フランスに魅せられた殿下の行進は、モノクロームの世界。
PARADE PRINCE & THE REVOLUTION
Music From The Motion Picture “Under The Cherry Moon”

Christopher Tracy's Parade
New Position
I Wonder U
Under The Cherry Moon
Girls & Boys
Life Can Be So Nice
Venus De Milo
Mountians
Do U Lie?
Kiss
Anotherloverholenyohead
Sometimes It Snows In April
“殿下”ことプリンスは、いまだ健在だ。
ニューアルバム「20Ten」を、欧州の新聞や雑誌の付録(!)として発表して、
配布したが、(07年に発表した「PLANET EARTH」の時もそうだった)
そんな殿下の英デイリー・ミラー紙のインタビューでのコメントが物議を醸してる。
「 なぜ自分の新しい音楽をiTunesや他の配信サイトに渡さなければならないのか。
全く理解できない。
彼らは前払いもしないくせに、それで楽曲の販売権が手に入らないと怒り出す。」
と批判し、さらに、
「 インターネットはMTVのようだ。 でも、もう完全に終わったよ。
かつてはイケてる時代もあったが、あっという間に時代遅れになった。
とにかく、コンピューターやデジタル・ガジェットとかいうものは、
どれもダメだ。 人の頭の中を数字でいっぱいにするだけで、
そんなもの誰にとってもいいわけががない。 」
ですって。
う~ん・・。 考えさせられる発言だ。 もう頼り切ってますもん、我々は。
ファンサイトでの写真の使用も禁止し、YouTubeの削除も熱心。
自身の公式サイトも閉鎖するほど、ネット上での自身の音源や肖像権には、
うるさい殿下ならではの発言なんでしょうが、これからの“音楽”の在り方を
警鐘する鋭い指摘だ。 (ほんとにどうなっていくんでしょう・・)
今宵は、ご無沙汰の“殿下”の登場です。 どれでいくか迷ったんですが・・。
コレにしました。 86年の傑作「PARADE」の話によろしくお付き合いを。
83年の「1999」を境に、極度な性的表現や肉体の露出を抑制する方向に向かい、
大衆にも受け入れられ、ついに84年の「PURPLE RAIN」で大ブレイクするも、
矢継ぎ早に「AROUND THE WORLD IN A DAY」を提示。 大衆をちょっと突き放す
クールな内容で、それは、ペイズリー・パークの理解者に向けた魅力的なアルバム
だった。 まさに、“実験をも成功に変える”作品を次々にリリースする殿下。
エゲツないステージ・パフォーマンスや、爬虫類を思わせる身のこなしの印象から、
当時は、亡くなったマイケルとよく比較されたけれど、“誤解を理解に変えてきた”。
その孤高の存在感と気高さに、特異な音楽性。 間違いなく、最先端は殿下だった。
86年に間髪いれず、この決定打を提示する。 これも創造精神あふれる革新的な音。
“時代と寝ていた”とはまさにこういうこと。 80年代最高のトリックスターは殿下だ。
元々、このアルバムは殿下自身が監督、主役を務めた「UNDER THE CHERRY MOON」
なる映画の、サントラ盤として制作されたものだが、映画は大コケして、酷評された。
(フランスのリゾート地を舞台に若いピアノ弾きのクリストファー・トレイシーを
めぐって展開する他愛もない恋愛映画)

この際、映画はどうでもいい。
( しかし殿下は、フランスがお好きなようで。
殿下自身は、南フランスを舞台にした、この映画に良い印象は持ってないようですが、
殿下のフランス文化への傾倒は有名だし、フランスでは、定期的にライブもしている。
最近は、フランスに移住したいと真剣に考えてるようですし。 )
サントラがベース(基盤)になっている構成なんで、アナログA面は、短めの曲が、
ほぼメドレー状態で収録されており、最初から最後まで硬質なドラムの音にディレイを
かけた“乾いたビート”に乗せて、必要最低限のホーンや、ギターを組み合わせた曲調
が特徴。 隙間だらけで音数は少ないけど、ちゃんとグルーヴ感は残されているという
殿下の“専売特許特殊”ともいえる、独創的ファンクは、このアルバムで生み出された。
実質「1999」から、彼の音楽的サポートをしてきたバックバンドである
“レヴォリューション”名義としては最後の作品になるが、前作までとは、
グルーヴの根本から“音”が違う。 同じバンドとは思えない変わりようだ。

