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摩天楼の蛇たちが鼓舞する、“ダン”のウラ最高傑作。 

         THE ROYAL SCAM   STEELY DAN

           

          Kid Charlemagne  滅びゆく英雄
          The Caves Of Altamira  アルタミラの洞窟の警告
          Don't Take Me Alive  最期の無法者
          Sign In Stranger  狂った町
          The Fez  トルコ帽もないのに
          Green Earrings  緑のイヤリング
          Haitian Divorce   ハイチ式離婚
          Everything You Did  裏切りの売女
          The Royal Scam  幻想の摩天楼

 秋深し第2弾(ダン・・ シャレか)。  
 私が秋になると、一番耳にするのは、やはり“ダン”。 なぜか“ダン”です。

 前説カット。  秋になったら・・ではありませんけど、
 一年ぶりに“ダン”登場です。 よろしくお付き合いを。

 邦題「幻想の摩天楼」。 
 高層ビル群が蛇となり、ベンチで寝ている貧しい移民(ホームレス)に牙をむく。
 彼の履きつぶしの靴には穴が開いている。 せっせと“足”で稼いでいたのだろう。
 退廃した大都会NYでは、大金持ちは強く、貧民はとことん弱い。 弱肉強食の世界。
 ココじゃ、強者は容赦なく、弱者に毒牙で襲いかかるのだ。

 だから、前作「KATY LIED」ほど爽やかではなく、次作「AJA(彩)」ほど芸術的ではない。
 どことなく猥雑で、音が黒っぽくて粘り気がある“男の世界”を表現しているようだ。

 ただ直訳すると、「高貴な詐欺(ペテン)」っていう意味か。
 人を小馬鹿にするのも、はなはだしい。  わけわからん。 

 ジャケットも想像力ばかり喚起させてばかり。 音もそう。 
 ロックしたいのか、黒っぽく攻めてみたいのか、ジャズのマネごとがしたいのか。
 普通なら「中途半端だ」と言いたいところが、すべて“モノ”にしている狡猾さ。
 歌詞の難解さ、周りくどさはいつもながら、バンドなのにバンドじゃない。
 変。 変なバンド、いや、ユニット。 ロック界の“美しき奇形児”か。
 だから彼らの話をすると、どうしても“技術系”の話になってしまいます。

 ただ。 そこが“ダン”最大の魅力でもあるんです。

  

 改めて書くこともないと思いますが、
 スティーリー・ダンは当初、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーを中心とした
 “バンド”だった。 しかし、途中から2人を核にした“偏執的技術系”音楽制作集団
 に変わっていく。 2人の音楽を具現化するための場として、プロデューサーの
 ゲイリー・カッツとエンジニアのロジャー・ニコルスを構成員とした共同体として、
 「スティーリー・ダン」があり、これを維持して行くために2人以外の“道具”と
 化した超凄腕セッションマンが、曲ごと、いや更には、1フレーズごとに
 “ピース”として組み込まれて、ミクロの狂いもないジグソーパズルのごとく、
 2人の思い描く完璧なる音像を追求、構築していくのだ。
 
 1976年、ジェフ・ポーカロ(ds)がセッション界に身を移し(ボズ・スキャッグスを
 介して、「TOTO」結成に至る)、マイケル・マクドナルドがジェフ・バクスター(g)を
 追いかけるように、「ドゥービー・ブラザーズ」に加入するために、それぞれダンを
 脱退してしまう。 しかし、このフェイゲン/ベッカーには、“願ったり叶ったり”とは
 言い過ぎかもしれないが、所詮、彼らも優秀な“ピース”の一部に過ぎなかった。
 (現にコレ以降のアルバムにも、この2人はダンにセッション参加することになる)

 ここから本格的にフェイゲン/ベッカーの“バンドなき理想形”のコンセプトが始まる。

 だが、バンドの実像を持たなくなる形態にも関わらず、この狂気とパッションとアイロニー
 に満ち溢れた異様なエネルギーは何なんだろう。 なんかギトギトしてる。

   

