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卵の殻の上を歩く、真夜中の「あうんの呼吸」。 

        'ROUND ABOUT MIDNIGHT     MILES DAVIS

           

                  'Round Midnight
                 Ah-Leu-Cha
                 All Of You
                 Bye Bye Blackbird
                 Tadd's Delight
                 Dear Old Stockholm
                 Two Bass Hit ※
                 Little Melonae ※
                 Budo ※
                 "Sweet Sue, Just You" ※
                            
                         ※ オリジナルLP未収録
                PERSONNEL
                 Miles Davis (tp)
                 John Coltrane (ts)
                 Red Garland (p)
                 Paul Chambers (b)
                 Philly Joe Jones (ds)


     『 あんたは白人であること以外に何をしたんだ?
        オレかい? そうだな、音楽の歴史を5回か6回は変えたかな 』
 

 長く休んでる間、聴いてた音楽の半分以上は、実はJAZZでして。
 ロックやポップやブラックも当然耳にしてましたし、
 アーカイブ物も勿論好んでましたが、
 自然に"この耳”を惹きつけたのは、意外にもJAZZ。 
 それもベタなモダン・ジャズ。

 何を今さら。  
 でも合ってきたのかな。  
 このグルーヴに、ようやく。

 何でか分かんなくも、今まで「知ってるつもり」まではいかなくも、
 「知ってるようなつもり」で、済んでた"とこ”なんですよ、JAZZって。  
 ホントいうと全然知らんし、理解できなかった。
 今でも、正直よくわかんない。 
 私とってJAZZってそんな音楽です、いまだに。
 ただ分かったのは、「全然難しくなくて、楽しい音楽」だってことくらいで。

 いきなり冒頭にマイルスの名言をアップしたのは、この人を知る、
 いや“通っておくと” ロック、ブラックは当然、現在に至る
 ポピュラー音楽の歴史、流れが劇的に面白くなってくる。
 深入りする必要はありません。 
 チラッと通るだけでも十分ですから。

 私を含め、そんな方の入り口になればと、ロックやポップスしか知らない
 “一見さん”にも、すんなり入っていける、
 マイルスのベタな一枚を再復帰第1弾で行こうかと。
 今宵は、マイルス1stクインテットによる名曲名演がひしめき合う、
 ハード・バップ期の傑作
 「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」で真夜中を囁きます。  
 よろしくお付き合いを。

     

 1955年9月に始まるクラブ出演の契約を済ませ、
 もう少しで本番という時になって、ソニー・ロリンズ(ts)が行方をくらました。
 ドラッグ過多のため、レキシントンにある
 麻薬更生施設に自ら入所してしまったのだ。  

 「 オレはどうしてもテナーが必要だったから、ジョン・ギルモアという奴を
   試したりもした。
   奴はたいしたサックス吹きだったが、やりたかったことには合わなかった。
   次に'フィリー'ジョー・ジョーンズが、ジョン・コルトレーンって奴を連れてきた。
   トレーンのことは以前から知ってはいたけど、あの頃スゴかったのは、
   ソニー(ロリンズ)のほうだったから、あまり期待はしていなかった。

   短いツアーや何度かリハーサルをしたがうまくいかなかったのは、
   奴(トレーン)が どういう演奏をしたらいいか、
   悪いかといちいち聞いてきたからだ。

   そんなことにかまってられるか?  そうだろ。  プロなんだから。

   誰だろうとオレとやる奴は、自分で自分の居場所を音楽の中に
   見つけなきゃだめなんだ。 オレの無口と不快そうな目つきに、
   トレーンはたぶん"やる気”をなくしたんだろう。            」

 やれやれ。  
 どうやらコルトレーンも、マイルスは「気難しい人物」と映ってしまったようだ。

 「 マイルスは変わった男だ。 もともと言葉数は少なく、
   音楽の話をすることなどめったにない。 
   いつも気分悪そうにしていてるし。
   他人が気にすることに一切関心を示さないし、ビクともしない。
   そうだから、俺は自分が何をすればいいのかわからなかったんだ。
   だから最終的に、自分のやりたいようになったんだと思うよ     」

