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東京発、“機械仕掛け”のオリエンタル・ディスコ。 

   YELLOW MAGIC ORCHESTRA    YELLOW MAGIC ORCHESTRA

        オリジナル盤              US盤   
  

 コンピューター・ゲーム~サーカスのテーマ  
          Computer Game “Theme From Circus”                 
 ファイアー・クラッカー Firecracker                                       
 シムーン   Simoon                                                        
 コズミック・サーフィン  Cosmic Surfi'n  
 コンピューター・ゲーム~インベーダーのテーマ 
          Computer Game “Theme From Invader”
 イエロー・マジック(東風)
          Yellow Magic (Tong Poo)  ※ US盤はRemix
 中国女  La Femme Chinoise
 ブリッジ・オーヴァー・トラブルド・ミュージック 
          Bridge Over Troubled Music
 マッド・ピエロ  Mad Pierrot
 アクロバット  ※ US盤未収録  
                   
                
 最近、CMに出てましたね。  
 YMO。 
 “ライディーン”をバックに、「POKIO」と“テクノポリス”を文字って、
 ポ○キーをかじってる。
 ちょっと前にも、ビールのCMで再演してたけど、
 ひさびさCM見てニヤけてしまった。

 いいきっかけなんで、今宵はYMOの話でもしましょう。
 このデビュー盤は、このブログ開設直後に書いてますが、
 大幅にリニュアルして参ります。
 よろしく、お付き合いを。


 1979年。 
 田舎者の私は小6の修学旅行にて、そこで生まれて初めて、
 “スペース・インベーダー・ゲーム”をやった。  
 記憶じゃ2回くらいかな。 
 200円。 点数は覚えてないけど、2000点くらいで、
 あっという間にUFOの餌食になってしまったような・・。
 しかし、あの強烈な“電子音”は今でも耳に残ってる。
 中には、持っていった小遣いの半分以上もつぎ込んだバカもいたっけ。

 時代はアナログ。 
 全てアナログ。 
 デジタルに本格的に移行し始めるのは、あと3,4年くらい後のことだから、
 スペース・インベーダー登場の衝撃度は、ほんと凄まじかった。

 YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のデビューもこの頃。 
 1978年11月だった。

    

 78年2月、細野晴臣の「はらいそ」製作中に、YMOは形成(結成)される。

 はっぴいえんど解散後に、
 75年のソロ第2弾「トロピカル・ダンディ」で具現化した
 南国の楽園音楽とチャイニーズ・エッセンスをミックスさせた
 エキゾチックなサウンド(ソイ・ソース・ミュージックなんて言ってた)を
 コンセプトにして、より構想を膨らませていった細野は、
 「はらいそ」のセッションに参加した高橋幸宏と坂本龍一
 を自宅に招き、おにぎりを振る舞いながら、
 自身の音楽構想を語り出す。

 「 マーティン・デニー(ハワイアン・ミュージシャン)の“Firecracker”を、
   コンピューターを使って、“エレクトリック・チャンキー・ディスコ”っぽく
   ジョルジオ・モロダーみたいにアレンジして、クラフトワークの方法論でやる。 
   45回転シングルで売り出して、大ヒットさせる。 
   目標400万枚! 」

 ロックやR&Bのような、プレイヤーの魂、
 肉体性に依存しきった“熱い”音楽が主流の時代に、
 細野は、あえて“顔の見えない”コンセプト・サウンドを志向する。

 プラス。 
 目指す自身のエキゾチック音楽を、よりわかりやすく世間、いや世界に
 知らしめるには、当時大流行していたディスコ・サウンドと
 合体させるのが得策と考えたのだ。 
 そして、当時「言葉が仮死状態にあった」と感じていた
 細野は、インスゥルメンタル音楽で表現していくことを提案したのだ。
 
 2人は、この構想に賛同し、プロジェクト参加を快諾したという。

 きっと細野の頭の中には、“Black Magic”と“White Magic”しかない
 西洋の音楽の“魔術”の枠に対して、
 “Yellow Magic”という東洋志向的なものがあっても
 おかしくないという考えを方法付け、
 その実現のためのにはこの2人が必要と考えたのだろう。
 
 この細野のコンセプトをベースに、
 高橋の欧風的でスタイリッシュなポップの香りを持つ、
 デザイナーとしても活躍していたセンスに、
 教授(坂本)のクラシック出身の豊富な音楽知識、教養に
 裏付けされたアレンジ能力、卓越した演奏技術が、
 細野の構想と高橋のセンスを技術的に繋ぎ合わせていった。
 これが、YMO当初の基盤システムにあたる部分だ。
  
 そして、78年7月10日。 
 YMOの最初のアルバム・レコーディングが始動する。

    

