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黒人音楽の表現域を超越した、“神懸かりの楽園音楽”。 

     SONGS IN THE KEY OF LIFE   STEVIE WONDER

         

            DISK 1
       Love's In Need Of Love Today  ある愛の伝説
       Have A Talk With God  神とお話
       Village Ghetto Land  ヴィレッジ・ゲットー・ランド
       Confusion  負傷
       Sir Duke  愛するデューク
       I Wish  回想
       Knocks Me Off My Feet  孤独という名の恋人
       Pastime Paradise  楽園の彼方へ
       Summer Soft  今はひとりぼっち
       Ordinary Pain  出逢いと別れの間に
            DISK 2
       Isn't She Lovely  可愛いアイシャ
       Joy Inside My Tears  涙のかたすみで
       Black Man  ブラック・マン
       Ngiculela - Es Una Historia -I Am Singing  歌を歌えば
       If It's Magic  イフ・イッツ・マジック
       As  永遠の誓い
       Another Star  アナザー・スター
            EP
       Saturn  土星
       Ebony Eyes  エボニー・アイズ
       All Day Sucker  嘘と偽りの日々
       Easy Goin' Evening (My Mama's Call)
                  イージー・ゴーイン・イブニング

 今年の「サマーソニック2010」に、あのスティーヴィー・ワンダーが登場しましたよね。
 堂々のヘッドライナーとして、通算15回目の来日を果たし、見事なステージを披露した。
 「えっ!? ほんとかなぁ・・。 大丈夫なん?」 
 初めてこのニュースを知った時は、今年の英グランストンベリー・フェスでの大トリで
 登場して、大成功したとはいえ、今年還暦を迎える御大。 年齢的にも、体力的にも、
 猛暑、いや大酷暑だった今年の日本の野外ステージなんて・・、と思ってました。

 ところが、想像以上に素晴らしすぎる感動的なステージ・パフォーマンスで、
 その場にいられた方は、幸せな時間を過ごして、今年のキツかった夏を“最高の夏”で
 締めくくれたのではないかと思います。  羨ましい限りです・・。

 「神」 「愛」 「怒り」 「自由」 「平等」。
 彼の音楽の基本精神は、この5つの文字に凝縮されていると思ってる。

 「 僕らは一生忠誠を誓う。
   赤、青、白の魔法の色に向かって、(自由、平等、博愛を象徴する3色)
   僕らが支持する自由は、全員に与えられなければならない。
   なぜなら、この世界は万人のために作られたからなのだ。    」

 甘くロマンティックな“愛の世界”の伝道師のイメージが、昨今ではつきまとうが、
 “Black Man”でこう歌うスティーヴィーの怒りと魂の叫びこそ、真の“愛のメッセージ”
 であることを感じるべきだ。

 恐れ多過ぎて、なかなかペンが進みませんでした。
 彼のことを書くのは、“これまた”5年ぶりになります。
 今宵は、黒人音楽の革命的偉人である、スティーヴィー・ワンダー御大に、
 よろしくお付き合いを。

    

 書くこともないでしょうが、ここで改めて簡単にプロフィールを。

 1950年5月ミシガン州に生まれる。 しかし、保育器内の過量酸素が原因で、産後まもなく
 失明してしまう。  だが神は、この子に稀代の才能を授けることを選ぶ。
 とにかく歌が非常に上手く、特に、天才的な絶対音感はズバ抜けていた。
 11歳の時、ベリー・ゴーディJr(モータウン社長)の前で、歌とハーモニカを披露し、
 認められて、契約に成功。 “リトル・スティーヴィー・ワンダー”としてデビュー。
 天才リトル・シンガーとして、“Uptight”や“Fingertips”など大ヒットを記録する。

 しかし、シンガーとしての領域を超えるべく、徐々に自分で曲を書き、プロデュースし、
 今までにはないオリジナル音楽を生み出していきたいと思うようになっていく。 
 ただ、当時のモータウンには、“鉄の決まり”があった。
 ヒット曲を絶対出す。 ヒット曲を出して稼ぐ。 そして、アルバムを出す。
 アルバムには、ヒット曲を2、3曲入れて、その他の曲は、人気投票したら1位か2位に
 なるような曲をカバーして収録し、売り上げを伸ばすという、“ヒット製造システム”
 が、モータウンのスタイルであった。                
 スティーヴィーは、そんなモータウンのスタイルでアルバムを作っていることに、
 フラストレーションを感じ、とても我慢ならなかった。

       

 1967年に「FOR ONCE IN MY LIFE」、68年に「MY CHERIE AMOUR」を制作して、
 この2枚のアルバムをうまく使って、ベリー・ゴーディJrと取引を行う。 その結果、
 自主的な音楽活動が認められるのと同時に、自分で作った曲の権利を、モータウンからの
 出版ではなく、自分の“財産”として貰える、とても有利な契約をものにする。
 そして、70年に初のセルフ・プロデュース作「涙をとどけて」を発表。
 更に、72年の「MUSIC ON MY MIND(心の詩)」で、ワンマン・レコーディングによる
 コンセプチュアルなアルバム作りを実践し始める。 これには、マルコム・セシルと
 ロバート・マーゴレフの協力を仰ぎ、大胆にシンセサイザーを導入するサウンドで
 すべてのアレンジ、楽曲制作を自らコントロールできる環境を整える。
 それから、スティーヴィーの快進撃が始まるワケです。

 彼の音楽は、あらゆる音楽要素が融合されていて、とても一言では説明できない。
 半音を駆使したメロディ・ラインと独特のコブシ回しが特徴ともいえるけど、
 ルーツは、ゴスペルやブルースに、R&Bが基本にあるが、モータウン契約後は、
 アシスタント・ディレクターのクラレンス・ポールの影響から、ジャズやポップスの
 スタンダードを親しむようになり、ディランやビートルズもカバーするなど、
 ポピュラー音楽の“洗礼”もキッチリ受ける。 ワンマン・レコーディング後も、
 貪欲に様々な黒人音楽の要素を導入。 サルサやレゲエ、アフリカン(エスニック)に、
 当時は先端だったファンク・ビートも自身の“開拓”の材料にして、表現域を拡大
 していった。  こんな黒人ミュージシャンは、スティーヴィーしかいなかった。

 72年同年発表の「TALKING BOOK」で一大飛躍を遂げ、73年には「INNERVISIONS」、
 74年には「FULFILLINGNESS’ FIRST FINALE」といった黄金期3部作を驚異的に発表。
 この間には、グラミー賞もほぼ総なめにして、名実ともにスーパースターになる。

  
 
 だが73年8月には、交通事故で瀕死の重傷を負って、昏睡の中で生死を彷徨う状態から
 奇跡的に回復して、活動を再始動している。 “死”の直面を体験して完成した
 「FULFILLINGNESS’ FIRST FINALE」で、一応キャリアの一区切りにして、
 75年からは、人前から消えて、事故の後遺症に時間を割きながら、水面下で“第2幕”の
 華々しい幕開けに向けてプロジェクトを着々と進めていた。

 2年強。 彼としては異例の長いインターバルで発表されたのは、多彩で豊富な
 アイデアと、彼の才能の全てを注いだアナログ2枚組にEPをプラスした超大作。
 その第2幕の幕開けには、「人生の“手掛かり”となる歌集」と命名された。
 “KEY”という単語は、ピアノの鍵盤も差すし、音調のことも意味するわけで、
  いやぁ~、うまく“ととのってる”。    

 しかし、これだけの“中断期間”が出てしまったのはプラスだけじゃなかった。
 リハビリには良かったが、モータウンとの契約で“すったもんだ”があって、
 7年半の再契約を交わすも、彼のレコーディングの“頭脳”であり、“神経”でも
 あった、サウンド・エンジニアのセシルとマーゴレフと袂を分けてしまった。
 これは、ワンマン多重録音方式から、バンド録音方式へ移行せざるを得なく、
 良くいえば、サウンド・プロダクションがバラエティに富んで、実験も出来た。