 「 マイルスの反応は、全く予想不可能なんだ。
   突然、何小節か吹いてみせたかと思うと、"後はお前らで勝手にやれ”と
   放っておかれる。  音楽のことを質問したとしても、
   それをどうマイルスが受け止めるかも予測がつかないんだ。
   だからいつも彼と同じ気分でいられるよう、
   注意して耳を澄ませていなければならなかった。        」

 この後コルトレーンは、ジミー・スミス(org)との演奏のために
 フィラデルフィアに帰ってしまう。

 マイルスは、1955年7月のニューポート・ジャズ・フェスティバルでの
 演奏で注目を浴び、大手のコロンビアから契約を持ちかけられた。
 (もう既にプレステッジと契約していたが)
 そして同時に、マイルスは自分のグループを結成しようと画策中であった。

 しかし前述通り、ソニー・ロリンズはマイルスの元を離れており、
 次に目をつけていたキャノンボール・アダレイ(as)という
 大男もフロリダに帰ってしまっていた。
 そしてコルトレーンはというと、マイルスの大大嫌いな
 いわゆる"指示待ち族”だった。

 一方コルトレーンは、フィラデルフィアでジミー・スミスから
 彼のバンドへ誘われていた。 
 それでも、以前トレーンと共演したことのあるレッド・ガーランドや
 ポール・チェンバースらの推薦もあり、マイルスは、
 'フィリー'ジョー・ジョーンズを通して入団を懇願するに至る。
 この"指示待ち”だが、無骨で生真面目な若造の可能性を信じて。 
 いや、すでに見抜いていたのだ。    鋭い眼力で。
 
 1955年10月コルトレーンは晴れて、
 第1期マイルス・デイヴィス・クィンテット(5人奏)の
 正式メンバーに大抜擢される。   
 それは、マイルス自身初のレギュラー・グループの結成でもあった。

     

 タイトル曲"'Round Midnight”。  
 冒頭からいきなりのハイライト。
 まるで真夜中の暗黒、静寂、怖さをシンクロさせるようだ。
 その真夜中の暗闇をマイルスのミュートが、
 繊細かつ官能的にテーマを這わせていく。
 まるで"卵の殻の上を歩くように”、
 まるでデリケートに女性の身体をなぞっていくように。
 まるで洩れる喘ぎを押し殺すかのように・・。

 そして静寂な夜の闇を突き破る強烈なブリッジの後、
 無骨で荒々しいコルトレーンのテナーが、
 不慣れな手付きで"愛撫”するのだ。
 このコントラストが実に素晴らしい。
 このセロニアス・モンク(p)の超有名なナンバーを、タイトルから
 イメージされる"真夜中の静謐な時間”を堪能するかの、
 この雰囲気は言葉に表現できない至上の悦楽だ。

 私はこのマイルス・バージョンを聴いてから、慌ててモンクの
 オリジナルを聴いたが、勿論メロディは"'Round Midnight”なんだけど、
 全く違う楽曲といっていい。
 確かにピアノとホーン・アレンジという違いは大きいけれど、
 この"悦楽のアレンジ”こそ、 "'Round Midnight”。  
 モンクにゃ悪いけど、これは完全にオリジナルを超えてる。

 ソフト&メロウ。
 1956年9月10日、タイトル曲と同じ日に録音された、コール・ポーターの
 ミュージカル曲である小粋な"All Of You”や、6月5日録音の過去の
 映画にもよく歌われた有名なスタンダード曲"Bye Bye Blackbird"でも、
 マイルスのミュートはエレガントで美しく優しい。

 幸せの「青い鳥」に対して、不幸せの「黒い鳥」。     
 「僕はこれから彼女のもとに行って幸せになるんだ。
  だからもう君とはお別れだね」と、
 ここでのミュートは、クールかつ意味深でビター・スウィートなタッチで這わせる。
 コルトレーンのテナーも粒が粗くて、迷いつつも、
 いたって伸びやかで朗々としている。
 (ここでの"Blackbird"はチャーリー・パーカー(as)のことを指してるのかも。
  彼の誘いから、この世界を歩み始めたが、1955年3月に"バード"は他界している)