 まずキーとなったのは、このアルバム屋台骨のリズム隊のブラックマン2人。
 バーナード・パーディ(ds)とチャック・レイニー(b)の起用がカギになってる。
 ドラムは、パーディとリック・マロッタを曲によって使い分けて、ベースは
 「PRETZEL LOGIC」から参加している名手レイニーをメインにプレイさせている。

 この2人がアルバムの基礎になって、独特のリズム感が生み出され、レゲエ、ファンク、
 ラテンなどのアプローチも、複雑なタッチが必要なビートも絶妙に対応して、
 ジャズ寄りのロックでも、ロック寄りのジャズでもないという、ダンの確固たる
 サウンドにグルーヴと柔軟性を持たせてる。

 それと、ラリー・カールトンの縦横無尽なギター・プレイがこのアルバムに、
 ダンの全作品中、特にギター・オリエンテット(ギター志向的)である印象を与える。

 このアルバムのハイライトは、いきなり“Kid Charlemagne”でやってくる。
 緊張感のあるフェイゲンのローズとクラビネットが推進力になって曲を推し進める。
 (この当時は、スティーヴィー・ワンダーも見事なクラビネットで魅了してくれた)
 リズム隊は、レイニーの弾むベースに(コーラス後のオブリガードは凄い)、
 リック・マロッタの見事なシンバル・ワーク(名曲“Peg”でのハイハットも素晴らしい)
 が、教則本のお手本みたいに、しっかり基礎を固める。

 そして、この曲の“華”であるラリー・カールトンのソロには圧巻される。
 この頃はクルセイダースを脱退したくらいだと思うが、フュージョン的なアプローチ
 はせず、ロッキッシュかつエネルギッシュに“弾きまくり”、スマートな音選びで、
 フレーズを構成して、ソロの最後のワンポイントのライトハンドも、ビシッと決める。
 あのスティーヴ・ルカサー(TOTO)が、まだアマチュアだったころ、このアルバムの
 ギター・ソロを徹底的にコピーしまくったという話が有名だけど、ルカサーが師と仰ぐ
 カールトンの「ギブソン」が、華麗にアルバムを縦横無尽に飛び交う。

      

 中でも、一番カールトンのギター唸りっぱなしなのが“Don't Take Me Alive”だ。
 ダンの曲で、これほどディストレーション・ギターが全編に渡って出ずっぱりというのは、
 珍しい。 こういう歌詞が結構えげつない曲は、ギターもワイルドでアクが強い方がいい。
 
 “Kid Charlemagne”はシングルになったが、アメリカでは売れなかったのに(82位)、
 なんとイギリスでは、彼らのシングルでは一番ヒットした曲みたい。(全英17位)
 次にカットした“The Fez”の方が上に行った。(とはいえ、59位だけど)
 これも変な曲だ。 なんでこんな曲をシングルにしたんだろう。
 「ボクは“トルコ帽”を装着しないとヤレないんだ。 やっぱダメだ・・」という、
 隠語モロダシの“情けない男”のシモの話を繰り返してるだけの、どうでもいい曲。
 しかし、レイニー&パーディのリズム隊のドス黒いビートに、洗練されたシンセが
 軽快に鳴り響く。 名と暗が混然とした無国籍なメロディのような雰囲気が心地いい。
 ここでも満を持して、鋭いソロが飛び込んでくるが、ここではカールトンではなくて、
 ベッカーが、なかなか味のあるソロを弾いてる。 

 私が、このアルバムでのベスト・トラックは、“Green Earrings” 。 
 ダン流ヘヴィー・ファンクの傑作がコレ。 これもレイニー&パーディが
 強烈な16ファンク・ビートを基本に、前半のデニー・ディアスのジャジーなソロと
 (カールトンぽく弾いてる感じもするけど)、後半のエリオット・ランドールの
 ファンキーなソロが畳みかけるスリリングな展開が見事だ。
 冷徹で憎たらしいほどクールなはずのダンが、ギットギトの熱い演奏が聴ける。

