"悪魔の帝王”と“翼の折れたエンジェル”との化学反応。
BLIZZARD OF OZZ OZZY OSBOURNE

I Don't Know
Crazy Train
Goodbye To Romance
Dee
Suicide Solution
Mr. Crowley
No Bone Movies
Revelation (Mother Earth)
Steal Away (The Night)
みなさん、W杯盛り上がってますでしょうか。
私もサッカー・ファンの一人として、毎晩毎晩、ペンをそっちのけで
世界の超一流のプレーに一喜一憂、堪能しております。
いかんいかん。 今日はペンを進めます。
最近は、気分的にも、割と“ソフト”な記事ばかり書いてましたんで、
今回は、久々に“ハード”で、ガツンと参りますよ。
今の若きメタルマニア、若きギタリスト達も、彼の存在を知っているだろう。
ランディ・ローズ。
ハードロック界のジェームス・ディーン。

彼は、彗星のごとく現れ、花火のごとく散っていった・・。
まるで“生き急ぐ”かのようだった。
その天才ギタリストの存在は、時が経った今でも、“神聖化”されて
私たちの記憶に生き続けたままだ。
これが、あたかもジェームス・ディーンのようで・・。
やはり君は、間違いなく凄かった。 ほんとに凄かった。
今宵はまた、若くして逝った一人の天才ギタリストについて語りたく思います。
よろしくお付き合いを。
70年代後期、エディ・ヴァン・ヘイレンが、誰もがブッ飛ぶ、ライト・ハンド
(タッピング)奏法を引っ提げて、ハードロック・シーンに華々しく登場してきた。
80年代初め、マイケル・シェンカーが速くてメロディアスなギタープレイと、
“フライングV”を自在に操り、一世を風靡した。
そして、その双方の要素をうまく取り入れたギタリストとして、ランディが現れた。
加えて彼には、“クラシック”の要素という、当時、圧倒的な人気を誇っていた
リッチー・ブラックモア的側面も有するという特異な気質も兼ね備えていた。
更に、あのルックス。 アイドル歌手にも引けを取らない超イケメン。
人気が出ないワケありません。
オジーに見出され、「BLIZZARD OF OZZ」で、その卓越した才能を開花させ、
そして、「DIARY OF A MADMAN」で魅せられる更なる進化を遂げたギターリフ。
まるで既存のハード・ロック概念を破壊するかの様な、凄いプレイで
あっという間に、ランディは“スーパー・ギタリスト”の仲間入りをした。

彼の素晴らしいギタリストとしての資質は、生い立ちを知ると理解できる。
早く父親を亡くし、母親ひとりで3人の子供を育てたが、ランディは末っ子。
ランディの母親は、高校で音楽教師をしていたことから、幼いころからギター
を学ばせる。 アコースティックから習い始め、クラシックの理論や読譜法も
母から教わった。 しかし、ロックに興味を憶えると、エレキも握り出す。
普通、厳格な音楽理論者の母親なら、「ロックなんて」と毛嫌いするのが
パターンだと思うが、ランディの母は違った。
息子の良き理解者として、バンド経験のあるギター教師に指導を依頼して、
初歩から、きちんと習わせたのである。
ランディが10歳のころには、その教師いわく。
「ランディには、教えることは何もない」と言わせたくらい上達したという。
ランディが、その辺のちょっと“上手い”ギタリストと違ってるとこは、
この英才教育ともいえる音楽環境で培った“土台”がしっかりしてること。
また彼は、「今まで尊敬するギタリストはいない」と語ってたように、
“クラシック”が彼の基本。 だから影響されて、誰かが弾いていたような
フレーズではなく、あのオリジナリティにあふれたメロディラインが描けた
ことに、繋がっているのだと思う。

絶頂期の状態でも、ステージ以外も全ての時間をギターに費やしたという。
ツアーには、必ずクラシック・ギターを持ち歩き、時間があれば、独り部屋に
閉じこもり、ギターの練習はもちろん、音楽高等理論の本まで読みあさった、
まさに、ギターの虫。 練習の虫。 更にもっと勉強しようと、バンドに
在籍しながら、大学で通い本格的に理論をマスターしようと考えていたそうだ。
こうやって、ヘヴィー・メタルに新しい試みを導入しようと常に努力していた。
彼が高校でギターを教えていた頃、旧友の故ケヴィン・ダブロウらとバンドを
結成する。 「QUIET RIOT」。 無名で毎週末クラブを中心に活動していた。
だが、泣かず飛ばず。 デモテープでレコード会社に売り込むも芽が出なかった。
しかし、遠い日本のCBSソニーだけが興味を示し、本国より先に日本でデビュー。
(2ndアルバムを発表後、ベースがルディ・サーゾに交代してる)
その当時は、ランディも、ドラマチックさとヘヴィーさを兼ね備えているものの、
まだこれといって、ギタープレイ自体に光るものはなかった。

(ランディ脱退直後も、全然パッとしなかったんだけど、ランディ死後に、
例のスレイドの曲でドカ~ンと売れちゃったのは、なんとも皮肉なんだけど)
サバスを脱退(ほぼ解雇)したオジーがギタリストを捜してると教えてくれたのは、
他ならぬルディ・サーゾ。 でも、「俺なんか受かるわけないさ」と
オーディションには消極的だった。 でも“母親”にお尻を叩かれて、
渋々とオーディションと出かける。
(ギタリストなのに、こんなにエゴや主張が出ないのも珍しいけれど・・)
とぼとぼ、オジーが泊るホテルへ向かう。
ギターと小さなアンプを抱えて、部屋に入る。
そこには、酔っ払ってソファーにふんぞり返る“悪魔”が寝ていた。
「俺は、ぐてんぐてんに酔っ払って寝てたんだ。
そしたら、誰かが肩を叩いて起こそうとするんで、薄眼を開けたら、
そこには、“天使”が立ってたんだ。 それも“可愛い女の子”がね。」
オーディションに来た“天使”は、おもむろにちょこんと座って
ハーモニクスを弾き出した。 しかし、その途端・・。
「もういい、もういいよ。 お前は、俺のバンドのギタリストだ」
ものの2分ほどの“試験”だった。 ものすごいオーラが出てたのだろう。
これが、オジーとの運命的、かつ奇跡的な出会いだった。
ギタリストが決まったオジーは、ドラマーにトミー・アルドリッジを誘うが、
PAT TRAVERS BANDとの契約が切れないとの理由で断念。
オーディションで、元ユーライア・ヒープのリー・カースレイクを起用。
ベースは、レインボーを脱退したボブ・ディズリーを加え、ゲストに、
キーボード奏者ドン・エイリーを迎えて、「ブリザード・オブ・オズ」を結成。
しかし、すぐにオジー名義のバンド名にして、80年3月からロンドンで、
3ヶ月に渡りレコーディングされた。

ランディを起用したオジーも、“ランディに救われた”と言えるかもしれない。
オジー在籍時のブラック・サバス後期は、「TECHNICAL ECSTASY」あたりからの、
アメリカン・マーケットを意識した音作りが悲惨なまでに失敗していて、
(大体、トニー・アイオミに明るめのリフや曲作りを期待する方が間違っている)
サバス脱退後のオジーは、方向性も見出せないままの状態だった。
しかし、八方塞だったオジーが、ランディとの出会いによって、ソロに転じてからの、
バンドとしての方向性を、しっかり確立できたんじゃないかと思う。
ランディを全面に押し出して、スターに育て上げようとする姿勢と、アメリカの
マーケットを意識した方向で、パワフルでありながら、耳触りのいい
ギター・オリエンティッドな音作りを軸にしたヘヴィー・メタルを目指すという
今後も脈々と続いていく、オジーのソロの基本スタイルを、ソロデビュー作から
早くも導き出せたことが大きい。 もしも、オジーとランディと出会ってなければ、
この“奇跡のアルバム”は、生まれなかったに違いない。
このアルバムの内容については、今さら書く必要もないんだけど・・。
“I Don't Know”の頭の悶絶リフから突っ走り、もうやられまくり。
“Crazy Train”も、16ビートの疾走感から、キャッチーなリフで暴走しまくる。
が。 “Goodbye To Romance”で、ミドルに落として、哀愁と涙を誘う。
「さようなら、また逢えるだろう」 オジーとランディの姿が目に浮かびます・・。
ランディの“Dee”で、クラシック・ギターを静かに奏でる静寂から、一転。
“Suicide Solution”は、問題になったいわく付きの、魔界への勧誘ソング。
(裁判沙汰になったが、結局は無罪。 実際はアル中に警鐘を鳴らす曲だ)
とてつもなくヘヴィーで地獄へ引きずり込む。 メタル・オブ・メタル。

“Mr.Crowley”は、悪魔と天使との戦いを、壮大かつ悲しく描いた超名曲。
ランディのソロは、完コピ不可能。 この美しさ、スケール感は、まさに神の域。
“No Bone Movies”は、ストレートなロックン・ロールで直球勝負。
そして、神々しい“Revelation”の、胸が締めつけられるようなこの旋律。
まるで自分の死を予感していたかのような、「死の美学」を昇華しているようだ。
その不気味さと恐ろしいほどの美しさは、聴いてて怖くなってくるほどヤバい。
そして最後には、あまりに激しいソロから、“Steal Away”へなだれ込み、
再び、熱狂の渦へと誘い出すのだ・・。
( マニアの方なら、御承知のことかと思いますが、このアルバムと
次回作「DIARY OF A MADMAN」という、ランディ在籍時の、
オジーにとっても、最重要作であるこの2枚が、現在のリマスター盤では、
なんとベースとドラムスのリズム隊が差し替えられている。
これは、当時のオリジナル・メンバーだったボブ・ディズリー(ベース)と、
リー・カースレイク(ドラム)が、印税が正当に支払われていないと、
オジーと敏腕マネージャーであるシャロン夫人を相手取り、裁判を起こした為、
これに憤慨したオジー・サイドが、名目は「ランディのギターを最大限生かすため」
としているが、実は、腹いせに「じゃあ、こいつらのテイクを消してしまえ!」
とばかりに、あろうことか、メタリカに新加入した“ゴリラマン”こと、
ロバート・トゥールジロ(ベース)と、マイケル・ボーディン(ドラム)に、
完コピさせて、ゴッソリ差し替えたバージョンにして再発売したのが、現在のもの。
でも、どうなんでしょ。 諸氏のご意見はいろいろありましょうが・・。
正直、私は「×」ですね。 これはダメ。 別物です。
これは、“リマスター”じゃない。 “リミックス”です。
おまけに、肝心なランディのギターも、ラウドさせ過ぎたり、曲によっては、
フェードさせたりと、不可解な“いじり方”をしてる。
一言で言えば、“今風”。 音の分離がはっきりして、低音を強調してる感じ。
ベースは少し音が硬くて、ドラムは若干手数が多いぐらいで、(余計ですよ)
殆どオリジナルと分からないぐらい見事にコピーしきっています。
でも、バンド・グルーヴって大事なんですよ。 “上手い”とかじゃないんです。
ボブのブンブン唸るベース音も柔らかめで、リーの若干シンプルながらも
タイム感が絶妙なドラミングが歯止めとなって、なんかこんもりとした、
やはり”ブリティッシュ”な印象を持つリズム隊は、このアルバムの
特色だったんですよねぇ。 これは元に戻した方がいいんじゃないかなぁ。
元々アナログ録音のところに、最新技術とはいえ、デジタル録音を無理矢理
はめ込んだって、違和感があるに決まってるのに・・。