 死の淵を彷徨った経験から、オープニングからの3曲までのシークエンスに代表される
 ように、「神」を意識した、宗教的な荘厳さを漂わせながら、執拗なまでに
 「我々に必要なのは憎しみではなく、愛なのだ」と繰り返しながら、
 アルバムはスタートする。 高い精神性に裏打ちされた詞の数々が、このアルバムの
 テーマである“生”に対して理想を高め、優しさで包み込んでいくのだ。

 “Confusion(負傷)”では、ジャズ・ロック・インストゥルメンタル(フュージョン)。
 エレクトリック・マイルスを意識したかのような、ハードグルーヴが堪能できる。
 スティーヴィーのエレピと、リードギターは、70年代のスティーヴィー・バンドを支えた
 マイケル・センベロ(後に83年の映画「フラッシュダンス」の“Maniac”で大ヒット)に、
 ドラムのレイモンド・パウンズとの、“楽器バトル”がもの凄いナンバーだ。
 
 しかし反面、マイナス要素もあったのは否めない。 ズバリ、詰め込み過ぎ。
 (また、ミックスの分離も悪いし、もっとクリアにまとめられるはずだった)     
 たぶんあの2人がいたら、曲を減らすか、曲の長さを、うまくエディット(編集)
 して、作品を2枚のアナログ・レコードに収めたのではないかと考える。
 (思うに、“Ordinary Pain”のドラマチックな構成や“Joy Inside My Tears”の
  ようなセンチでミディアム・スローな曲は、“ダル”になる前にまとめるべきかと)
 このアルバムが、アナログで合計6面(4面がLPで、2面がEP)にも及んだのは、
 1曲の楽曲の時間が長いものが多いためだ。
 (このアルバムを、割と評価しない諸氏が多いのは、散漫さと整理のなさだ)

     

 全21曲のうち5分を越えるものが8曲もあり、中には8分を越えるものもある。
 これが絶対に必要な長さであるか?  という疑問もある。
 しかし、理屈では充分な長さを越えた後も、心地よいグルーヴ感が続いていて、
 その陶酔感は、ジャズの世界と同じものだとも言えるが。

 一般の人たちは、3分間のポップ・ソングに慣れてしまってるためとも言えよう。
 元々、ポップスはハーモニーと和音がベースになって、曲が進んでいくため、
 普通は、Aメロ、Bメロ、サビ、ソロ・・というように、コードが組み立てられて、
 “起承転結”で曲が完成されている場合が多い。

 しかし、アフリカンやサルサのように、リズム(拍子)がベースになり、ビート(打点)
 重視で曲の骨格が形成されている黒人音楽の場合は、同じことを何度も繰り返すことに
 よって、どんどん高揚感を増していく。  曲に覚醒されるのはこの場合だ。
 これは、ロックにも言えることなんだけど、レコードではやたら長く感じてしまう曲
 でも、ライヴでは、やたら盛り上がり、その真価が発揮できるという事実もそうだ。

 スティーヴィーが、黒人音楽の根本をジャズに意識したのかは不明だけど、
 少なからず、ジャンルや国境、人種の垣根を超越した、今までのポップ・ソングの常識に
 とらわれない新しいスタイルの音楽をを生み出そうとしたのは確かなのだ。

 「 音楽は世界共通の言語とはよく言ったものだ。 音楽のない文化はないんだから 」

 偉大なるデュークへ。  “Sir Duke”の歌い出しでスティーヴィーはこう宣言する。
 スウィング・ジャズの巨匠デューク・エリントンが、亡くなったのが74年5月。
 このアルバムの構想を練っている最中だったであろう。 影響は計りしれなかったはず。
 この曲は、デュークのみならず、彼の他に、Basie(カウント・ベーシー)や、
 Miller(グレン・ミラー)に、Sachimo(ルイ・アームストロングの愛称)から、
 女性ジャズ・ヴォーカリストの草分け的存在のElla(エラ・フィッツジェラルド)まで、
 スウィング・ジャズ界の巨匠たちの名前を列挙して、その功績を称えてる。

   

 こんな尊厳高い曲にも関わらず、とことん楽天的で、どんな子供でも口ずさめる
 キャッチーなメロディライン、印象的なリフ、軽妙なホーンセクション、伸びやかな歌声。
 その全てが恐ろしい程に完璧に完成された、壮大なヴィジョンに裏打ちされた4分間の
 極上のポップ・ソング。 これは、後のポピュラー音楽界の大いなる可能性を見出す
 ことができた偉大なる曲であると思う。
 (派手なホーン・セクションと、スティーヴィーのバンドマスターでもある
  名ベーシストのネイザン・ワッツのユニゾンになるソロは、いつ聴いても凄い)

 スティーヴィーのアイデアは、湯水のごとく湧き上がり、全てを楽曲に注ぎ込む。

 “I Wish”のゴツゴツしてて、唸りながらドライブしてても、実は思いっきりシンプル
 で軽快にシャッフルしているネイザン・ワッツのベースラインと、キーボードと連動して、
 旋律を奏でるスティーヴィーのフェンダーが異様なグルーヴを生み出し、
 レコーディング中に恋人であったヨランダ・シモンズとの間に生まれた愛娘アイシャ
 の誕生を歌った“Isn't She Lovely”の愛娘を抱く大地の様に、暖かくゆったりと
 していて、延々吹き鳴らす表現豊かで軽やかなハーモニカ・ソロの素晴らしさは
 ジャコの独創的ベースラインやスーパー・ギタリストのギターソロにも比肩するし、
 スティーヴィー流サルサとアフリカンとが融合した傑作“Another Star”の延々続く
 圧倒的なリフレインは、マーヴィン・ゲイとの親和性すら感じる。

 音楽表現の「進化」と「深化」 = 音楽表現の「真価」

 ダジャレじゃないが、70年代のスティーヴィーは革新と奇跡の開拓者であった。

 steviewonder[1]

 「 スティーヴィーの偉大な曲を聴いてなかったら、世界は全く違っていただろうね。
   つまり、ポピュラー・ミュージックを変えたのさ。               」
   (ハービー・ハンコック)

 「 スティーヴィーはあれだけ親しみのある楽曲を作りながら、
   それは誰にも真似できないぐらい独創的なものなんだ。    」
   (パット・メセニー)

 「 スティーヴィーは世界が生んだ最も偉大な奇跡(ワンダー)のひとつだね。 」
   (ポール・マッカートニー)

 「 彼がどんなに素晴らしい“仕事”をしているか、みんな分っていない。
   気に入らなければ、買わなきゃいいだけだ。              」
   (プリンス)

 ジャンルや人種を問わず、彼に対する賛辞の声は後を絶たない。 しかし・・。
 80年代、いや90年代以降のスティーヴィーの音楽活動については、精彩を欠いたもの
 であることは否めないものの、「過去の人だ」だの、「もう枯渇した才能」だの
 言いたい奴は、プリンスの言葉通り、言わせておけばいい。

 だが、そんな奴らでも、これは否定できないだろう。

 今まで、彼をリスペクトし、数え切れないくらいのフォロワーが生まれたが、
 誰一人スティーヴィーに近づけない、いや、近づくことすらできないことを。
 そして、彼を超えるフォロワーなど、未来永劫、2度と現れないことを。
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2010/12/20 Mon. 23:58 [edit]

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心頭を滅却すれば、“ティナ”もまた涼し。 

   RIVER DEEP - MOUNTAIN HIGH   IKE & TINA TURNER

          

