次元を超えた感性の連続性。
昨晩お会いしましょう
松任谷由美

タワー・サイド・ストーリー
街角のペシミスト
ビュッフェにて
夕闇をひとり
守ってあげたい
カンナ8号線
手のひらの東京タワー
グレイス・スリックの肖像
グループ
A HAPPY NEW YEAR
クリスマスも終わって、今年もあとわずか。
あぁ、また今年もバタバタとして終わってしまいそうな・・。
そして、あんなこんなで、すぐに大晦日です。
その、わが日本の大晦日の国民行事(?)ともいうべき、
あの紅白に、今年ユーミンが初出場するそうで。
今年の万博の成功もあって、次開催の上海から生中継するらしい。
やっぱ、みゆきさんには負けてらんないですからね。
さぞかし、気合入ってることでしょう。
でも、正直、期を逸した感が・・。
出るなら、94年がベストだったかなぁ。 曲は“春よ、来い”で。
朝の連ドラの主題歌だったし、大トリで派手にバーンと歌ってたら、
話題総ナメ、間違いなしだったのに。
天才女性シンガーソングライターとして、J-POP(当時はニュー・ミュージック)の、
歴史に輝く数々の名曲、名盤を残した、“荒井”時代を経て、
結婚後は、時代の先駆者、予言者として、高度成長期、バブル期をリードしつつ、
ますます存在は強大になっていき、
90年代は、ついに“OLの絶対神”として、君臨していった彼女。
実はこれといって、ずっと彼女を聴き込んでいたわけじゃないんだけど、
かつて私も、恋愛に悩んでいた時期には、「女心ってなんだろう」と、
“教祖様”のお詩に耳を傾けたこともありました・・。
きっと、彼女の魅力は、古くから持つ日本人の心の琴線に触れる共感部分と、
時代を開拓する意欲を、常に持ち続ける野心を持ち合わせた部分なんだろう。
このアルバムを発表した81年、70年代(主に荒井期)と80年代の、
境界線上で、彼女はこの傑作を作り上げた。
ジャケットは、あのヒプノシスを起用。
過去と現在を次元化して、見事に表現している。
そう、タイムスリップして、過去の自分とリンクさせるイメージのようだ。
サウンド面でも、“荒井”当時の弾き語りスタイルと、より緻密なAORを、
構築させたアプローチの両面を同居させている。
当時ポートピアで、流行スポットだった神戸のストーリーを歌った、
“タワー・サイド・ストーリー”や、家出少女や夜遊びギャルの心情を代弁した、
“街角のペシミスト”や、“埠頭を渡る風”のモダンタイプみたいな、
“カンナ8号線”などで、あの時代の主流を世に説いてみせる。
それと同時に、“荒井”的私小説も見え隠れする。
“ビュッフェにて”の後半のブレイク前の、長い空白のせつなさといい、
“夕闇をひとり”は、恋に破れたジェラシーを、演歌に落ちることなく、
振り返るセンスのよさといい、心情や言葉に対する嗅覚の鋭さを思い知らされる。
そして感動的なのは、大ヒットした“守ってあげたい”だ。
守られたい、愛されたいという理想を夢見る女性とは、
裏腹のダンディズムというか、本能というか・・。
その後の年下男ブーム、はたまた、女性上位の時代を予言したかのようだ。
最後の、来る年に願をかける“A HAPPY NEW YEAR”を聴きながら、
たまには、シンプルに来る年を祝福しようかな。
皆さんも、良い年を迎えますように。

タワー・サイド・ストーリー
街角のペシミスト
ビュッフェにて
夕闇をひとり
守ってあげたい
カンナ8号線
手のひらの東京タワー
グレイス・スリックの肖像
グループ
A HAPPY NEW YEAR
クリスマスも終わって、今年もあとわずか。
あぁ、また今年もバタバタとして終わってしまいそうな・・。
そして、あんなこんなで、すぐに大晦日です。
その、わが日本の大晦日の国民行事(?)ともいうべき、
あの紅白に、今年ユーミンが初出場するそうで。
今年の万博の成功もあって、次開催の上海から生中継するらしい。
やっぱ、みゆきさんには負けてらんないですからね。
さぞかし、気合入ってることでしょう。
でも、正直、期を逸した感が・・。
出るなら、94年がベストだったかなぁ。 曲は“春よ、来い”で。
朝の連ドラの主題歌だったし、大トリで派手にバーンと歌ってたら、
話題総ナメ、間違いなしだったのに。
天才女性シンガーソングライターとして、J-POP(当時はニュー・ミュージック)の、
歴史に輝く数々の名曲、名盤を残した、“荒井”時代を経て、
結婚後は、時代の先駆者、予言者として、高度成長期、バブル期をリードしつつ、
ますます存在は強大になっていき、
90年代は、ついに“OLの絶対神”として、君臨していった彼女。
実はこれといって、ずっと彼女を聴き込んでいたわけじゃないんだけど、
かつて私も、恋愛に悩んでいた時期には、「女心ってなんだろう」と、
“教祖様”のお詩に耳を傾けたこともありました・・。
きっと、彼女の魅力は、古くから持つ日本人の心の琴線に触れる共感部分と、
時代を開拓する意欲を、常に持ち続ける野心を持ち合わせた部分なんだろう。
このアルバムを発表した81年、70年代(主に荒井期)と80年代の、
境界線上で、彼女はこの傑作を作り上げた。
ジャケットは、あのヒプノシスを起用。
過去と現在を次元化して、見事に表現している。
そう、タイムスリップして、過去の自分とリンクさせるイメージのようだ。
サウンド面でも、“荒井”当時の弾き語りスタイルと、より緻密なAORを、
構築させたアプローチの両面を同居させている。
当時ポートピアで、流行スポットだった神戸のストーリーを歌った、
“タワー・サイド・ストーリー”や、家出少女や夜遊びギャルの心情を代弁した、
“街角のペシミスト”や、“埠頭を渡る風”のモダンタイプみたいな、
“カンナ8号線”などで、あの時代の主流を世に説いてみせる。
それと同時に、“荒井”的私小説も見え隠れする。
“ビュッフェにて”の後半のブレイク前の、長い空白のせつなさといい、
“夕闇をひとり”は、恋に破れたジェラシーを、演歌に落ちることなく、
振り返るセンスのよさといい、心情や言葉に対する嗅覚の鋭さを思い知らされる。
そして感動的なのは、大ヒットした“守ってあげたい”だ。
守られたい、愛されたいという理想を夢見る女性とは、
裏腹のダンディズムというか、本能というか・・。
その後の年下男ブーム、はたまた、女性上位の時代を予言したかのようだ。
最後の、来る年に願をかける“A HAPPY NEW YEAR”を聴きながら、
たまには、シンプルに来る年を祝福しようかな。
皆さんも、良い年を迎えますように。