 この他にも、リラックス・ムードなのに、変速レゲエの難易度高い“Sign in Stranger”
 も、ポール・グリフィンのピアノをフューチャーして、エリオット・ランドールのソロ
 のオブリガードもなかなか面白い。 レイニーのベースはここでも跳ねまくる。
 また、“Haitian Divorce”でも、レゲエ独特の跳ねが特徴。 ディーン・パークスの
 ヴォイス・モジュレーターを使った歯切れのいいカッティング・キープが魅力だ。

      

 ダンは、NY生まれのLA育ち。 この事実だけでも“ひねくれ者”なんだけど、
 浮気を知った旦那が妻を銃で撃ち殺す話を曲にした“Everything You Did”。
 (邦題の“裏切りの売女”ってのは、ちょっと言い過ぎじゃないの?)
 その歌詞の中で、こういう小節がある。
 「 Turn Up The “Eagles” The Neighbors Are Listening
   イーグルスをもっと大きく鳴らせよ。 近所に聞こえるくらいに 」
 同じLAの代表格の彼らを、周りくどく皮肉ってるようにも思うけど、
 それを知ったイーグルスが、金字塔である“Hotel California”の中で
 「 They stab it with their “steely” knives  突き立てる鉄製のナイフ
   But they just can't kill the beast     でも、獣すら殺せない代物さ。」
 という、これも皮肉にまみれた歌詞で“お返し”してる。  とはいえ。
 どちらも救いようのないアンハッピーな後味の悪い曲に変わりないのだが・・。

 スティーリー・ダンの歴史から言えば、この前には「KATY LIED」が、そして、
 この次に、究極の芸術の域に達する「AJA」が来るわけで、まさにアルバムの完成度が
 極限へと向かっていく過程の一枚。

 しかし、音がソリッドでロックしているダンを聴きたいなら、断然コレを推したい。
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2010/10/30 Sat. 00:07 [edit]

Category: スティーリー・ダン

Thread:洋楽CDレビュー  Janre:音楽

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完璧と倦怠へのカウントダウン。 

            GAUCHO      STEELY DAN 

             

               Babylon Sisters
               Hey Nineteen
               Glamour Profession
               Gaucho
               Time Out Of Mind
               My Rival
               Third World Man

 今宵、秋の夜長。 妙にコレが聴きたくなりまして・・。 
 「GAUCHO」。  時に、この空気感にすごく浸りたくなるんですよねぇ。
   
 かなり前に「AJA」をレビューしたことがあるんですが、あれはマニアックすぎて、
 いけませんでした。 (曲ごとに全部ドラマーが違うって話で終わってしまった・・)
 そんな反省を踏まえて。 今宵はスティーリー・ダンの話によろしくお付き合いを。 

 前作「彩~AJA~」を彼らの最高傑作に推す声が多いんだけど、実は、
 聴いた回数、愛聴度を比べると、本作「GAUCHO」の方なんだよねって声が
 案外多かったりするんですよ。    

 なんで何だろう・・。

 私も、そうなんです。 断然コレ。 彼らをたまに聴きたくなるのが、やっぱコレ。
 (でも、フェイゲンのソロを入れたら、コレの倍は聴いてるのが「THE NIGHTFLY」)
 究極の破綻の無さといい、楽曲、アレンジ、演奏、音質、ミキシング、共に完璧。 

 思うに、「AJA」は、緻密で洗練されたサウンドの中にも、“ライブ”の匂いがする。
 楽曲ごとに違うミュージシャンがプレイしていても、それは、アルバム全体が
 ひとつのバンドとして見事に整合されてるのは、ほんとに奇跡的。 超名盤だ。

 対して、「GAUCHO」は、ライブの匂いが全くしない。 むしろ息苦しいくらい。
 まるで、ピカピカに磨き上げられて誰も触ることを許さないクリスタル彫刻のよう。
 なんか聴き手にも妥協を許さないっていうか、聴き手を選んでるというか、
 敷居がもの凄く高いんですよ。 「一見さんお断り」のような緊張感。
 ただ、その敷居をまたいで、その官能世界を理解すると、これが病みつきに。
 しばらく聴いてなくても、そのうち疼いてくる感覚に陥るような。

