は)あまりに多すぎて、
全部挙げていたらきりがないほどだ。でも皆には知る権利があると思う。
僕や家族、友人、仲間に対する言葉や暴力による脅しが耐えられないほど
ひどくなっていたし、マネージメント側やバンドのメンバーからのサポートも
なかった。 だから、ここを離れて新しい活動の場を見つける以外に
選択肢がなかった。 」
8月29日発表された、ノエル・ギャラガーのオアシス脱退の正式コメントだ。
こいつら兄弟は、昔からほんとに仲が悪かったからなぁ・・。
そのエピソードをひとつひとつ挙げていくと、ほんとにキリがない。
兄ノエルが一時的でも離脱したり、弟リアムが抜けたり、また戻ったり・・。
過去にヤバい時期が何度もあったし、解散寸前までいったこともあったんで、
また今回も、気が変わって、また戻ってくるんじゃないのとも思ったんだけど、
今度こそは、その可能性はゼロだ。 との認識でいいらしい。
結論づけてしまうけど、終わったね。 オアシスは。
もともと前身のバンドは、既に脱退してるボーンヘッドとギグジーらで構成してた
「ザ・レイン」ってバンドに、クビにしたヴォーカリストの後任にリアムが加入して、
「オアシス」ってバンド名に変えさせる。 そして、初ライブを観た、当時、
インスパイラル・カーペットのギター・テクニシャンだったノエルが彼らを酷評。
「そんなにヘタクソって言うんなら、ここに加わって、マシなバンドにしてみろ」と、
キレたリアム。 最初は渋ったが、「俺の凄さはこんなもの」とばかりに、
オリジナルを数曲披露。 ド肝を抜かれたオアシスの面々に加入を懇願され、
事実上のリーダーとして、オアシスに加入することになる。

ノエルが加入したオアシスは、デモ作りに没頭。 メキメキと頭角を現す。
そして、クリエーション・レコードの社長アラン・マッギーとの出会いによって契約。
94年11月“Supersonic”でデビュー。 90年代初めの英国でのブリット・ポップ
ムーブメントの波に(これはマスコミが作りあげたもんだけど)うまく乗り、
怒涛のシングル攻勢で勢いづき、(憎っくきあのブラーとの確執にもケリをつけ)
1stアルバム「DEFINITELY MAYBE」は、最も売れたデビュー・アルバムとして、
全英1位を獲得するに至る。 以降の活躍、飛躍ぶりは知っての通り。
ノエルがいなかったら、オアシスはここまでのバンドにはならなかったワケだ。
ただ今回は、5枚目のシングルで、ノエル自身、とても大事にしてるこの曲を書く。
オアシスを知らない人、洋楽を知らない人でも知ってる、あの素晴らしい曲だ。
実はデビュー前からノエルが書いていた曲だったが、1st制作時にレコーディング
しようとの提案にも、金銭的理由から思い描くストリングス・アレンジが出来ない
とのことでボツに。 その後、1stアルバムのメガ・ヒットで再度レコーディングされ、
94年末にリリース。 初の全英3位を記録した。
この“Whatever”は、アルバムどころか、ベスト盤にも収録されてはいない。
( ちなみに、この曲はビートルズのパロディ・バンドのTHE RUTLESで有名な
ニール・イネスから、彼の曲である“How Sweet To Be An Idiot”に
「♪I'm Free~」の部分のメロディが似ていると指摘され、裁判に持ち越さず、
示談によって、クレジットはノエルとニール・イネスの共作の形で収まってる )
現存するバンドで、ビートルズの遺伝子が最もピュアな形で伝承してるバンドは
こいつら「オアシス」だと思ってるけど、メロディの洗練さ、歌詞の想像性、
鼻にかかるんだけど、リアムの毒があっても伸びやかなヴォーカル、
そして、あのストリングスの調べに、長さを感じさせない曲構成。
名曲っていうよりは、“素晴らしい曲”と言った方が的を得てると思う。
この曲の、一番スゴいところは、「完璧なる融合」そのもの。
ビートルズもクラシック(特にバロック音楽)との類似点を指摘されてきたけど、
この“Whatever”はそのビートルズとバロック音楽が完璧に融合してる。
90年代の“All You Need Is Love”と言われている所以もここにある。
このストリングスの調べは、近代ロック史の中で最も美しい曲だと言っていい。
(ただ高音のミックスがイマイチなんで、少々耳障りに聴こえるとこが難点。
ノエル、早くリマスターしてくれ!)