       River Deep Mountain High
       I Idolize You
       A Love Like Yours (Don't Come Knocking Every Day)
       A Fool In Love
       Make 'Em Wait
       Hold On Baby
       I'll Never Need More Than This
       Save The Last Dance For Me
       Oh Baby! (Things Ain't What They Used To Be)
       Every Day I Have To Cry
       Such A Fool For You
       It's Gonna Work Out Fine

 暑い。  暑すぎます。  毎日毎日・・。  どうかしてる、全く。
 大暑。  猛暑。  酷暑。  コンチキショ~!   ・・・。
 
 みなさん、このクソ暑い夏の真っ只中、いかがお過ごしでしょうか。
 適度に水分と塩分をこまめに補給して、熱中症には充分ご注意を。

 さて、こんなクレイジーな夏を快適に過ごす、こんなグッド・サウンドはいかが?
 と行くのが、普通なんですが・・。

 ボカァ、違いますよ。  普通じゃ、やっぱつまらない。

 暑苦しいにも甚だしい、脂汗でジットリするような、不快指数120%の、
 ここは、飛びっきりの“クレイジー・サウンド”はいかが?  ということで。

 猛暑日の真昼間に部屋に閉じこもり、窓を閉め切り、クーラーはもちろんOFF。
 ドテラを重ね着して、アツアツの鍋焼きうどんを食べる・・みたいな、
 ガマン大会ならぬ、クソ暑さには、クソ“熱さ”で対抗するのだ。
 
 そんな奇特なツワモノの方に、お勧めのこのアルバムをご紹介しましょう。


 今宵は、アイク&ティナ・ターナーと、スペクターの“音の壁”が見事なまでに
 スパークした、コッテコテの一枚、「RIVER DEEP - MOUNTAIN HIGH」で、
 よろしくお付き合いを。 
 
 “Mr.ウォール・オブ・サウンド”こと、“天才”フィル・スペクターについては、
 以前取り上げたことがありましたが、その時、このアイク&ティナ・ターナーの
 作品には触れずじまいでした。 (“音の壁”の中から聖なる贈り物

 クレイジーなサウンドと書いたんですが、これはもちろん“いい意味”で、
 このアルバムは、スペクターのダイナミックな“ウォール・オブ・サウンド(音の壁)”
 と、ティナのダイナミックな歌唱が見事にマッチした名作である。

    

 とにかく、エキサイティングな楽曲のオンパレードである。
 体内で普段使うことのない神経や、目覚めさせられたかのような刺激と熱気、
 パワーに満ちあふれたダイナマイト・ソウルなアルバムだ。

 ここには、マイナスなネガティヴ感情は一切存在しない。
 あるのは、ひたすらポシティヴでみなぎるソウル・パワーだけ。
 聞き手にどれだけ力と勇気を与えることができるのか。  それしかない。

 腕利きのブルース・セッションマンだったアイクが、56年にセントルイスで発掘した
 パワフルな女性シンガーのアニー・メイ・バロックとコンビを組んで、結婚した後、
 ティナと名前を変えて、アイク&ティナ・ターナーとしてデビュー。 大成功を収める。

 ( なんかアイクは、ティナの伝記映画「TINA」では、行き過ぎたDVばかり描かれ、
   すっかり“暴力亭主”のレッテルを貼られてしまったけど、作曲やミュージシャン、
   プロデューサーとしての才能は素晴らしいんですよ。特にギタリストとしては、
   なかなかのテクニシャン。 ストラトキャスターのワミー・バー(トレモロ・アーム)
   を駆使した軽快で、時にはブルージーなフレーズやリフは目を見張るものがある。  )

 実は、ティナのパワフルな歌唱力に惚れ込んで、66年にスペクター自ら懇願オファーして
 実現した作品なのだ。

 ( アイクは、1セッションで2万2千ドル、(当時のレートでいうと、約1億円!)
   現在の貨幣価値では10億円(!!)ともいわれるギャランティーを要求して、
   これを、ほぼ満額をせしめたというから驚いてしまうけど、
   スペクターの契約条件は、「アイクがスタジオに入らないこと」だったという・・。)

   

 この頃のスペクターは、60年代初期の全盛期に比べ、ヒット曲が途切れて、スランプ気味。
 66年に彼は、ライチャス・ブラザーズをヴァーヴ・レコードに100万ドル(!)で、
 所有していたスタジオやミュージシャン達らと、共に売り払ってただけに、
 このセッションは、スペクターにとっても、力の入る“大きな賭け”でもあったんです。

 アルバムでは、“River Deep Mountain High”を筆頭に、“A Love Like Yours”に、
 “Hold On Baby”、“Save The Last Dance For Me”、“Every Day I Have To Cry”
 の5曲がスペクターのプロデュースで、残りの曲がアイクの手によるもの。

 ティナを得たスペクターは、彼女と何度もリハーサルを重ね、(1万回は歌わせたとも)
 多くのミュージシャンを投入し、長い時間と莫大な費用を費やして1曲完成させる。
 これが、この“River Deep - Mountain High”だ。

 恐らく、当時の録音技術なら、4チャンネル・トラックだと思うけど、
 そのハンディを感じさせない躍動感のあるドラムサウンドは、アール・パーマーと
 ジム・ゴードン(後にデレク&ザ・ドミノスに参加)。 今までも、複数のベースを、
 ユニゾンでプレイするのはあったが、この曲では、4本のベースをユニゾンで演奏
 させる破天荒ぶり。 この曲は、今までの“音の壁”の集大成ともいうべき、
 スペクター自身が編み出したオーバーダビングのテクニックの賜物であり、
 緻密なサウンドが、微妙に変化していく3分間に凝縮された組曲のようだ。

        

 スペクターとティナはこの曲の仕上がりに満足し、アイクも気に入ったことから、
 アイク&ティナ・ターナー名義で、1966年にシングル・リリースする。

 しかし・・。

 彼らの期待に反して、アメリカでの反応は鈍く、ポップ・チャートの最高位は88位と
 大コケ。 惨憺たる失敗に。 そのため、マスターが完成していたにも関わらず、
 アメリカでのアルバム・リリースを見送った。 (ごく僅かにプレスしたレコードは、
 スペクター自身がスクラップにしたとも・・) スペクターの落胆ぶりは激しく、
 フィレスの活動も終止符を打つことにもなった。 その後、スペクターは、
 数年間レコーディングから遠ざかったワケです・・。

 このアルバムは、昔からアメリカのR&Bの熱狂的なファンが多いイギリスで、
 やや遅れてヒットチャートに登場して、大ヒットを記録する。
 (アメリカでは、スペクター隠居時の69年にA&Mレーベルから再発される)
 この曲で、渾身の力を込めて、“人生最大の失敗作”を作ってしまったスペクターを
 音楽の世界へ戻るよう促したのが、ジョン・レノンであり、ジョージ・ハリスンという、
 “イギリス”の若者らであったことも偶然ではないと思う。
 (アメリカでの再発盤では、ジョージの賛辞が貼られたシールが付いていたくらいだ)

 このヒットがきっかけで、アイク&ティナは、ストーンズとツアーを周るなどして、
 ティナは、イギリスで熱狂的な支持を集めます。
 でも暴力に堪えかねて、アイクから逃げるように離婚し、その多額な慰謝料と
 (ティナがアイクに払った!)、契約不履行のペナルティーにより、莫大な借金を
 抱えたティナの不遇な時代を支えたのは、60年代に彼女に熱狂したイギリスのファン
 であり、ミュージシャン達でした。
 (83年にティナの「PRIVATE DANCER」での見事なカムバックも、最初はイギリスから、
  火がついて、翌年アメリカに飛び火したものだし、サポートした超大物たちも、
  イギリス人ばかりだった。 ティナについては、別の機会にも取り上げたく思います)

    
  
 それに対し、アイクはドラッグ中毒に陥り、あげくに服役してしまうことに。
 その凋落ぶりは、人生の“交差点”を見たような感じがしたが、近年見事復活して、
 06年には、グラミーも授賞。 ブルース・トラディショナル界で活躍している。  