確かに、オリジナルの音は悪かったんで、(初めのCDは音圧も低かった)
私は、95年に出た、このジャケットに「OZZY」と縦にプリントしてあるリマスター
CDがベストだと思ってます。 このジャケットは、イマイチでしたが・・。
現在でも探せば入手可能だと思うんで、聴き比べてみてはいかがでしょう。
加筆いたします。
この10月に、ソロデビュー30周年記念盤として、なんと、このアルバムと「狂人日記」
が、晴れてオリジナル音源のリマスタリングにて発売されることが決定しました!
おまけに当時のライブ音源がボーナスに! 素晴らしい! キッズよ、これで泣け。 )
オジー・オズボーン = 悪魔。 ランディ・ローズ = 天使。
悪魔と天使が同居するという、対比の妙も利いていたように思う。
ランディの美しさは、まさに天使の如く、神聖なものとして崇められてる様だった。
彼が使っていたギターで、多くの人々の記憶に最も残っているのは、何と言っても
水玉模様のフライングVタイプだった。(通称、ポルカ・ドットV)
同じく有名な、白のギブソン・レスポール・カスタム も印象深いけど、
このアルバムでは、主にポルカ・ドッドを操って、大活躍している。

コラース・エフェクトを多用し、空間的広がりを持たせながらも、
音色は、とてつもなくヘヴィで、絶妙なディストレーションで歪ませまくる。
さらに、解放弦を効果的に使用したリフ作りの上手さ、クラシックを意識した
複雑なコード展開に、効果的な経過音。
そして、何よりキャッチーで流麗この上ない、泣きのメロディも織り成す、
ソロのラインの美しさ。
その“若さゆえ”に、押さえが利いていない局面も、時にはあるんだけど、
引っ込み思案な性格とは裏腹に、「とにかく俺の音を聴け~!」とばかりに
勇猛果敢に弾きまくる潔さは、まさに爽快。
“Crazy Train”で、左右のチャンネルから、2本のギターが同じ旋律でバトルする
ような、同テイクを3回全く同じに弾いて音の厚みをつけるという、
オジーが「狂ってる! もうやめてくれ」と懇願したという逸話も残すぐらいだ。
悪魔と天使。 獣と美男子。 邪悪と良心。 狂気と正気。= オジーとランディ。
この相反する分子が激しくぶつかり、交配する強烈な“化学反応”。
かくして、ヘヴィー・メタルの歴史に燦然と輝く、永遠の名盤が誕生したのです。
しかし・・。
1982年3月19日早朝、フロリダ州レスバーグで悲劇は起きた。
フォリナーとの野外フェスティバルへ向かうその日。
オジーらと、ツアースタッフはバスで移動していた。
しかしその途中、ツアーバスの運転手のアンドリュー・エイコックの自宅に寄った。
なんと、そこには、自家用小型飛行機があった。
それを見たドン・エイリー(key)は、「おい、ちょっと乗せてくれよ」と頼み、
エイコックはドンを乗せて、軽く遊覧飛行を楽しんできた。
ちょっと気分が良かったんで、他のメンバーやスタッフにも「行ってこいよ」
と誘ったが、ほとんどは乗ろうとしなかった。
しかし、ランディと衣裳係のレイチェル・ヤングブラッドは乗ってしまったのだ。
そして・・。
飛行機は落下。 ツアーバスに激突し、そのまま一軒家に突っ込んで大破。
ランディ25歳。 無残にも、空に散ってしまったのです。
こともあろうに、操縦していたエイコックからは、大量のコカインが検出されたのだ。
・・・。 なんという、あっけなさ。 なんという、悲劇。
もし、オジーらも乗ってたらと思うと、考えただけでも恐ろしい。
( 実は、同じエイコックの飛行機で、リッチー・ブラックモアが移動することに
になっていたことがあったんだけど、強い霊感の持ち主であるリッチーが
「あのパイロットには、死相が出ている」と言い、その飛行機で移動することを
避けて、別ルートでの移動になったそうです。
そして、その数日後に、この墜落事故が起きたのです・・。 )

志半ば。 夢は儚く・・。 これが“翼の折れたエンジェル”の最期だった。
神様は、よほど“天才ギタリスト”が大好きなのだろうか。
私たちの意に反して、やたら、“傍”に置きたがる。
またも神は、一人の若き天才ギタリストを天に引き寄せたのだ・・。

I Don't Know
Crazy Train
Goodbye To Romance
Dee
Suicide Solution
Mr. Crowley
No Bone Movies
Revelation (Mother Earth)
Steal Away (The Night)
みなさん、W杯盛り上がってますでしょうか。
私もサッカー・ファンの一人として、毎晩毎晩、ペンをそっちのけで
世界の超一流のプレーに一喜一憂、堪能しております。
いかんいかん。 今日はペンを進めます。
最近は、気分的にも、割と“ソフト”な記事ばかり書いてましたんで、
今回は、久々に“ハード”で、ガツンと参りますよ。
今の若きメタルマニア、若きギタリスト達も、彼の存在を知っているだろう。
ランディ・ローズ。
ハードロック界のジェームス・ディーン。

彼は、彗星のごとく現れ、花火のごとく散っていった・・。
まるで“生き急ぐ”かのようだった。
その天才ギタリストの存在は、時が経った今でも、“神聖化”されて
私たちの記憶に生き続けたままだ。
これが、あたかもジェームス・ディーンのようで・・。
やはり君は、間違いなく凄かった。 ほんとに凄かった。
今宵はまた、若くして逝った一人の天才ギタリストについて語りたく思います。
よろしくお付き合いを。
70年代後期、エディ・ヴァン・ヘイレンが、誰もがブッ飛ぶ、ライト・ハンド
(タッピング)奏法を引っ提げて、ハードロック・シーンに華々しく登場してきた。
80年代初め、マイケル・シェンカーが速くてメロディアスなギタープレイと、
“フライングV”を自在に操り、一世を風靡した。
そして、その双方の要素をうまく取り入れたギタリストとして、ランディが現れた。
加えて彼には、“クラシック”の要素という、当時、圧倒的な人気を誇っていた
リッチー・ブラックモア的側面も有するという特異な気質も兼ね備えていた。
更に、あのルックス。 アイドル歌手にも引けを取らない超イケメン。
人気が出ないワケありません。
オジーに見出され、「BLIZZARD OF OZZ」で、その卓越した才能を開花させ、
そして、「DIARY OF A MADMAN」で魅せられる更なる進化を遂げたギターリフ。
まるで既存のハード・ロック概念を破壊するかの様な、凄いプレイで
あっという間に、ランディは“スーパー・ギタリスト”の仲間入りをした。

彼の素晴らしいギタリストとしての資質は、生い立ちを知ると理解できる。
早く父親を亡くし、母親ひとりで3人の子供を育てたが、ランディは末っ子。
ランディの母親は、高校で音楽教師をしていたことから、幼いころからギター
を学ばせる。 アコースティックから習い始め、クラシックの理論や読譜法も
母から教わった。 しかし、ロックに興味を憶えると、エレキも握り出す。
普通、厳格な音楽理論者の母親なら、「ロックなんて」と毛嫌いするのが
パターンだと思うが、ランディの母は違った。
息子の良き理解者として、バンド経験のあるギター教師に指導を依頼して、
初歩から、きちんと習わせたのである。
ランディが10歳のころには、その教師いわく。
「ランディには、教えることは何もない」と言わせたくらい上達したという。
ランディが、その辺のちょっと“上手い”ギタリストと違ってるとこは、
この英才教育ともいえる音楽環境で培った“土台”がしっかりしてること。
また彼は、「今まで尊敬するギタリストはいない」と語ってたように、
“クラシック”が彼の基本。 だから影響されて、誰かが弾いていたような
フレーズではなく、あのオリジナリティにあふれたメロディラインが描けた
ことに、繋がっているのだと思う。

絶頂期の状態でも、ステージ以外も全ての時間をギターに費やしたという。
ツアーには、必ずクラシック・ギターを持ち歩き、時間があれば、独り部屋に
閉じこもり、ギターの練習はもちろん、音楽高等理論の本まで読みあさった、
まさに、ギターの虫。 練習の虫。 更にもっと勉強しようと、バンドに
在籍しながら、大学で通い本格的に理論をマスターしようと考えていたそうだ。
こうやって、ヘヴィー・メタルに新しい試みを導入しようと常に努力していた。
彼が高校でギターを教えていた頃、旧友の故ケヴィン・ダブロウらとバンドを
結成する。 「QUIET RIOT」。 無名で毎週末クラブを中心に活動していた。
だが、泣かず飛ばず。 デモテープでレコード会社に売り込むも芽が出なかった。
しかし、遠い日本のCBSソニーだけが興味を示し、本国より先に日本でデビュー。
(2ndアルバムを発表後、ベースがルディ・サーゾに交代してる)
その当時は、ランディも、ドラマチックさとヘヴィーさを兼ね備えているものの、
まだこれといって、ギタープレイ自体に光るものはなかった。

(ランディ脱退直後も、全然パッとしなかったんだけど、ランディ死後に、
例のスレイドの曲でドカ~ンと売れちゃったのは、なんとも皮肉なんだけど)
サバスを脱退(ほぼ解雇)したオジーがギタリストを捜してると教えてくれたのは、
他ならぬルディ・サーゾ。 でも、「俺なんか受かるわけないさ」と
オーディションには消極的だった。 でも“母親”にお尻を叩かれて、
渋々とオーディションと出かける。
(ギタリストなのに、こんなにエゴや主張が出ないのも珍しいけれど・・)
とぼとぼ、オジーが泊るホテルへ向かう。
ギターと小さなアンプを抱えて、部屋に入る。
そこには、酔っ払ってソファーにふんぞり返る“悪魔”が寝ていた。
「俺は、ぐてんぐてんに酔っ払って寝てたんだ。
そしたら、誰かが肩を叩いて起こそうとするんで、薄眼を開けたら、
そこには、“天使”が立ってたんだ。 それも“可愛い女の子”がね。」
オーディションに来た“天使”は、おもむろにちょこんと座って
ハーモニクスを弾き出した。 しかし、その途端・・。
「もういい、もういいよ。 お前は、俺のバンドのギタリストだ」
ものの2分ほどの“試験”だった。 ものすごいオーラが出てたのだろう。
これが、オジーとの運命的、かつ奇跡的な出会いだった。
ギタリストが決まったオジーは、ドラマーにトミー・アルドリッジを誘うが、
PAT TRAVERS BANDとの契約が切れないとの理由で断念。
オーディションで、元ユーライア・ヒープのリー・カースレイクを起用。
ベースは、レインボーを脱退したボブ・ディズリーを加え、ゲストに、
キーボード奏者ドン・エイリーを迎えて、「ブリザード・オブ・オズ」を結成。
しかし、すぐにオジー名義のバンド名にして、80年3月からロンドンで、
3ヶ月に渡りレコーディングされた。