ライブでは、このアレンジは再現が困難なんで、最近はセットから外されてるが、
日本のステージでは、ノエルがよく弾き語って唄ってくれる。 (サービスかな)
その心意気、嬉しいじゃないの。 コレが、また泣けるんだ。
この日本盤シングルは、英国での4thシングル“Cigarettes And Alcohol”の
カップリング2曲を特別収録した、いいとこ取り仕様。
どの曲もクオリティが高く、アルバムから外したなんて、“余裕”すら感じさせる。
やっぱ特筆すべきは、“I Am The Walrus”のほぼ完コピのライブ・カバー。
(初期のオアシスは、ライブのアンコールは一切なし。 時間も約1時間。
ラストはこれで締めるのが定番。 でも、これがクールで決まってんだ、コレ)
でも、よくよく考えると、コレ、67年のジョンの曲なんだよね。
あの時代に、こんな斬新でぶっ飛んだ曲を書いてたなんて・・。 恐るべし才能。
彼らの名曲として誉れ高い“Don't Look Back In Anger”。
この曲は、ヴォーカルをどちらが取るかで、大喧嘩となった曰く付きの曲。
しかし結局、この曲だけは、ノエルはリアムに譲ることはなかった。
ノエルよ、“怒れる者は、振り返らず”か・・。

(JAPANESE EP)
Whatever
(It's Good)to Be Free
Fade Away
Listen Up
Half The World Away
I Am The Walrus
(Live at the Glasgow Cathouse)
ついに、ノエルが辞めちまった・・。 ん~・・。 でも仕方ないか。
いい音してたのになぁ、こいつら。 これは、致命的だよ・・。
「 今夜オアシスを脱退する。 悲しいことだが、気持ちがとても楽になった。
世間の人は好き勝手なことを言ったり書いたりするだろうが、
僕はもうこれ以上リアムと一緒に活動はできない。 それだけだ。 」

「 細かいことは重要ではないし、(脱退した理由は)あまりに多すぎて、
全部挙げていたらきりがないほどだ。でも皆には知る権利があると思う。
僕や家族、友人、仲間に対する言葉や暴力による脅しが耐えられないほど
ひどくなっていたし、マネージメント側やバンドのメンバーからのサポートも
なかった。 だから、ここを離れて新しい活動の場を見つける以外に
選択肢がなかった。 」
8月29日発表された、ノエル・ギャラガーのオアシス脱退の正式コメントだ。
こいつら兄弟は、昔からほんとに仲が悪かったからなぁ・・。
そのエピソードをひとつひとつ挙げていくと、ほんとにキリがない。
兄ノエルが一時的でも離脱したり、弟リアムが抜けたり、また戻ったり・・。
過去にヤバい時期が何度もあったし、解散寸前までいったこともあったんで、
また今回も、気が変わって、また戻ってくるんじゃないのとも思ったんだけど、
今度こそは、その可能性はゼロだ。 との認識でいいらしい。
結論づけてしまうけど、終わったね。 オアシスは。
もともと前身のバンドは、既に脱退してるボーンヘッドとギグジーらで構成してた
「ザ・レイン」ってバンドに、クビにしたヴォーカリストの後任にリアムが加入して、
「オアシス」ってバンド名に変えさせる。 そして、初ライブを観た、当時、
インスパイラル・カーペットのギター・テクニシャンだったノエルが彼らを酷評。
「そんなにヘタクソって言うんなら、ここに加わって、マシなバンドにしてみろ」と、
キレたリアム。 最初は渋ったが、「俺の凄さはこんなもの」とばかりに、
オリジナルを数曲披露。 ド肝を抜かれたオアシスの面々に加入を懇願され、
事実上のリーダーとして、オアシスに加入することになる。

ノエルが加入したオアシスは、デモ作りに没頭。 メキメキと頭角を現す。
そして、クリエーション・レコードの社長アラン・マッギーとの出会いによって契約。
94年11月“Supersonic”でデビュー。 90年代初めの英国でのブリット・ポップ
ムーブメントの波に(これはマスコミが作りあげたもんだけど)うまく乗り、
怒涛のシングル攻勢で勢いづき、(憎っくきあのブラーとの確執にもケリをつけ)
1stアルバム「DEFINITELY MAYBE」は、最も売れたデビュー・アルバムとして、
全英1位を獲得するに至る。 以降の活躍、飛躍ぶりは知っての通り。
ノエルがいなかったら、オアシスはここまでのバンドにはならなかったワケだ。
ただ今回は、5枚目のシングルで、ノエル自身、とても大事にしてるこの曲を書く。
オアシスを知らない人、洋楽を知らない人でも知ってる、あの素晴らしい曲だ。