 だからじゃないのかなぁ・・。  

 彼ら特有の複雑な和音はジャズからのもの。 しかしベースにあるのは、
 R&Bを含めて、黒っぽい要素もファンクっぽいのがうまく溶け合ってる。
 初期はラテンっぽいのも、エスニック風もカントリーっぽかったりするのもあった。
 ロックじゃないね。 ジャズでもない。  クロスオーヴァー? (もう死語です)
 AORって言い方なら、的を得てるけど、もっと都会的でシュールというか・・。
 そう簡単に言い切って終えない難しさが彼らの音楽にはある。
 しかも退廃的で難解な歌詞が、それに輪を掛けて複雑にしている。

 ちなみに、“Time Out Of Mind”に出てくる歌詞 「chase the dragon」は、
 隠語で「ドラッグをキメる」という意味。表面的にはファンタジーっぽい歌詞だけど、
 実は… という深読み、裏読みの出来る歌詞。 ベッカーが麻薬中毒だったんで
 彼らって、クスリを連想させる曲が多い。 しかし、寓話的で回りくどい。
 私の乏しい想像力では理解不能な曲ばかりで・・。

        

 時間も費用もミュージシャンも、贅沢を極めたレコーディングも困難だったようだが、
 それは、「AJA」を更に(それは過敏なほどに)、研ぎ澄ませ、突きつめた結果、
 バンドとは形骸的なもので、思い描く音像に磨き上げるためには、部分的に
 ミュージシャンの微妙なセンスやタッチの違いで当てはめていくしか方法はなく、
 レコーディングの複雑さは尋常ではなかったらしい。

 彼らの屋台骨(核となる)リズム・セクションは前作より強力と言えるかもしれない。
 まずドラマーは前作ほど使い分けてはない。 (とはいえ4人の凄腕が連ねる)
 バーナード・パーディ、リック・マロッタ、スティーヴ・ガッド、ジェフ・ポーカロの4人。
 ベーシストは、ベッカーに、チャック・レイニー、アンソニー・ジャクソンの3人。
 しかし、「AJA」ほど楽曲の起伏が激しくないんで、緩急によりコンビを組み替えて、
 繊細にグルーヴ感やリズムタッチを変えて、全体のマンネリズムを抑止している。

 何と言っても、”Babylon Sisters”のイントロ45秒。 音数は少ないが、
 この張り詰めた緊張感がたまらない。 贅を極めた100万ドルのイントロだ。

 バーナード・パーディのフィル・インから始まり、チャック・レイニーのベースと
 ドン・グロルニックのエレピが加わり、左からカーンの小さいリズム・ギターを配置。
 1回パーカッションが鳴ってから元に戻り、今度は、ランディ・ブルッカーの
 トランペットとトム・スコットのテナー・サックスが入り、最後の2小節だけ、
 右からカーンのギターのカッティングが入る。 そして、フェイゲンのヴォーカルが
 入ると同時に最初から鳴っていたギターのパターンが変わる。  

 ひとつの無駄のない45秒。  それは、楽器間の隙間すら芸術に変える。
  
 それぞれの楽器の奏でる音色や、全てが合わさった時のバランス。
 1音、いや、コンマ単位でのタイミングのズレも狂いもない精度の高さ。
 ひとつでも足りない音、逆に、ひとつでも余分なプレイがあったのなら、
 全く成立しなくなる精密さ。 誰をも寄せ付けない孤高の響き。
 このイントロには、「GAUCHO」の美学が集約している。

 私としては、ギタリストの話は、蔑ろにできないんで、続けますが・・。
 主だっているのは、ベッカーと、スティーヴ・カーン、ヒュー・マクラッケンの3人。
 ギター・ソロも、効果的に曲のアクセントを付ける程度の要素が強く、 
 “Glamour Profession”での、カーンのソロは、ロブ・マウンジーのピアノと
  交互にフューチャーされて、クルージング・サウンドに華を添える。
 “My Rival”では、カーンのソロのバックで、なにげに、ハイラム・ブロックと
 リック・デリンジャーがカッテング合戦を披露。 実にクールかつスリリング。