 そして何といっても、ガーランドの奏でるセンス抜群の旋律が軽快で、
 実に心地よく響き渡る。
 マイルスの"お叱り”覚悟で言うならば、キュートで可愛らしいこと。
 まさに甘美の極み。  
 いやぁ~、
 「あれだけ悦ばせといて、その後、優しくキュっと抱きしめる」なんてねぇ。

 マイルスの師匠でもあるチャーリー・パーカーの名前を逆さ読みにした
 意味不明な"Ah-Leu-Cha”や、バップ期のアレンジャーである
 テッド・ダメロンの作品を取り上げた"Tadd's Delight”といった
 アップテンポな曲では、マイルスもミュートを取り去って、
 オープンに、若造とアドリブを競うような流暢な
 "師弟の追っかけっこ”も聴きどころだ。

 ラストは、ブルー・ノートでのリーダー作以来の再演となる、
 スウェーデンのトラディショナル民謡"Dear Old Stockholm"。 
 ブルー・ノート作では、くすんだムードを彩っていたが、
 チェンバースの長尺なベース・ソロが、更に効果的に哀愁を漂わせて、
 当時のオープンから、ここではミュートを這わせて、哀切感を煽りまくるのだ。
 これがたまらない。

 現行CDでは、同セッションで録音された4曲が続けてボーナス収録されてるが、
 実にこれも名演なのだが、これはいらない。
 オリジナル6曲の後、再び頭からループさせる、
 まるで円(Round)を描き、エンドレスで演奏されるような錯覚に陥る
 実に計算された構成になっていることが台無しになっている。 
                 
 全体を通して聴いても、JAZZにありがちな、ソロを受け流し合い、
 アドリブがせめぎ合うダラダラとした長ったらしい演奏(これが醍醐味?)がなく、
 コンパクトに計算されて構成している面でも、
 JAZZに慣れてないロックやポップ愛好者や、私のような初心者でも
 非常に聴きやすく、「ちょっと入ってみようかな」と入り口には
 最適なのではと思う。

 「JAZZ」という音楽 = 高品質な大人の夜の音楽 
 という多くの人がイメージを重なり合わせる最大公約数。 
 数ある「JAZZ」と呼ばれる作品で、
 一番"分かりやすい”パブリック・イメージ。
 これが「'ROUND ABOUT MIDNIGHT」ではないだろうか。

       

 マイルスのトランペットの美しさは、時代を経るにつれ、
 表現もスタイルも劇変していくが
 基本は、ミュート(減音器を使った演奏)にあると思う。
 マイルスの繊細なミュート・プレイによる自信とメッセージは、
 どの時代も、どのスタイルにも、楽曲の隅々まで行き渡り、
 満ち溢れている。  
 そしてリスナーは曲を聞き、それを愛し、生きている喜びに感謝し、
 幸福を感じるのだ。
 そこには"自由"があり、"情感”があり、
 声に出さない"歌心”があるのだ思う。
 
 これが私素人が思う、これが「JAZZの真髄」なのではないかと。

 しかし、マイルスを「JAZZ」で括ってはいけない。  絶対に。
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2013/02/17 Sun. 21:12 [edit]

Category: マイルス・デイヴィス

Thread:JAZZ  Janre:音楽

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鋭い眼光に美しい手。 平和の魂と黒のインパクト。 

         TUTU     MILES DAVIS

         

             Tutu
             Tomaas
             Portia
             Splatch
             Backyard Ritual
             Perfect Way
             Don't Lose Your Mind
             Full Nelson


 ・・・。  プレトリアで見事に散った、我ら青きサムライたち。 
 
 労を惜しまないハードワークと、オーガナイスされた守備組織。
 スピードと集中力と連動性。  これが、日本のサッカーの真髄。
 “応急処置”ではあったが、チームは、試合ごとに“覚醒”し、
 最後は、チームが“ひとつ”になれた。
 目指す方向性は正しく、ポテンシャルの高さは、世界に証明できた。
 しかし、その“限界”が証明されたことも、大きな収穫だった。
 あとは、大舞台での経験と“個”の力の向上が不可欠だろう。