ランディを起用したオジーも、“ランディに救われた”と言えるかもしれない。
オジー在籍時のブラック・サバス後期は、「TECHNICAL ECSTASY」あたりからの、
アメリカン・マーケットを意識した音作りが悲惨なまでに失敗していて、
(大体、トニー・アイオミに明るめのリフや曲作りを期待する方が間違っている)
サバス脱退後のオジーは、方向性も見出せないままの状態だった。
しかし、八方塞だったオジーが、ランディとの出会いによって、ソロに転じてからの、
バンドとしての方向性を、しっかり確立できたんじゃないかと思う。
ランディを全面に押し出して、スターに育て上げようとする姿勢と、アメリカの
マーケットを意識した方向で、パワフルでありながら、耳触りのいい
ギター・オリエンティッドな音作りを軸にしたヘヴィー・メタルを目指すという
今後も脈々と続いていく、オジーのソロの基本スタイルを、ソロデビュー作から
早くも導き出せたことが大きい。 もしも、オジーとランディと出会ってなければ、
この“奇跡のアルバム”は、生まれなかったに違いない。
このアルバムの内容については、今さら書く必要もないんだけど・・。
“I Don't Know”の頭の悶絶リフから突っ走り、もうやられまくり。
“Crazy Train”も、16ビートの疾走感から、キャッチーなリフで暴走しまくる。
が。 “Goodbye To Romance”で、ミドルに落として、哀愁と涙を誘う。
「さようなら、また逢えるだろう」 オジーとランディの姿が目に浮かびます・・。
ランディの“Dee”で、クラシック・ギターを静かに奏でる静寂から、一転。
“Suicide Solution”は、問題になったいわく付きの、魔界への勧誘ソング。
(裁判沙汰になったが、結局は無罪。 実際はアル中に警鐘を鳴らす曲だ)
とてつもなくヘヴィーで地獄へ引きずり込む。 メタル・オブ・メタル。

“Mr.Crowley”は、悪魔と天使との戦いを、壮大かつ悲しく描いた超名曲。
ランディのソロは、完コピ不可能。 この美しさ、スケール感は、まさに神の域。
“No Bone Movies”は、ストレートなロックン・ロールで直球勝負。
そして、神々しい“Revelation”の、胸が締めつけられるようなこの旋律。
まるで自分の死を予感していたかのような、「死の美学」を昇華しているようだ。
その不気味さと恐ろしいほどの美しさは、聴いてて怖くなってくるほどヤバい。
そして最後には、あまりに激しいソロから、“Steal Away”へなだれ込み、
再び、熱狂の渦へと誘い出すのだ・・。
( マニアの方なら、御承知のことかと思いますが、このアルバムと
次回作「DIARY OF A MADMAN」という、ランディ在籍時の、
オジーにとっても、最重要作であるこの2枚が、現在のリマスター盤では、
なんとベースとドラムスのリズム隊が差し替えられている。
これは、当時のオリジナル・メンバーだったボブ・ディズリー(ベース)と、
リー・カースレイク(ドラム)が、印税が正当に支払われていないと、
オジーと敏腕マネージャーであるシャロン夫人を相手取り、裁判を起こした為、
これに憤慨したオジー・サイドが、名目は「ランディのギターを最大限生かすため」
としているが、実は、腹いせに「じゃあ、こいつらのテイクを消してしまえ!」
とばかりに、あろうことか、メタリカに新加入した“ゴリラマン”こと、
ロバート・トゥールジロ(ベース)と、マイケル・ボーディン(ドラム)に、
完コピさせて、ゴッソリ差し替えたバージョンにして再発売したのが、現在のもの。
でも、どうなんでしょ。 諸氏のご意見はいろいろありましょうが・・。
正直、私は「×」ですね。 これはダメ。 別物です。
これは、“リマスター”じゃない。 “リミックス”です。
おまけに、肝心なランディのギターも、ラウドさせ過ぎたり、曲によっては、
フェードさせたりと、不可解な“いじり方”をしてる。
一言で言えば、“今風”。 音の分離がはっきりして、低音を強調してる感じ。
ベースは少し音が硬くて、ドラムは若干手数が多いぐらいで、(余計ですよ)
殆どオリジナルと分からないぐらい見事にコピーしきっています。
でも、バンド・グルーヴって大事なんですよ。 “上手い”とかじゃないんです。
ボブのブンブン唸るベース音も柔らかめで、リーの若干シンプルながらも
タイム感が絶妙なドラミングが歯止めとなって、なんかこんもりとした、
やはり”ブリティッシュ”な印象を持つリズム隊は、このアルバムの
特色だったんですよねぇ。 これは元に戻した方がいいんじゃないかなぁ。
元々アナログ録音のところに、最新技術とはいえ、デジタル録音を無理矢理
はめ込んだって、違和感があるに決まってるのに・・。

確かに、オリジナルの音は悪かったんで、(初めのCDは音圧も低かった)
私は、95年に出た、このジャケットに「OZZY」と縦にプリントしてあるリマスター
CDがベストだと思ってます。 このジャケットは、イマイチでしたが・・。
現在でも探せば入手可能だと思うんで、聴き比べてみてはいかがでしょう。
加筆いたします。
この10月に、ソロデビュー30周年記念盤として、なんと、このアルバムと「狂人日記」
が、晴れてオリジナル音源のリマスタリングにて発売されることが決定しました!
おまけに当時のライブ音源がボーナスに! 素晴らしい! キッズよ、これで泣け。 )
オジー・オズボーン = 悪魔。 ランディ・ローズ = 天使。
悪魔と天使が同居するという、対比の妙も利いていたように思う。
ランディの美しさは、まさに天使の如く、神聖なものとして崇められてる様だった。
彼が使っていたギターで、多くの人々の記憶に最も残っているのは、何と言っても
水玉模様のフライングVタイプだった。(通称、ポルカ・ドットV)
同じく有名な、白のギブソン・レスポール・カスタム も印象深いけど、
このアルバムでは、主にポルカ・ドッドを操って、大活躍している。

コラース・エフェクトを多用し、空間的広がりを持たせながらも、
音色は、とてつもなくヘヴィで、絶妙なディストレーションで歪ませまくる。
さらに、解放弦を効果的に使用したリフ作りの上手さ、クラシックを意識した
複雑なコード展開に、効果的な経過音。
そして、何よりキャッチーで流麗この上ない、泣きのメロディも織り成す、
ソロのラインの美しさ。
その“若さゆえ”に、押さえが利いていない局面も、時にはあるんだけど、
引っ込み思案な性格とは裏腹に、「とにかく俺の音を聴け~!」とばかりに
勇猛果敢に弾きまくる潔さは、まさに爽快。
“Crazy Train”で、左右のチャンネルから、2本のギターが同じ旋律でバトルする
ような、同テイクを3回全く同じに弾いて音の厚みをつけるという、
オジーが「狂ってる! もうやめてくれ」と懇願したという逸話も残すぐらいだ。
悪魔と天使。 獣と美男子。 邪悪と良心。 狂気と正気。= オジーとランディ。
この相反する分子が激しくぶつかり、交配する強烈な“化学反応”。
かくして、ヘヴィー・メタルの歴史に燦然と輝く、永遠の名盤が誕生したのです。
しかし・・。
1982年3月19日早朝、フロリダ州レスバーグで悲劇は起きた。
フォリナーとの野外フェスティバルへ向かうその日。
オジーらと、ツアースタッフはバスで移動していた。
しかしその途中、ツアーバスの運転手のアンドリュー・エイコックの自宅に寄った。
なんと、そこには、自家用小型飛行機があった。
それを見たドン・エイリー(key)は、「おい、ちょっと乗せてくれよ」と頼み、
エイコックはドンを乗せて、軽く遊覧飛行を楽しんできた。
ちょっと気分が良かったんで、他のメンバーやスタッフにも「行ってこいよ」
と誘ったが、ほとんどは乗ろうとしなかった。
しかし、ランディと衣裳係のレイチェル・ヤングブラッドは乗ってしまったのだ。
そして・・。
飛行機は落下。 ツアーバスに激突し、そのまま一軒家に突っ込んで大破。
ランディ25歳。 無残にも、空に散ってしまったのです。
こともあろうに、操縦していたエイコックからは、大量のコカインが検出されたのだ。
・・・。 なんという、あっけなさ。 なんという、悲劇。
もし、オジーらも乗ってたらと思うと、考えただけでも恐ろしい。
( 実は、同じエイコックの飛行機で、リッチー・ブラックモアが移動することに
になっていたことがあったんだけど、強い霊感の持ち主であるリッチーが
「あのパイロットには、死相が出ている」と言い、その飛行機で移動することを
避けて、別ルートでの移動になったそうです。
そして、その数日後に、この墜落事故が起きたのです・・。 )

志半ば。 夢は儚く・・。 これが“翼の折れたエンジェル”の最期だった。
神様は、よほど“天才ギタリスト”が大好きなのだろうか。
私たちの意に反して、やたら、“傍”に置きたがる。
またも神は、一人の若き天才ギタリストを天に引き寄せたのだ・・。
地獄の狂獣も、今や娯楽の殿堂。
ALIVE! KISS

(1) Deuce
Strutter
Got To Chooce
Hotter Than Hell
Firehouse
Nothin' To Lose
C'mon And Love Me
Parasite
She
(2) Watchin' You
100,000 Years
Black Diamonds
Rock Bottom
Cold Gin
Rock And Roll All Nite
Let Me Go, Rock & Roll
「 You Wanted The Best!? (最高を求めていたんだろう!?)
You Got The Best! (君はもう手に入れたさ!)
The Hottest Band In The World! KISS!!
(それは世界一熱いバンド! キッスだ!!) 」

彼らのライブ開始のこの定番アナウンスで参りましょう! KISSの登場だ!
花火がド~ンと爆発! さぁ~、ロックンロール・ショーの始まり始まり。
“Deuce”だ。 やっぱ、このオープニング最高。 このリフ、かっこいいんだ。
この「ALIVE!」は、事質的には、デビュー・アルバムの位置づけと思ってる。
75年の「地獄の接吻」に伴うツアーかやら、5月16日のデトロイトをメインに、
クリーブランド(6月21日)、ダベンポート(7月10日)、ワイルドウッド(7月23日)の
4公演のライブ音源をベースに、当時のセットリストに忠実な形で構成したもの。
(これらは、NYのエレクトリック・レディ・スタジオでオーヴァーダブされたもので、
曲によっては、各パートの差し替えどころか、全く録り直されたものある。)
デビューして、スタジオ盤を3枚出していたものの、泣かず飛ばずのKISS。
どれも大したヒットにはならなかった時期に、3rd収録の彼らの永遠のロック・
アンセムとなる、“Rock And Roll All Nite”が、何故かデトロイトのFMで
局地的にヘヴィーローテされ、この地だけで、異常な人気が高まりつつあった。
(あの“Detroit Rock City”って曲は、そんなファンへ送った感謝ソングだ)
この大チャンスに乗っかるべく、 残りのツアーをすべてキャンセルして、
デトロイトでライブ・アルバムを作ろうという、ほとんど思いつきのアイデアを
実行に移し、見事大成功してしまったという起死回生のライブ盤だ。
場所は、デトロイトのコボ・ホール12000人収容規模の大会場だ。
全然売れてないバンドなのに、大見栄張って、KISSのロゴ入りチャーター機で
現地入りするなどの様々なハッタリをかましながら。 彼ららしいです・・。
プロデュースはエディ・クレイマー。 ロックの名盤を数々生み出した彼ですから、
こういったものを作らせる(編集、構成させる)と、さすがに上手い。
バランス調整も、オーヴァーダブ過多も、臨場感を損なうことなく、荒々しく、
まるでライブ会場にいる気分が味わえる生々しいライブに仕上がっている。
あの熱さをそのままパッケージングした、この完成度は、ある意味奇跡的。
(ギター好きなら、2本のギターの音がはっきりしているから、エースが、
マホネックのレスポールをメインに使用していたのがわかる。 いい響きです。
これぞ、“楽曲のためのギター”。 マニアックですが・・。)