文章で書くと、うまく伝わらないかもしれないけど・・、
ループするようなグルーヴに、「パン!」とブレイクさせる決めのビート音。
それに、軽めのテレキャスのカッティングと、チープなシンセを乗っける。
(“マッドキャット”っていう殿下愛用のテレキャスターで、現在でも使用してる。
“Let's Go Crazy”で弾き倒してる姿が印象的だし、ほんとカッコよかった。 )
絶妙のタイミングで、カエルを踏んづけたような「フォッー‼」の奇声一発。
色でいえば、全面“紫”。 これを“気持ち悪い”と思うか否か。
でも、一度ハマれば病みつきになる音。 嫌悪から崇拝へと即座に変えてしまう。
しかし、このアルバムでのレヴォリューションは、色でいえば、“白と黒”。
サイケデリックなのに、モノクロームの世界。 このコントラストは見事。
ノッケの“Christopher Tracy's Parade”のイントロのドラムのパターンや音色
からして、殿下の世界全開だ。 スネアのエコーが大げさに広がるエフェクト処理が
独特で、これほど“変態的”なドラムの音色は、後にも先にも殿下だけだ。
この曲は、ファンファーレよろしく、目くるめく音楽絵巻のテーマ曲であり、
序曲でもある。「PARADE」というタイトルに相応しく、主役は派手でサイケデリックな
オーケストラの映画音楽に近い雰囲気と効果をもたらしている。
短い間隔で次々と繰り出される楽曲、パフォーマンスが、その個々の完成度の高さに
加えて、万華鏡にように“姿を変え、趣を変えて”どんどん畳みかけてくる。
一曲目から、次の“New Position”への繋ぎでも、そのエキセントリックさは全開。
スティール・ドラムの音を強調して、(スネアに重ねて使用する)、無駄な音は
一切省き、なんとも息苦しいペタペタとした不思議な世界に誘うのだ。

コレをそのままスローにした、ウェンディ&リサが歌う、デカダンス的美しさを
妖艶に放つ“I Wonder U”に、映画のテーマ曲でもあったメロディアスでダウナーな
“Under The Cherry Moon”から一転、ガラリと曲調が変わり、腰砕け状態に。
シングルカットもされ、悪ふざけも甚だしい、“おちょくりファンク”炸裂の
“Girls & Boys”では、JBの影響を上手く消化していて、殿下の“ラップ”も
初披露。 この曲は、映画でのパフォーマンスも秀逸だった。
このアルバムは、個体としても完成度が高い楽曲がメドレー形式になっており、
1曲目からLPのA面最後に当たる、カウベルが鳴り、変な笛に、歪んだドラム音の
“Life Can Be So Nice”までは、切れ目がなく繋がっていて、
洒落たインストゥメンタルの“Venus De Milo”で、アナログでのA面を締める。
B面は、2ndシングルにもなった、派手で比較的大所帯での力強いファンクの
“Mountains”でスタート。 この曲は、イマイチだった映画でのエンディングで
天国に昇ったクリストファーが、レヴォリューションの面々と雲の上でプレイする。
これがモノクロームで処理された映像で、実に素晴らしいパフォーマンス。
ウェンディのセクシーな背中と、ちょっとポチャったリサの表情がいいんですよ。
(この曲の作曲クレジットは、殿下ではなくて、なんとウェンディ&リサ)

フレンチ・ジャズ風の“Do U Lie?”を経て、ヴァラエティに富んだ流れを演出するが、
なんといっても、このアルバムのクライマックスはファースト・シングルでもあった
“Kiss”だ。
これぞ、引き算の美学。 斬新すぎるシンプル構造。 骨と皮のみ。
ほぼハイハットとドラム・リバーブに、テレキャスのカッティングだけ。
ベースレス密室ファンクの最高傑作だ。
この曲は、もともとプリンス・ファミリーのマザラッティのために、
(レヴォリューションのベーシストだったマーク・ブラウンのバンド)
書かれた曲で、殿下がスタジオで、小さなテレコの前でアコギで吹き込んだ
2分弱のデモ音源が“Kiss”の元になった。 数日後、各パートを構築
していく段階で、「これは売れる」と踏んだか、殿下自らの曲に引き戻した。

ブルース風のファンクにも聴こえるけど、キメのフレーズと間奏以降のみで、
殿下の見事なファンキー・カッティングがこの曲の肝。 お得意のファルセット
全開で、クセのある曲なんだけど、コレが驚くほどカッコいい。
隙間だらけなのに、他の楽器の入るスペースがないのだ。
実は殿下の場合。 デモ段階から長めの曲を作り、音像を構築した後で、
アルバムには、その短いヴァージョン(エディット・ヴァージョン)に編集して、
入れるという、逆の作業をしていた。
(普通は、後から音を加えて、ロング・ヴァージョンを作るのだが)
この“Kiss”も、たぶん同じ過程で出来上がった思う。 この曲には、
7分ちょっとのエクステンデッド・ヴァージョンがあるんだけど、 コレを聴くと、
“Kiss”は、まさに、“引き算の美学”で生まれたのが良く分かる。
通常の3分強の“Kiss”のあとに、ホーンやシンセや、もちろんベースも入れて、
大ファンク大会に仕上げてて、通常とは、真逆のアレンジになってるのが興味深い。
(でもコレが、とてつもなく、つまんなくて・・。)
“Kiss”には、他の音は一切要らないワケです。
間髪入れず、ややヘヴィーでポップな“Anotherloverholenyohead”に移る。
暗めのメロディだけど、分かりやすさという点では、このアルバムで一番ポップ
かもしれない。
そして、ピアノとアコギのみの美しすぎる名曲"Sometimes It Snows In April”で
有終の美を飾るのである。 最後の最後に“癒し系”を持ってくるとは・・。
映画における主役のクリストファー(殿下)自身の死を、自ら悼むという倒錯感も、
彼ならでは。 ある意味、究極のナルシズムなのかも。
「4月に雪が降ることもある。 時には、悲しみに身を沈めることもある・・」と。