 W杯は、ベスト8が出揃い、これから“真”のトップレベルの戦いが始まる。

 まだまだ、余韻が冷めないんで、
 今回も、南アフリカのネタで参ります・・。


 前回、一昔前の南アの人種隔離政策(アパルトヘイト)に強く反対していた
 スティーブ・ビコについて話をしたが、もう一人、重要な人物がいる。

 デズモンド・ムビロ・ツツ。

 ツツも、アパルトヘイトに強く反対していた平和運動家だった。
 マイルスも、この政策に強く反対していたアーチストの一人。
 反アパルトヘイト運動のキャンペーンのレコーディングに以前参加した
 マイルスの “人種差別、偏見” に対する切実な思いが、願いが、
 このアルバム・タイトルに、魂と共に込められている。
 今宵は、晩年のマイルスの傑作「TUTU」の話に、よろしくお付き合いを。

 まず、このジャケット。  凄いインパクトだ。 

 「黒くて、何が悪い」 とでも言わんばかり。 無言の迫力。

 南アフリカの反アパルトヘイト運動の旗手だった、ツツの名をタイトル名に
 したのも、 そうしたコンセプト、マイルスのメッセージが込められている。

 このモノクロ写真は、世界的カメラマンのアービング・ペンによるもので、
 コンセプト・デザインを担当したのは、アーティスト・ディレクターの石岡瑛子さん。
 「顔と手」を素材に、マイルスという人間の凄みと存在感を表現した見事なアートだ。

       

 TUTU。  デズモンド・ムピロ・ツツ。
 1931年、ヨハネスブルグ生まれの大主教。
  「南アフリカは、黒人、白人を問わず、そこに住むすべての人々に属する」
   という文言で始まる、“自由憲章”を発表。
 1984年に、アパルトヘイトの解決に向けて、指導的役割を果たした功績が
 認められて、ノーベル平和賞を受賞。
 しかし、1988年には、ケープタウンで反アパルトヘイトデモをして、
 逮捕され、釈放。(90年、ネルソン・マンデラ現大統領も、28年ぶりに釈放される)
 口癖は、「手遅れにならないうちに、白人よ、目覚めよ」である。

 86年に、ワーナー移籍後の第一弾アルバムに、“魂”のタイトルを命名した。

 かなり久し振りに聴き直してみたが、これが、実にカッコいい音なんですよ。
 80年代に入って、さらに電気的な音が導入され、常に新しいサウンドに挑戦して、
 “変わり続ける”マイルス。 この当時、60歳の誕生日。 なんて熱いんだ。

 「その場で努力したり、頑張るな。」 「考えるな。 感じろ。」
 「ただ、やれ。(Just Do)」

        

 そうやって、“ジャズ”じゃないことを次々とやって、
 “ジャズ”にしていったマイルス。
 やはり、マイルスは“ジャズ”を演奏していたのではなく、
 マイルスの演奏することが、“ジャズ”なのだ。

 サンプリング音の人口的な響きは、少々耳につくけど、この都会的雰囲気と、
 この無機質なトラック感と、配色のコントラスト。 やっぱカッコいい。
 そして、金属的なトーンの混ざり具合といい、微妙に揺らぐ部分と
 マイルス独特の“間”ですよ。 突然の“飛び込み”。 この抜群のセンス。
 空間を自由に泳ぎ舞うミュート。 この孤高の響きは、とてつもなくクールだ。

 また、ジャズ・ミュージシャンにありがちな、ロックやポップ・サウンド
 への“偏見”も、マイルスには、全くない。  
 マイルスは“ジャンル”分けが大嫌い。 全く関係ないのだ。
 むしろ、いい曲、いいメロディは、貪欲に取り入れる。 カバーして、
 自分の曲にしてしまうのだ。 (マイケルやシンディの名曲だってそう)
 スクリッティ・ポリッティの“Perfect Way”も、ここまでクールに
 やられてしまうと、元歌の“味”を忘れてしまうくらいだ。

      