やっぱり彼らは(エースも含め)曲作りの才能に長けてる。
コンポーザー・チームのスタンレー/シモンズも、あのレノン/マッカートニー、
ジャガー/リチャーズと同等のソングライティングの手腕と才能を持っていた。
誰にも分かりやすく、親しみやすいメロディをハードロックに生かす曲作り。
単純なロックンロールも、ヘヴィーなリフも、ポップでキャッチーなラインも書ける。
デビュー作の音でのショボさは仕方ないものの、考えてみると、これに収録の
“Deuce”、“Strutter”、“Firehouse”、“Cold Gin”、“Black Diamonds”
などは、現在に至る、彼らの“鉄板ソング”。 いかにデビュー作から優れた
曲を書いていたかが分かる。 (現在のセットリストも1~3rdでほぼ半分占める)
いい曲やそれを生かすコーラスやアレンジが、カッチリと決まってる。
音楽面でのスポークスマンは、スタンレーが務め、ビジュアルやイメージ戦略、
ビジネス面は、シモンズが取り仕切る。 実に頭のキレる奴らなのだ。
(ルックスにこだわって獲得したピーター。 ギター・テクより、左右色の違う
コンバースを履いて、オーディションにやってきて、変人性を買われたエース。
この辺のメンバー選びも実に巧み。 デビュー前から計算してたワケだ。)
ちなみに、当初は“ビートルズ”をコンセプトにしたロックバンドだったのは有名。
デビュー作の「地獄からの使者」は、「MEET THE BEATLES」のジャケの
悪趣味なパロディだったし、ステージにスタンド・マイク一本にスタンレーと
エースがコーラスする姿も、ドラマーのピーター・クリスに何曲かリード・ヴォーカルを
配分する方法も、ビートルズを手本にしたもの。 メンバーも4人だし。
(ちなみに、2ndの「地獄のさけび」も、メンバーの並びやアーチ状の文字
なんか、「MAGICAL MYSTERY TOUR」のパロディっぽいし、3rdの
「地獄の接吻」もスーツ着て、街角を歩いてるショットなんか、もろに、
「ABBEY ROAD」を意識している。 考え過ぎかな。)

「今夜は、世界一熱い夜にしようぜ~!! ロックンロール・パーティ~!! 」
と、曲が終わるごとに、いちいちB級なMCをかまして、盛り上げるスタンレー。
(こいつ、気がついたら、何故かいつも上半身が裸なんだよな~。)
長い舌をベロベロ出しながらベースを操り、火を吹くわ、血を吐くわ、あれやこれや
オーディエンスを喜ばし続ける、芸人根性まる出しのジーン・シモンズ。
メイクは一番派手で、かつリード・ギタリストなのに、あの2人に隠れてしまって、
目立たないエース。 ちっとも速く弾けないんだけど、これが、なかなか味がある。
ドラムのピーターだって、あのシブいしゃがれ声の魅力は、本業を上回る。
(“Hard Luck Woman”は、KISSで一番キャッチーなポップ・ソング。 大好き。)
ファンを楽しませてナンボ。 喜ばせてナンボ。 騒がせてナンボ。
KISSは、「世界一偉大なる芸人ロック・バンド」。 大衆のために活動するのだ。
世界中のどのライブ会場にも多数現れる熱狂的な“KISS ARMY”の存在。
彼らのメイク・コスチュームを真似して、KISSと共に、ライブを盛り上げる。
「魅せる。 ノらせる。 驚かせる。 盛り上げる。」といった4拍子を実現する。
KISSの前では、みんな“子供”でいられる。 KISSのロックは成長なんかしない。
アトラクションで、テンションが上がる子供のように、みんなで盛り上がる。
デビューして35年。 それは紆余曲折。 けっして平坦ではなかった。
黄金の70年代を経て、エース、ピーターの脱退を境に、変革期に突入。
80~90年代は、ヘヴィー・メタル路線にダーク色を強め、そこからは“仮面”を脱ぎ、
素顔で活動。 だが、あの2人を除いて、メンバー交代も激しくなり(特にギタリストは
受難でした。)、仮面の神通力を無くしたかの如く、模索の時代も経験。
しかし、エース、ピーターとの再会をきっかけに、96年、再び“仮面”を着けて、
リユニオン・ツアーを開始。 そこからは、「辞める辞めない」を繰り返しつつ、
ツアーを敢行し(途中ニュー・アルバムも発表)、我々をを楽しませ続けてる。
そして先週、なんと11年ぶりのニュー・アルバム「SONIC BOOM」を発表して、
これが、Billboard誌アルバム・チャートHOT100で、初登場2位の快挙!
コレ、自己最高記録みたい。 あの70年代黄金期でさえ、77年の「LOVE GUN」の
4位が最高だったとのことで、いやはや、凄い。 恐れ入りましたの一言。
現在に至っても、KISSへのニーズは尽きることがないんだ。
(しかし、このアルバム、日本未発売・・。 現在KISSは、日本のレコード会社との
契約がないみたいで。 失礼です! 彼らは日本をとても愛してくれてるのに。)
ジーン・シモンズのよく使う言葉がある。
「 The More We Give、The More You Want
(与えてやればやるほど、お前らはもっと欲しがる) 」
“ロック最大の娯楽の殿堂”でもあるKISSは、例によって性欲や食欲、名声を
引き合いに出しながら、この言葉を吐き、どんどんエスカレートさせてきた。
ファンはKISSを求め、さらに求め、KISSは与え、さらに与え続けてきた。
KISSのサービスには、底がない。 永遠に与え続けるんだ。 これからも。

(1) Deuce
Strutter
Got To Chooce
Hotter Than Hell
Firehouse
Nothin' To Lose
C'mon And Love Me
Parasite
She
(2) Watchin' You
100,000 Years
Black Diamonds
Rock Bottom
Cold Gin
Rock And Roll All Nite
Let Me Go, Rock & Roll
「 You Wanted The Best!? (最高を求めていたんだろう!?)
You Got The Best! (君はもう手に入れたさ!)
The Hottest Band In The World! KISS!!
(それは世界一熱いバンド! キッスだ!!) 」

彼らのライブ開始のこの定番アナウンスで参りましょう! KISSの登場だ!
花火がド~ンと爆発! さぁ~、ロックンロール・ショーの始まり始まり。
“Deuce”だ。 やっぱ、このオープニング最高。 このリフ、かっこいいんだ。
この「ALIVE!」は、事質的には、デビュー・アルバムの位置づけと思ってる。
75年の「地獄の接吻」に伴うツアーかやら、5月16日のデトロイトをメインに、
クリーブランド(6月21日)、ダベンポート(7月10日)、ワイルドウッド(7月23日)の
4公演のライブ音源をベースに、当時のセットリストに忠実な形で構成したもの。
(これらは、NYのエレクトリック・レディ・スタジオでオーヴァーダブされたもので、
曲によっては、各パートの差し替えどころか、全く録り直されたものある。)
デビューして、スタジオ盤を3枚出していたものの、泣かず飛ばずのKISS。
どれも大したヒットにはならなかった時期に、3rd収録の彼らの永遠のロック・
アンセムとなる、“Rock And Roll All Nite”が、何故かデトロイトのFMで
局地的にヘヴィーローテされ、この地だけで、異常な人気が高まりつつあった。
(あの“Detroit Rock City”って曲は、そんなファンへ送った感謝ソングだ)
この大チャンスに乗っかるべく、 残りのツアーをすべてキャンセルして、
デトロイトでライブ・アルバムを作ろうという、ほとんど思いつきのアイデアを
実行に移し、見事大成功してしまったという起死回生のライブ盤だ。
場所は、デトロイトのコボ・ホール12000人収容規模の大会場だ。
全然売れてないバンドなのに、大見栄張って、KISSのロゴ入りチャーター機で
現地入りするなどの様々なハッタリをかましながら。 彼ららしいです・・。
プロデュースはエディ・クレイマー。 ロックの名盤を数々生み出した彼ですから、
こういったものを作らせる(編集、構成させる)と、さすがに上手い。
バランス調整も、オーヴァーダブ過多も、臨場感を損なうことなく、荒々しく、
まるでライブ会場にいる気分が味わえる生々しいライブに仕上がっている。
あの熱さをそのままパッケージングした、この完成度は、ある意味奇跡的。
(ギター好きなら、2本のギターの音がはっきりしているから、エースが、
マホネックのレスポールをメインに使用していたのがわかる。 いい響きです。
これぞ、“楽曲のためのギター”。 マニアックですが・・。)

やっぱり彼らは(エースも含め)曲作りの才能に長けてる。
コンポーザー・チームのスタンレー/シモンズも、あのレノン/マッカートニー、
ジャガー/リチャーズと同等のソングライティングの手腕と才能を持っていた。
誰にも分かりやすく、親しみやすいメロディをハードロックに生かす曲作り。
単純なロックンロールも、ヘヴィーなリフも、ポップでキャッチーなラインも書ける。
デビュー作の音でのショボさは仕方ないものの、考えてみると、これに収録の
“Deuce”、“Strutter”、“Firehouse”、“Cold Gin”、“Black Diamonds”
などは、現在に至る、彼らの“鉄板ソング”。 いかにデビュー作から優れた
曲を書いていたかが分かる。 (現在のセットリストも1~3rdでほぼ半分占める)
いい曲やそれを生かすコーラスやアレンジが、カッチリと決まってる。
音楽面でのスポークスマンは、スタンレーが務め、ビジュアルやイメージ戦略、
ビジネス面は、シモンズが取り仕切る。 実に頭のキレる奴らなのだ。
(ルックスにこだわって獲得したピーター。 ギター・テクより、左右色の違う
コンバースを履いて、オーディションにやってきて、変人性を買われたエース。
この辺のメンバー選びも実に巧み。 デビュー前から計算してたワケだ。)
ちなみに、当初は“ビートルズ”をコンセプトにしたロックバンドだったのは有名。
デビュー作の「地獄からの使者」は、「MEET THE BEATLES」のジャケの
悪趣味なパロディだったし、ステージにスタンド・マイク一本にスタンレーと
エースがコーラスする姿も、ドラマーのピーター・クリスに何曲かリード・ヴォーカルを
配分する方法も、ビートルズを手本にしたもの。 メンバーも4人だし。
(ちなみに、2ndの「地獄のさけび」も、メンバーの並びやアーチ状の文字
なんか、「MAGICAL MYSTERY TOUR」のパロディっぽいし、3rdの
「地獄の接吻」もスーツ着て、街角を歩いてるショットなんか、もろに、
「ABBEY ROAD」を意識している。 考え過ぎかな。)



