疲れ果てて、朽ちた男の孤高のラブソング。
TIME OUT MY MIND BOB DYLAN

Love Sick
Dirt Road Blues
Standing In The Doorway
Million Miles
Tryin' To Get To Heaven
Till I Fell In Love With You
Not Dark Yet
Cold Irons Bound
Make You Feel My Love
Can't Wait
Highlands
仙人様、いや・・、神様降臨。 最初で最後という来日ライブ・ハウス・ツアー。
残念ながら、私は、あの狭い空間でディランを拝むことはできませんでしたが、
その圧倒的存在感といい、バンドの完成度の高さといい、セットも日によって
全く異なるメニューといい、賛辞の声の多さに、なんだか嬉しさを感じます。
「その時に歌いたい歌を、歌いたいように歌ってるんだろうなぁ・・」って。
やはり今、ディランを素通りできません。
今宵は、97年の晩年の大傑作「TIME OUT MY MIND」の話に、
よろしくお付き合いを。
まず、90年代前半のディランは、精彩を欠いたといわれる80年代のうっぷんを
晴らすように、精力的に活動しているように見えるんだけど、
実は、ほとんど“創作”活動はしていない。 書いていないんですよ。
90年に「UNDER THE RED SKY」を発表した後、トラディショナル・アルバムを
2枚続けて連作し、ベスト盤、ライブ盤などをコンスタントに発表し、
89年から続いている、「ネヴァー・エンディング・ツアー」も継続して、
92年には豪華ゲストを集めての30周年ライブ、94年にはMTVアンプラグド、
そしてウッドストック出演など、話題には事欠かなかったものの、
一時は、「もう新曲は書かない」と発言したとかで、物議を醸し出したり、
(その理由は、「もう何百曲と書いてきて、これ以上書いても皆が混乱するだけ」
とのことだが・・)
オリジナル曲による新作アルバムを全くリリースしないという状況が続いていた。

そこに7年ぶりのオリジナル・アルバムとして登場したのが、このアルバム。
自作自演。 シンガー・ソングライターとしてのしての復活作であり、
現在へ繋がる新たなディラン・ストーリーの序章ともなる重要なアルバムだ。
(ちなみに、97年度グラミー賞で、年間最優秀アルバムと、
最優秀コンテンポラリー・フォーク・アルバム。
“Cold Irons Bound”で、最優秀男性ロック・ボーカル部門で受賞している。)
プロデューサーはディランの80年代の代表作である「OH MERCY」を手掛けた、
U2やピーター・ガブリエルなどで手腕を発揮したダニエル・ラノワ。
「OH MERCY」は70年代までの栄華と比べれば、イマイチだった80年代において、
まさに起死回生となった89年の傑作だった。 今回再び彼の“幻想感”、
空間の“残響力”を借りて、この復活を見事に演出したのだった。
しかし、ダニエル・ラノアのプロデュースには、昔からのファンは抵抗があるようで。
「ディランの声にエフェクトをかけるなんて」とか、
「彼にオーヴァー・ダブはいらない」って感じで。
確かに大胆なアレンジだとは思いますが、 U2の音像が大好きな私にとっては、
ラノアとディランの“化学反応”の意外性の方を支持する。
はっきり言って、“遅れてきたファン”の私としては、ほとんど違和感はない。
音数の少ない控えめながらミステリアスで、艶のあるサウンドのせいか、
近年、野太くなってきたディランの声に、モヤがかかって凄みが増している感じ。