実はデビュー前からノエルが書いていた曲だったが、1st制作時にレコーディング
しようとの提案にも、金銭的理由から思い描くストリングス・アレンジが出来ない
とのことでボツに。 その後、1stアルバムのメガ・ヒットで再度レコーディングされ、
94年末にリリース。 初の全英3位を記録した。
この“Whatever”は、アルバムどころか、ベスト盤にも収録されてはいない。
( ちなみに、この曲はビートルズのパロディ・バンドのTHE RUTLESで有名な
ニール・イネスから、彼の曲である“How Sweet To Be An Idiot”に
「♪I'm Free~」の部分のメロディが似ていると指摘され、裁判に持ち越さず、
示談によって、クレジットはノエルとニール・イネスの共作の形で収まってる )
現存するバンドで、ビートルズの遺伝子が最もピュアな形で伝承してるバンドは
こいつら「オアシス」だと思ってるけど、メロディの洗練さ、歌詞の想像性、
鼻にかかるんだけど、リアムの毒があっても伸びやかなヴォーカル、
そして、あのストリングスの調べに、長さを感じさせない曲構成。
名曲っていうよりは、“素晴らしい曲”と言った方が的を得てると思う。
この曲の、一番スゴいところは、「完璧なる融合」そのもの。
ビートルズもクラシック(特にバロック音楽)との類似点を指摘されてきたけど、
この“Whatever”はそのビートルズとバロック音楽が完璧に融合してる。
90年代の“All You Need Is Love”と言われている所以もここにある。
このストリングスの調べは、近代ロック史の中で最も美しい曲だと言っていい。
(ただ高音のミックスがイマイチなんで、少々耳障りに聴こえるとこが難点。
ノエル、早くリマスターしてくれ!)
ライブでは、このアレンジは再現が困難なんで、最近はセットから外されてるが、
日本のステージでは、ノエルがよく弾き語って唄ってくれる。 (サービスかな)
その心意気、嬉しいじゃないの。 コレが、また泣けるんだ。
この日本盤シングルは、英国での4thシングル“Cigarettes And Alcohol”の
カップリング2曲を特別収録した、いいとこ取り仕様。
どの曲もクオリティが高く、アルバムから外したなんて、“余裕”すら感じさせる。
やっぱ特筆すべきは、“I Am The Walrus”のほぼ完コピのライブ・カバー。
(初期のオアシスは、ライブのアンコールは一切なし。 時間も約1時間。
ラストはこれで締めるのが定番。 でも、これがクールで決まってんだ、コレ)
でも、よくよく考えると、コレ、67年のジョンの曲なんだよね。
あの時代に、こんな斬新でぶっ飛んだ曲を書いてたなんて・・。 恐るべし才能。
彼らの名曲として誉れ高い“Don't Look Back In Anger”。
この曲は、ヴォーカルをどちらが取るかで、大喧嘩となった曰く付きの曲。
しかし結局、この曲だけは、ノエルはリアムに譲ることはなかった。
ノエルよ、“怒れる者は、振り返らず”か・・。
おバカな奴らも、気づけば最強。
STADIUM ARCADIUM
RED HOT CHILI PEPPERS

[ JUPITER ] [ MARS ]
Dani California Desecration Smile
Snow (Hey Oh) Tell Me Baby
Charlie Hard To Concentrate
Stadium Arcadium 21st Century
Hump De Bump She Looks To Me
She’s Only 18 Readymade
Slow Cheetah If
Torture Me Make You Feel Better
Strip My Mind Animal Bar
Especially In Michigan So Much I
Warlocks Storm In A Teacup
C’mon Girl We Believe
Wet Sand Turn In Again
Hey Death Of A Martian
歳をとるってのは、嫌なことばっかりじゃない。
40に近くなってきたら、何かとマイナス要素が増えてくるように思ってたんだけど。
(この歳に応じる自覚って言っても、100%ないんだけど・・)
でも、過去にいくらバカやったとしても、若気の至りって言葉が通用するように、
歳を刻むことで、心も自然に丸くなっていくもんです。
これって嫌なことじゃない。 人として大事なこと。
ファンクかぶれでケッタイな奴らでも、40越したら、