 スペクターの“厚化粧”は、夏には不向き。 彼の音は、やっぱ冬が似合う。
 それに、シャウト!シャウト!シャウト!のティナの熱過ぎるヴォーカル。
  
 心頭を滅却すれば、“ティナ”もまた涼し。

 えっ、私ですか。   ・・・。   熱いモノは、“暑い”ですわ。

2010/07/25 Sun. 10:59 [edit]

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マイケルのほんとの凄さの秘密って何? 

     the Music That Inspired The Movie
            MICHAEL JACKSON'S “ THIS IS IT ”

      

 今更なんですが、ご覧になりましたでしょうか。 「THIS IS IT」。

 昨年10月の劇場公開当初から、爆発的大ヒットで、確か2週間の限定上映もあり、
 観客の長蛇が絶えず、延長上映が決まった後も人気は衰えず、しかも、
 2010年1月27日に異例の早さでDVD発売する“営業戦略”に、昨年の終わりから、
 現在に至っても、マイケルの勢いは収まりません。 
 (DVDは国内で100万枚のセールスを記録。 このご時世では凄い数字です)

 私も、ミーハー(?)の端くれ。 マイコーの最後の勇士をしかと見届けねばと、
 公開されて、すぐにでも観に行きたかったんですが・・。
 私の住んでるド田舎の、ちっぽけな映画館なんかにゃ、どうせ来ないだろうと、
 仕方なく、DVDが出るまで待とうと、実はあきらめてたんです。

 しか~し。 来たんですよ。 年明けすぐに。 わが街にも来たんです。 
 マイケルがやってきたんです。  オ~!! マイコー~!!

 なので、観たのは正月。  かなり遅くなったけど。  ブラボーでした。
 最後のマイケルは、やっぱスクリーンで観たかったんで、感動もひとしお。
 スクリーンを観ながら、私の心は涙であふれておりましたよ。

 そして、謝ってました。 「マイケル、ごめんよ・・・。」って。

 確か、亡くなったその日は、休みの日で朝から刻々と伝わるニュースを見ながら、
 このブログを進めて、“思い”を一気に書き上げてアップしました。 でも、
 今、その記事を読み返すと、ずいぶん失礼なこと書いてたなぁって・・。
 まだ事実と憶測が入り乱れた状況だったのは、許してほしいんだけど、
 あそこまで、“本気だった”なんてさ。  もう一回謝ります。

 「マイケル、ごめんよ。 本気だったんだね。 ごめんよ、全然知らなくて。」

   

 今更、私がこの映画の凄さを説いたとこで、ほんとの凄さ、偉大さなんて、
 “観れば、わかる”こと。 
 一度、マイケルについては、ちゃんと書かなくてはいけないと思ってたんで、
 ここでは、マイケルの“凄さ”の原点について、
 私なりの思いと映画の話もを絡めて、今宵は語っていこうかと思います。

 マイケルの凄さの原点のキーワードは、2つ。
 「クインシー・ジョーンズ」と、「異文化交配(ミクスチャー)」だ。

 “歌って踊れる男の子”マイケルを看板に、スターダムの頂点にいたジャクソン5も、
 70年代後半になると、父親からの支配からの解放やモータウンとの方向性の違いも
 出てきて、彼らは、ジャーメインを除いて、飛び出し、「ジャクソンズ」と改名して、
 EPICと契約します。 しかし、当初はイマイチ。 低迷してしまいます。

 丁度そのころ、マイケルは運命の人と出会う。 

 78年にダイアナ・ロスがミュージカル映画「WIZ(オズの魔法使い)」に主演。
 これにマイケルもカカシ役で出演します。 その時の音楽監督だったのが、
 あの、クインシー・ジョーンズ。 彼は、そこで、マイケルに新しい可能性を発見。
 マイケルも、クインシーの音楽制作の姿勢と卓越したノウハウに感銘を受けます。

 当時クインシーは、ジャズやフュージョンのアレンジャーとして評価の高い人。
 当時のマイケルは、超人的なリズム感を持ったハイトーンで繊細な天才R&Bシンガー。
 この2人が、タッグを組む。

     
   
 これが、見事にスパーク! 化学反応を起こし、もの凄いことになっていく。

 ジャズ界、映画音楽での名声を確実にして、より商業的な分野に進出していった
 クインシー。 次なるターゲットは、“ポップス界”。 メジャー・フィールド進出です。
 「ボディ・ヒート」(’74)、「愛のコリーダ」(’81)、「バック・オン・ザ・ブロック」
 (’89)。 これが、クインシーの“ポップ3部作”と言われてる。
 これを、マイケルのクインシー3部作と、絡めて見ると、けっこう面白いんですよ。

 マイケルの3部作が、「OFF THE WALL」(’80)、「THRILLER」(’82)、「BAD」(’87)。
 これ、クインシーのポップ3部作が、きっちり間に挟まってるんです。
 これは、クインシーのポップ・フィールドでの成功のためのプロジェクトの策略なの
 ではと考えてしまう。

 でも、この2人の関係はビートルズとジョージ・マーティンの関係に似てるかな。
 デビュー当時は、彼らの魅力を発見し、それを最大限に伸ばし、可能性を引き出す。
 そして彼らが成長してくると、湧き出てくるアイデアを限りなく実現できるように、
 アドバイスし、時にはサポートに回る。 そして、レコーディング技術から制作まで、
 すべてのノウハウを吸収した彼らは、“師”のもとから巣立っていく。
 
 マイケルもそう。 「WALL」では、クインシー主導で、マイケルの魅力や可能性を
 最大限に引き出すことに成功、「THRILLER」では、成長したマイケルと、ほぼ対等の
 立場になり、様々なアイデアや実験要素を実現しつつ、ビジュアル面の革新性も
 相まって、更に完成度の高いアルバムを作り、
 まさに「レコードセールス・モンスター」の如く、化けてしまい、
 「BAD」では、ほぼマイケル主導制作され、クインシーは、そのサポートに回り、
 マイケルの世界観を実現するために、完璧なまでにデジタルを駆使して、
 サイボーグ化したハイパー・マイケルを完成させるわけで。
 
 まずクインシーは、「ボディヒート」で初めてR&Bの新進ミュージシャンを起用して、
 それに、ハービー・ハンコックを揃えて挑み、ジャズ色が強く残るも、
 80万枚の大ヒットを記録。
 ここで「アレンジァー」という立場から、更に上に立ってプロジェクトを陣頭指揮する
 「エグゼクティブ・プロデューサー」というスタイルを確立する。

 ここで、この時に発掘した元ヒートウエイブのロッド・テンパートンをメイン・
 コンポーザーに大抜擢して、そのエッセンスを総動員して制作されたのが、
 マイケルの「OFF THE WALL」だ。 これが、大当たり。 快進撃の始まりだ。

   

 エンジニアに、ジャズ時代からのパートナーで、“アナログの魔術師”である
 ブルース・スウェディーン。
 メインのソングライターに、前出のロッド・テンパートン。
 (こいつ、いい曲書くんだよなぁ)
 ギターには、あのワウ・ペダル・ギターの開発者のワーワー・ワトソン、
 ベースに、ブラザーズ・ジョンソンのチョッパー・ベースの達人ルイス・ジョンソン。 
 ドラムに、ルーファス&チャカ・カーンのジョン・ロビンソン。
 パティ・オースティンも、“それが恋だから(It's the Falling In Love)”でデュエット。
 シンセ・キーボードのグレッグ・フィリンゲインズに、
 (クラプトンのツアーや末期のTOTOに加入)
 ギターには、デビッド・ウィリアムズなど錚錚たるラインナップを揃え、
 まさに、これぞ「クインシー軍団」で、マイケルを全面サポートする。
 