 そして、フェイゲン/ベッカーが、わざわざNYへ呼び寄せ、鳴り物入りで参加の、
 “Time Out Of Mind”のマーク・ノップラーのフィンガー・ピッキングだ。
 (この曲は元々、パット・メセニーを起用する予定でいたそうだが)
 ディレイの掛け方も絶妙で、やはりこのタッチは誰にも真似できない。 まさに、
  この響きは“いぶし銀”。 でも当時ダイア・ストレイツは新人バンドだった・・。
 ラストの”Third World Man”のラリー・カールトンの絶品のオブリガードも見事。
 (「AJA」時にボツになったテイクを復活させたもの) アルバムでも異彩を放つ。

 淡々とした音の一つ一つの研ぎ澄まし方、こだわり方は、やはり尋常ではない。
 凄腕ばかりのメンツなのに、派手なソロを排し、各ミュージシャンの個性すら
 排したような楽曲アレンジは、更に徹底したクールネスの理論で貫かれている。

 しかし、それは同時にスリルと開放感を抹殺してしまうことに。
 過度な美学の追求は、退屈と倦怠への始まりでもあったのだ。
 (その反動で、この形態では20年も音楽制作ができなくなってしまうわけで・・。)

 とは言えども。
 恐るべしスティーリー・ダン。  その偏執狂的なまでの完全主義への執着。
 究極の音楽オタクぶり。 それを見事に結晶化してしまうとは。

 極限にまで磨き抜かれた7つの宝石のパッケージ。
 それが、「GAUCHO」だ。

2009/10/31 Sat. 23:15 [edit]

Category: スティーリー・ダン

Thread:洋楽CDレビュー  Janre:音楽

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頑固者のジャズ・コンプレックス。 

      THE NIGHTFLY      DONALD FAGEN
           
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         I.G.Y. (アイ・ジー・ワイ)
         Green Flower Street (グリーン・フラワー・ストリート)
         Ruby Baby (ルビー・ベイビー)
         Maxine (愛しのマキシン)
         New Frontier (ニュー・フロンティア)
         The Nightfly (ナイトフライ)
         The Goodbye Look (グッドバイ・ルック)
         Walk Between Raindrops (雨に歩けば)

 「これが、ジャズってものなのかな・・」
 このアルバムを初めて聴いた時の率直な感想がこうだった。
 ほとんどの人に、「大間違いだよ」って言われそうだけど、
 (彼の音楽はジャンル分けが困難。 ジャズでもなきゃ、ロックでもない)
 でも案外、これって“ジャズ”なのかも。と最近思うようになった。

 一時期の寡黙さが嘘のようにコンスタントに、(とはいっても3年サイクルだけど)
 新作を発表してくれるドナルド・フェイゲン。
 スティーリー・ダンなら「Everything Must Go」から約3年だが、
 ソロとしては「KAMAKIRIAD」から13年振りの、「MORPH THE CAT」を発表した。

 満を持して、その新作を書くぞ~。と意気込んでましたが、
 やめました。  だって同じなんですもん。
 ここまで変わらない、いや、変えようとしない。 こだわりと自信。
 これこそ、ジャズなのかも。 しかし音楽的、理論的ではなくて、
 “魂”としてのジャズ。 頑固なまでの魂。
 それは、憧れとコンプレックスとを向き合わせた魂ではなかったかと。

 ソロ第1弾としたら、24年前に遡るこの大傑作。
 私としては、彼やスティーリー・ダンとの出会いがこのアルバムだったので、
 「彩」や「ガウチョ」よりも愛着が深いし、レコードが擦り切れるほど聴いた。
 しかし、その出会いは、中古屋でのジャケ買いだった。
 そのあまりの雰囲気の良さと渋さに、背伸び仕立ての私には、
 大人のレコードって感じがして、内容関係なく買ってしまった。
 やはり、始めはほとんど聴かず、壁に飾ってっけ。