こうも風格と余裕みたいなものがでてくるんだね。
まず、2枚組を出そうとする発想自体、時代に逆行してる。
(アンソニーも「インターネット主流の時代で、最後のチャンス」って言ってた)
ロックという音楽は、“2枚組”という優れた名盤を数々生み出してきた。
しかし、音楽という媒体をソフトから、メディアやダウンロードで手に入れる形が、
ここまで普及してしまうと、残念だけど、アーチスト側から見ると、
アンソニーの言葉通りになってしまうのだろう。
(ダウンロードなんて、曲数や曲順、アルバムのコンセプトやストーリー性とか、
まるっきり無視して、好きな曲を好きなだけ取れる(買える)もんね)
あふれてくるメロディやリフで、どんどん曲が出来て、とても1枚では収まりきれず、
アーチストが、その才能やアイデアやコンセプトを最高の形で表現する、
それが、2枚組の醍醐味だ。
そして、レッチリの2枚組だ。(これには賛否両論なんだけど)
まず、初めてこのニュースを聞いた時は、
「ますますジョンのカラーが強くなっていくのかなぁ・・」と思ったんだけど、
やっぱり思ったとおり、ジョンのどんどん湧き出てくるアイデアと曲に、
他のメンバーもその勢いに押されて、この大作が出来上がったようだ。
案の定、「CALIFORNICATION」、「BY THE WAY」に続く、ジョンのカラーの強い、
3部作となった。 (これが賛否の分かれるとこなんだけど)
この作品のレコーディングは、ハリウッドにある1920年代の古い屋敷を使ったそう。
それは、「BLOOD SUGAR SEX MAGIK」('91)を録音した場所とのこと。
同時に、プロデューサーのリック・ルービンと一緒に始めた場所でもある。
やっぱ、場所は大事。 あの大傑作が完成した場所だ。
再び、傑作が生まれる可能性大。 しかも2枚組のヴォリュームだ。
でも正直、「BLOOD SUGAR SEX MAGIK」は超えられなかった。
しかし、今のレッチリにしか成し得ない形での“傑作”が生み出せたと思う。
(JUPITER)と(MARS)と名付けて分けられた2枚。
JUPITER(木星)の方は、壮大なスケールをイメージさせる、ドラマティックな展開で、
MARS(火星)の方は、武装や争いをイメージさせるから、混沌とした配列なのかな。
ただ第一印象は、「地味」。
“Give It Away”や“Suck My Kiss”みたいな、一撃必殺チューンはない。
けど、さすがはレッチリ。 壮大かつ様々なスタイルで一気に聴かせてしまう。
基本は、“Hump de Pump”、“Tell Me Baby”、“Storm In A Teacup”みたいな、
お得意の軽快なファンク・チューンなんだけど、
変速ファンクの“Charlie”、壮大な展開で圧倒されるタイトル曲に、
ジョンの官能的なギターが響き渡る“Wet Sand”や、
レッチリ流必殺バラード“Desecration Smile ”に、
強烈なヘヴィー・ファンク“Readymade”から、
“Strip My Mind”や“If”、“Make You Feel Better”などの、
メロウでセンチなジョンの醸し出す、黄昏チューンも盛り込んだ、
四十路過ぎた“今”のレッチリの集大成だ。
ファースト・シングルの“Dani California”なんて、もろ王道のロック・チューン。
過去のロック・スターを茶化したようなヴィデオなんか、奴らっぽいけど、
堂々としたもんで、骨太で貫禄あるもんなぁ。 やっぱカッコいい。
「ハジけてないレッチリなんて」とか、「落ち着いたらつまんない」という声もある。
でも、いつまでも子供でなんていられないんですよ。
そんな人は、ずっと「MOTHER'S MILK」や「BLOOD SUGAR・・」を聴いてればいい。
いい意味でも悪い意味でも、ジョン・フルシアンテ(g)の存在が、
レッチリの方向性と推進力を担ってきたと言ってもいいと思う。
ある意味、ジョンは「BLOOD SUGAR SEX MAGIK」で燃え尽きてしまったのかも。
あんな凄いアルバムを作ってしまったばかりに、その余韻と脱力感にひたり、
あげくに、憧れのバンドで活躍できたことと引き換えに、ビッグになっていくことと、
周りからの重圧に耐えられなくなり、突然バンドを辞め、ジャンキーになり、
引きこもってしまうのも無理なかったんだろう。
ただレッチリは、ジョンを必要としていた。
彼が復帰後の作品を聴けば分かるように、哀愁と苦悩を描き出す作風は、
新たな方向性と変化を呼び込んで、更にメジャーに引き上げることになるわけだし。