 自信をつけたクインシーは、更に当時R&Bの最先端を行く
 「愛のコリーダ(THE DUDE)」を制作。 ディスコ・フロアを席巻します。
 幼少のころからクインシーに見入られてたパティ・オースティンや、
 (あの“Do You Love Me”で一躍ディーバに躍り出ます)、秘蔵っ子でもある
 ジェイムス・イングラムを起用。(名曲“Just Once”は、素晴らしい)
   
 そして、「THRILLER」だ。 しかし改めて聴くと、ほんとによく出来たアルバム。
 「THRILLER」は、スタッフ、メンバーほとんど「OFF THE WALL」を
 踏襲していますが、大きく異なる点が二つ。 
 一つは、あのTOTOのメンバーがほぼ総出で参加している点。 
 (前作では、スティーブ。ポーカロが2曲参加したのみ)
 簡単に言うと、前作の「クインシー軍団」 + TOTO = 「THRILLER」。 
 実は、82年のグラミー賞で、TOTOは7部門制覇してる。 彼らをゴッソリ起用して、
 これが翌年のグラミー賞には、「THRILLER」関連で8部門制覇してる。 いやはや、
 クインシーのアーチストを見抜くセンス、眼力はマジで凄い。
 あの“Human Nature”は、曲はスティーヴ・ポーカロが書いて、
 バックはTOTOが固めて、彼らの洗練されたAORセンスと、マイケルの
 ロマンチシズムが生んだ、マイケル流クロスオーヴァーの傑作だ。
 (あの“The Girl Is Mine”も、バックはTOTO。 ポールは歌ってるだけ)

 そして、もう一つは、「ロックとの融合」。 「ミクスチャー」の走りだ。
 ロックっぽいテイストを取り込んだくらいのレヴェルではなくて、
 本格的に“ロック”に取り組んだこと。 これは、前作にはなかった。
 “Beat It”だ。 あのエディ・ヴァン・ヘイレンのギター・ソロの話題を避けては
 通れないけど、まず彼を起用しようと考えたクインシーの“勘”と鋭い洞察力は
 やっぱ普通じゃない。 こんなもの絶対に同化しないだろうって奴を連れて
 きちゃうワケですよ。 当時のR&Bシーンでは考えられないことです。
 TOTOのスティーヴ・ルカサーがほぼメイン・ギター(ベースも彼)で、ドラムも
 ジェフ・ポーカロなんで、これもTOTOで固めて、タイトで決めちゃってても、
 あのエディの火の出るようなソロが、この曲のおいしいとこ、全部持ってっちゃう。
 
  この奇跡のような出来事の一部始終はというと。

  「 エディの自宅の電話が鳴った。 受話器を取ると聞き覚えの無い声が。

   「エディかい? クインシーだよ」
   「え、誰?」
   「クインシーだよ」
   「ふざけんなバカヤロー! だから誰なんだよ!」とキレるエディ。
    クインシーなんて連れ(友人)なんていねぇし。
   「だから、私はクインシー・ジョーンズだよ!!」
   「えぇっ!?」

    電話の相手は 、あのクインシー・ジョーンズ本人であった。

    なんで、あんなビッグな奴が、俺んとこに電話してくんの?
    聞くと、「マイケルのニュー・アルバムで1曲ギターを弾いてほしい」
    とのこと。

    「ん・・?」

    エディは少し戸惑った。
    何故なら、兄のアレックスから、
    「VAN HALEN以外の活動には手を出すな」と釘を刺されてたから。
    だけど、バンドはその時は丁度オフで、しかも、兄貴はバカンス中。

    当時のマイケル・ジャクソンは有名人ではあったけど、
    エディは自分達とは違うジャンルのレコードだし、
    バレやしないだろうと思い、依頼を受ける事にした。

    レコーディング当日。
    何曲か候補に挙がっていた中から、一番ロック色の強い曲が選ばれる。
    ベーシック・トラックは殆んど録音済で後はソロを被せるだけ。
    「エディ、適当にやってくれよ。」
    2テイク録ってクインシー・サイドが気に入った方を選んだ。
    トータル20分ほど。 簡単な仕事だった。
    終わるとスタジオ奥から、マイケルが、
    「君の超スピード・プレイ。 凄く好きだよ」と声を掛けたそう。

    その後、レコードは無事に完成。 
    エディ宛にお礼の手紙が届いた。
    差出人の欄には、『バカヤローより』と書かれてあった。

    「THRILLER」は空前の大ヒット。 
    “Beat It”もNo.1になり、あのプロモも話題沸騰。

    しかし、ほとんど冗談でヤッちゃったんで、なんとノー・ギャラ。
    後で、デイヴ・リー・ロスに「お前バカじゃねぇの」って、
    散々言われたエディなのでした・・。 」

  天才とバカは、まさに紙一重。 そんなエピソードでした。

   


 『 映画のヒットで、もうすっかり有名人になってしまったオリアンティ嬢。
   存在は、一応知ってたんですが、こんなに、すんごい娘だとは・・。
   ロングの金髪で、バービー人形みたいに可愛いだけじゃないですなぁ。
   “華”がある。 いやはや、マイケルのギタリストを選ぶ眼力も並みじゃない。
   “Beat It”のエディのギター・ソロの難しい超人的タッピングを、
   楽々完コピしてる姿なんて、やはり、この姉ちゃんタダものじゃない。 
   ガム噛みながら、“Black Or White”のリハでも凄いことしてる。
   あのシーンだけは、マイケルを完全に“食ってました”。         』
   
   


 ただ、ロック、ポップスの最高峰を築き上げた「THRILLER」だけど、
 ファンキーじゃないんだよなぁ・・。 
 (“スタート・サムシング”は、ラテンとアフロを合体させたような
   独特のリズムだし、“ビリー・ジーン”はビート・ポップス。
   あえて言うなら、クインシー軍団で固めた、“P.Y.T.”くらいかなぁ)
 私しゃ、やっぱ、ファンキーなマイケルが大好きなんですよ。
 なので、いまだに、「OFF THE WALL」の方に、軍配を上げるんですが・・。

 さて、その「THRILLER」での、超メガ・ヒットから、“We Are The World”
 なんかをやったりして、次の「BAD」までは5年の歳月を要することに。

 その間に音楽シーンも大きく様変わりする。 楽器とレコーディング技術は完全に
 デジタル中心となり、ベースやドラムの音などは、スタジオ演奏ではなくて、
 シンセサイザーの事前プログラミングによって作られる事が多くなっていく。
 なので、この頃から、ダンス音楽の主流もメロディアスなソウル・ミュージックから、
 電子音中心のユーロビートや、ハウス・ミュージックに変化していくわけです。

 そんな背景の中、「BAD」はリリースされた訳だけど、
 マイケルがエラいのは、第2の「THRILLER」を作らなかったことだ。
 
 マイケル自身の作曲が11曲中9曲(「WALL」3曲→「スリラー」4曲)となり、
 ロッド・テンパートン(「WALL」3曲→「スリラー」3曲)の名前が
 クレジットから完全に消えてしまう。
 そして、クインシー独特の、色気のある音色はほとんど姿を消し、
 ストレートに体に伝わるデジタル・サウンドが中心となってる。

 また、“Thriller”でプロモ・クリップのショート・フィルム化で革命を起こしたのを機に
 ほぼすべてのシングルに、“Thriller”タイプのショートフィルムが標準装備される。
 アルバムセールスは、「THRILLER」に及ばないものの、全米ポップチャート1位を
 5曲も獲得する快挙を成し遂げた要因に、シングル・カットの都度、
 世界の注目を集めるショート・フィルムの威力は大きかったのではないかと思う。
 (スコセッシが撮った“Bad”より、“Smooth Criminal”のダンス・シーンが凄かった)

     