 ここで登場するのが、ローランド社のマイクロ・コンポーザーMC-8だ。
 初期のYMOは、このシーケンサーを多用して、
 数々の“黄色い魔術”を生み出していく。

 ここで、“第4のYMO”と言われた優秀なマニピュレーター松武秀樹の
 協力を仰ぐ。
 テンキー入力によるプログラムされ数値化されたデータからのサウンドに、
 高橋のドラムや、 時に細野のベースを組み合わせるという方法で
 リズム・トラックを作っていった。
 細野は、教授が手直しした“Firecracker”の譜面を、
 松武がもの凄い速さでプログラミングしていくプロセスを
 興奮しながら眺めていたそうだ。
 
 そして、11月デビュー作「イエロー・マジック・オーケストラ」がリリースされる。
 (オリジナル盤は、東京ミックスなんて言われる)

 この78年は、
 海外でも、「人間退化論」を唱える変態頭脳派集団“DEVO”のデビュー、
 ドイツが生んだ元祖電脳集団“クラフトワーク”が「人間解体」リリースと、
 まさに、テクノ時代幕開け元年。

 「 デジタル・コンピューターと人間とのセッションによって生まれた
                    2001年からのリズムがこれだ!! 」

 と帯に書かれたキャッチコピーを掲げて、
 “外人から見た、曲解された東洋のイメージ”という
 ビジュアル・コンセプトも具現化した記念すべきファースト・アルバムだ。

     

 当時ゲームセンターで席巻していた「サーカス(風船割り)」に
 「スペース・インベーダー」のSEをブリッジにして、
 カラフルで多彩な電子音やノイズをパズルみたいに組み合わせて、
 中華灯篭のごとく、艶やかにかつ、
 ノンストップで無国籍オリエンタル・ビートを強調した
 流暢なアルバムの流れが素晴らしい。

 細野の、ベンチャーズとテクノを掛け合わせたような“Cosmic surfin’”や、
 映画「STAR WARS」の砂漠のシーンで、
 C-3POとR2-D2が歩いてるところをイメージしたという“Simoon”といった、
 細野の個性が全体的に強く出ている作りだ。

 しかし、御多分に洩れず私も初期YMOといえば、
 やはり“東風(Tong Poo)”だ。 
 初期のYMOのテーマ曲のひとつであり、
 世界では一番認知されてるYMOクラシック。

 フュージョンでもなく、完全なテクノでもない、
 西洋音楽の形式を取りながら、フランス的オリエンタリズムを盛り込み、
 YMOの中では、教授の代表曲となった。
 (ちなみに、教授のYMOの作品の中で一番好きな曲は、
  散開前の大ラストの名曲“Perspective”。
  愛し合ってるのに別れなきゃいけない。   哀しすぎる・・。)

 メロディーなど主要なサウンドは、
 複数のシンセ・ムーグを使用し、細野の独創的な
 シンセ・ベースに、リズム系にはPS-3100が使われているが、
 大部分はプレイヤーによる手弾きによる演奏で、
 弦ベースのほか、リマスタリングでよりクリアになった教授の
 かなり複雑なピアノ旋律も聴ける。

 曲のタイトルは、
 フランス映画の巨匠ジャン・リュック・ゴダールの作品から拝借していて、
 “中国女”、“マッド・ピエロ”も加えて、ゴダール3部作をそのまま引用している。
  (映画との関連は全くない)

     

  「 外国でYMOっていうと、“東風”なんですよ。 
    テーマ曲のような。
    フュージョンとテクノの橋渡しみたいな曲でしたね。
    これで、YMOが受け入れられたという大事な側面を持った曲です。
    いい感じの東洋趣味があって、エレガントで古典的な作り方で、
    とっつき易かったんじゃないかな。           (細野) 」

  「 ブラームスと中国の革命音楽に影響されてます。
    これに限りませんけど、アナログ・シンセの音って、
    久し振りに聴くと、
    ほんといい音ですね。 
    間奏はちょっと長いですね・・。
    ピアノは、ハンブルグ・スタインウェイ。
    鋼のような音してる。           (教授) 」


 今、このアルバムを聴き直すと、時代の流れもあるだろうが、
 当時思っていたほど無機質な電子音楽とは感じない。
 逆に、表現方法は、限りなくアナログに近い。
 血の通わない電子音は、
 あくまで楽曲構成の“ツール”に利用するだけで、
 基本は生演奏という、3人の優秀なテクニシャンによってしっかり固められ、
 “コンピューターとの共存”によるバランス感覚が絶妙に
 保たれていることに気づく。
 (これはYMO活動期の最大のテーマであり、以後、様々な方法論を模索していく)