録音は南部サウンドの聖地の一つ、マイアミのクライテリア・スタジオ。
そのスタジオの専属バンド、ディキシー・フライヤーズのキーボーディストであり、
ライ・クーダーの「紫の峡谷」のプロデューサーで有名なジム・ディッキンソン
と、テキサスのベテラン・プレイヤーのオージー・マイヤーズがキーボードで参加。
他にもデューク・ロビラード、バッキー・バクスターなどカントリー・ロック系の
ギタリストを6人揃え、ドラムは名手ジム・ケルトナーとブライアン・ブレイドの
ツイン・ドラムス。 そして、ベースには、現在に至るまでバンドリーダーを
務める、トニー・ガーニエがまとめ上げる手堅い布陣。
渋めで通好みだけど、南部好き、ブルース好きでも納得する凄腕がディランを支える。
とはいえ、コテコテの南部色で塗り固めるんじゃなく、少し“緯度”を上げて、
カントリーやブルースをどこかクールでシャープに昇華できたのは、ラノアの
手腕が冴え渡った結果。 そして、「変わり続けよう」とするディラン自身の
強い意志と努力の成果。 このアルバムから、確信と自信が伝わってくるんです。
でも、暗いんですよ。 「もうお終いだ」みたいな。 そんなムードが全体を覆う。
いきなり“Love Sick”。 “恋煩い(わずらい)”ですもん。
「私は恋を煩ってる。 ひどいんだ。 君なんかに会わなきゃよかった。
もううんざりなんだ。 君のことを忘れようとして思い、また煩う・・」
恋に疲れ果てたディランの枯れた、いや朽ちた男のラブ・ソング。
このエフェクトが掛かったディランの声は、もう悲しみなど通り越して、
“無情感”すら感じる。 しかし、背筋がゾクゾクして、引きずり込まれそう
なんだけど、カッコいいのはどうしてなんだろ・・。

全体的に渋目だが、重苦しくてダーティーな質感が漂う曲が連なる。
“Dirt Road Blues”は、オールド・ロカビリー風。 久々にロックンロールする。
“Standing In The Doorway”は、カントリー・タッチの美しくスローなラブ・ソング。
“Million Miles”は、ジャズ・シンガーよろしく、90年代っぽいメタリック・ジャズ。
“Tryin' To Get To Heaven”では、ブルージーにきめ、唯一彼のハーモニカが聴ける。
“Cold Irons Bound”は、ムニャムニャした歌声と金属的ロック・グルーヴが絡み合う。
しかし、このアルバムには、晩年の名ラブ・ソング“Make You Feel My Love”がある。
ディランはピアノ一本で、“心のままに”、大人の男のラブ・ソングを歌う。
「 君の涙を乾かせてくれる人がそばにいないなら、
私が百万年でもずっと抱きしめていよう。
君を幸せにさせよう。 君の夢も叶えよう。
君に私の愛を感じ取ってもらうために・・。 」
実は、この曲はリリース前に、ビリー・ジョエルにプレゼントした曲だ。
(ビリーのグレイテスト・ヒッツVol.3のリリースにあたり、新曲を収録しようと
SONY側は考えていたが、当時ビリーは、クラシック音楽しか作曲してなかった。
そのことを耳にしたディランが、この曲のデモテープを渡し、ビリーに
歌ってもらおうと、聞かせたそうだ。)
ビリーの歌いっぷりも見事だったが、当の“作者”も、なかなか聴かせてくれる。
ありふれてる歌詞かもしれないけど、人生の喜怒哀楽を知り尽くした男でなきゃ、
こんな説得力あるラブ・ソングなんて歌えません。
そして極め付けは、ラストの超(長)大作“Highland”だ。
ディランは過去に、「BLONDE ON BLONDE」でアナログ片面を全て費やして、
“ローランドの悲しい目の乙女”をラストで締めくくったことがあった。
それでも11分。 「欲望」でも、“Joey”で11分におよぶ大作があった。
“Highland”は、それを遥かに超える16分半。 ディラン最長記録。
もともと、デビュー当時からトーキング・ブルースは得意としていたし、
ストーリテラー的才能は卓越したセンスを持つディラン。
このクソ長い物語でも、時に優しく、時に力強く、時に情熱的に。
若い時のような攻撃的かつシュールな言葉を嵐のようにぶつけるのではなく、
大作家の散文小説のような味わいと、ゆとりすら感じさせる詩の世界。
淡々と、まるで何かを悟った語りべのように語り綴る。
でも、彼がニール・ヤングを聴いていると、いつも誰かが音を下げろと
怒鳴られるらしい。 どこかのウェイトレスとの妙にリアルな長い会話も、
実体験からなのか、空想からなんだろうか。
長さや疲れを感じさせない、広いスケール感を持った曲で締め括られる。

どんなに愛に苦しみ、そして自分自身に疲れているか。
ある意味、ここでのディランの歌声は、聴きようによっては、“悪声”。
ひたすら、うめき声で訴えるばかりにも聴こえる。
しかし、この声も“アート(芸術)”に変えるパワーも兼ね備える。
枯れてなお、朽ちてなお。 疲労と腐朽の美学。
ディランは、今も歌い続けている。