「今夜は、世界一熱い夜にしようぜ~!! ロックンロール・パーティ~!! 」
と、曲が終わるごとに、いちいちB級なMCをかまして、盛り上げるスタンレー。
(こいつ、気がついたら、何故かいつも上半身が裸なんだよな~。)
長い舌をベロベロ出しながらベースを操り、火を吹くわ、血を吐くわ、あれやこれや
オーディエンスを喜ばし続ける、芸人根性まる出しのジーン・シモンズ。
メイクは一番派手で、かつリード・ギタリストなのに、あの2人に隠れてしまって、
目立たないエース。 ちっとも速く弾けないんだけど、これが、なかなか味がある。
ドラムのピーターだって、あのシブいしゃがれ声の魅力は、本業を上回る。
(“Hard Luck Woman”は、KISSで一番キャッチーなポップ・ソング。 大好き。)
ファンを楽しませてナンボ。 喜ばせてナンボ。 騒がせてナンボ。
KISSは、「世界一偉大なる芸人ロック・バンド」。 大衆のために活動するのだ。
世界中のどのライブ会場にも多数現れる熱狂的な“KISS ARMY”の存在。
彼らのメイク・コスチュームを真似して、KISSと共に、ライブを盛り上げる。
「魅せる。 ノらせる。 驚かせる。 盛り上げる。」といった4拍子を実現する。
KISSの前では、みんな“子供”でいられる。 KISSのロックは成長なんかしない。
アトラクションで、テンションが上がる子供のように、みんなで盛り上がる。
デビューして35年。 それは紆余曲折。 けっして平坦ではなかった。
黄金の70年代を経て、エース、ピーターの脱退を境に、変革期に突入。
80~90年代は、ヘヴィー・メタル路線にダーク色を強め、そこからは“仮面”を脱ぎ、
素顔で活動。 だが、あの2人を除いて、メンバー交代も激しくなり(特にギタリストは
受難でした。)、仮面の神通力を無くしたかの如く、模索の時代も経験。
しかし、エース、ピーターとの再会をきっかけに、96年、再び“仮面”を着けて、
リユニオン・ツアーを開始。 そこからは、「辞める辞めない」を繰り返しつつ、
ツアーを敢行し(途中ニュー・アルバムも発表)、我々をを楽しませ続けてる。
そして先週、なんと11年ぶりのニュー・アルバム「SONIC BOOM」を発表して、
これが、Billboard誌アルバム・チャートHOT100で、初登場2位の快挙!
コレ、自己最高記録みたい。 あの70年代黄金期でさえ、77年の「LOVE GUN」の
4位が最高だったとのことで、いやはや、凄い。 恐れ入りましたの一言。
現在に至っても、KISSへのニーズは尽きることがないんだ。
(しかし、このアルバム、日本未発売・・。 現在KISSは、日本のレコード会社との
契約がないみたいで。 失礼です! 彼らは日本をとても愛してくれてるのに。)
ジーン・シモンズのよく使う言葉がある。
「 The More We Give、The More You Want
(与えてやればやるほど、お前らはもっと欲しがる) 」
“ロック最大の娯楽の殿堂”でもあるKISSは、例によって性欲や食欲、名声を
引き合いに出しながら、この言葉を吐き、どんどんエスカレートさせてきた。
ファンはKISSを求め、さらに求め、KISSは与え、さらに与え続けてきた。
KISSのサービスには、底がない。 永遠に与え続けるんだ。 これからも。
アメリカンリミックスの苦い思い出。
SLIDE IT IN WHITESNAKE

<UK ORIGINAL> <US REMIX>
Gambler Slide It In
Slide It In Slow An' Easy
Standing In The Shadow Love Ain't No Sranger
Give Me More Time All Or Nothing
Love Ain't No Stranger Gambler
Slow An' Easy Guilty Of Love
Spit It Out Hungry For Love
All Or Nothing Give Me More Time
Hungry For Love Spit It Out
Guilty Of Love Standing In The Shadow
またCMで流れてますねぇ。 バーン。 紫の炎。
第2期である黄金期の崩壊後のパープルの代表曲だ。 これもロックのクラシック。
あの“Burn”を歌うのは、デビカバ。 デヴィッド・カヴァーデイル。
デビカバって言えば、“白蛇”。 WHITESNAKEだ。
パープルを辞めてから、ソロのプロジェクトが発展していき、パープルを継承
するような、デビカバの中心のブルージーで、ブリテッシュ王道のロック・バンド。
80年代初めにも、「READY An' WILLING」や「COME AN’ GET IT」などの、
当時、“亡き”パープル・ファンを唸らせる優れたアルバムもあるし、
87年のメガヒットした「紋章」の完成度の高さは、誰もが認めるとこだけど、
私の白蛇は、やっぱコレ。 「SLIDE IT IN」だ。
でも、コイツには、ちょっとした苦~い思い出があってさ。
このバンドも、HR系のバンドによくあるメンバー・チェンジの激しいバンドで、
アルバムが出るごとに、誰かはメンバーが替わってた。
デビカバのバンドなんで、彼除いて全員替わってしまったなんてのもあるし。
コイツは、とにかく問題だらけのアルバムで、マネージメントでのもめごとや、
プロデューサーが降ろされるとか(エディ・クライマーから、結局バーチへ逆戻り)。
まず、第4期ホワイトスネイクによって、オリジナル盤(欧州、日本)が完成。
デヴィッド・カヴァーデイル (Vo)
ジョン・ロード (Key)
メル・ギャレー (G、Vo)
ミッキー・ムーディー (G)
コリン・ホッジソン (B)
コージー・パウエル (Ds)
コイツが出た84年くらいの私は、ハード・ロックの炎が燃え盛ってる真っ只中。
絶賛してる友人が、「録音してやるよ」とカセットを渡してくれたのが、コイツだった。
とにかく、メイデンだ、ジューダスだ、オジーだ、VHだ、なんだかんだと、
ハードなヤツを、むさぼり聴いてた私を、すぐにコイツは夢中にさせてくれた。
ただあまりにも、次から次へと、いろんなヤツを聴きすぎていたんで、
しばらく聴かずに1~2か月、テープを置いてたんだけど、
突然、無性に聴きたくなって、いざテープを。 と思ったんだけど・・。
「ない。 ないぞ・・。 あれ~?」 どうしたことだ! どこへやった?
こういう時ほど、さらに聴きたくなるもので。
探しても、探しても、見つからず・・。
まさか・・。 あ~ぁ、やっちまった~!
ツメ折ってなかったんで、 他のヤツを重ねて録っちゃってた。
タイトルとか書いてなかった、私がバカなんだけどさ・・。
よりによって、重ねて録ったのが、「フットルース」のサントラ盤とは・・・。
でも、コイツは、ちゃんと本物を持つべし。 と。
レコードを買いに走ったわけです。
買ってきました。 「スライド・イット・イン」。
アメリカン・リミックス・バージョン。 日本特別編集。 デビカバ曲解説入り?
ま、いいか。 6曲はちと寂しいけど、安かったし。
たまたま、買いに行ったレコード屋には、コレしか置いてなくて。
ウ~ン、ガキの私には、ちとエロいなぁ~・・と、ジャケを眺めつつ、
針を落とすと・・。 「♪ジャア~ジャ~ジャ! ジャジャジャ、ジャジャ!」
ソリッドで、ハードな“Slide It In”だ。 このドライブ感がたまらない。
おお~。 こんなにエコーがかかって派手だったっけなぁ?
でも、メリハリ効いてて、コレはこれでカッコイイ。
しかし・・。 次になると、ボソボソと語りが・・。
・・・。
デビカバだ・・。 デビカバが語ってるわけです。
アナログ当時は、インタビュー・レコードってのが、結構あったんですよ。
今じゃ、考えられないけど。
白蛇が、米GEFFENレコードと契約する際に、オリジナルのUKミックスでは、
“アメリカでは売れない”から、ミックスをアメリカのラジオで流れやすいように、
ヴォーカルをON気味にして、高域を重視したミックスに変えさせ、かつ、
ホッジソンをクビにして、ニール・マーレー(B)を復帰させて、プラス、
初期からのデビカバの右腕だったミッキー・ムーディー(G)が辞めた後釜に、
よりアメリカ受け狙いを図り、THIN LIZZYを脱退したジョン・サイクス(G)を
加入させ、LAでレコーディングし直し、リミックスさせたのが、コイツ。
でも聴いてるうちに、その曲の合間の“語り”が、うざくなってきて・・。
“Slide It In”から、早く、“Love Ain't No Stranger”が聴きたくなって。
エ~イ、飛ばしちまえ! とばかりに、プレーヤーのアームをグイっと持ったら、
手元が滑り、ガリッ! あ~ぁ・・。 思いっきり傷つけちゃってさぁ・・。
買ったその日でした。 やってしまいました・・。
大好きな“Love Ain't No Stranger”は、バチバチブチブチ・・・。
(結局、必死に小遣い貯めて買い直しました。 しっかり、“オリジナル”を)
それ以来、このアメリカン・リミックスには、トラウマがあってね。
今現在は、このUSミックスが、逆に“オリジナル”になってる状態。
違うんですよ。 オリジナルは、UK盤の方。
ただ、白蛇マニアでは、このUSミックスに異議を唱える諸氏が多いようで。
(曲順も、やっぱ“Gambler”から入り、“愛の掟”で締めた方がいいかな)
UKオリジナルの王道を感じる、ねちっこいミックスの方が彼らの持ち味を
発揮できていると私も思う。 (サイクスのギターは、やっぱ合わねぇなぁ~)
現在は、UKミックスは廃盤になって久しく、USミックスで統一されてるが、
なんと、ここにきて、この発売25周年記念デラックス仕様が登場する!