思うに、このアルバムに関して殿下自身は、「楽しく歌えた、演奏できた」と、
発言している一方で、ほんとは全然満足できていない様子なんでしょう、
「“Kiss”以外に僕のものだと誇れるものが何もない」と語っていたように、
ウェンディやリサを中心としたレヴォリューションのメンバーの寄与が非常に大きい
アルバムだったのではないかと思う。 (殿下のリーダーシップは変わらないものの)
殿下自身からすれば、“レヴォリューション”というユニットが、
一定の成果を収めていることは認めるものの、次から次へと湧いてくるアイデアが
溢れていた殿下からすれば、自己表現の“実現不足”といったものが、
先の発言にも繋がっているように感じる。
殿下は、ここでピークだったレヴォリューションを解散させる。
すると、再び“ひとり”でスタジオに籠り、過去のマテリアルを徹底的に洗い出す。
そして、とことんまで探求し、己のファンクネスに陶酔していくワケです・・。
Music From The Motion Picture “Under The Cherry Moon”

Christopher Tracy's Parade
New Position
I Wonder U
Under The Cherry Moon
Girls & Boys
Life Can Be So Nice
Venus De Milo
Mountians
Do U Lie?
Kiss
Anotherloverholenyohead
Sometimes It Snows In April
“殿下”ことプリンスは、いまだ健在だ。
ニューアルバム「20Ten」を、欧州の新聞や雑誌の付録(!)として発表して、
配布したが、(07年に発表した「PLANET EARTH」の時もそうだった)
そんな殿下の英デイリー・ミラー紙のインタビューでのコメントが物議を醸してる。
「 なぜ自分の新しい音楽をiTunesや他の配信サイトに渡さなければならないのか。
全く理解できない。
彼らは前払いもしないくせに、それで楽曲の販売権が手に入らないと怒り出す。」
と批判し、さらに、
「 インターネットはMTVのようだ。 でも、もう完全に終わったよ。
かつてはイケてる時代もあったが、あっという間に時代遅れになった。
とにかく、コンピューターやデジタル・ガジェットとかいうものは、
どれもダメだ。 人の頭の中を数字でいっぱいにするだけで、
そんなもの誰にとってもいいわけががない。 」
ですって。
う~ん・・。 考えさせられる発言だ。 もう頼り切ってますもん、我々は。
ファンサイトでの写真の使用も禁止し、YouTubeの削除も熱心。
自身の公式サイトも閉鎖するほど、ネット上での自身の音源や肖像権には、
うるさい殿下ならではの発言なんでしょうが、これからの“音楽”の在り方を
警鐘する鋭い指摘だ。 (ほんとにどうなっていくんでしょう・・)
今宵は、ご無沙汰の“殿下”の登場です。 どれでいくか迷ったんですが・・。
コレにしました。 86年の傑作「PARADE」の話によろしくお付き合いを。
83年の「1999」を境に、極度な性的表現や肉体の露出を抑制する方向に向かい、
大衆にも受け入れられ、ついに84年の「PURPLE RAIN」で大ブレイクするも、
矢継ぎ早に「AROUND THE WORLD IN A DAY」を提示。 大衆をちょっと突き放す
クールな内容で、それは、ペイズリー・パークの理解者に向けた魅力的なアルバム
だった。 まさに、“実験をも成功に変える”作品を次々にリリースする殿下。
エゲツないステージ・パフォーマンスや、爬虫類を思わせる身のこなしの印象から、
当時は、亡くなったマイケルとよく比較されたけれど、“誤解を理解に変えてきた”。
その孤高の存在感と気高さに、特異な音楽性。 間違いなく、最先端は殿下だった。
86年に間髪いれず、この決定打を提示する。 これも創造精神あふれる革新的な音。
“時代と寝ていた”とはまさにこういうこと。 80年代最高のトリックスターは殿下だ。
元々、このアルバムは殿下自身が監督、主役を務めた「UNDER THE CHERRY MOON」
なる映画の、サントラ盤として制作されたものだが、映画は大コケして、酷評された。
(フランスのリゾート地を舞台に若いピアノ弾きのクリストファー・トレイシーを
めぐって展開する他愛もない恋愛映画)