 よくよく考えてみると、この「BAD」が、後に“KING OF POP”の称号となる基本、
 「MJ」のスタイルを確立したアルバムなんだなってことがわかる。
 
 しかし、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの蜜月時代は終わります。

 いろいろな意見を耳にするけど、私は、明らかに発展的解消であったと思う。
 前人未踏の金字塔を樹立して、数字の記録に負けない価値を“創造”していくには、
 これ以上続ける事は、もうお互いの為にはならなかったのではないかと。
 クインシーが、再びマイケルと仕事をやりたいですか?、との問いにこう答えてる。
 「NO。 もうマイケルとは、やりたいことは全てやり尽くしたしね。」と。

 (マイケルから得たポップ・センスを基に、89年に、クインシーは当時の活動の
  集大成的作品である「BACK ON THE BLOCK」を発表。
  これは、ネイティブなアフリカン・サウンドからジャズ、ゴスペル、R&Bに、
  ヒップホップといった古今東西の黒人音楽をコンテンポラリィーなレヴェルで、
  ブレンドしたサウンドを構築。 それに、もの凄い超セレブなメンツが大集結。 
  まさに驚愕の一枚。 オープニングのクインシーと息子のQDⅢのラップが入る
  幻想的なジングルから、もう違う世界に連れて行かれるような気分にさせられる。)


 また長くなってしまったんで、映画のことがあまり書けなくなってしまったけど、
 マイケルの超人的ダンス・センスと動きとキレの良さ、そして、天才的リズム感と
 飛び抜けた絶対音感の才能は、50歳になっても、全く衰えてなかったって事実は、
 凄いというよりも、ただただ感動するばかりだ。

 ただ、きっとマイケルが生きていたら、こんな“完璧でない自分”を白日に
 さらけ出すような映像を表に出すことはなかっただろう。

 しかし、巨大なピラミッドの頂点に君臨するマイケルの存在感。
 そして、全てのスタッフが、彼を“超一流”であることを認め、彼のすべてに従う姿。
 マイケルは、けっして怒ることも声を上げることもない。
 そこには嫉妬も敵意などない。 彼もスタッフを認めてることがよくわかる。

 この貴重な記録は、ファンならずとも、見ておくべきじゃないかと思う。

 「死」という、最大のプロモーション。 と考えたくはないけど、
 空前の大ヒットを記録するであろう「THIS IS IT」。
 もしも、なにもかもケタ外れのこのステージが実現していたらと考えると、
 ほんとに、この世界遺産的“才能”を失ったというこの事実。
 こんなに残念なことはない。

 正直、それほどマイケルに入れ込んでたわけではなかったけど、
 彼に感謝しなくては。  つくづく幸せだと思う。
 ほんの束の間ではあったけれど、同じ時代に“生”を受け、
 彼の音楽を享受できた事が。

 おそらく、1000年に1人の才能を持つ天才。
 少なくとも、私が生きている間には、彼を超える天才に出会える事はないだろう。

2010/02/14 Sun. 10:15 [edit]

Category: BLACK

Thread:マイケル・ジャクソン  Janre:音楽

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子供にわかってたまるもんか! 

         WHAT'S GOING ON       MARVIN GAYE

           

            What's Going On
            What's Happening Brother
            Flyin' High (In The Friendly Sky)
            Save the Children
            God Is Love
            Mercy Mercy Me (The Ecology)
            Right On
            Wholy Holy
            Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)

 先日、ある飲み会での出来事なんですが、うちの会社の若い野郎が、ある女性に
 「ブラック聴くなら、マーヴィン・ゲイの「WHAT'S GOING ON」だね・・。」
 こう言って、“口説いてる”のが、ふと耳に入りまして。
 別の話で盛り上がってたのに、あの2人が寄り添って、ヒソヒソやってんですよ。

 ちなみに、自分の音楽趣味について、あまり人に口にすることはしてないんです。
 (ましてや、こんなこと書いてることなんか、会社の人など誰も知りません。)
 
 へぇ~・・。 こんな趣味あるんだぁ・・、と思ったんだけど、
 話が聞こえてくるうちに、どう考えても、これを好感度アップの材料か、
 口説きのアイテムとして利用してるだけっぽい感じになってきたんで、 
 面白くなってきて、ちょっと試してやろっと思い、
 「ふ~ん・・。 その「WHAT'S GOING ON」って、どんな感じの曲なの?」
 って、ちょっと割って入ったら、 アイツ、得意気な顔して、
 「あれは、永遠のラブソングなんすよねぇ・・。 ぜひ女性に聴いてほしいっすね。」
 「・・・。(いい加減にしろ!)」  心の中で激しいツッコミを入れたのでした。

 正直。 私しゃ、そんなにブラック・ミュージックに精通してるわけじゃありません。
 しかし、先に「ROCK」と出会ってしまったばかりに、言い方は悪いんですけど、
 “後回し”になっただけなんで、 BLACKを知ることで、「ROCK」もより深く
 認識、確認することができたと思います。
 今、ギター抱えて、中指立ててるキッズ諸君も、軽くでもいいんで、一度はBLACKの道
 を辿っておくといい。 損はしません。 よりROCKの奥深さが理解できるはずです。
 (私のBLACKとの出会いは、スティーヴィー・ワンダーでした。)

 私が彼の音楽と出会ったのは、「モータウン」を遡っていくうちになってからで、
 更に、ほんとに良さが分かるようになってきたのは、最近になってから。
 なので、あまりエラそうなこと書けないんですが・・。
 そんなこんなで、“アイツ”が久々のBLACKのネタの火種をくれたんで、
 今宵は、私なりのマーヴィン・ゲイの話に、よろしくお付き合いを。


 「クール、、メロウ、かつ、スィートネス = 孤高で悲劇の“愛と性の伝道師”」

 一般的に彼を表現したら、こんな感じで表したらいいんだろうか。
 (だから、口説きのアイテムと、誤解されちゃうんだろうけど・・。)

 これは、いわゆる「天才ミュージシャン」と言われる人には、なぜか多いんだけど、
 この人も、紆余曲折と波乱に飛んだ起伏の激しい人生を歩んだ一人でして。
 私は、彼は「トラウマと生きた人生」だったと思う。

 その根源は、「彼の父親」にあった。 しかも、“屈折”した人だったみたい。
 牧師ということで、社会的にも影響ある立場にありながら、とにかく厳格。 キツイ。
 従わぬなら、暴力で服従させるいう側面があっても、なんと女装癖もあるという
 性的倒錯者だった。  これじゃ、まともに“育つ”わけありません。
 マーヴィンの性格は、そんな影響からか、とても繊細で傷付き易い「破滅型」。 
 わからなくもありません。

 しかし、父の影響から、聖歌隊で歌いだし、楽器も覚えます。 そして、歌手の道へ。
 ドゥーワップっぽいバンドを経て、あのムーングロウズに参加。 そして、あの
 設立間近だった「モータウン」のベリー・ゴーディJrに紹介されるわけです。
 ドラマーとして仕事を初め、なんとすぐに、ベリー・ゴーディ・Jrの娘アンナと
 すぐに結婚。 61年にソロ・デビューした。
 (彼女が18歳も年上だったこともあったり、彼自身めちゃくちゃモテる男だったので、
  だんだん結婚生活がもめて、最後は離婚問題に至るわけですが・・。 )

 62年あたりからヒット曲が出て来て、64年の“悲しい噂”が大ヒット。
 あと、“Ain't That Peculiar”や“Pride and Joy”とか“Your Precious Love”
 などなど、ヒットを連発します。 彼が一番得意なのは、ナット・キング・コール
 みたいな、ジャジーでシルキーな曲。 元々、スタンダード・シンガーを目指してた
 といいます。 明らかに、良い子悪い子で分けると“良い子”の歌ですよね。
 まだ、背景に教会を背負っているところがあると思うんだけど、マーヴィンは
 ほんとは、これがやりたかったんですよ、きっと。 ただそれも、
 忌まわしい幼児体験から来るものだと思うんですが・・。