それに、あのUKミックスが(8曲だけなんだけど)、ボーナス収録されるのだ。
聴きたくてもなかなか聴けなかった方にとっては、このボートラは必聴。
とにかく全体的に楽曲の出来が素晴らしく、昔からの王道普遍の路線を
残しつつも、ややブルージーなとこが薄れてるんだけど、
ZEPをもろ意識してる“Slow An' Easy”は、モダン・ブルースが響き渡る名曲。
(デビカバって、後でジミー・ペイジとユニット組んだこともありましたね)
ここでのコージー・パウエルのダイナミックなドラミングは見事だし、
ジョン・ロードのハモンドはいいアクセントになって、実に効果的。
逆に、UK盤ではちょっと浮いてたポップな“Guilty Of Love”は、
USミックスになると、しっくりしてたりする。 次の「紋章」の布石みたいな曲だ。
最後に、これあまり人が書かないんだけど、このアルバムに限っていえば、
メル・ギャレー(G、Vo)をもっと評価しなきゃいけないよ、全く。
この人の作曲センスは抜群。 ただリード・ソロはパッとしないし、
地味なんで、この後のビジュアル重視のメンツばかりじゃ、沈没必至でしたが・・。
思い出話に終始したけど、
皆さんにも、レコード盤のいろんな思い出あると思います。
CD、いや、ダウンロードが主流の現在。
一抹の寂しさを思うのは、私だけかなぁ・・。

<UK ORIGINAL> <US REMIX>
Gambler Slide It In
Slide It In Slow An' Easy
Standing In The Shadow Love Ain't No Sranger
Give Me More Time All Or Nothing
Love Ain't No Stranger Gambler
Slow An' Easy Guilty Of Love
Spit It Out Hungry For Love
All Or Nothing Give Me More Time
Hungry For Love Spit It Out
Guilty Of Love Standing In The Shadow
またCMで流れてますねぇ。 バーン。 紫の炎。
第2期である黄金期の崩壊後のパープルの代表曲だ。 これもロックのクラシック。
あの“Burn”を歌うのは、デビカバ。 デヴィッド・カヴァーデイル。
デビカバって言えば、“白蛇”。 WHITESNAKEだ。
パープルを辞めてから、ソロのプロジェクトが発展していき、パープルを継承
するような、デビカバの中心のブルージーで、ブリテッシュ王道のロック・バンド。
80年代初めにも、「READY An' WILLING」や「COME AN’ GET IT」などの、
当時、“亡き”パープル・ファンを唸らせる優れたアルバムもあるし、
87年のメガヒットした「紋章」の完成度の高さは、誰もが認めるとこだけど、
私の白蛇は、やっぱコレ。 「SLIDE IT IN」だ。
でも、コイツには、ちょっとした苦~い思い出があってさ。
このバンドも、HR系のバンドによくあるメンバー・チェンジの激しいバンドで、
アルバムが出るごとに、誰かはメンバーが替わってた。
デビカバのバンドなんで、彼除いて全員替わってしまったなんてのもあるし。
コイツは、とにかく問題だらけのアルバムで、マネージメントでのもめごとや、
プロデューサーが降ろされるとか(エディ・クライマーから、結局バーチへ逆戻り)。
まず、第4期ホワイトスネイクによって、オリジナル盤(欧州、日本)が完成。
デヴィッド・カヴァーデイル (Vo)
ジョン・ロード (Key)
メル・ギャレー (G、Vo)
ミッキー・ムーディー (G)
コリン・ホッジソン (B)
コージー・パウエル (Ds)
コイツが出た84年くらいの私は、ハード・ロックの炎が燃え盛ってる真っ只中。
絶賛してる友人が、「録音してやるよ」とカセットを渡してくれたのが、コイツだった。
とにかく、メイデンだ、ジューダスだ、オジーだ、VHだ、なんだかんだと、
ハードなヤツを、むさぼり聴いてた私を、すぐにコイツは夢中にさせてくれた。
ただあまりにも、次から次へと、いろんなヤツを聴きすぎていたんで、
しばらく聴かずに1~2か月、テープを置いてたんだけど、
突然、無性に聴きたくなって、いざテープを。 と思ったんだけど・・。
「ない。 ないぞ・・。 あれ~?」 どうしたことだ! どこへやった?
こういう時ほど、さらに聴きたくなるもので。
探しても、探しても、見つからず・・。
まさか・・。 あ~ぁ、やっちまった~!
ツメ折ってなかったんで、 他のヤツを重ねて録っちゃってた。
タイトルとか書いてなかった、私がバカなんだけどさ・・。
よりによって、重ねて録ったのが、「フットルース」のサントラ盤とは・・・。
でも、コイツは、ちゃんと本物を持つべし。 と。
レコードを買いに走ったわけです。
買ってきました。 「スライド・イット・イン」。
アメリカン・リミックス・バージョン。 日本特別編集。 デビカバ曲解説入り?
ま、いいか。 6曲はちと寂しいけど、安かったし。
たまたま、買いに行ったレコード屋には、コレしか置いてなくて。
ウ~ン、ガキの私には、ちとエロいなぁ~・・と、ジャケを眺めつつ、
針を落とすと・・。 「♪ジャア~ジャ~ジャ! ジャジャジャ、ジャジャ!」
ソリッドで、ハードな“Slide It In”だ。 このドライブ感がたまらない。
おお~。 こんなにエコーがかかって派手だったっけなぁ?
でも、メリハリ効いてて、コレはこれでカッコイイ。
しかし・・。 次になると、ボソボソと語りが・・。
・・・。
デビカバだ・・。 デビカバが語ってるわけです。
アナログ当時は、インタビュー・レコードってのが、結構あったんですよ。
今じゃ、考えられないけど。
白蛇が、米GEFFENレコードと契約する際に、オリジナルのUKミックスでは、
“アメリカでは売れない”から、ミックスをアメリカのラジオで流れやすいように、
ヴォーカルをON気味にして、高域を重視したミックスに変えさせ、かつ、
ホッジソンをクビにして、ニール・マーレー(B)を復帰させて、プラス、
初期からのデビカバの右腕だったミッキー・ムーディー(G)が辞めた後釜に、
よりアメリカ受け狙いを図り、THIN LIZZYを脱退したジョン・サイクス(G)を
加入させ、LAでレコーディングし直し、リミックスさせたのが、コイツ。
でも聴いてるうちに、その曲の合間の“語り”が、うざくなってきて・・。
“Slide It In”から、早く、“Love Ain't No Stranger”が聴きたくなって。
エ~イ、飛ばしちまえ! とばかりに、プレーヤーのアームをグイっと持ったら、
手元が滑り、ガリッ! あ~ぁ・・。 思いっきり傷つけちゃってさぁ・・。
買ったその日でした。 やってしまいました・・。
大好きな“Love Ain't No Stranger”は、バチバチブチブチ・・・。
(結局、必死に小遣い貯めて買い直しました。 しっかり、“オリジナル”を)
それ以来、このアメリカン・リミックスには、トラウマがあってね。
今現在は、このUSミックスが、逆に“オリジナル”になってる状態。
違うんですよ。 オリジナルは、UK盤の方。
ただ、白蛇マニアでは、このUSミックスに異議を唱える諸氏が多いようで。
(曲順も、やっぱ“Gambler”から入り、“愛の掟”で締めた方がいいかな)
UKオリジナルの王道を感じる、ねちっこいミックスの方が彼らの持ち味を
発揮できていると私も思う。 (サイクスのギターは、やっぱ合わねぇなぁ~)
現在は、UKミックスは廃盤になって久しく、USミックスで統一されてるが、
なんと、ここにきて、この発売25周年記念デラックス仕様が登場する!

それに、あのUKミックスが(8曲だけなんだけど)、ボーナス収録されるのだ。
聴きたくてもなかなか聴けなかった方にとっては、このボートラは必聴。
とにかく全体的に楽曲の出来が素晴らしく、昔からの王道普遍の路線を
残しつつも、ややブルージーなとこが薄れてるんだけど、
ZEPをもろ意識してる“Slow An' Easy”は、モダン・ブルースが響き渡る名曲。
(デビカバって、後でジミー・ペイジとユニット組んだこともありましたね)
ここでのコージー・パウエルのダイナミックなドラミングは見事だし、
ジョン・ロードのハモンドはいいアクセントになって、実に効果的。
逆に、UK盤ではちょっと浮いてたポップな“Guilty Of Love”は、
USミックスになると、しっくりしてたりする。 次の「紋章」の布石みたいな曲だ。
最後に、これあまり人が書かないんだけど、このアルバムに限っていえば、
メル・ギャレー(G、Vo)をもっと評価しなきゃいけないよ、全く。
この人の作曲センスは抜群。 ただリード・ソロはパッとしないし、
地味なんで、この後のビジュアル重視のメンツばかりじゃ、沈没必至でしたが・・。
思い出話に終始したけど、
皆さんにも、レコード盤のいろんな思い出あると思います。
CD、いや、ダウンロードが主流の現在。
一抹の寂しさを思うのは、私だけかなぁ・・。
放火魔の狙いはユニオンジャック。
PYROMANIA DEF LEPPARD

Rock! Rock!('Til You Drop)
Photograph
Stagefright
Too Late For Love
Die Hard The Hunter
Foolin'
Rock Of Ages
Comin' Under Fire
Action Not Words
Billy's Got A Gun
VAN HALENで大火事になったついでに、 “大火事モノ”続けます。
コレも、私のロック魂の火を激しく燃やし続けた青春のアルバム。
「PYROMANIA」。 放火魔、放火癖。 邦題「炎のターゲット」。
このジャケ最高。 やっぱ、コレだぜ。
今回は、そのDEF LEPPARDに照準を当てます。
このアルバムも、“何を今さら”説明レビューの必要のないロックの名盤なんですが、
ここにきて、やっとデジタル・リマスターされて、83年のライブをパッケージングした、
デラックス仕様で再発される。 この次回作のこれも名盤「HYSTERIA」は、
06年、一足先にデラックス仕様化されてたんで、(これも素晴らしい内容でした!)、
今回は、さらに次回作の「ADRENALIZE」と合わせて、(ボーナスの内容が豪華!)、
遂に、彼らの全盛期3部作がデラックス化されることになる。
当時、何も知識のなかった頃には、アメリカであんなにバカ売れしてるんで、
アメリカのバンドだと思ってしまったが、 どっこいNWOBHM勢の代表格の英国の
奴らだと知って驚いてしまった。 しかし、本国よりもアメリカで脚光を浴びて
しまったために、当時、敵対心を持つ英国では「アメリカに魂を売りやがった」との
中傷やプレスの反応も冷ややかだった。 そんな彼らは英国の誇りを胸に、
よくユニオンジャックを身に纏い、英国に忠誠心を示し主張していたそうだ。
(このアルバムからは、さすがに英国でも無視できなくなってしまったけど。)
ただこのバンドも、一般のロックファンからすると、 “過去の遺産”みたいに、
「80年代にバカ売れしたメタル・バンド」くらいの認知が多くて、
コアなメタル・マニアからは、ポップで子供っぽいバンドと軽く扱われる始末で、
なんとも、中途半端なイメージがつきまとうのが、歯がゆいんだけど、
しかし、彼らは過去に輝かしい実績を残すも、数々の苦難を乗り越えて、
現在も着実に活動している現役バリバリの“ロックンロール・バンド”なのだ。
(あえて、こういいます。)
控えい! 控えい! “DEF LEPPARD”はエライのだ。