この際、映画はどうでもいい。
( しかし殿下は、フランスがお好きなようで。
殿下自身は、南フランスを舞台にした、この映画に良い印象は持ってないようですが、
殿下のフランス文化への傾倒は有名だし、フランスでは、定期的にライブもしている。
最近は、フランスに移住したいと真剣に考えてるようですし。 )
サントラがベース(基盤)になっている構成なんで、アナログA面は、短めの曲が、
ほぼメドレー状態で収録されており、最初から最後まで硬質なドラムの音にディレイを
かけた“乾いたビート”に乗せて、必要最低限のホーンや、ギターを組み合わせた曲調
が特徴。 隙間だらけで音数は少ないけど、ちゃんとグルーヴ感は残されているという
殿下の“専売特許特殊”ともいえる、独創的ファンクは、このアルバムで生み出された。
実質「1999」から、彼の音楽的サポートをしてきたバックバンドである
“レヴォリューション”名義としては最後の作品になるが、前作までとは、
グルーヴの根本から“音”が違う。 同じバンドとは思えない変わりようだ。

文章で書くと、うまく伝わらないかもしれないけど・・、
ループするようなグルーヴに、「パン!」とブレイクさせる決めのビート音。
それに、軽めのテレキャスのカッティングと、チープなシンセを乗っける。
(“マッドキャット”っていう殿下愛用のテレキャスターで、現在でも使用してる。
“Let's Go Crazy”で弾き倒してる姿が印象的だし、ほんとカッコよかった。 )
絶妙のタイミングで、カエルを踏んづけたような「フォッー‼」の奇声一発。
色でいえば、全面“紫”。 これを“気持ち悪い”と思うか否か。
でも、一度ハマれば病みつきになる音。 嫌悪から崇拝へと即座に変えてしまう。
しかし、このアルバムでのレヴォリューションは、色でいえば、“白と黒”。
サイケデリックなのに、モノクロームの世界。 このコントラストは見事。
ノッケの“Christopher Tracy's Parade”のイントロのドラムのパターンや音色
からして、殿下の世界全開だ。 スネアのエコーが大げさに広がるエフェクト処理が
独特で、これほど“変態的”なドラムの音色は、後にも先にも殿下だけだ。
この曲は、ファンファーレよろしく、目くるめく音楽絵巻のテーマ曲であり、
序曲でもある。「PARADE」というタイトルに相応しく、主役は派手でサイケデリックな
オーケストラの映画音楽に近い雰囲気と効果をもたらしている。
短い間隔で次々と繰り出される楽曲、パフォーマンスが、その個々の完成度の高さに
加えて、万華鏡にように“姿を変え、趣を変えて”どんどん畳みかけてくる。
一曲目から、次の“New Position”への繋ぎでも、そのエキセントリックさは全開。
スティール・ドラムの音を強調して、(スネアに重ねて使用する)、無駄な音は
一切省き、なんとも息苦しいペタペタとした不思議な世界に誘うのだ。

コレをそのままスローにした、ウェンディ&リサが歌う、デカダンス的美しさを
妖艶に放つ“I Wonder U”に、映画のテーマ曲でもあったメロディアスでダウナーな
“Under The Cherry Moon”から一転、ガラリと曲調が変わり、腰砕け状態に。
シングルカットもされ、悪ふざけも甚だしい、“おちょくりファンク”炸裂の
“Girls & Boys”では、JBの影響を上手く消化していて、殿下の“ラップ”も
初披露。 この曲は、映画でのパフォーマンスも秀逸だった。
このアルバムは、個体としても完成度が高い楽曲がメドレー形式になっており、
1曲目からLPのA面最後に当たる、カウベルが鳴り、変な笛に、歪んだドラム音の
“Life Can Be So Nice”までは、切れ目がなく繋がっていて、
洒落たインストゥメンタルの“Venus De Milo”で、アナログでのA面を締める。
B面は、2ndシングルにもなった、派手で比較的大所帯での力強いファンクの
“Mountains”でスタート。 この曲は、イマイチだった映画でのエンディングで
天国に昇ったクリストファーが、レヴォリューションの面々と雲の上でプレイする。
これがモノクロームで処理された映像で、実に素晴らしいパフォーマンス。
ウェンディのセクシーな背中と、ちょっとポチャったリサの表情がいいんですよ。
(この曲の作曲クレジットは、殿下ではなくて、なんとウェンディ&リサ)

フレンチ・ジャズ風の“Do U Lie?”を経て、ヴァラエティに富んだ流れを演出するが、
なんといっても、このアルバムのクライマックスはファースト・シングルでもあった
“Kiss”だ。
これぞ、引き算の美学。 斬新すぎるシンプル構造。 骨と皮のみ。
ほぼハイハットとドラム・リバーブに、テレキャスのカッティングだけ。
ベースレス密室ファンクの最高傑作だ。
この曲は、もともとプリンス・ファミリーのマザラッティのために、
(レヴォリューションのベーシストだったマーク・ブラウンのバンド)
書かれた曲で、殿下がスタジオで、小さなテレコの前でアコギで吹き込んだ
2分弱のデモ音源が“Kiss”の元になった。 数日後、各パートを構築
していく段階で、「これは売れる」と踏んだか、殿下自らの曲に引き戻した。

