摩天楼の蛇たちが鼓舞する、“ダン”のウラ最高傑作。
THE ROYAL SCAM STEELY DAN

Kid Charlemagne 滅びゆく英雄
The Caves Of Altamira アルタミラの洞窟の警告
Don't Take Me Alive 最期の無法者
Sign In Stranger 狂った町
The Fez トルコ帽もないのに
Green Earrings 緑のイヤリング
Haitian Divorce ハイチ式離婚
Everything You Did 裏切りの売女
The Royal Scam 幻想の摩天楼
秋深し第2弾(ダン・・ シャレか)。
私が秋になると、一番耳にするのは、やはり“ダン”。 なぜか“ダン”です。
前説カット。 秋になったら・・ではありませんけど、
一年ぶりに“ダン”登場です。 よろしくお付き合いを。
邦題「幻想の摩天楼」。
高層ビル群が蛇となり、ベンチで寝ている貧しい移民(ホームレス)に牙をむく。
彼の履きつぶしの靴には穴が開いている。 せっせと“足”で稼いでいたのだろう。
退廃した大都会NYでは、大金持ちは強く、貧民はとことん弱い。 弱肉強食の世界。
ココじゃ、強者は容赦なく、弱者に毒牙で襲いかかるのだ。
だから、前作「KATY LIED」ほど爽やかではなく、次作「AJA(彩)」ほど芸術的ではない。
どことなく猥雑で、音が黒っぽくて粘り気がある“男の世界”を表現しているようだ。
ただ直訳すると、「高貴な詐欺(ペテン)」っていう意味か。
人を小馬鹿にするのも、はなはだしい。 わけわからん。
ジャケットも想像力ばかり喚起させてばかり。 音もそう。
ロックしたいのか、黒っぽく攻めてみたいのか、ジャズのマネごとがしたいのか。
普通なら「中途半端だ」と言いたいところが、すべて“モノ”にしている狡猾さ。
歌詞の難解さ、周りくどさはいつもながら、バンドなのにバンドじゃない。
変。 変なバンド、いや、ユニット。 ロック界の“美しき奇形児”か。
だから彼らの話をすると、どうしても“技術系”の話になってしまいます。
ただ。 そこが“ダン”最大の魅力でもあるんです。

改めて書くこともないと思いますが、
スティーリー・ダンは当初、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーを中心とした
“バンド”だった。 しかし、途中から2人を核にした“偏執的技術系”音楽制作集団
に変わっていく。 2人の音楽を具現化するための場として、プロデューサーの
ゲイリー・カッツとエンジニアのロジャー・ニコルスを構成員とした共同体として、
「スティーリー・ダン」があり、これを維持して行くために2人以外の“道具”と
化した超凄腕セッションマンが、曲ごと、いや更には、1フレーズごとに
“ピース”として組み込まれて、ミクロの狂いもないジグソーパズルのごとく、
2人の思い描く完璧なる音像を追求、構築していくのだ。
1976年、ジェフ・ポーカロ(ds)がセッション界に身を移し(ボズ・スキャッグスを
介して、「TOTO」結成に至る)、マイケル・マクドナルドがジェフ・バクスター(g)を
追いかけるように、「ドゥービー・ブラザーズ」に加入するために、それぞれダンを
脱退してしまう。 しかし、このフェイゲン/ベッカーには、“願ったり叶ったり”とは
言い過ぎかもしれないが、所詮、彼らも優秀な“ピース”の一部に過ぎなかった。
(現にコレ以降のアルバムにも、この2人はダンにセッション参加することになる)
ここから本格的にフェイゲン/ベッカーの“バンドなき理想形”のコンセプトが始まる。
だが、バンドの実像を持たなくなる形態にも関わらず、この狂気とパッションとアイロニー
に満ち溢れた異様なエネルギーは何なんだろう。 なんかギトギトしてる。

