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黒人音楽の表現域を超越した、“神懸かりの楽園音楽”。 

     SONGS IN THE KEY OF LIFE   STEVIE WONDER

         

            DISK 1
       Love's In Need Of Love Today  ある愛の伝説
       Have A Talk With God  神とお話
       Village Ghetto Land  ヴィレッジ・ゲットー・ランド
       Confusion  負傷
       Sir Duke  愛するデューク
       I Wish  回想
       Knocks Me Off My Feet  孤独という名の恋人
       Pastime Paradise  楽園の彼方へ
       Summer Soft  今はひとりぼっち
       Ordinary Pain  出逢いと別れの間に
            DISK 2
       Isn't She Lovely  可愛いアイシャ
       Joy Inside My Tears  涙のかたすみで
       Black Man  ブラック・マン
       Ngiculela - Es Una Historia -I Am Singing  歌を歌えば
       If It's Magic  イフ・イッツ・マジック
       As  永遠の誓い
       Another Star  アナザー・スター
            EP
       Saturn  土星
       Ebony Eyes  エボニー・アイズ
       All Day Sucker  嘘と偽りの日々
       Easy Goin' Evening (My Mama's Call)
                  イージー・ゴーイン・イブニング

 今年の「サマーソニック2010」に、あのスティーヴィー・ワンダーが登場しましたよね。
 堂々のヘッドライナーとして、通算15回目の来日を果たし、見事なステージを披露した。
 「えっ!? ほんとかなぁ・・。 大丈夫なん?」 
 初めてこのニュースを知った時は、今年の英グランストンベリー・フェスでの大トリで
 登場して、大成功したとはいえ、今年還暦を迎える御大。 年齢的にも、体力的にも、
 猛暑、いや大酷暑だった今年の日本の野外ステージなんて・・、と思ってました。

 ところが、想像以上に素晴らしすぎる感動的なステージ・パフォーマンスで、
 その場にいられた方は、幸せな時間を過ごして、今年のキツかった夏を“最高の夏”で
 締めくくれたのではないかと思います。  羨ましい限りです・・。

 「神」 「愛」 「怒り」 「自由」 「平等」。
 彼の音楽の基本精神は、この5つの文字に凝縮されていると思ってる。

 「 僕らは一生忠誠を誓う。
   赤、青、白の魔法の色に向かって、(自由、平等、博愛を象徴する3色)
   僕らが支持する自由は、全員に与えられなければならない。
   なぜなら、この世界は万人のために作られたからなのだ。    」

 甘くロマンティックな“愛の世界”の伝道師のイメージが、昨今ではつきまとうが、
 “Black Man”でこう歌うスティーヴィーの怒りと魂の叫びこそ、真の“愛のメッセージ”
 であることを感じるべきだ。

 恐れ多過ぎて、なかなかペンが進みませんでした。
 彼のことを書くのは、“これまた”5年ぶりになります。
 今宵は、黒人音楽の革命的偉人である、スティーヴィー・ワンダー御大に、
 よろしくお付き合いを。

    

 書くこともないでしょうが、ここで改めて簡単にプロフィールを。

 1950年5月ミシガン州に生まれる。 しかし、保育器内の過量酸素が原因で、産後まもなく
 失明してしまう。  だが神は、この子に稀代の才能を授けることを選ぶ。
 とにかく歌が非常に上手く、特に、天才的な絶対音感はズバ抜けていた。
 11歳の時、ベリー・ゴーディJr(モータウン社長)の前で、歌とハーモニカを披露し、
 認められて、契約に成功。 “リトル・スティーヴィー・ワンダー”としてデビュー。
 天才リトル・シンガーとして、“Uptight”や“Fingertips”など大ヒットを記録する。