ブルース風のファンクにも聴こえるけど、キメのフレーズと間奏以降のみで、
殿下の見事なファンキー・カッティングがこの曲の肝。 お得意のファルセット
全開で、クセのある曲なんだけど、コレが驚くほどカッコいい。
隙間だらけなのに、他の楽器の入るスペースがないのだ。
実は殿下の場合。 デモ段階から長めの曲を作り、音像を構築した後で、
アルバムには、その短いヴァージョン(エディット・ヴァージョン)に編集して、
入れるという、逆の作業をしていた。
(普通は、後から音を加えて、ロング・ヴァージョンを作るのだが)
この“Kiss”も、たぶん同じ過程で出来上がった思う。 この曲には、
7分ちょっとのエクステンデッド・ヴァージョンがあるんだけど、 コレを聴くと、
“Kiss”は、まさに、“引き算の美学”で生まれたのが良く分かる。
通常の3分強の“Kiss”のあとに、ホーンやシンセや、もちろんベースも入れて、
大ファンク大会に仕上げてて、通常とは、真逆のアレンジになってるのが興味深い。
(でもコレが、とてつもなく、つまんなくて・・。)
“Kiss”には、他の音は一切要らないワケです。
間髪入れず、ややヘヴィーでポップな“Anotherloverholenyohead”に移る。
暗めのメロディだけど、分かりやすさという点では、このアルバムで一番ポップ
かもしれない。
そして、ピアノとアコギのみの美しすぎる名曲"Sometimes It Snows In April”で
有終の美を飾るのである。 最後の最後に“癒し系”を持ってくるとは・・。
映画における主役のクリストファー(殿下)自身の死を、自ら悼むという倒錯感も、
彼ならでは。 ある意味、究極のナルシズムなのかも。
「4月に雪が降ることもある。 時には、悲しみに身を沈めることもある・・」と。

思うに、このアルバムに関して殿下自身は、「楽しく歌えた、演奏できた」と、
発言している一方で、ほんとは全然満足できていない様子なんでしょう、
「“Kiss”以外に僕のものだと誇れるものが何もない」と語っていたように、
ウェンディやリサを中心としたレヴォリューションのメンバーの寄与が非常に大きい
アルバムだったのではないかと思う。 (殿下のリーダーシップは変わらないものの)
殿下自身からすれば、“レヴォリューション”というユニットが、
一定の成果を収めていることは認めるものの、次から次へと湧いてくるアイデアが
溢れていた殿下からすれば、自己表現の“実現不足”といったものが、
先の発言にも繋がっているように感じる。
殿下は、ここでピークだったレヴォリューションを解散させる。
すると、再び“ひとり”でスタジオに籠り、過去のマテリアルを徹底的に洗い出す。
そして、とことんまで探求し、己のファンクネスに陶酔していくワケです・・。
祝!! “PRINCE” Is Back。
3121
PRINCE