 覚えたてのタバコを吸い、(今はとっくにやめちゃったけど)
 “ダルマ”の水割りを飲みながら、夜中によく聴いてました。
 当時はスティーリー・ダンもソロも変わんない印象を持ってたけど、
 ゲイリー・カッツがプロデュースしてるとはいえ、
 ベッカーのいない、このアルバムは、やはり“フェイゲンのソロ”だ。
 (「KAMAKIRIAD」は、ベッカーがプロデュースしたため、純粋なソロではなく、
  「ガウチョ」の延長線の音に偏ってしまった)

 これほど、ジャケと音楽の雰囲気がマッチしている作品もないと思うが、
 何にも知らない、当時の私には、このスウィートでおシャレなサウンドに、
 “彼女に聴かせてみてぇなぁ~”などと、勝手な妄想を抱いてましたが、
 テーマは、「戦後のアメリカの若者の未来への憧れと諦め」だ。
 シャレてるなのは音だけ。 その中身には毒と謎が隠されているのだ。

 「国際地球観測年」たる近未来への楽観を歌った“I.G.Y”の、
 変速レゲエ(?)ビートに、マイケル&ランディ・ブレッカー兄弟の、
 ホーン・アンサンブルと、フェイゲンのシンセ・ハープが絶妙に絡んで、
 オープニングから、ノスタルジックな雰囲気へ誘う。
 ムード最高なんだけど、素晴らしい世界への理想と諦めで、かなりクールだ。

 都市部から郊外へ人が移り住む、スプロール現象による弊害や、
 (住宅街の殺人事件を、アップタイトにキメる“Green Flower Street”や、
  “Maxine”では、青年カップルの青臭いストーリーの歌詞にも登場する)
 ケネディの掲げたスローガン“フロンティア政策”により大統領に就任した年の、
 若者の背景を歌った“New Frontier”も、実に政治的で皮肉だ。
  (ソ連のキューバのミサイル基地建築による東西の緊張が高まった。
   いわゆる、キューバ危機)

 要は、全然スウィートなんかじゃないってこと。
 彼女とデートの最中に、政治の話なんかしたって・・ってことです。
 ただ、“New Frontier”では、核爆弾に逃れるために、そのカップルは、
 地下の核シェルターで、ドンチャン・パーティーをする。
 時代を遡っても、「俺達、関係ないもん」って奴らはいるわけで。
 所詮、音楽はムードと雰囲気で決まる。

 あまりサウンド面には、触れてなかったが、
 全編にラリー・カールトンのギターがフューチャーされてて、
 バックは、「ガウチョ」同様、ゲストも派手で多彩だ。
 今回は、いちいち挙げるのは割愛するけど、
 また何回プレイさせられたんでしょってくらい、完璧にキメてくれている。
 
 “The Nightfly”たる、深夜にジャズをかけるDJ扮するフェイゲン。
 ソニー・ロリンズの「THE CONTEMPORARY LEADERS+」をかけようとしている。
 いや、リクエストに答えてるのかな。
 重ねるが、これほど、ジャケと雰囲気がマッチしている作品はない。

2006/03/26 Sun. 09:50 [edit]

Category: スティーリー・ダン

Thread:洋楽CDレビュー  Janre:音楽

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究極の浪費と要求の完成型。 

        AJA         STEELY DAN
            
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        Black Cow (ブラック・カウ)
        Aja (彩 エイジャ)
        Deacon Blues (ディーコン・ブルース)
        Peg (ペグ)
        Home At Last (安らぎの家)
        I Got The News (アイ・ガット・ザ・ニュース)
        Josie (ジョージー)

 ロック・バンドから、クリエィティヴ集団へ。
 ドナルド・フェイゲン(vo、Key)とウォルター・ベッカー(g、b)の二人に、
 プロデューサーのゲイリー・カッツとエンジニアのロジャー・ニコルスの4人が、
 この時期のSTEELY DANたる名称または、“形態”といっていい。