 しかし、シンガーとしての領域を超えるべく、徐々に自分で曲を書き、プロデュースし、
 今までにはないオリジナル音楽を生み出していきたいと思うようになっていく。 
 ただ、当時のモータウンには、“鉄の決まり”があった。
 ヒット曲を絶対出す。 ヒット曲を出して稼ぐ。 そして、アルバムを出す。
 アルバムには、ヒット曲を2、3曲入れて、その他の曲は、人気投票したら1位か2位に
 なるような曲をカバーして収録し、売り上げを伸ばすという、“ヒット製造システム”
 が、モータウンのスタイルであった。                
 スティーヴィーは、そんなモータウンのスタイルでアルバムを作っていることに、
 フラストレーションを感じ、とても我慢ならなかった。

       

 1967年に「FOR ONCE IN MY LIFE」、68年に「MY CHERIE AMOUR」を制作して、
 この2枚のアルバムをうまく使って、ベリー・ゴーディJrと取引を行う。 その結果、
 自主的な音楽活動が認められるのと同時に、自分で作った曲の権利を、モータウンからの
 出版ではなく、自分の“財産”として貰える、とても有利な契約をものにする。
 そして、70年に初のセルフ・プロデュース作「涙をとどけて」を発表。
 更に、72年の「MUSIC ON MY MIND(心の詩)」で、ワンマン・レコーディングによる
 コンセプチュアルなアルバム作りを実践し始める。 これには、マルコム・セシルと
 ロバート・マーゴレフの協力を仰ぎ、大胆にシンセサイザーを導入するサウンドで
 すべてのアレンジ、楽曲制作を自らコントロールできる環境を整える。
 それから、スティーヴィーの快進撃が始まるワケです。

 彼の音楽は、あらゆる音楽要素が融合されていて、とても一言では説明できない。
 半音を駆使したメロディ・ラインと独特のコブシ回しが特徴ともいえるけど、
 ルーツは、ゴスペルやブルースに、R&Bが基本にあるが、モータウン契約後は、
 アシスタント・ディレクターのクラレンス・ポールの影響から、ジャズやポップスの
 スタンダードを親しむようになり、ディランやビートルズもカバーするなど、
 ポピュラー音楽の“洗礼”もキッチリ受ける。 ワンマン・レコーディング後も、
 貪欲に様々な黒人音楽の要素を導入。 サルサやレゲエ、アフリカン(エスニック)に、
 当時は先端だったファンク・ビートも自身の“開拓”の材料にして、表現域を拡大
 していった。  こんな黒人ミュージシャンは、スティーヴィーしかいなかった。

 72年同年発表の「TALKING BOOK」で一大飛躍を遂げ、73年には「INNERVISIONS」、
 74年には「FULFILLINGNESS’ FIRST FINALE」といった黄金期3部作を驚異的に発表。
 この間には、グラミー賞もほぼ総なめにして、名実ともにスーパースターになる。

  
 
 だが73年8月には、交通事故で瀕死の重傷を負って、昏睡の中で生死を彷徨う状態から
 奇跡的に回復して、活動を再始動している。 “死”の直面を体験して完成した
 「FULFILLINGNESS’ FIRST FINALE」で、一応キャリアの一区切りにして、
 75年からは、人前から消えて、事故の後遺症に時間を割きながら、水面下で“第2幕”の
 華々しい幕開けに向けてプロジェクトを着々と進めていた。

 2年強。 彼としては異例の長いインターバルで発表されたのは、多彩で豊富な
 アイデアと、彼の才能の全てを注いだアナログ2枚組にEPをプラスした超大作。
 その第2幕の幕開けには、「人生の“手掛かり”となる歌集」と命名された。
 “KEY”という単語は、ピアノの鍵盤も差すし、音調のことも意味するわけで、
  いやぁ~、うまく“ととのってる”。    