3121
Lolita
Te Amo Cozazon
Black Sweat
Incense And Candles
Love
Satisfied
Fury
The Word
Beautiful, Loved And Blessed
The Dance
Get On The Boat
この人、ふっ切れたのかな。
この人の新譜を“買わなきゃ!”って思ったのなんて、何年ぶりだか。
たぶん新譜を心待ちにして、コンスタントに聴いていたのは、
91年発表の「DIAMONDS AND PEARLS」までだったから、
約15年ぶり(!)の衝動なのかな。
ただそれからの改名後やレーベル変更後の作品は、
私の興味の対象から離れてしまってたんで、
しばらくは、彼の音楽やアルバムなど遠ざかってしまってた。
(しかし、彼は地道に作品を発表し続けていたのです。 あんたはエライ。)
00年に再び“PRINCE”に名前を戻して、04年の「MUSICOLOGY」あたりから、
かつての“輝き”を取り戻しつつあったんで、この“完全復活”は予想できたが、
まさか、ここまで戻ってくれるとは。
この新譜発表近しのニュースがチラホラしだした辺りで、
先行シングル“Te Amo Cozazon”を聴いたが、
なんとあの殿下がラテンをやってしまってる事実に、
「あ~。そっちいっちゃったかぁ~」と一度は愕然としてしまった。
ボサノバやってる殿下なんて・・。 やっぱ、殿下にゃ強烈なファンクが似合う。
しかし、次の“Black Sweat”で突き動かされた。 コレだ。 コレだよ!
まるで、名曲“Kiss”を思い出させる、得意のワンマン打ち込み型の、
音を最小限度に削ぎ落とした、ベースレス密室ファンク。
おまけに、「服を脱いでしまう」だの、「黒い汗かいて激しく」だの、
奇声と裏声全開の、封印していたエロファンクの大復活。
「おぉ~。やっぱプリンスはコレだぜ」と唸ってしまう出来だ。
そして、このアルバムだ。
期待どおりとは、このことをいうのかな。
大傑作「サイン・オブ・ザ・タイムス」を思い出してしまった。
PRINCEの総回顧ともいえる、“PRINCE”という音楽のすべてを網羅したアルバムだ。
はっきりいって、好きだった頃の“PRINCE”の音だ。
ただ、正直この男には原点回帰とか、過去を振り返るみたいなこととは、
無縁だと思ってた。 いや、似合わない。
常に前を見据え、先を捉えて、革新的、前衛的に攻めていたのが“PRINCE”のはず。
しかし、このアルバムは、“PRINCE”の総合アミューズメント。
ノッケからNPGを彷彿させる重たいドラム・ビートで推し進めるヘヴィー・ファンク。
次の“Lolita”は、チープなシンセが懐かしい(?)感じすらするポップ・ファンク。
“Fury”では、「1999」で使ってたシンセの音をバックにギター弾き倒しだし、
ミネアポリスあり、ディープ・ソウルあり、そしてラテンあり。
ラストの“Get On The Boat”では、メイシオ・パーカーやキャンディ・ダルファーらを、
ホーン隊に従え、ビッグ・バンド風ファンク・ジャム大会で大盛り上がり。
(なんとパーカッションは、あの“愛しきグラマラス・ライフ”シーラEだ。)
Billboard誌のアルバム・チャートで初登場1位だったということからして、
今の時代になっても、“PRINCE”の音楽に、まだまだニーズがあるということだ。
天才の勘というのか、はたまた計算の上でのことか理解できないが、
あの“PRINCE”が、未だに“通用”することは喜ばしいではないか。
「3121」って、彼の自宅の番地らしい。
中ジャケなんかも、彼の自宅の中をこれでもかと見せつける。
あれほど、秘密主義だった男が、これほどオープンにだ。
よほどの自信作なのだろう。
“Classic PRINCE Is Back”。
時代を超えての、孤高の天才の揺さぶりに、
しばらくは、揺さぶられていようと思う。

3121
Lolita
Te Amo Cozazon
Black Sweat
Incense And Candles
Love
Satisfied
Fury
The Word
Beautiful, Loved And Blessed
The Dance
Get On The Boat
この人、ふっ切れたのかな。
この人の新譜を“買わなきゃ!”って思ったのなんて、何年ぶりだか。
たぶん新譜を心待ちにして、コンスタントに聴いていたのは、
91年発表の「DIAMONDS AND PEARLS」までだったから、
約15年ぶり(!)の衝動なのかな。
ただそれからの改名後やレーベル変更後の作品は、
私の興味の対象から離れてしまってたんで、
しばらくは、彼の音楽やアルバムなど遠ざかってしまってた。
(しかし、彼は地道に作品を発表し続けていたのです。 あんたはエライ。)
00年に再び“PRINCE”に名前を戻して、04年の「MUSICOLOGY」あたりから、
かつての“輝き”を取り戻しつつあったんで、この“完全復活”は予想できたが、
まさか、ここまで戻ってくれるとは。
この新譜発表近しのニュースがチラホラしだした辺りで、
先行シングル“Te Amo Cozazon”を聴いたが、
なんとあの殿下がラテンをやってしまってる事実に、
「あ~。そっちいっちゃったかぁ~」と一度は愕然としてしまった。
ボサノバやってる殿下なんて・・。 やっぱ、殿下にゃ強烈なファンクが似合う。
しかし、次の“Black Sweat”で突き動かされた。 コレだ。 コレだよ!
まるで、名曲“Kiss”を思い出させる、得意のワンマン打ち込み型の、
音を最小限度に削ぎ落とした、ベースレス密室ファンク。
おまけに、「服を脱いでしまう」だの、「黒い汗かいて激しく」だの、
奇声と裏声全開の、封印していたエロファンクの大復活。
「おぉ~。やっぱプリンスはコレだぜ」と唸ってしまう出来だ。
そして、このアルバムだ。
期待どおりとは、このことをいうのかな。
大傑作「サイン・オブ・ザ・タイムス」を思い出してしまった。
PRINCEの総回顧ともいえる、“PRINCE”という音楽のすべてを網羅したアルバムだ。
はっきりいって、好きだった頃の“PRINCE”の音だ。
ただ、正直この男には原点回帰とか、過去を振り返るみたいなこととは、
無縁だと思ってた。 いや、似合わない。
常に前を見据え、先を捉えて、革新的、前衛的に攻めていたのが“PRINCE”のはず。
しかし、このアルバムは、“PRINCE”の総合アミューズメント。
ノッケからNPGを彷彿させる重たいドラム・ビートで推し進めるヘヴィー・ファンク。
次の“Lolita”は、チープなシンセが懐かしい(?)感じすらするポップ・ファンク。
“Fury”では、「1999」で使ってたシンセの音をバックにギター弾き倒しだし、
ミネアポリスあり、ディープ・ソウルあり、そしてラテンあり。
ラストの“Get On The Boat”では、メイシオ・パーカーやキャンディ・ダルファーらを、
ホーン隊に従え、ビッグ・バンド風ファンク・ジャム大会で大盛り上がり。
(なんとパーカッションは、あの“愛しきグラマラス・ライフ”シーラEだ。)
Billboard誌のアルバム・チャートで初登場1位だったということからして、
今の時代になっても、“PRINCE”の音楽に、まだまだニーズがあるということだ。
天才の勘というのか、はたまた計算の上でのことか理解できないが、
あの“PRINCE”が、未だに“通用”することは喜ばしいではないか。
「3121」って、彼の自宅の番地らしい。
中ジャケなんかも、彼の自宅の中をこれでもかと見せつける。
あれほど、秘密主義だった男が、これほどオープンにだ。
よほどの自信作なのだろう。
“Classic PRINCE Is Back”。
時代を超えての、孤高の天才の揺さぶりに、
しばらくは、揺さぶられていようと思う。
殿下が応じたコマーシャリズム。
PURPLE RAIN
PRINCE & THE REVOLUTION