まずキーとなったのは、このアルバム屋台骨のリズム隊のブラックマン2人。
バーナード・パーディ(ds)とチャック・レイニー(b)の起用がカギになってる。
ドラムは、パーディとリック・マロッタを曲によって使い分けて、ベースは
「PRETZEL LOGIC」から参加している名手レイニーをメインにプレイさせている。
この2人がアルバムの基礎になって、独特のリズム感が生み出され、レゲエ、ファンク、
ラテンなどのアプローチも、複雑なタッチが必要なビートも絶妙に対応して、
ジャズ寄りのロックでも、ロック寄りのジャズでもないという、ダンの確固たる
サウンドにグルーヴと柔軟性を持たせてる。
それと、ラリー・カールトンの縦横無尽なギター・プレイがこのアルバムに、
ダンの全作品中、特にギター・オリエンテット(ギター志向的)である印象を与える。
このアルバムのハイライトは、いきなり“Kid Charlemagne”でやってくる。
緊張感のあるフェイゲンのローズとクラビネットが推進力になって曲を推し進める。
(この当時は、スティーヴィー・ワンダーも見事なクラビネットで魅了してくれた)
リズム隊は、レイニーの弾むベースに(コーラス後のオブリガードは凄い)、
リック・マロッタの見事なシンバル・ワーク(名曲“Peg”でのハイハットも素晴らしい)
が、教則本のお手本みたいに、しっかり基礎を固める。
そして、この曲の“華”であるラリー・カールトンのソロには圧巻される。
この頃はクルセイダースを脱退したくらいだと思うが、フュージョン的なアプローチ
はせず、ロッキッシュかつエネルギッシュに“弾きまくり”、スマートな音選びで、
フレーズを構成して、ソロの最後のワンポイントのライトハンドも、ビシッと決める。
あのスティーヴ・ルカサー(TOTO)が、まだアマチュアだったころ、このアルバムの
ギター・ソロを徹底的にコピーしまくったという話が有名だけど、ルカサーが師と仰ぐ
カールトンの「ギブソン」が、華麗にアルバムを縦横無尽に飛び交う。

中でも、一番カールトンのギター唸りっぱなしなのが“Don't Take Me Alive”だ。
ダンの曲で、これほどディストレーション・ギターが全編に渡って出ずっぱりというのは、
珍しい。 こういう歌詞が結構えげつない曲は、ギターもワイルドでアクが強い方がいい。
“Kid Charlemagne”はシングルになったが、アメリカでは売れなかったのに(82位)、
なんとイギリスでは、彼らのシングルでは一番ヒットした曲みたい。(全英17位)
次にカットした“The Fez”の方が上に行った。(とはいえ、59位だけど)
これも変な曲だ。 なんでこんな曲をシングルにしたんだろう。
「ボクは“トルコ帽”を装着しないとヤレないんだ。 やっぱダメだ・・」という、
隠語モロダシの“情けない男”のシモの話を繰り返してるだけの、どうでもいい曲。
しかし、レイニー&パーディのリズム隊のドス黒いビートに、洗練されたシンセが
軽快に鳴り響く。 名と暗が混然とした無国籍なメロディのような雰囲気が心地いい。
ここでも満を持して、鋭いソロが飛び込んでくるが、ここではカールトンではなくて、
ベッカーが、なかなか味のあるソロを弾いてる。
私が、このアルバムでのベスト・トラックは、“Green Earrings” 。
ダン流ヘヴィー・ファンクの傑作がコレ。 これもレイニー&パーディが
強烈な16ファンク・ビートを基本に、前半のデニー・ディアスのジャジーなソロと
(カールトンぽく弾いてる感じもするけど)、後半のエリオット・ランドールの
ファンキーなソロが畳みかけるスリリングな展開が見事だ。
冷徹で憎たらしいほどクールなはずのダンが、ギットギトの熱い演奏が聴ける。
この他にも、リラックス・ムードなのに、変速レゲエの難易度高い“Sign in Stranger”
も、ポール・グリフィンのピアノをフューチャーして、エリオット・ランドールのソロ
のオブリガードもなかなか面白い。 レイニーのベースはここでも跳ねまくる。
また、“Haitian Divorce”でも、レゲエ独特の跳ねが特徴。 ディーン・パークスの
ヴォイス・モジュレーターを使った歯切れのいいカッティング・キープが魅力だ。

ダンは、NY生まれのLA育ち。 この事実だけでも“ひねくれ者”なんだけど、
浮気を知った旦那が妻を銃で撃ち殺す話を曲にした“Everything You Did”。
(邦題の“裏切りの売女”ってのは、ちょっと言い過ぎじゃないの?)
その歌詞の中で、こういう小節がある。
「 Turn Up The “Eagles” The Neighbors Are Listening
イーグルスをもっと大きく鳴らせよ。 近所に聞こえるくらいに 」
同じLAの代表格の彼らを、周りくどく皮肉ってるようにも思うけど、
それを知ったイーグルスが、金字塔である“Hotel California”の中で
「 They stab it with their “steely” knives 突き立てる鉄製のナイフ
But they just can't kill the beast でも、獣すら殺せない代物さ。」
という、これも皮肉にまみれた歌詞で“お返し”してる。 とはいえ。
どちらも救いようのないアンハッピーな後味の悪い曲に変わりないのだが・・。
スティーリー・ダンの歴史から言えば、この前には「KATY LIED」が、そして、
この次に、究極の芸術の域に達する「AJA」が来るわけで、まさにアルバムの完成度が
極限へと向かっていく過程の一枚。
しかし、音がソリッドでロックしているダンを聴きたいなら、断然コレを推したい。