 しかし、これだけの“中断期間”が出てしまったのはプラスだけじゃなかった。
 リハビリには良かったが、モータウンとの契約で“すったもんだ”があって、
 7年半の再契約を交わすも、彼のレコーディングの“頭脳”であり、“神経”でも
 あった、サウンド・エンジニアのセシルとマーゴレフと袂を分けてしまった。
 これは、ワンマン多重録音方式から、バンド録音方式へ移行せざるを得なく、
 良くいえば、サウンド・プロダクションがバラエティに富んで、実験も出来た。

 死の淵を彷徨った経験から、オープニングからの3曲までのシークエンスに代表される
 ように、「神」を意識した、宗教的な荘厳さを漂わせながら、執拗なまでに
 「我々に必要なのは憎しみではなく、愛なのだ」と繰り返しながら、
 アルバムはスタートする。 高い精神性に裏打ちされた詞の数々が、このアルバムの
 テーマである“生”に対して理想を高め、優しさで包み込んでいくのだ。

 “Confusion(負傷)”では、ジャズ・ロック・インストゥルメンタル(フュージョン)。
 エレクトリック・マイルスを意識したかのような、ハードグルーヴが堪能できる。
 スティーヴィーのエレピと、リードギターは、70年代のスティーヴィー・バンドを支えた
 マイケル・センベロ(後に83年の映画「フラッシュダンス」の“Maniac”で大ヒット)に、
 ドラムのレイモンド・パウンズとの、“楽器バトル”がもの凄いナンバーだ。
 
 しかし反面、マイナス要素もあったのは否めない。 ズバリ、詰め込み過ぎ。
 (また、ミックスの分離も悪いし、もっとクリアにまとめられるはずだった)     
 たぶんあの2人がいたら、曲を減らすか、曲の長さを、うまくエディット(編集)
 して、作品を2枚のアナログ・レコードに収めたのではないかと考える。
 (思うに、“Ordinary Pain”のドラマチックな構成や“Joy Inside My Tears”の
  ようなセンチでミディアム・スローな曲は、“ダル”になる前にまとめるべきかと)
 このアルバムが、アナログで合計6面(4面がLPで、2面がEP)にも及んだのは、
 1曲の楽曲の時間が長いものが多いためだ。
 (このアルバムを、割と評価しない諸氏が多いのは、散漫さと整理のなさだ)

     

 全21曲のうち5分を越えるものが8曲もあり、中には8分を越えるものもある。
 これが絶対に必要な長さであるか?  という疑問もある。
 しかし、理屈では充分な長さを越えた後も、心地よいグルーヴ感が続いていて、
 その陶酔感は、ジャズの世界と同じものだとも言えるが。

 一般の人たちは、3分間のポップ・ソングに慣れてしまってるためとも言えよう。
 元々、ポップスはハーモニーと和音がベースになって、曲が進んでいくため、
 普通は、Aメロ、Bメロ、サビ、ソロ・・というように、コードが組み立てられて、
 “起承転結”で曲が完成されている場合が多い。

 しかし、アフリカンやサルサのように、リズム(拍子)がベースになり、ビート(打点)
 重視で曲の骨格が形成されている黒人音楽の場合は、同じことを何度も繰り返すことに
 よって、どんどん高揚感を増していく。  曲に覚醒されるのはこの場合だ。
 これは、ロックにも言えることなんだけど、レコードではやたら長く感じてしまう曲
 でも、ライヴでは、やたら盛り上がり、その真価が発揮できるという事実もそうだ。

 スティーヴィーが、黒人音楽の根本をジャズに意識したのかは不明だけど、
 少なからず、ジャンルや国境、人種の垣根を超越した、今までのポップ・ソングの常識に
 とらわれない新しいスタイルの音楽をを生み出そうとしたのは確かなのだ。