 そして、彼を成長させた、もう1つ影響として、モータウンの女性ミュージシャンとの
 デュエット作品だ。 メアリー・ウェルズ、キム・ウェストンなんかと歌ってるけど、
 中でも、一番彼に影響を与えたのは、私生活でも“できて”しまうタミー・テレルだ。
 この2人のコンビネーションは、後にデュエットするダイアナ・ロスさえ超えられない
 ほど、深いものだった。
 
 しかし、彼女は70年3月16日脳腫瘍で亡くなります。 
 これがとてつもなく大きかった。
 これを境に、彼女の死を境に、彼は別人のような生活を送るんです。
 酒やドラッグに溺れたり、その挙げ句に、歌を辞めて、
 元々フットボール選手志望だけども、プロボクサーになりたいとか、
 変なことを言い始めたり・・。
 そのうちに、誰もわからないくらいに、人の前に出なくなるんです。

 また、70年って年は、モータウンにとっても、今までは、“やることなすこと”が
 ヒットしていたんですが、ヒット曲が出なくなるんですよね。
 モータウンも岐路に立っていた年なんです。
 そして、彼の評価もこれが、“前半”の山(“第一”って言った方がいいかな)。

 しかし、どん底のマーヴィンが、また起き上がります。
 「新しい音楽を創り出したい」という強い創作意欲だったのかも知れないけど、
 持ち前の完璧主義が復活し、作曲、アレンジから演奏まで、プロデューサーとして
 徹底したコントロールがなされ、初のセルフ・プロデュース作品である、
 「WHAT'S GOING ON」を生み出すんです。
 (セルフ・プロデュースは、スティーヴィー・ワンダーも、ほぼ同時期に始めたと
  思うけど、“初”としての完成度は、こちらの方が上だと思う。)
 ゆえに、このアルバムの評価が誉れ高いのは、黒人ミュージシャンとして、
 初めて「コンセプト・アルバム」を制作した意義にあること。

  

 マルチ・トラック・レコーディングを採用して、奥深いサウンドをベースに、
 当時、激化する一方のベトナム戦争に対する反戦、行き詰まる公民権運動、すでに、
 この時期から環境問題(エコロジー)まで展望した危機感、メッセージ性など、
 さまざまな社会的難題を「問題提起」する旗の下、
 ただネガティヴに惨状を嘆くのではなく、あくまで前向きな意思を語る彼の姿が
 勇ましくも美しい。 彼の歌声は、“癒し”でもあるんですよ。 
 そこに、“愛”があるんです。 (“愛”を履き違えちゃいけません)
 
 巧みな編集により、最初から最後までとぎれなく続く楽曲。 大編成のオーケストラ
 を基調とした華麗でゴージャスな雰囲気をバックに、何度も繰り返した多重録音で、
 彼のヴォーカルが幾重にもなってシルキーに夢幻的に包み込み、独特な浮遊感が被う。
 (アレンジャーである、デイヴィッド・ヴァン・ドゥピットの貢献が大きい)
 
 「 ねぇ、母さん。  なぜ、こんなに多くの人が涙の雨を降らせるの?
  仲間も次から次へ死んでいく。 こんなのもうたくさん。 戦争は解決法じゃない。
  一体、何が起こってるんだろう。 
  今ここで、人々に愛が降り注ぐ方法を考えよう。 」

 これが、あの“What's Going On”のメッセージだ。

 ゆったり漂うグルーヴに、甘いサックスがイントロを奏で、メジャー・セブンスの
 コードが醸し出す、幸福なビートに乗せて、やがて、彼が優しく入ってくる。
 ”ベトナム”という深刻なテーマを歌っているけど、あくまでフィーリングは
 ソフト&イージー。 説得力あるサビを歌い上げてから、大きく転調し、
 ファルセット・ヴォイスが天空を舞う。 これは何度聴いても背筋がゾクゾクしまう。

 そして、特筆すべきはこのアルバムで縦横無尽に弾きまくるジェームス・ジェマーソン
 のベースだ。 モータウンの多くの名作の中で鍵を握っているジェマーソンだが、
 ここではその持てる能力を最大限発揮した弾む ベース・ラインを“効かせている”。

        

 ルート音と簡単な5度の繰り返ししか弾いていなかった、それまでのベース・スタイル
 を根底から覆すような彼のベースは、、まさに驚異としか言いようのないもので、
 複雑な構成音やリズムを駆使していながら、ラインに装飾的に付く技術。
 (32分音符を独特なリズムを跳ねさせるテクは、グウの音も出ない。 凄いプレイ。
  ジャコもこれには敵わないだろうなぁ。)
 それにも関わらず、決してメインを“邪魔することのない”彼のプレイは、
 まさに、天才の称号がふさわしいベーシストであると思う。 こんな“裏方の鉄人”で
 ありながら、2000年に、サイドマン部門でロックの殿堂入りしているのも当然なのだ。

 マーヴィンは、以後「アルバム」という場に、自己表現の可能性を見出していく。
 次回作の、これも大傑作の「LET'S GET IT ON」は、“セックス”がテーマだし、
 76年のリオン・ウェアとのコラボだった「I WANT YOU」もそうだ。
 でも、こんなエロい方向に向かっていっても、品がいいんですよ。 艶がある。
 だから、クールでかっこいいんです。 (そりゃ、モテますわ)

 確かこの頃に、ダイアナ・ロスが、“You Are Everything”っていうのを大ヒットさせた
 と思うんだけど、「♪You Are Everything・・。」ってマーヴィン・ゲイと
 ダイアナ・ロスが、耳元で囁き合うようなやつがあったじゃないですか。 
 あれって、“真っ最中”に囁きあってるようなんだけど、すごくかっこいい。 
 全然下品じゃない。  それが、マーヴィンの尊敬されるところじゃないかなぁ。

   

 とはいえ、78年のアンナ夫人との離婚劇をテーマにした、「HERE,MY DEAR」
 (邦題「離婚伝説」)は、恨みつらみがてんこ盛りの内容で、みじめなんですよ。
 (ディランの「血の轍」も、情けない未練たらたらのラブソングばっかでしたが)
 しかも2枚組で、長い時間タラタラ、ネチネチやられたら、アンナさんも
 たまったもんじゃない。 音楽センスは素晴らしいんだけど、男気なんてゼロ。

 この辺から、また下降線を辿っていき、彼の人生も凄惨を極めていくんだけど。

 税金滞納で差し押さえを食らったり、二人目の奥さんとの結婚も破たん。
 この後、身を潜め、ハワイの浜辺でワゴン車の中で寝泊まりしてたり、
 イギリスで、また“薬”に手を染めたりと、生活は荒れる一途を辿る。
 おまけに、あの「モータウン」とも、こじれちゃって断ち切られるはめになり、
 もう再起は不可能とも言われたらしい。

 しかし、「捨てる神あれば、拾う神あり」です。
 ベルギー人のプロモーター兼マネージャーとの出会いによって、彼は再々度、
 シーンに返り咲きます。 82年CBSと契約し、当時、先端を走ってたシンセを導入
 した意欲作「MIDNIGHT LOVE」をリリース。 あの“Sexual Healing”を
 大ヒットさせます。 (確か、この年のグラミー賞で、常連だったスティーヴィー
 や、飛ぶ鳥を落とす勢いだったマイケルを抑えて、R&B男性部門で受賞したのは、
 いかに彼が崇拝され、音楽的評価の高いミュージシャンだったかがわかります。)

 この時、彼は43歳。 これから円熟期に入り、まさに、これからっていう時でした。

 病弱な母を殴る、あの“父親”を止めに入ったマーヴィンと口論になった末に、
 彼は、父親に射殺されるのです。 その銃はマーヴィンがプレゼントした銃で。
 84年4月1日。 明日が誕生日という日・・。 あまりに酷な最期でした。