しかし、ジョンとフリー(b)の仲が悪くなってしまってたらしい。
あんなに仲が良かったのに、と思ったけど、音楽的主導権は民主的なバンドだから、
トラブルにはならなくても、間違いなくジョンのセンスと多彩なアイデアは、
レッチリを引っかき回している。
(フリーは、もっとファンキーにハジけたかったかもしれないなぁ。)
もうレッチリは、ロック・シーンの新たな境地を切り開いていく役目は済んだと思う。
だからこそ、もっと自由に幅広く、いろんな楽曲に挑んでいって欲しい。
ケッタイな奴らも、今じゃ枯れたオヤジ。
おバカな奴らも、気づけば最強と言われる。
なんて、幸せな奴らなんでしょ。

[ JUPITER ] [ MARS ]
Dani California Desecration Smile
Snow (Hey Oh) Tell Me Baby
Charlie Hard To Concentrate
Stadium Arcadium 21st Century
Hump De Bump She Looks To Me
She’s Only 18 Readymade
Slow Cheetah If
Torture Me Make You Feel Better
Strip My Mind Animal Bar
Especially In Michigan So Much I
Warlocks Storm In A Teacup
C’mon Girl We Believe
Wet Sand Turn In Again
Hey Death Of A Martian
歳をとるってのは、嫌なことばっかりじゃない。
40に近くなってきたら、何かとマイナス要素が増えてくるように思ってたんだけど。
(この歳に応じる自覚って言っても、100%ないんだけど・・)
でも、過去にいくらバカやったとしても、若気の至りって言葉が通用するように、
歳を刻むことで、心も自然に丸くなっていくもんです。
これって嫌なことじゃない。 人として大事なこと。
ファンクかぶれでケッタイな奴らでも、40越したら、
こうも風格と余裕みたいなものがでてくるんだね。
まず、2枚組を出そうとする発想自体、時代に逆行してる。
(アンソニーも「インターネット主流の時代で、最後のチャンス」って言ってた)
ロックという音楽は、“2枚組”という優れた名盤を数々生み出してきた。
しかし、音楽という媒体をソフトから、メディアやダウンロードで手に入れる形が、
ここまで普及してしまうと、残念だけど、アーチスト側から見ると、
アンソニーの言葉通りになってしまうのだろう。
(ダウンロードなんて、曲数や曲順、アルバムのコンセプトやストーリー性とか、
まるっきり無視して、好きな曲を好きなだけ取れる(買える)もんね)
あふれてくるメロディやリフで、どんどん曲が出来て、とても1枚では収まりきれず、
アーチストが、その才能やアイデアやコンセプトを最高の形で表現する、
それが、2枚組の醍醐味だ。
そして、レッチリの2枚組だ。(これには賛否両論なんだけど)
まず、初めてこのニュースを聞いた時は、
「ますますジョンのカラーが強くなっていくのかなぁ・・」と思ったんだけど、
やっぱり思ったとおり、ジョンのどんどん湧き出てくるアイデアと曲に、
他のメンバーもその勢いに押されて、この大作が出来上がったようだ。
案の定、「CALIFORNICATION」、「BY THE WAY」に続く、ジョンのカラーの強い、
3部作となった。 (これが賛否の分かれるとこなんだけど)
この作品のレコーディングは、ハリウッドにある1920年代の古い屋敷を使ったそう。
それは、「BLOOD SUGAR SEX MAGIK」('91)を録音した場所とのこと。
同時に、プロデューサーのリック・ルービンと一緒に始めた場所でもある。
やっぱ、場所は大事。 あの大傑作が完成した場所だ。
再び、傑作が生まれる可能性大。 しかも2枚組のヴォリュームだ。
でも正直、「BLOOD SUGAR SEX MAGIK」は超えられなかった。
しかし、今のレッチリにしか成し得ない形での“傑作”が生み出せたと思う。
(JUPITER)と(MARS)と名付けて分けられた2枚。
JUPITER(木星)の方は、壮大なスケールをイメージさせる、ドラマティックな展開で、
MARS(火星)の方は、武装や争いをイメージさせるから、混沌とした配列なのかな。
ただ第一印象は、「地味」。
“Give It Away”や“Suck My Kiss”みたいな、一撃必殺チューンはない。