もしこのアルバムが出なければ、80年代の中後半期のHR/HM勢の、
シーンにおける躍進もミリオン・ヒットも、そして、来たるLAメタル・ムーブメントも、
チャートにおける“市民権”を得られることも、きっとなかったと思う。
ゆえに、80年代のHR/HMアルバムを語る上で聴いておかなくてはいけないし、
最も重要なアルバムだと言っても、言い過ぎじゃないと思ってる。
まず、このアルバムがどれだけ優れているのか、ポイントは2つ。
“曲”と“音作り”。 この2つがズバ抜けていることだ。
キーは、プロデュース兼ソングライターのロバート・ジョン・“マット”・ランジ。
AC/DCの「BACK IN BLACK」と前後のアルバムに、FOREIGNERの「4」、
THE CARSの「HEARTBEAT CITY」などをプロデュースしている敏腕で、
ロックのみならず、ポップス作品でも実績のある“必殺仕事人”なのだ。
もっと言うなら、80年代のロック作品における音作りの方法、方向性を示し、
基準を作ったのは、彼だと思う。
この「PYROMANIA」は、そのロバート・ジョン・“マット”・ランジの最高傑作だ。
“完璧主義者”ランジの音作り(プロデュース)の特徴は、簡単に言うと、
「無駄を極限まで省き、バランス良くパッケージングする」ことだ。
彼はヴォーカルや各楽器、効果音なんかの各パートの音域を小さく削って、
(無駄な音域は大胆に削る)、思い描く音像になるよう、 このアルバムでは、
サンプリングを斬新に使ったり、ドラム・レコーディングに革命を起こした。
ドラムはバスドラ、シンバルは押さえ、スネア重視。 ベースは中域に芯を残す。
ギターはコンプレッサーで潰して、歌とコーラスは高音のみ残して、あとは削る。
そんな感じで、バランス良く収めていく。 (中音域主体にまとめていく感じ)
なので、音の輪郭がくっきりするから、ヴォーカル、コーラス、ギターが強調され、
メロディー・ラインが耳に馴染むのだ。 こういう音処理が非常に上手い。
(ジョー・エリオットの声は、高音なのにダミ声をいうクセのあるヴォーカル。
それが、耳障りにならないように中音域にレベル調整、エコー処理している)
曲作りにも、全曲にランジがクレジットされているように、ソングライティングにも、
当時のメイン・ソングライターだったギタリストの故スティーブ・クラークと共に、
大きく関わって、楽曲アレンジを考える段階からランジ主導で進められたと思う。
メロディー・ラインを重視するんで、ギターもアルペジオを効果的に多用したり、
サビもマイナーとメジャーを上手く組み合わせ、コーラスも主旋律を多重させたり、
シンセの雰囲気作りも絶妙。 非常に手の込んだアレンジをしてる。
メロディーが綺麗で洗練された曲作り。 キャッチーでコンパクトな音作り。
メタルのアルバムにしたら、乾いていて軽い。 親しみやすくて、分かりやすい。
ラジオでヘヴィー・ローテーションされる、MTVも意識してPVをオンエアーする。
イコール。 アメリカで天文学的セールスを記録するわけです。
第1弾シングルで、彼らのベスト・トラックと言っていい、“Photograph”は、
リック・アレンの“両腕”から叩き出す8ビートを基本に、ジョーのAメロ突入から、
キャッチーなリフが絡んで、アレンの印象的なカウベルとコーラスの掛け合いが
カッコイイBメロ、そして、アルペジオの音色と高音が美しいコーラスが合わさった
洗練されたサビ、フィードバックからのメロディアスなギター・ソロといい、
(フィル・コリンはレコーディング途中で加入してるんで、弾いていないかも?)
メロディー、アレンジ、共に完璧の仕上がり。 ほれぼれする出来だ。
この余韻を引きずったまま、 ライブのSE、「I Said Welcome To My Show!!」
よろしく、ドライヴィング・ハードな“Stagefright”へなだれ込んでいく。
(この曲は、一発録り!)
アルバムの中で一番硬派なツインリードが素晴らしい“Die Hard The Hunter”、
哀愁ただようメロディーとコーラスが美しい「♪フゥ、フゥ、フゥ、フゥリ~ン」や、
「ロックンロールの火を燃やし続ける放火魔」ごとき、ロックアンセム的賛歌、
“Rock Of Ages” (ヘェヘェヘェヘェヘェ)、の不気味な魅力といい、
重厚なリフをバックに悲壮感が漂うドラマティックな“Billy's Got A Gun”など、
(最後の長い逆回転ドラム・ループは意味があるんかなぁ~)
シングル・カット曲関係なく、完成度の高い楽曲ばかり。
ランジなくして、「PYROMANIA」なし。
彼らのアルバムの中で最も“ロックンロール”してるアルバム。
それは、メタル・バンドのメロディアス・ハードの礎として今も君臨する。

Rock! Rock!('Til You Drop)
Photograph
Stagefright
Too Late For Love
Die Hard The Hunter
Foolin'
Rock Of Ages
Comin' Under Fire
Action Not Words
Billy's Got A Gun
VAN HALENで大火事になったついでに、 “大火事モノ”続けます。
コレも、私のロック魂の火を激しく燃やし続けた青春のアルバム。
「PYROMANIA」。 放火魔、放火癖。 邦題「炎のターゲット」。
このジャケ最高。 やっぱ、コレだぜ。
今回は、そのDEF LEPPARDに照準を当てます。
このアルバムも、“何を今さら”説明レビューの必要のないロックの名盤なんですが、
ここにきて、やっとデジタル・リマスターされて、83年のライブをパッケージングした、
デラックス仕様で再発される。 この次回作のこれも名盤「HYSTERIA」は、
06年、一足先にデラックス仕様化されてたんで、(これも素晴らしい内容でした!)、
今回は、さらに次回作の「ADRENALIZE」と合わせて、(ボーナスの内容が豪華!)、
遂に、彼らの全盛期3部作がデラックス化されることになる。
当時、何も知識のなかった頃には、アメリカであんなにバカ売れしてるんで、
アメリカのバンドだと思ってしまったが、 どっこいNWOBHM勢の代表格の英国の
奴らだと知って驚いてしまった。 しかし、本国よりもアメリカで脚光を浴びて
しまったために、当時、敵対心を持つ英国では「アメリカに魂を売りやがった」との
中傷やプレスの反応も冷ややかだった。 そんな彼らは英国の誇りを胸に、
よくユニオンジャックを身に纏い、英国に忠誠心を示し主張していたそうだ。
(このアルバムからは、さすがに英国でも無視できなくなってしまったけど。)
ただこのバンドも、一般のロックファンからすると、 “過去の遺産”みたいに、
「80年代にバカ売れしたメタル・バンド」くらいの認知が多くて、
コアなメタル・マニアからは、ポップで子供っぽいバンドと軽く扱われる始末で、
なんとも、中途半端なイメージがつきまとうのが、歯がゆいんだけど、
しかし、彼らは過去に輝かしい実績を残すも、数々の苦難を乗り越えて、
現在も着実に活動している現役バリバリの“ロックンロール・バンド”なのだ。
(あえて、こういいます。)
控えい! 控えい! “DEF LEPPARD”はエライのだ。

もしこのアルバムが出なければ、80年代の中後半期のHR/HM勢の、
シーンにおける躍進もミリオン・ヒットも、そして、来たるLAメタル・ムーブメントも、
チャートにおける“市民権”を得られることも、きっとなかったと思う。
ゆえに、80年代のHR/HMアルバムを語る上で聴いておかなくてはいけないし、
最も重要なアルバムだと言っても、言い過ぎじゃないと思ってる。
まず、このアルバムがどれだけ優れているのか、ポイントは2つ。
“曲”と“音作り”。 この2つがズバ抜けていることだ。
キーは、プロデュース兼ソングライターのロバート・ジョン・“マット”・ランジ。
AC/DCの「BACK IN BLACK」と前後のアルバムに、FOREIGNERの「4」、
THE CARSの「HEARTBEAT CITY」などをプロデュースしている敏腕で、
ロックのみならず、ポップス作品でも実績のある“必殺仕事人”なのだ。
もっと言うなら、80年代のロック作品における音作りの方法、方向性を示し、
基準を作ったのは、彼だと思う。
この「PYROMANIA」は、そのロバート・ジョン・“マット”・ランジの最高傑作だ。
“完璧主義者”ランジの音作り(プロデュース)の特徴は、簡単に言うと、
「無駄を極限まで省き、バランス良くパッケージングする」ことだ。
彼はヴォーカルや各楽器、効果音なんかの各パートの音域を小さく削って、
(無駄な音域は大胆に削る)、思い描く音像になるよう、 このアルバムでは、
サンプリングを斬新に使ったり、ドラム・レコーディングに革命を起こした。
ドラムはバスドラ、シンバルは押さえ、スネア重視。 ベースは中域に芯を残す。
ギターはコンプレッサーで潰して、歌とコーラスは高音のみ残して、あとは削る。
そんな感じで、バランス良く収めていく。 (中音域主体にまとめていく感じ)
なので、音の輪郭がくっきりするから、ヴォーカル、コーラス、ギターが強調され、
メロディー・ラインが耳に馴染むのだ。 こういう音処理が非常に上手い。
(ジョー・エリオットの声は、高音なのにダミ声をいうクセのあるヴォーカル。
それが、耳障りにならないように中音域にレベル調整、エコー処理している)
曲作りにも、全曲にランジがクレジットされているように、ソングライティングにも、
当時のメイン・ソングライターだったギタリストの故スティーブ・クラークと共に、
大きく関わって、楽曲アレンジを考える段階からランジ主導で進められたと思う。
メロディー・ラインを重視するんで、ギターもアルペジオを効果的に多用したり、
サビもマイナーとメジャーを上手く組み合わせ、コーラスも主旋律を多重させたり、
シンセの雰囲気作りも絶妙。 非常に手の込んだアレンジをしてる。
メロディーが綺麗で洗練された曲作り。 キャッチーでコンパクトな音作り。
メタルのアルバムにしたら、乾いていて軽い。 親しみやすくて、分かりやすい。
ラジオでヘヴィー・ローテーションされる、MTVも意識してPVをオンエアーする。
イコール。 アメリカで天文学的セールスを記録するわけです。
第1弾シングルで、彼らのベスト・トラックと言っていい、“Photograph”は、
リック・アレンの“両腕”から叩き出す8ビートを基本に、ジョーのAメロ突入から、
キャッチーなリフが絡んで、アレンの印象的なカウベルとコーラスの掛け合いが
カッコイイBメロ、そして、アルペジオの音色と高音が美しいコーラスが合わさった
洗練されたサビ、フィードバックからのメロディアスなギター・ソロといい、
(フィル・コリンはレコーディング途中で加入してるんで、弾いていないかも?)
メロディー、アレンジ、共に完璧の仕上がり。 ほれぼれする出来だ。
この余韻を引きずったまま、 ライブのSE、「I Said Welcome To My Show!!」
よろしく、ドライヴィング・ハードな“Stagefright”へなだれ込んでいく。
(この曲は、一発録り!)
アルバムの中で一番硬派なツインリードが素晴らしい“Die Hard The Hunter”、
哀愁ただようメロディーとコーラスが美しい「♪フゥ、フゥ、フゥ、フゥリ~ン」や、
「ロックンロールの火を燃やし続ける放火魔」ごとき、ロックアンセム的賛歌、
“Rock Of Ages” (ヘェヘェヘェヘェヘェ)、の不気味な魅力といい、
重厚なリフをバックに悲壮感が漂うドラマティックな“Billy's Got A Gun”など、
(最後の長い逆回転ドラム・ループは意味があるんかなぁ~)
シングル・カット曲関係なく、完成度の高い楽曲ばかり。
ランジなくして、「PYROMANIA」なし。
彼らのアルバムの中で最も“ロックンロール”してるアルバム。
それは、メタル・バンドのメロディアス・ハードの礎として今も君臨する。
娯楽ロックモンスター、未だ健在?
1984 VAN HALEN