 アイツが、この記事を読んでることは、120%ないと思うけど、
 あの魂の曲を、口説きアイテムに使っちゃいけませんよ。
 (“Lets Get It On”ならまだしも・・。)
 いかんいかん。 アツくなってしまいました・・。

 彼は、どんなに怒っていても、クールでした。 大人でしたから。

2010/01/17 Sun. 13:40 [edit]

Category: BLACK

Thread:洋楽CDレビュー  Janre:音楽

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もう、“あいつ”が消えちまった・・。 

        OFF THE WALL        MICHAEL JACKSON

              
                   
           Don't Stop 'Til You Get Enough
                 (今夜はドント・ストップ)
           Rock With You (ロック・ウィズ・ユー)
           Workin' Day And Night
                (ワーキング・デイ・アンド・ナイト)
           Get On The Floor
                 (ゲット・オン・ザ・フロア)
           Off The Wall (オフ・ザ・ウォール)
           Girlfriend (ガールフレンド)
           She's Out Of My Life (あの娘が消えた)
           I Can't Help It
                 (アイ・キャント・ヘルプ・イット)
           It's The Falling In Love (それが恋だから)
           Burn Out Disco Out (ディスコで燃えて)

 マイケルが死んだ。 ほんとに、マイケルがいなくなっちまった・・。
 自宅で倒れて、心配停止状態で病院へ搬送、必死の蘇生措置もむなしく・・。
 50歳だった。 早すぎるよ、全く。  6月25日現在、死因は不明だけど、 
 ムリしてたんじゃないのかなぁ・・。 いっぱい薬とかも飲んでただろうし。
    
 ただ昨今のマイケルの報道には、いい加減、飽き飽きしてたとこなんで、
 正直、12年ぶりに来月始まるというロンドンでの大規模なコンサートにも、
 「おいおい、ほんとに大丈夫なん?」と、少々疑念を持っていた。
 (どう見たって、LIVEができる体じゃなかったし、カラ元気にしか見えんかった。
 きっと誰かに“やらされてる”匂いがしてならなかったし。 お金かなぁ・・。)

 というのも、彼には悪いけど、私の中ではもう“マイケルは終わっていた”から。
 彼に対して、もう新しい曲や音楽活動なんかには、もう諦めてたとこがあって。
 やはりアーチストたるもの、現役でどれだけ作品を創作できるか、活動できるか、
 さもなくば、夢を与え続けられるかで評価されるもの。 
 残念だけど、今のマイケルにはそのカケラもない。 見出せない。
 いくらカリスマ性があるなどとはいえ、本質とは違うはず。
 文句なく、彼は世界的スーパースター。 「KING OF POP」だ。

 いや、“だった”だ。   だけど・・。

 昨今のやれ金銭トラブルだ、整形疑惑だの、やれ裁判の醜い争いの数々。
 過去には性的虐待で逮捕されたこともあったっけ。
 そんな「KING OF POP」じゃなく、「KING OF GOSSIP」よろしく、
 ゴシップまみれの、芸能ネタの宝庫となったマイケルなんてもう見たくなかった。
    
 私のマイケルとの出会いは、「OFF THE WALL」が大ヒットしてるくらいで、
 ス○キのスクーターのCMでの、マイケルのキレのいいダンスと笑顔は鮮明に、
 今も目に焼き付いている。 カッコよかったなぁ・・。 輝いてました。
    
 「THRILLER」(’82)のとんでもなさ、もの凄さなんか、誰だって認めてる。
 だけど、私の中のマイケルは、“モンスター化”する前のコレで決まり。

 エグゼクティヴ・プロデューサーのクインシー・ジョーンズと初めて手を組んだ
 超セレブかつ、完璧たるグレイト・ブラック・コンテンポラリー・アルバム。
 これが「OFF THE WALL」(’79)だ。 これこそ、マイケルの最高傑作だ。

 現在のアルバム・カバーは、足元のソックスがキラリのカバーになってるけど、
 (アナログ当時の裏ジャケットが表に)  隠すのはいかんぞ、マイケル。
 私の中のマイケルは、アフロにダンゴっ鼻でニッコリのオリジナル・カバーだ。
 彼の意に反して、あえて、こっちをアップします。(こっちの方がイカすよ。)
 今では、もう整形しすぎて面影もないし、“色”まで違うもんなぁ・・。

         
     
 マイケルがクインシーと組んだことが、更なる飛躍になっていくんだけど、
 加えて、コンポーザーにロッド・テンパートンを起用したことが大きい。
 (元ヒートウェイブのキーボードやってた奴。 こいつ白人なんだけど、
  ファンキーな野郎で、“Rock With You”と“Off The Wall”は彼の作品。)
 “愛のコリーダ”と“ブギー・ナイツ”が合体ですよ。 凄いに決まってる。
 さらに、ポールとスティーヴィー・ワンダーも楽曲を提供して盛り立てて、
 バック・ミュージシャンも、書くのも嫌になるくらい顔、顔、顔の超一流どこ、
 腕利きの面々がズラリと勢揃いして、マイケルを全面バックアップ。

 大ヒット間違いなし。 売れて当たり前。 まさにパーフェクト。

 今日久々に、コレを聴いたけど、“今夜はドント・ストップ”のイントロでの、
 マイケルのウィスパリングには今でもゾクゾクするし、期待感と興奮で、
 「アォ~」一発。 そこはミラーボールがきらびやかなディスコ・フロアーへ。
 マイケルのファルセット・ヴォイス爆発のファンキー・ポップでスタート!
 そこから、アナログでいうA面はセレブなディスコ・ビートのオンパレードだ。

 私の中では彼のベスト・ソングだと思ってる“Rock With You”は、
 クールでさらりとかわし、“Workin' Day And Night”で昼夜を問わず踊り、
 マイケル史上最高のディスコ・ナンバーである“Get On The Floor”で、
 フロアを席巻。 B面の頭の“Off The Wall”もヒートウェイブっぽい、
 ビート・パターンと、マイケルのポップ感覚が融合した極上のダンス・チューン。

 B面に行くと少し表情が変わって、ポールらしいメロディが愛らしい、
 “Girlfried”が続いて、“あの娘が消えた”での、情感こもったマイケルの
 歌声に涙した女性も多いでしょう。 次のスティーヴィーの曲から、
 “それが恋だから”のソフィースケイトなメロー路線もセンス抜群。
 ところが、ラストの“ディスコで燃えて”は、濃い目のこってりファンクで、
 締めるとこなんかは、バランスも考えた一切の妥協なしの仕上がり。

 マイケルのいい意味での“無邪気っぽさ”や無垢な甘酢っぱさを残しつつ、
 ソングライティングの才能、才気を開花させ、ポップの王道への礎を築き、
 アーチストとしてのスタイルを確立させたクインシーの手腕は見事。
 後の数々の偉業達成も、彼が植えつけたポップ・センスがあったから。
 ジャクソン5時代からスター街道を歩んできたマイケルだったけど、ついに、
 世界のスーパースターになった瞬間が、この「OFF THE WALL」にある。

 “黒人”だった頃のマイケル。 ほんとに凄かった。 マジでスゲー奴だった。

 もうこれでマスコミに追われることも、あること、ないこと書かれることも、
 裁判のゴタゴタに巻き込まれることも、 顔や体の不調に悩むことも、
 すべて解放されるんだ。  ゆっくり休んでおくれ。

 でも、きっとほんとはステージに立ちたかったんだろうなぁ・・。

 さよなら、マイケル。  心よりご冥福をお祈りします。   合掌。

2009/06/26 Fri. 17:00 [edit]

Category: BLACK

Thread:マイケル・ジャクソン  Janre:音楽

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