Love Sick
Dirt Road Blues
Standing In The Doorway
Million Miles
Tryin' To Get To Heaven
Till I Fell In Love With You
Not Dark Yet
Cold Irons Bound
Make You Feel My Love
Can't Wait
Highlands
仙人様、いや・・、神様降臨。 最初で最後という来日ライブ・ハウス・ツアー。
残念ながら、私は、あの狭い空間でディランを拝むことはできませんでしたが、
その圧倒的存在感といい、バンドの完成度の高さといい、セットも日によって
全く異なるメニューといい、賛辞の声の多さに、なんだか嬉しさを感じます。
「その時に歌いたい歌を、歌いたいように歌ってるんだろうなぁ・・」って。
やはり今、ディランを素通りできません。
今宵は、97年の晩年の大傑作「TIME OUT MY MIND」の話に、
よろしくお付き合いを。
まず、90年代前半のディランは、精彩を欠いたといわれる80年代のうっぷんを
晴らすように、精力的に活動しているように見えるんだけど、
実は、ほとんど“創作”活動はしていない。 書いていないんですよ。
90年に「UNDER THE RED SKY」を発表した後、トラディショナル・アルバムを
2枚続けて連作し、ベスト盤、ライブ盤などをコンスタントに発表し、
89年から続いている、「ネヴァー・エンディング・ツアー」も継続して、
92年には豪華ゲストを集めての30周年ライブ、94年にはMTVアンプラグド、
そしてウッドストック出演など、話題には事欠かなかったものの、
一時は、「もう新曲は書かない」と発言したとかで、物議を醸し出したり、
(その理由は、「もう何百曲と書いてきて、これ以上書いても皆が混乱するだけ」
とのことだが・・)
オリジナル曲による新作アルバムを全くリリースしないという状況が続いていた。

そこに7年ぶりのオリジナル・アルバムとして登場したのが、このアルバム。
自作自演。 シンガー・ソングライターとしてのしての復活作であり、
現在へ繋がる新たなディラン・ストーリーの序章ともなる重要なアルバムだ。
(ちなみに、97年度グラミー賞で、年間最優秀アルバムと、
最優秀コンテンポラリー・フォーク・アルバム。
“Cold Irons Bound”で、最優秀男性ロック・ボーカル部門で受賞している。)
プロデューサーはディランの80年代の代表作である「OH MERCY」を手掛けた、
U2やピーター・ガブリエルなどで手腕を発揮したダニエル・ラノワ。
「OH MERCY」は70年代までの栄華と比べれば、イマイチだった80年代において、
まさに起死回生となった89年の傑作だった。 今回再び彼の“幻想感”、
空間の“残響力”を借りて、この復活を見事に演出したのだった。
しかし、ダニエル・ラノアのプロデュースには、昔からのファンは抵抗があるようで。
「ディランの声にエフェクトをかけるなんて」とか、
「彼にオーヴァー・ダブはいらない」って感じで。
確かに大胆なアレンジだとは思いますが、 U2の音像が大好きな私にとっては、
ラノアとディランの“化学反応”の意外性の方を支持する。
はっきり言って、“遅れてきたファン”の私としては、ほとんど違和感はない。
音数の少ない控えめながらミステリアスで、艶のあるサウンドのせいか、
近年、野太くなってきたディランの声に、モヤがかかって凄みが増している感じ。