けど、さすがはレッチリ。 壮大かつ様々なスタイルで一気に聴かせてしまう。
基本は、“Hump de Pump”、“Tell Me Baby”、“Storm In A Teacup”みたいな、
お得意の軽快なファンク・チューンなんだけど、
変速ファンクの“Charlie”、壮大な展開で圧倒されるタイトル曲に、
ジョンの官能的なギターが響き渡る“Wet Sand”や、
レッチリ流必殺バラード“Desecration Smile ”に、
強烈なヘヴィー・ファンク“Readymade”から、
“Strip My Mind”や“If”、“Make You Feel Better”などの、
メロウでセンチなジョンの醸し出す、黄昏チューンも盛り込んだ、
四十路過ぎた“今”のレッチリの集大成だ。
ファースト・シングルの“Dani California”なんて、もろ王道のロック・チューン。
過去のロック・スターを茶化したようなヴィデオなんか、奴らっぽいけど、
堂々としたもんで、骨太で貫禄あるもんなぁ。 やっぱカッコいい。
「ハジけてないレッチリなんて」とか、「落ち着いたらつまんない」という声もある。
でも、いつまでも子供でなんていられないんですよ。
そんな人は、ずっと「MOTHER'S MILK」や「BLOOD SUGAR・・」を聴いてればいい。
いい意味でも悪い意味でも、ジョン・フルシアンテ(g)の存在が、
レッチリの方向性と推進力を担ってきたと言ってもいいと思う。
ある意味、ジョンは「BLOOD SUGAR SEX MAGIK」で燃え尽きてしまったのかも。
あんな凄いアルバムを作ってしまったばかりに、その余韻と脱力感にひたり、
あげくに、憧れのバンドで活躍できたことと引き換えに、ビッグになっていくことと、
周りからの重圧に耐えられなくなり、突然バンドを辞め、ジャンキーになり、
引きこもってしまうのも無理なかったんだろう。
ただレッチリは、ジョンを必要としていた。
彼が復帰後の作品を聴けば分かるように、哀愁と苦悩を描き出す作風は、
新たな方向性と変化を呼び込んで、更にメジャーに引き上げることになるわけだし。
しかし、ジョンとフリー(b)の仲が悪くなってしまってたらしい。
あんなに仲が良かったのに、と思ったけど、音楽的主導権は民主的なバンドだから、
トラブルにはならなくても、間違いなくジョンのセンスと多彩なアイデアは、
レッチリを引っかき回している。
(フリーは、もっとファンキーにハジけたかったかもしれないなぁ。)
もうレッチリは、ロック・シーンの新たな境地を切り開いていく役目は済んだと思う。
だからこそ、もっと自由に幅広く、いろんな楽曲に挑んでいって欲しい。
ケッタイな奴らも、今じゃ枯れたオヤジ。
おバカな奴らも、気づけば最強と言われる。
なんて、幸せな奴らなんでしょ。
ファンクかぶれでケッタイな奴ら。
BLOOD SUGER SEX MAGIK
RED HOT CHILI PEPERS

The Power Of Equality
If You Heve To Ask
Breaking The Girl
Funky Monks
Suck My Kiss
I Could Have Lied
Mellowship Slinky In B Major
The Righteous & The Wicked
Give It Away
Blood Suger Sex Magik
Under The Bridge
Naked In The Rain
Apache Rose Peacock
The Greeting Song
My Lonely Man
Sir Psycho Sexy
They're Red Hot
「なんだ、このケッタイな奴らは?」
大体、20年ぐらい前だったかな。
あのPファンクのジョージ・クリントンがプロデュースした2ndを聴いて、
また変なのが出てきたと思ったもんです。
ファンクなのか、ラップなのか、パンクなのか、メタルっぽいのもあるし。
そいでもって、露出狂で、やたら裸になるし。
その得体の知れないサウンドに、これからのロック・スタイルの変貌を予感してみるも、
正直、「これも今だけだろうな」と、あまり気にかけてなかった。
それが、どっこい。
不安定な時期もあったが、今では風格や余裕まで出てきて、
世界のトップクラスのロック・バンドにまで登りつめてしまった。
4年振りの大作「STADIUM ARCADIUM」は、世界中で1位を獲得。
オリコンだって、2週連続1位だったもんなぁ。
(まだ断片でしか聴いていないんですが、以後取り上げたく思う傑作だ!)