Let's Go Crazy (レッツ・ゴー・クレイジー)
Take Me With U (テイク・ミー・ウィズ・ユー)
The Beautiful Ones (ビューティフル・ワンズ)
Computer Blue (コンピューター・ブルー)
Darling Nikki (ダーリン・ニッキー)
When Doves Cry (ビートに抱かれて)
I Would Die 4 U (ダイ・フォー・ユー)
Baby i'm A Star (ベイビー・アイム・ア・スター)
Purple Rain (パープル・レイン)
“プリンスを書かなくては・・。” なぜか、そんな衝動に駆られまして。
正直、これといってコアなファンではないんですが、
BACK TO THE 80'sモード気味の昨今の私にとって、
彼は避けて通れません。
いや、80年代を語る上で最も重要な男といってもいいだろう。
まさに孤高の天才。 それはスキャンダラスで刺激的。
キレまくってたし、次の展開が全く読めない。
80年代の最先端を切り拓いたポップの革命児であった。
さてじゃぁ、どれをレビューするかと・・。
初期の殿下流パンク・ファンク(死語です)の完成形ともいうべき「1999」か、
高密度のファンクネスを追求し昇華した総決算ともいうべき、
「サイン・オブ・ザ・タイムス」のどちらかを書くつもりでいたんだけど、
やはり、彼をスターダムへと押し上げた、このモンスター・アルバムを、
無視できなかったし、 当時めちゃくちゃ聴いたプリンスのアルバムっていえば、
この「パープル・レイン」だった。
「1999」で完成した“プリンス”という音楽に、当時、流行だった
マイケルみたいな、“ディスコ・ポップ”と、ヴァン・ヘイレンみたいな、
解かりやすいハード・ロックが組み合わさってできた、
より革新的なポップ・ミュージック。
ファンクの異端児から、ポップ界のスーパースターへ押し上げた
映画、MTV、レコードをひっくるめた一大プロジェクト。
それが「パープル・レイン」だ。
イマイチ、受けの悪かった殿下が、大衆に歩み寄ってみせたアルバムだ。
(故に、コアなファンには、どうも軽く扱われるアルバムみたいなんだけど)
まず“ビートに抱かれて”は、モンスター・ヒットの口火を切った曲だが、
彼が、好きか嫌いかの踏み絵になる曲。
バスタブから起き上がり、“さぁ、おいで”と、ヌーっと差し出した右手を、
受け入れるか、キモいと拒否するかなんだけど・・。
しかし、なぜかリズム・パターンが耳に残りハマってしまうのだ。
映画自体のストーリーは、分かりやす~い青春映画で、
観るべき所っていえば、レヴォリューション率いるライブ・パフォーマンス
くらいというか、そこだけで十分。
熱狂的なライブのシーンは必見だ
“レッツ・ゴー・クレイジー”は、80年代のジミヘンよろしく、
切れ味鋭いギター・プレイが、メーター振り切ってしまってるし、
圧巻なのは、“ダイ・フォー・ユー”から“ベイビー・アイム・ア・スター”へ
なだれ込むメドレー(映画ではライブ演奏!)だ。
そして、アルバムは“紫の雨”の大団円となるのだ。
とにかく、売れに売れまくった。
映画やMTVといった宣伝媒体を、うまく利用して、彼はトップまで
登りつめた。 時代をリードした。
でも、これは計算ずくのことなのだろうと。
ここまでくれば、あとは自らの音楽性を追求するだけでいいわけで。
そして、次々と狭いリリース間隔で、怒涛の名盤ラッシュが始まるのだ。
ただ、90年代以降は、それほど影響力も神通力もなくなり、
更に改名だの、レーベルがどうのこうのなど、
どうでもいいことで、
私の興味の対象から離れてしまって、疎遠になってしまっていたが、
孤高の天才は健在で、改めて聴くと駄作など一枚もない。
しかし、“今”の彼は、時代の音ではないことは確かなのだが・・。
名前も“プリンス”に戻して、昨年、原点回帰したようなアルバムを、
「音楽学」と科目にしてしまうこの男。
何と気高いことか。 よほどの自信がなきゃいえません。
故に、彼は永遠に孤高の天才でなくてはならない存在なのだ。