 この「TUTU」でのマイルスのプレイは、ややラテンの影響を受けているようで、
 それが、この作品にコントラストとなる“明るさ”を与えている感じもする。

 しかし、「TUTU」をマイルスのアルバムと言うのが、正直難しいという人も多い。
 というのも、このアルバムは、若きマーカス・ミラー(当時27才)が、
 フェンダー・ベースだけでなく、キーボード、サックス、リズムマシーンなど、
 全てを作り上げ、その上に、マイルスのトランペットがソロで乗っかってる感じで、
 マーカス・ミラーのアルバムに、マイルスが“いちソリスト”として参加している
 のが正しいと言うのだ。
 (今までのマイルスは、レギュラー・バンドとのライブ録音というスタイルだった)

 私は、この意見とは、少し違ってて・・。

 これを、マーカス・ミラーが“全て”やっていたんだとしたら、、サウンド全体の
 トーンが、もう少し違って来たと思う。(もっとR&B、ファンク色が強くなるような) 
 確かにマーカスが、サウンド・メイキングを、大幅に担当している。
 マーカスって、個性的でテクを際立させる花形プレイヤーって印象があるけど、
 実は、相手に合わせた音作りの能力が、凄く高いセッション・マンの顔もある。
 表情、輪郭は変えずに、曲を上手くコントロールするような、
 バキっと太くて、芯のある低重心のベースを中心に広がるクールなライン。
 しかし、相手にキッチリ合わせた音作りやプレイの配慮するようなプレイヤーだ。

        

 けっしてマーカス一人で、このアルバムのベーシックを作っている訳ではなく、
 アダム・ホルツマンや、ジェイソン・マイルスらのシンセサイザー隊や、
 オマー・ハキム(ドラムス)などが、適材適所で機能しているし、
 “Backyard Ritual”は、完全にジョージ・デュークがプロデュースしてる。
 マイルス、マーカス、ポーリーニョ(パーカッション)を除いた楽器は、
 全てジョージが担当しているワケで。

 悪く言えば、この当時のマイルスは、新しい音を“創る”のではなく、
 “見つけるだけ”だったのだが・・。

 ただ、若きマーカスを“パートナー”として選定したマイルスの眼力は褒めるべき。
 下手すると、チープになりかねない、このアプローチをここまでクールに
 仕上げたセンスは高く評価すべきだろう。

 ( マイルスがワーナーに移籍してからのアルバム「TUTU」、「AMANDLA」は
   なんと、マイルスのオリジナル曲は1曲も入っていない。
   ここが、マイルス・マニアの間では、批判の的になっているんだけど・・。
   ほとんどの曲を、マーカス・ミラーが書いて、プロデュースした。
   何故か・・?。
   実は、ワーナーに移籍、契約した際に、アルバムの出版権を弁護士が
   ワーナー側に 渡してしまったらしく、 それが、マイルスは気に食わなかった。
  「契約を更新し直すまでは、俺のオリジナルは入れてやらないぞ」ということだ。
   マイルスは、けっこうお金にうるさかったようで、
  「俺は一流の仕事をする。 だから、ギャラも一流の金をよこせ!」         
   ということなのだろう。                         )

      
 
  「 いつも新しい音を探しているんだ。
    何が新しいかって?  それは、俺だけしか知らない。 」

 80年代初頭に、6年ほどのブランクを経て復帰したマイルスがCBSで吹き込んだ
 「THE MAN WITH THE HORN」や「WE WANT MILES」とは、かなり異なった世界
 を構築。 長年在籍していたCBSでは成し得かったサウンドを追求した結果だ。
 時代感覚の先へ行こうとする貪欲さを感じさせるスピリッツは衰えを知らない。
 
 ただ本音を書くと、“先見性”や“意欲性”としては、CBS時代の作品の方に
 私はずっと魅力を感じる。

 60年代末期から70年代のかけて、ファンク色が強く、よりリズムを強調した
 スタイルで、フュージョンとは一線を画く、刺激的でハードだった、
 いわゆる「エレクトリック・マイルス」期の方が、込められた“魂”や、
 音の“生命感”は、ダイレクトに伝わってくるからだ。

 晩年のマイルスを、“帝王の老後の余興”というマニアの方も多い。
 しかし、たとえ“余興”であっても、私たちは、背筋を伸ばし、心を研ぎ澄まし、
 “感じる”べきなのだ。

      

  最後に、マイルスの手は美しかった。

2010/07/01 Thu. 13:33 [edit]

Category: マイルス・デイヴィス

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