Kid Charlemagne 滅びゆく英雄
The Caves Of Altamira アルタミラの洞窟の警告
Don't Take Me Alive 最期の無法者
Sign In Stranger 狂った町
The Fez トルコ帽もないのに
Green Earrings 緑のイヤリング
Haitian Divorce ハイチ式離婚
Everything You Did 裏切りの売女
The Royal Scam 幻想の摩天楼
秋深し第2弾(ダン・・ シャレか)。
私が秋になると、一番耳にするのは、やはり“ダン”。 なぜか“ダン”です。
前説カット。 秋になったら・・ではありませんけど、
一年ぶりに“ダン”登場です。 よろしくお付き合いを。
邦題「幻想の摩天楼」。
高層ビル群が蛇となり、ベンチで寝ている貧しい移民(ホームレス)に牙をむく。
彼の履きつぶしの靴には穴が開いている。 せっせと“足”で稼いでいたのだろう。
退廃した大都会NYでは、大金持ちは強く、貧民はとことん弱い。 弱肉強食の世界。
ココじゃ、強者は容赦なく、弱者に毒牙で襲いかかるのだ。
だから、前作「KATY LIED」ほど爽やかではなく、次作「AJA(彩)」ほど芸術的ではない。
どことなく猥雑で、音が黒っぽくて粘り気がある“男の世界”を表現しているようだ。
ただ直訳すると、「高貴な詐欺(ペテン)」っていう意味か。
人を小馬鹿にするのも、はなはだしい。 わけわからん。
ジャケットも想像力ばかり喚起させてばかり。 音もそう。
ロックしたいのか、黒っぽく攻めてみたいのか、ジャズのマネごとがしたいのか。
普通なら「中途半端だ」と言いたいところが、すべて“モノ”にしている狡猾さ。
歌詞の難解さ、周りくどさはいつもながら、バンドなのにバンドじゃない。
変。 変なバンド、いや、ユニット。 ロック界の“美しき奇形児”か。
だから彼らの話をすると、どうしても“技術系”の話になってしまいます。
ただ。 そこが“ダン”最大の魅力でもあるんです。

改めて書くこともないと思いますが、
スティーリー・ダンは当初、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーを中心とした
“バンド”だった。 しかし、途中から2人を核にした“偏執的技術系”音楽制作集団
に変わっていく。 2人の音楽を具現化するための場として、プロデューサーの
ゲイリー・カッツとエンジニアのロジャー・ニコルスを構成員とした共同体として、
「スティーリー・ダン」があり、これを維持して行くために2人以外の“道具”と
化した超凄腕セッションマンが、曲ごと、いや更には、1フレーズごとに
“ピース”として組み込まれて、ミクロの狂いもないジグソーパズルのごとく、
2人の思い描く完璧なる音像を追求、構築していくのだ。
1976年、ジェフ・ポーカロ(ds)がセッション界に身を移し(ボズ・スキャッグスを
介して、「TOTO」結成に至る)、マイケル・マクドナルドがジェフ・バクスター(g)を
追いかけるように、「ドゥービー・ブラザーズ」に加入するために、それぞれダンを
脱退してしまう。 しかし、このフェイゲン/ベッカーには、“願ったり叶ったり”とは
言い過ぎかもしれないが、所詮、彼らも優秀な“ピース”の一部に過ぎなかった。
(現にコレ以降のアルバムにも、この2人はダンにセッション参加することになる)
ここから本格的にフェイゲン/ベッカーの“バンドなき理想形”のコンセプトが始まる。
だが、バンドの実像を持たなくなる形態にも関わらず、この狂気とパッションとアイロニー
に満ち溢れた異様なエネルギーは何なんだろう。 なんかギトギトしてる。