 彼らに、“妥協”という文字はない。
 思い描く音像を構築させる為なら、何人もの超一流のミュージシャンを、
 適材適所で使い分け、繰り返し繰り返し、何度も何度も・・。
 時間もお金も湯水のごとく、糸目をつけず注ぎ込み、
 彫刻芸術のごとく、洗練された官能世界を展開するのだ。

 彼らを語るには、当時の背景や、奇妙なジャケット、難解で廻りくどい歌詞を、
 絡めて語るべきだが、今回は割愛。
 やはり、スティーリー・ダンは、“音”で語るべし。

 まず特筆すべきは、そうそうたるドラマー陣だ。
 ベースをほぼチャック・レイニーで固定し、7曲で6人のドラマーを次ぎ込んでいる。
 彼らのリズムに対する並々ならぬこだわりの結果は、00年にリマスターされたCDで、
 曲ごとの微妙なタッチの違いが良く解かるようになった。
 
 “Black Cow”
 ポール・ハンフリー(ds)とレイニーのファンク・ビートに、
 ジョー・サンプルのクラヴィネットが、うまく折り重なり、
 ノッケから、全体の空気がピーンと張り詰める。
 ヴィクター・フェルドマンのエレピ・ソロと、トム・スコットのSAXソロが絶品。

 “Aja”
 オリエンタル、極東をイメージした組曲に仕上げたジャズ・ロックに。
 なんといっても、中間部とブリッジでの、ウエイン・ショーターのSAXソロと、
 スティーヴ・ガット(ds)のフィル・インのバトルが凄まじい、名演だ。

 “Deacon Blues”
 この曲のみベッカーがベースを弾き、バーナード・パーディ(ds)が刻む。
 さりげなくも重要なのは、ホーン・アンサンブルと、
 ピート・クリストリーブのSAXソロで、
 ゴスペル風コーラスの味付けで、うまく摩天楼を描き出すところが粋だ。

 “Peg”
 彼らのマスターピースといっていいR&Bポップ。
 リズム・トラックは、レイニーとリック・マロッタ(ハイハットが素晴しい!)。
 サビをレイニーの内緒でプレイしたスラッピング・ベースと、
 マイケル・マクドナルドの多重コーラスで見事に構築している。
 有名なエピソードとして、ギター・ソロを、6~7人試したのにボツにして、
 結局、一発でキメた元エアプレイのジェイ・グレイドンのソロになったことだ。

 “Home At Last”
 バーナード・パーディの、独特のシャッフル・ビートが、
 核になって支える。 これに尽きる。
 ラリー・カールトンを脇にやり、ベッカーのヘタウマ(?)ソロが、
 ある意味、いいアクセントになってる。

 “I Got The News”
 アルバム中最もスピーディーな曲は、エド・グリーン(ds)と、
 マクドナルドのコーラスでリードするが、
 フェルドマンのエレピとフェイゲンのシンセによる“みせかけホーン”が光る。

 “Josie”
 一度聴いたら忘れられない不思議なジャンプ・ビートの名曲。
 レイニーとジム・ケルトナー(ds)が織り成すファンク・リズムに、
 ラリー・カールトンのカッティングがプラスすることで効果倍増。
 
 書き出したら、思わず全曲書いてしまったが、
 ソロのダビング・パートを除いて、ベーシック・トラックは、
 すべてライブ・レコーディングされたそうだ。
 だから、密室の中での積み重ねでも、誰であれ、「彩」の根底にある、
 強固で、かつ繊細なグルーヴを生み出すことができたのだ。

 ロックでもなきゃ、ジャズでもない。
 フュージョンやクロスオーヴァー(死語)に近いが、そうとも言い切れない。
 ジャズに憧れた私にしてみたら、“ジャジー”という曖昧さが、
 敷居を下げてくれた、大事なアルバムであり、
 私に“ジャズ”を、初めて意識させてくれたのだった。
 

2006/01/12 Thu. 19:27 [edit]

Category: スティーリー・ダン

Thread:洋楽CDレビュー  Janre:音楽

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