このバンドは、どかくドラッグで浮き沈みしてきたバンドだし、
特に、ギタリストは落ち着かないバンドだった。
オリジナル・ギタリストのヒレル・スロヴァクをヘロイン過多で失い、
ショックで、仲の良かったドラムのジャック・アイアンズも脱退。
新加入した若き天才ギタリスト、ジョン・フルシアンテも、ドラッグで不安定な、
精神状態で、突然バンドを辞めたり、(デイヴ・ナヴァロが加入するも、1枚でクビ)
また入ったりと、すったもんだあった。
やっぱ、レッチリの代表作っていえば、これだろう。
現在は、アンソニー・キーディス(vo)、フリー(b)、
ジョン・フルシアンテ(g)、チャド・スミス(ds)の4人に、
ようやく固定された。 これがベストだろう。
実は、これが初めて続けて同じメンバーで作ったアルバムなのだ。
今までは、ミクスチュア・ロックとかいう、ファンクやパンクやラップなんかを、
ごちゃ混ぜにしたアンダーグラウンドなイメージがつきまとう彼らが、
“Under The Bridge”という、故ヒレルを偲ぶような痛々しく切ない曲を、
大ヒットさせたこともあるように、メロディアスな曲も歌えるようになったのが、
成功の大きな理由だろう。
このアルバムは、ジョン6割、フリー4割のアイデアの結晶という。
ヘヴィー・ファンクからミドル・テンポやメロディアスなど、
緩急自在に畳み掛ける構成で、長さを感じさせないあっという間の74分だ。
“Give It Away”は彼らのファンクネスを凝縮した代表曲だ。
メロディアスな感性は、ジョンがバンドに取り入れたセンスだし、
彼がダイナミックでねちっこい肉感的なプレイに、エフェクトを効かせた、
歪んだ音色で攻め立てると、フリーのチョッパーを駆使したバカウマな、
ファンキー・ベースが掛け合わさり、メタル出身のチャドは土台を骨太に支え、
勢いまかせだったアンソニーも“歌心”を会得。
バンドのレンジを拡げると共に、“大人になった”瞬間だろう。
いや、大人になったのかなぁ?