1984
Jump
Panama
Top Jimmy
Drop Dead Legs
Hot For Teacher
I'll Wait
Girl Gone Bad
House Of Pain
「また、かかってら~・・。」
♪ジャッジャッ、ジャッジャッ、ジャッ~ァージャ!
今度は、某赤坂のキー局のドラマみたいです。
インパクトあるもんなぁ~。 タイアップにはもってこいです。
今さら、この名盤を説明レビューする必要なんてないんだけど、
このアルバムは、青き私のロック魂に火を着けた必撃、必殺の一枚。
今宵は、“デイヴ版”VAN HALENの話で、お付き合いを。
元々は、82年末から83年初めには、ほぼ出来上がってたみたいなんだけど、
デイヴが、「気に入らねぇ。 全てが気に入らん。」 その一言で一からやり直しして、
83年12月31日発売された、通算6枚目の大傑作がコレ。
このアルバムは、とにかく、“Jump”に尽きる。
暗黒から光が射し込んで、地面を切り開くような響きで始まる、
アナログ・シンセのド派手なイントロから、デイヴの動物的なあふれる躍動感。
いつ聴いても、このワクワクする高揚感は何なんだろう。
もう25年前の曲ってのに全く色褪せない。 何百、いや何千回聴いたことか。
エディの凄さなんて、ここで改める必要ないけど、 テクニックは勿論なんだけど、
とにかく、“見せ方”がうまいんだ。 でも、ただうまいだけじゃない。
ただ陶酔にひたってしまって、ダラダラとソロやってるギタリストが多いんだけど、
エディのギターソロには、時間に関係なく、必ず“起承転結”がある。
独創性と超人的難度。 それをニコニコと平然とやってのける抜群のセンス。
比較的オーソドックスなコード進行だけど、終わりのほうの悶絶タッピングから、
キーボード・ソロへなだれ込んでいくところのスリリングな展開は非の打ち所なし。
完璧。 みんなエディのとりこ。 もうエディには、やられっぱなしなんだ。
エディのギターには、いつも“見せられて”、いつの間にか“魅せられてる”。
プラス。下手クソでも、“Jump”はデイヴのワイルドなダミ声でしか成り立たない。
デイヴの求める究極のパーティー・ロックと、エディの目指すシンセ主流の、
コンテポラリー化したアメリカン・メインストリーム・ロックが激しく交差!
それに、MTVをうまく取り込んでの視覚的効果もプラスされた80年代を代表する、
エンターテイメント・ハードロックの最高峰。 これが“Jump”だ。
この曲は今後も末永く、人々に元気と勇気と生命力を与え続けることだろう。
次の“Panama”だって、デイヴのバカっぷり全開のパーティー・チューン。
エディも、この曲ではギター前面に出して、もうやりたい放題。
ソロも途中からブルージーになるとこもアイデアの妙だけど、ため息でるし。
“Hot For Teacher”だってそう。 イントロでのどう叩いてるのかわかんない、
兄貴のツーバスでの3連リズムに、エディの超高速タッピングが爆発するし、
実は地味な“Top Jimmy”や“Drop Dead Legs”だって、ギター炸裂だし、
ラストの“House Of Pain”でのヘヴィーで豪快なソロなんて、誰も思い付かん。
ちなみに、このアルバムは空耳の宝庫(笑)。 “Jump”だけでも、
ノッケから「♪開けろ!」 (私にゃ、“♪揚げ豆腐!”に聞こえますが・・)だし、
「♪湯が出た」だの、「♪足が飛びそうだよ」だの。 所々「♪松江城!」とも。
“Panama”だって、いきなり「♪しょんべ~ん」からだもんなぁ(笑)。
「♪稲荷だけ、シャリなし」は、爆笑ものの名空耳だし、
“Hot For Teacher”の「♪ひかる一平、ひかる一平、ひかる一平」などなど・・。
(失敬・・。)
でも、このアルバムでエディは、かなりデイヴに譲歩したんじゃないかなぁ。
「最後にやりたいだけやらせてやるよ。」くらいの気持ちがあったのかもしれない。
デイヴが嫌がったシンセに足を突っ込んだのは、ギタリストとしての限界というより、
バンド・サウンドの可能性に挑んだ選択。 結果は、おのずの通りだ。
正しかったぞ、エディ。
07年に、デイヴが復帰して、アメリカン・ツアーしたけど、 私としては、
いくらデイヴが戻ったとはいえ、「エディとその仲間達」にしか見えなかったなぁ・・。
マイケル・アンソニーがいないんだ。 これは痛かった・・。
長年連れ添った仲なのに、つまんない理由でクビにしたみたいだけど、
ダメだよ、エディ。 息子なんかに弾かせてる場合じゃないよ、全く。
堅実なベースも確かだけど、 あのハイトーン・コーラスはマイケルじゃなきゃ。
この作品でも、“Jump”、“Panama”、“Top Jimmy”、“Hot For Teacher”など、
印象的なコーラス・ワークはマイケルの声だからこそ。
サミー時代を含め、過去の曲のバックにはマイケルがいたんだ。 もっと言うと、
あのコーラスもエディのギターと共に、VAN HALENサウンドの強みだったのに。
考えた方がいいよ、エディ。
「お嬢さん、火傷するぜ!」 当時のアナログ盤の帯のコピーだ。
私なんか火傷どころか、大火事のまんまだ。

1984
Jump
Panama
Top Jimmy
Drop Dead Legs
Hot For Teacher
I'll Wait
Girl Gone Bad
House Of Pain
「また、かかってら~・・。」
♪ジャッジャッ、ジャッジャッ、ジャッ~ァージャ!
今度は、某赤坂のキー局のドラマみたいです。
インパクトあるもんなぁ~。 タイアップにはもってこいです。
今さら、この名盤を説明レビューする必要なんてないんだけど、
このアルバムは、青き私のロック魂に火を着けた必撃、必殺の一枚。
今宵は、“デイヴ版”VAN HALENの話で、お付き合いを。
元々は、82年末から83年初めには、ほぼ出来上がってたみたいなんだけど、
デイヴが、「気に入らねぇ。 全てが気に入らん。」 その一言で一からやり直しして、
83年12月31日発売された、通算6枚目の大傑作がコレ。
このアルバムは、とにかく、“Jump”に尽きる。
暗黒から光が射し込んで、地面を切り開くような響きで始まる、
アナログ・シンセのド派手なイントロから、デイヴの動物的なあふれる躍動感。
いつ聴いても、このワクワクする高揚感は何なんだろう。
もう25年前の曲ってのに全く色褪せない。 何百、いや何千回聴いたことか。
エディの凄さなんて、ここで改める必要ないけど、 テクニックは勿論なんだけど、
とにかく、“見せ方”がうまいんだ。 でも、ただうまいだけじゃない。
ただ陶酔にひたってしまって、ダラダラとソロやってるギタリストが多いんだけど、
エディのギターソロには、時間に関係なく、必ず“起承転結”がある。
独創性と超人的難度。 それをニコニコと平然とやってのける抜群のセンス。
比較的オーソドックスなコード進行だけど、終わりのほうの悶絶タッピングから、
キーボード・ソロへなだれ込んでいくところのスリリングな展開は非の打ち所なし。
完璧。 みんなエディのとりこ。 もうエディには、やられっぱなしなんだ。
エディのギターには、いつも“見せられて”、いつの間にか“魅せられてる”。
プラス。下手クソでも、“Jump”はデイヴのワイルドなダミ声でしか成り立たない。
デイヴの求める究極のパーティー・ロックと、エディの目指すシンセ主流の、
コンテポラリー化したアメリカン・メインストリーム・ロックが激しく交差!
それに、MTVをうまく取り込んでの視覚的効果もプラスされた80年代を代表する、
エンターテイメント・ハードロックの最高峰。 これが“Jump”だ。
この曲は今後も末永く、人々に元気と勇気と生命力を与え続けることだろう。
次の“Panama”だって、デイヴのバカっぷり全開のパーティー・チューン。
エディも、この曲ではギター前面に出して、もうやりたい放題。
ソロも途中からブルージーになるとこもアイデアの妙だけど、ため息でるし。
“Hot For Teacher”だってそう。 イントロでのどう叩いてるのかわかんない、
兄貴のツーバスでの3連リズムに、エディの超高速タッピングが爆発するし、
実は地味な“Top Jimmy”や“Drop Dead Legs”だって、ギター炸裂だし、
ラストの“House Of Pain”でのヘヴィーで豪快なソロなんて、誰も思い付かん。
ちなみに、このアルバムは空耳の宝庫(笑)。 “Jump”だけでも、
ノッケから「♪開けろ!」 (私にゃ、“♪揚げ豆腐!”に聞こえますが・・)だし、
「♪湯が出た」だの、「♪足が飛びそうだよ」だの。 所々「♪松江城!」とも。
“Panama”だって、いきなり「♪しょんべ~ん」からだもんなぁ(笑)。
「♪稲荷だけ、シャリなし」は、爆笑ものの名空耳だし、
“Hot For Teacher”の「♪ひかる一平、ひかる一平、ひかる一平」などなど・・。
(失敬・・。)
でも、このアルバムでエディは、かなりデイヴに譲歩したんじゃないかなぁ。
「最後にやりたいだけやらせてやるよ。」くらいの気持ちがあったのかもしれない。
デイヴが嫌がったシンセに足を突っ込んだのは、ギタリストとしての限界というより、
バンド・サウンドの可能性に挑んだ選択。 結果は、おのずの通りだ。
正しかったぞ、エディ。
07年に、デイヴが復帰して、アメリカン・ツアーしたけど、 私としては、
いくらデイヴが戻ったとはいえ、「エディとその仲間達」にしか見えなかったなぁ・・。
マイケル・アンソニーがいないんだ。 これは痛かった・・。
長年連れ添った仲なのに、つまんない理由でクビにしたみたいだけど、
ダメだよ、エディ。 息子なんかに弾かせてる場合じゃないよ、全く。
堅実なベースも確かだけど、 あのハイトーン・コーラスはマイケルじゃなきゃ。
この作品でも、“Jump”、“Panama”、“Top Jimmy”、“Hot For Teacher”など、
印象的なコーラス・ワークはマイケルの声だからこそ。
サミー時代を含め、過去の曲のバックにはマイケルがいたんだ。 もっと言うと、
あのコーラスもエディのギターと共に、VAN HALENサウンドの強みだったのに。
考えた方がいいよ、エディ。
「お嬢さん、火傷するぜ!」 当時のアナログ盤の帯のコピーだ。
私なんか火傷どころか、大火事のまんまだ。