 このオリジナル盤リリース直後、
 紀伊国屋ホールでのステージを観た、当時のA&M副社長
 トミー・リピューマが一目惚れして、傘下のレーベル“ホライズン”で
 全米デビューが決定する。 
 そこでアメリカン・マーケット向けに、リミックスが施される。
 (リミックスを担当したのは、名エンジニアのアル・シュミット)

 ジャケットは、あのウェザー・リポートの超名盤「HEAVY WEATHER」の
 巨大な帽子のデザインで知られるルー・ビーチが描いた、
 髪が電気配線の電脳芸者がスリーブを飾る。

 “ハイテクに囲まれた怪しい東洋人”を演じるという
 ビジュアル戦略も功を奏して、
 (あの“赤い人民服”のコスチュームは、デザイナーである高橋のアイデア)
 アメリカから欧州へ波及していき、
 全世界テクノ・ブームの急先鋒として、
 ムーブメントに巻き込んで、日本を自虐的に茶化す、
 なんとも怪しげな音楽集団
 「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ」は、
 世界から逆輸入する形で、日本でも受け入れられることになる。

  

 オリジナル発売当時は、
 日本でのアクションは薄かった。
 細野は“早すぎたのだ”。

 このUS版が、日本でもリリースされて、彼らの人気に火が着いたんで、
 出回ったのは、圧倒的にこっちの方が多い。
 (US版が出て、オリジナル盤は廃盤になったが、
  大ブレイク後に再発される形に)

 全体的に、オリジナル盤と音の定位とバランスは変わらないけど、
 音の分離がクリアで、エコーを深めにして、
 ベースやドラム・キックを強調して
 (“firecracker”のハンドクラップ音もそう)、
 完全に“ディスコ”を意識したビートに仕上げてる。

 一番の違いは“東風”だ。 
 中間部に吉田美奈子の幻想的なヴォーカルをダビングして
 あるのが特徴。 
 私はオリジナルよりも、こっちの方が好き。

 そして、
 A面の「サーカス・ゲーム」にリンクするようなエンドレス構成だった
 ラストの“アクロバット”を削除して、ド派手な“Mad Pierrot”で終わる構成に。
 これはインパクト大。 
 これも好みだけど、私はUS版の方が好きかな。
 (ただ、このリミックスに対し、YMOの面々は「テクノを理解していない」との
  否定的なコメントを残している)


 YMOは、シンセサイザーの使用による音楽の実現というものに
 具体例を示すが、とかく理解されにくい“この手”のサウンドも、
 彼らは、ポップで分かりやすかった。

 まだまだ否定的意見もあった中、
 時期的にもシンセサイザーが認知され出した頃と
 デビューが重なり、サウンド作りもコンピュータ制御が可能となって、
 当時の日本のという国が有した“工業立国”としての
 地位や環境、空気なんかも、
 イメージ的戦略に密接に関わっていたように思う。

 77年当時、1ドルが250円で、
 デビュー当時の78年は、180円台に突入していた。
 オイル・ショック後の中東オイル・マネーに変わって、
 高度経済成長によって底上げされた、工業輸出大国「日本」の
 経済力の台頭が、世界の構図を変えていった。 
 これが、真の「円高」。 
 投機筋やブローカーのさじ加減で上げ下げしてしまう、
 現在の中身も実体もない「円高」ではない。

 ジャパン・アズ・ナンバーワン。

 YMOは、日本が一番“元気”だった時代に登場した。
 YMOが海外で評価されたのは、
 彼らの登場が、日本の経済とハイテク技術力、
 そして、サブカルチャーを含む、
 東洋のファッションが注目を集めていた時期と
 重なっていたのも、けっして無関係ではなかったのではないか。

 YMOは、唯一“世界が認め”、
 唯一“大成功して”、唯一“通用した”日本のバンド。  
 細野の野望、してやったり。
 「当たるべくして当たり、売れるべくして売れた」のだ。

 YMOは、次の「SOLID STATE SURVIVER」で、
 ディスコ路線を踏襲しながら、
 高橋のヴォーカルを全面に押し出したロック・サウンドをも展開して、
 この軽快で分かりやすいコンセプトが大受けしてブレイクし、
 世界で初めてコンピューターをステージで走らせて演奏するバンドだった
 彼らは、アメリカやヨーロッパのツアーでも大成功を収めて、凱旋し、
 とうとう日本でも社会現象になってしまうほど、テクノ・ムーブメントが
 巻き起こるワケである。

 アナログ主流の時代に、半導体都市「TOKIO(東京)」から、
 世界に発信された早すぎた“未来型サウンド”。  

 それは、
 パソコン中心のIT時代が席巻する現代を
 予言したかのように鳴り響いていた。
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2010/09/26 Sun. 01:02 [edit]

Category: 日本のロック、ポップス

Thread:邦楽  Janre:音楽

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