確かに、レッチリ版「ホテ・カリ」と言われる「CALIFORNICATION」や、
次作「BY THE WAY」と、攻撃的イメージが後退して、哀愁や黄昏を感じさせる、
作品に、落ち着きや、ある意味“つまらなさ”を感じるとこもあるんだけど、
曲によっては、ジョンの鬼気迫るギターなど、落ち着きなど全くないし、
コーラスの導入も、節操のないジャンルの許容範囲の解釈も、
ジョンが中心となったレッチリの新しい魅力になったにすぎない。
大人になった・・ なわけないか。
頂点を極めた、このアルバムと、上記の2枚、そして、
メンバーのあふれ出すアイデア(特にジョン)を、とても1枚では収めきれず、
大作に仕上がった新作を聴きながら、改めて思った。

The Power Of Equality
If You Heve To Ask
Breaking The Girl
Funky Monks
Suck My Kiss
I Could Have Lied
Mellowship Slinky In B Major
The Righteous & The Wicked
Give It Away
Blood Suger Sex Magik
Under The Bridge
Naked In The Rain
Apache Rose Peacock
The Greeting Song
My Lonely Man
Sir Psycho Sexy
They're Red Hot
「なんだ、このケッタイな奴らは?」
大体、20年ぐらい前だったかな。
あのPファンクのジョージ・クリントンがプロデュースした2ndを聴いて、
また変なのが出てきたと思ったもんです。
ファンクなのか、ラップなのか、パンクなのか、メタルっぽいのもあるし。
そいでもって、露出狂で、やたら裸になるし。
その得体の知れないサウンドに、これからのロック・スタイルの変貌を予感してみるも、
正直、「これも今だけだろうな」と、あまり気にかけてなかった。
それが、どっこい。
不安定な時期もあったが、今では風格や余裕まで出てきて、
世界のトップクラスのロック・バンドにまで登りつめてしまった。
4年振りの大作「STADIUM ARCADIUM」は、世界中で1位を獲得。
オリコンだって、2週連続1位だったもんなぁ。
(まだ断片でしか聴いていないんですが、以後取り上げたく思う傑作だ!)
このバンドは、どかくドラッグで浮き沈みしてきたバンドだし、
特に、ギタリストは落ち着かないバンドだった。
オリジナル・ギタリストのヒレル・スロヴァクをヘロイン過多で失い、
ショックで、仲の良かったドラムのジャック・アイアンズも脱退。
新加入した若き天才ギタリスト、ジョン・フルシアンテも、ドラッグで不安定な、
精神状態で、突然バンドを辞めたり、(デイヴ・ナヴァロが加入するも、1枚でクビ)
また入ったりと、すったもんだあった。
やっぱ、レッチリの代表作っていえば、これだろう。
現在は、アンソニー・キーディス(vo)、フリー(b)、
ジョン・フルシアンテ(g)、チャド・スミス(ds)の4人に、
ようやく固定された。 これがベストだろう。
実は、これが初めて続けて同じメンバーで作ったアルバムなのだ。
今までは、ミクスチュア・ロックとかいう、ファンクやパンクやラップなんかを、
ごちゃ混ぜにしたアンダーグラウンドなイメージがつきまとう彼らが、
“Under The Bridge”という、故ヒレルを偲ぶような痛々しく切ない曲を、
大ヒットさせたこともあるように、メロディアスな曲も歌えるようになったのが、
成功の大きな理由だろう。
このアルバムは、ジョン6割、フリー4割のアイデアの結晶という。
ヘヴィー・ファンクからミドル・テンポやメロディアスなど、
緩急自在に畳み掛ける構成で、長さを感じさせないあっという間の74分だ。
“Give It Away”は彼らのファンクネスを凝縮した代表曲だ。
メロディアスな感性は、ジョンがバンドに取り入れたセンスだし、
彼がダイナミックでねちっこい肉感的なプレイに、エフェクトを効かせた、
歪んだ音色で攻め立てると、フリーのチョッパーを駆使したバカウマな、
ファンキー・ベースが掛け合わさり、メタル出身のチャドは土台を骨太に支え、
勢いまかせだったアンソニーも“歌心”を会得。
バンドのレンジを拡げると共に、“大人になった”瞬間だろう。
いや、大人になったのかなぁ?
確かに、レッチリ版「ホテ・カリ」と言われる「CALIFORNICATION」や、
次作「BY THE WAY」と、攻撃的イメージが後退して、哀愁や黄昏を感じさせる、
作品に、落ち着きや、ある意味“つまらなさ”を感じるとこもあるんだけど、
曲によっては、ジョンの鬼気迫るギターなど、落ち着きなど全くないし、
コーラスの導入も、節操のないジャンルの許容範囲の解釈も、
ジョンが中心となったレッチリの新しい魅力になったにすぎない。
大人になった・・ なわけないか。
頂点を極めた、このアルバムと、上記の2枚、そして、
メンバーのあふれ出すアイデア(特にジョン)を、とても1枚では収めきれず、
大作に仕上がった新作を聴きながら、改めて思った。
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