Let's Go Crazy (レッツ・ゴー・クレイジー)
Take Me With U (テイク・ミー・ウィズ・ユー)
The Beautiful Ones (ビューティフル・ワンズ)
Computer Blue (コンピューター・ブルー)
Darling Nikki (ダーリン・ニッキー)
When Doves Cry (ビートに抱かれて)
I Would Die 4 U (ダイ・フォー・ユー)
Baby i'm A Star (ベイビー・アイム・ア・スター)
Purple Rain (パープル・レイン)
“プリンスを書かなくては・・。” なぜか、そんな衝動に駆られまして。
正直、これといってコアなファンではないんですが、
BACK TO THE 80'sモード気味の昨今の私にとって、
彼は避けて通れません。
いや、80年代を語る上で最も重要な男といってもいいだろう。
まさに孤高の天才。 それはスキャンダラスで刺激的。
キレまくってたし、次の展開が全く読めない。
80年代の最先端を切り拓いたポップの革命児であった。
さてじゃぁ、どれをレビューするかと・・。
初期の殿下流パンク・ファンク(死語です)の完成形ともいうべき「1999」か、
高密度のファンクネスを追求し昇華した総決算ともいうべき、
「サイン・オブ・ザ・タイムス」のどちらかを書くつもりでいたんだけど、
やはり、彼をスターダムへと押し上げた、このモンスター・アルバムを、
無視できなかったし、 当時めちゃくちゃ聴いたプリンスのアルバムっていえば、
この「パープル・レイン」だった。
「1999」で完成した“プリンス”という音楽に、当時、流行だった
マイケルみたいな、“ディスコ・ポップ”と、ヴァン・ヘイレンみたいな、
解かりやすいハード・ロックが組み合わさってできた、
より革新的なポップ・ミュージック。
ファンクの異端児から、ポップ界のスーパースターへ押し上げた
映画、MTV、レコードをひっくるめた一大プロジェクト。
それが「パープル・レイン」だ。
イマイチ、受けの悪かった殿下が、大衆に歩み寄ってみせたアルバムだ。
(故に、コアなファンには、どうも軽く扱われるアルバムみたいなんだけど)
まず“ビートに抱かれて”は、モンスター・ヒットの口火を切った曲だが、
彼が、好きか嫌いかの踏み絵になる曲。
バスタブから起き上がり、“さぁ、おいで”と、ヌーっと差し出した右手を、
受け入れるか、キモいと拒否するかなんだけど・・。
しかし、なぜかリズム・パターンが耳に残りハマってしまうのだ。
映画自体のストーリーは、分かりやす~い青春映画で、
観るべき所っていえば、レヴォリューション率いるライブ・パフォーマンス
くらいというか、そこだけで十分。
熱狂的なライブのシーンは必見だ
“レッツ・ゴー・クレイジー”は、80年代のジミヘンよろしく、
切れ味鋭いギター・プレイが、メーター振り切ってしまってるし、
圧巻なのは、“ダイ・フォー・ユー”から“ベイビー・アイム・ア・スター”へ
なだれ込むメドレー(映画ではライブ演奏!)だ。
そして、アルバムは“紫の雨”の大団円となるのだ。
とにかく、売れに売れまくった。
映画やMTVといった宣伝媒体を、うまく利用して、彼はトップまで
登りつめた。 時代をリードした。
でも、これは計算ずくのことなのだろうと。
ここまでくれば、あとは自らの音楽性を追求するだけでいいわけで。
そして、次々と狭いリリース間隔で、怒涛の名盤ラッシュが始まるのだ。
ただ、90年代以降は、それほど影響力も神通力もなくなり、
更に改名だの、レーベルがどうのこうのなど、
どうでもいいことで、
私の興味の対象から離れてしまって、疎遠になってしまっていたが、
孤高の天才は健在で、改めて聴くと駄作など一枚もない。
しかし、“今”の彼は、時代の音ではないことは確かなのだが・・。
名前も“プリンス”に戻して、昨年、原点回帰したようなアルバムを、
「音楽学」と科目にしてしまうこの男。
何と気高いことか。 よほどの自信がなきゃいえません。
故に、彼は永遠に孤高の天才でなくてはならない存在なのだ。
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