まずキーとなったのは、このアルバム屋台骨のリズム隊のブラックマン2人。
バーナード・パーディ(ds)とチャック・レイニー(b)の起用がカギになってる。
ドラムは、パーディとリック・マロッタを曲によって使い分けて、ベースは
「PRETZEL LOGIC」から参加している名手レイニーをメインにプレイさせている。
この2人がアルバムの基礎になって、独特のリズム感が生み出され、レゲエ、ファンク、
ラテンなどのアプローチも、複雑なタッチが必要なビートも絶妙に対応して、
ジャズ寄りのロックでも、ロック寄りのジャズでもないという、ダンの確固たる
サウンドにグルーヴと柔軟性を持たせてる。
それと、ラリー・カールトンの縦横無尽なギター・プレイがこのアルバムに、
ダンの全作品中、特にギター・オリエンテット(ギター志向的)である印象を与える。
このアルバムのハイライトは、いきなり“Kid Charlemagne”でやってくる。
緊張感のあるフェイゲンのローズとクラビネットが推進力になって曲を推し進める。
(この当時は、スティーヴィー・ワンダーも見事なクラビネットで魅了してくれた)
リズム隊は、レイニーの弾むベースに(コーラス後のオブリガードは凄い)、
リック・マロッタの見事なシンバル・ワーク(名曲“Peg”でのハイハットも素晴らしい)
が、教則本のお手本みたいに、しっかり基礎を固める。
そして、この曲の“華”であるラリー・カールトンのソロには圧巻される。
この頃はクルセイダースを脱退したくらいだと思うが、フュージョン的なアプローチ
はせず、ロッキッシュかつエネルギッシュに“弾きまくり”、スマートな音選びで、
フレーズを構成して、ソロの最後のワンポイントのライトハンドも、ビシッと決める。
あのスティーヴ・ルカサー(TOTO)が、まだアマチュアだったころ、このアルバムの
ギター・ソロを徹底的にコピーしまくったという話が有名だけど、ルカサーが師と仰ぐ
カールトンの「ギブソン」が、華麗にアルバムを縦横無尽に飛び交う。

中でも、一番カールトンのギター唸りっぱなしなのが“Don't Take Me Alive”だ。
ダンの曲で、これほどディストレーション・ギターが全編に渡って出ずっぱりというのは、
珍しい。 こういう歌詞が結構えげつない曲は、ギターもワイルドでアクが強い方がいい。
“Kid Charlemagne”はシングルになったが、アメリカでは売れなかったのに(82位)、
なんとイギリスでは、彼らのシングルでは一番ヒットした曲みたい。(全英17位)
次にカットした“The Fez”の方が上に行った。(とはいえ、59位だけど)
これも変な曲だ。 なんでこんな曲をシングルにしたんだろう。
「ボクは“トルコ帽”を装着しないとヤレないんだ。 やっぱダメだ・・」という、
隠語モロダシの“情けない男”のシモの話を繰り返してるだけの、どうでもいい曲。
しかし、レイニー&パーディのリズム隊のドス黒いビートに、洗練されたシンセが
軽快に鳴り響く。 名と暗が混然とした無国籍なメロディのような雰囲気が心地いい。
ここでも満を持して、鋭いソロが飛び込んでくるが、ここではカールトンではなくて、
ベッカーが、なかなか味のあるソロを弾いてる。
私が、このアルバムでのベスト・トラックは、“Green Earrings” 。
ダン流ヘヴィー・ファンクの傑作がコレ。 これもレイニー&パーディが
強烈な16ファンク・ビートを基本に、前半のデニー・ディアスのジャジーなソロと
(カールトンぽく弾いてる感じもするけど)、後半のエリオット・ランドールの
ファンキーなソロが畳みかけるスリリングな展開が見事だ。
冷徹で憎たらしいほどクールなはずのダンが、ギットギトの熱い演奏が聴ける。
この他にも、リラックス・ムードなのに、変速レゲエの難易度高い“Sign in Stranger”
も、ポール・グリフィンのピアノをフューチャーして、エリオット・ランドールのソロ
のオブリガードもなかなか面白い。 レイニーのベースはここでも跳ねまくる。
また、“Haitian Divorce”でも、レゲエ独特の跳ねが特徴。 ディーン・パークスの
ヴォイス・モジュレーターを使った歯切れのいいカッティング・キープが魅力だ。

ダンは、NY生まれのLA育ち。 この事実だけでも“ひねくれ者”なんだけど、
浮気を知った旦那が妻を銃で撃ち殺す話を曲にした“Everything You Did”。
(邦題の“裏切りの売女”ってのは、ちょっと言い過ぎじゃないの?)
その歌詞の中で、こういう小節がある。
「 Turn Up The “Eagles” The Neighbors Are Listening
イーグルスをもっと大きく鳴らせよ。 近所に聞こえるくらいに 」
同じLAの代表格の彼らを、周りくどく皮肉ってるようにも思うけど、
それを知ったイーグルスが、金字塔である“Hotel California”の中で
「 They stab it with their “steely” knives 突き立てる鉄製のナイフ
But they just can't kill the beast でも、獣すら殺せない代物さ。」
という、これも皮肉にまみれた歌詞で“お返し”してる。 とはいえ。
どちらも救いようのないアンハッピーな後味の悪い曲に変わりないのだが・・。
スティーリー・ダンの歴史から言えば、この前には「KATY LIED」が、そして、
この次に、究極の芸術の域に達する「AJA」が来るわけで、まさにアルバムの完成度が
極限へと向かっていく過程の一枚。
しかし、音がソリッドでロックしているダンを聴きたいなら、断然コレを推したい。