録音は南部サウンドの聖地の一つ、マイアミのクライテリア・スタジオ。
そのスタジオの専属バンド、ディキシー・フライヤーズのキーボーディストであり、
ライ・クーダーの「紫の峡谷」のプロデューサーで有名なジム・ディッキンソン
と、テキサスのベテラン・プレイヤーのオージー・マイヤーズがキーボードで参加。
他にもデューク・ロビラード、バッキー・バクスターなどカントリー・ロック系の
ギタリストを6人揃え、ドラムは名手ジム・ケルトナーとブライアン・ブレイドの
ツイン・ドラムス。 そして、ベースには、現在に至るまでバンドリーダーを
務める、トニー・ガーニエがまとめ上げる手堅い布陣。
渋めで通好みだけど、南部好き、ブルース好きでも納得する凄腕がディランを支える。
とはいえ、コテコテの南部色で塗り固めるんじゃなく、少し“緯度”を上げて、
カントリーやブルースをどこかクールでシャープに昇華できたのは、ラノアの
手腕が冴え渡った結果。 そして、「変わり続けよう」とするディラン自身の
強い意志と努力の成果。 このアルバムから、確信と自信が伝わってくるんです。
でも、暗いんですよ。 「もうお終いだ」みたいな。 そんなムードが全体を覆う。
いきなり“Love Sick”。 “恋煩い(わずらい)”ですもん。
「私は恋を煩ってる。 ひどいんだ。 君なんかに会わなきゃよかった。
もううんざりなんだ。 君のことを忘れようとして思い、また煩う・・」
恋に疲れ果てたディランの枯れた、いや朽ちた男のラブ・ソング。
このエフェクトが掛かったディランの声は、もう悲しみなど通り越して、
“無情感”すら感じる。 しかし、背筋がゾクゾクして、引きずり込まれそう
なんだけど、カッコいいのはどうしてなんだろ・・。

全体的に渋目だが、重苦しくてダーティーな質感が漂う曲が連なる。
“Dirt Road Blues”は、オールド・ロカビリー風。 久々にロックンロールする。
“Standing In The Doorway”は、カントリー・タッチの美しくスローなラブ・ソング。
“Million Miles”は、ジャズ・シンガーよろしく、90年代っぽいメタリック・ジャズ。
“Tryin' To Get To Heaven”では、ブルージーにきめ、唯一彼のハーモニカが聴ける。
“Cold Irons Bound”は、ムニャムニャした歌声と金属的ロック・グルーヴが絡み合う。
しかし、このアルバムには、晩年の名ラブ・ソング“Make You Feel My Love”がある。
ディランはピアノ一本で、“心のままに”、大人の男のラブ・ソングを歌う。
「 君の涙を乾かせてくれる人がそばにいないなら、
私が百万年でもずっと抱きしめていよう。
君を幸せにさせよう。 君の夢も叶えよう。
君に私の愛を感じ取ってもらうために・・。 」
実は、この曲はリリース前に、ビリー・ジョエルにプレゼントした曲だ。
(ビリーのグレイテスト・ヒッツVol.3のリリースにあたり、新曲を収録しようと
SONY側は考えていたが、当時ビリーは、クラシック音楽しか作曲してなかった。
そのことを耳にしたディランが、この曲のデモテープを渡し、ビリーに
歌ってもらおうと、聞かせたそうだ。)
ビリーの歌いっぷりも見事だったが、当の“作者”も、なかなか聴かせてくれる。
ありふれてる歌詞かもしれないけど、人生の喜怒哀楽を知り尽くした男でなきゃ、
こんな説得力あるラブ・ソングなんて歌えません。
そして極め付けは、ラストの超(長)大作“Highland”だ。
ディランは過去に、「BLONDE ON BLONDE」でアナログ片面を全て費やして、
“ローランドの悲しい目の乙女”をラストで締めくくったことがあった。
それでも11分。 「欲望」でも、“Joey”で11分におよぶ大作があった。
“Highland”は、それを遥かに超える16分半。 ディラン最長記録。
もともと、デビュー当時からトーキング・ブルースは得意としていたし、
ストーリテラー的才能は卓越したセンスを持つディラン。
このクソ長い物語でも、時に優しく、時に力強く、時に情熱的に。
若い時のような攻撃的かつシュールな言葉を嵐のようにぶつけるのではなく、
大作家の散文小説のような味わいと、ゆとりすら感じさせる詩の世界。
淡々と、まるで何かを悟った語りべのように語り綴る。
でも、彼がニール・ヤングを聴いていると、いつも誰かが音を下げろと
怒鳴られるらしい。 どこかのウェイトレスとの妙にリアルな長い会話も、
実体験からなのか、空想からなんだろうか。
長さや疲れを感じさせない、広いスケール感を持った曲で締め括られる。

どんなに愛に苦しみ、そして自分自身に疲れているか。
ある意味、ここでのディランの歌声は、聴きようによっては、“悪声”。
ひたすら、うめき声で訴えるばかりにも聴こえる。
しかし、この声も“アート(芸術)”に変えるパワーも兼ね備える。
枯れてなお、朽ちてなお。 疲労と腐朽の美学。
ディランは、今も歌い続けている。