 「 音楽は世界共通の言語とはよく言ったものだ。 音楽のない文化はないんだから 」

 偉大なるデュークへ。  “Sir Duke”の歌い出しでスティーヴィーはこう宣言する。
 スウィング・ジャズの巨匠デューク・エリントンが、亡くなったのが74年5月。
 このアルバムの構想を練っている最中だったであろう。 影響は計りしれなかったはず。
 この曲は、デュークのみならず、彼の他に、Basie(カウント・ベーシー)や、
 Miller(グレン・ミラー)に、Sachimo(ルイ・アームストロングの愛称)から、
 女性ジャズ・ヴォーカリストの草分け的存在のElla(エラ・フィッツジェラルド)まで、
 スウィング・ジャズ界の巨匠たちの名前を列挙して、その功績を称えてる。

   

 こんな尊厳高い曲にも関わらず、とことん楽天的で、どんな子供でも口ずさめる
 キャッチーなメロディライン、印象的なリフ、軽妙なホーンセクション、伸びやかな歌声。
 その全てが恐ろしい程に完璧に完成された、壮大なヴィジョンに裏打ちされた4分間の
 極上のポップ・ソング。 これは、後のポピュラー音楽界の大いなる可能性を見出す
 ことができた偉大なる曲であると思う。
 (派手なホーン・セクションと、スティーヴィーのバンドマスターでもある
  名ベーシストのネイザン・ワッツのユニゾンになるソロは、いつ聴いても凄い)

 スティーヴィーのアイデアは、湯水のごとく湧き上がり、全てを楽曲に注ぎ込む。

 “I Wish”のゴツゴツしてて、唸りながらドライブしてても、実は思いっきりシンプル
 で軽快にシャッフルしているネイザン・ワッツのベースラインと、キーボードと連動して、
 旋律を奏でるスティーヴィーのフェンダーが異様なグルーヴを生み出し、
 レコーディング中に恋人であったヨランダ・シモンズとの間に生まれた愛娘アイシャ
 の誕生を歌った“Isn't She Lovely”の愛娘を抱く大地の様に、暖かくゆったりと
 していて、延々吹き鳴らす表現豊かで軽やかなハーモニカ・ソロの素晴らしさは
 ジャコの独創的ベースラインやスーパー・ギタリストのギターソロにも比肩するし、
 スティーヴィー流サルサとアフリカンとが融合した傑作“Another Star”の延々続く
 圧倒的なリフレインは、マーヴィン・ゲイとの親和性すら感じる。

 音楽表現の「進化」と「深化」 = 音楽表現の「真価」

 ダジャレじゃないが、70年代のスティーヴィーは革新と奇跡の開拓者であった。

 steviewonder[1]

 「 スティーヴィーの偉大な曲を聴いてなかったら、世界は全く違っていただろうね。
   つまり、ポピュラー・ミュージックを変えたのさ。               」
   (ハービー・ハンコック)

 「 スティーヴィーはあれだけ親しみのある楽曲を作りながら、
   それは誰にも真似できないぐらい独創的なものなんだ。    」
   (パット・メセニー)

 「 スティーヴィーは世界が生んだ最も偉大な奇跡(ワンダー)のひとつだね。 」
   (ポール・マッカートニー)

 「 彼がどんなに素晴らしい“仕事”をしているか、みんな分っていない。
   気に入らなければ、買わなきゃいいだけだ。              」
   (プリンス)

 ジャンルや人種を問わず、彼に対する賛辞の声は後を絶たない。 しかし・・。
 80年代、いや90年代以降のスティーヴィーの音楽活動については、精彩を欠いたもの
 であることは否めないものの、「過去の人だ」だの、「もう枯渇した才能」だの
 言いたい奴は、プリンスの言葉通り、言わせておけばいい。

 だが、そんな奴らでも、これは否定できないだろう。

 今まで、彼をリスペクトし、数え切れないくらいのフォロワーが生まれたが、
 誰一人スティーヴィーに近づけない、いや、近づくことすらできないことを。
 そして、彼を超えるフォロワーなど、未来永劫、2度と現れないことを。
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2010/12/20 Mon. 23:58 [edit]

Category: BLACK

Thread:洋楽CDレビュー  Janre:音楽

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