アメリカの至宝の“先の長さ”とは裏腹な重苦しさの中で。

The Long Run
I Can't Tell You Why
In The City
The Disco Strangler
King Of Hollywood
Heartache Tonight
Those Shoes
Teenage Jail
The Greeks Don't Want No Freaks
The Sad Cafe
先日、偶然にテレビをつけたら、
某国営テレビでやってる、今現在日本の放送局で
最もクオリティの高いと思う音楽番組「SONGS」で出てました。
イーグルス。
大好きなバンドだ。
失礼を承知なんだけど、“信じられないこと”に、
いまだに現役バリバリのアメリカン・ロックの雄であり
“至宝”でもある彼ら。
そういえば、この3月に3大ドームでの来日公演も行われることもあり、
今回のプログラムにスポットが当たったワケでしょう。
ただ・・、う~ん・・。
大好きなバンドなだけに、現在のイーグルスには、
ちょっと思うこともありまして・・。
今宵は、久々にイーグルスの話にしようと思います。
よろしくお付き合いを。
私が、ロックを意識して学んでいき始めた頃、
もうイーグルスは解散していた。
82年だった。
フロントマンである2人はソロ活動をスタートさせてた。
グレン・フライ(g,vo)は、
1stソロ・アルバム「NO FUN ALOUD」を発表。
カントリーとR&Bのフレーバーが合わさったソフト・ロックの好盤だったし、
ドン・ヘンリー(ds,vo)も、
1stソロ・アルバム「I CAN'T STAND STILL」を発表。
シニカルで重みのある渋めのロックを追求していた。
完成度はイマイチだったけど。
(彼のソロの真骨頂、完成度の高さは、84年の2ndから発揮される)
なので、私も全盛期のイーグルスは、完全後追い。
後から学んだバンドだ。
(94年に彼らが再結成して、
4つの新曲+ライヴ音源の「HELL FREEZES OVER」発表時が
私にとって、初のリアル・タイムでのイーグルス体験になった)
72年のデビューから初期は、
カントリー・ロックを背景に美しいメロディとハーモニーを
武器に、ドン・フェルダー(g)加入後の中後期は、
エッジの効いたロック的ダイナミズムを追求した、
アメリカの夢と相反する黄昏や荒廃を表現した“現実派集団”が、
イーグルスだ。

とかく、彼らは76年の彼らの代名詞である
「HOTEL CALIFORNIA」が引き合いに出される。
当然だろう。
誰の目から見ても、彼らの最高傑作だし、
私も5年以上前にコレを書いたが、
アメリカン・ロックの不滅の金字塔であることは間違いない。
ただ、なぜか一番印象に残るのが、
この事実上のラスト・アルバムだ。
「THE LONG RUN」。 まだ道は長いさ。
なんて皮肉なタイトルなんだろう。
重苦しさ。 倦怠感。
哀愁。 自己批判。
余分なまでに、“暗さ”が全体を覆う。
前作「HOTEL CALIFORNIA」での
ロスト・パラダイス概念”を見事に結実させて、
音楽的にも商業的にも大成功を収めた後、
彼らは、周りの過度の期待とプレッシャーに
打ちのめされながら、3年の歳月をかけて完成にこぎつけた、
まさに“鷲のスワン・ソング”である。
リアル・タイムで、このアルバムを手にした当時のファンの期待は
ハンパではなかったでしょう。
待ちに待った、あの「ホテ・カリ」の次回作です。
レコードのA面に、
針を落とすまでの期待感はマックス・レベルだったに違いありません。
しかし、ショボいんですよ。
アルバムのタイトル曲でもある“The Long Run”。
「エッ、これなの?」
期待値の針のレベルがみるみる下がっていったのでは・・?
とは言っても、さほど悪い曲ではない。
でも、平均点並ほど。
イントロからジョー・ウォルシュ(g、slide g)のスライドと
ドン・フェルダーのオルガンが実にいい雰囲気を出してて、
ポップなメロディーとコード進行で、ドン・ヘンリーのボーカル
もなかなかのマッチしているし、さりげないホーンの効果もいい。
でも・・。
これをオープニングに持ってくるのは失敗だったのではと、
今聴いても思ってしまう。


つくづく、
AとBのトップを入れ替えるべきだったのではと思うんですよ。
オープニングは、グレン・フライをフューチャーした後期の
イーグルスらしい軽快なハーモニーと、
(クレジットにはないが、あのボブ・シーガーもコーラスで参加)
ジョーのスライドの絶妙なバランスが素晴らしい、
全米No.1ソングにも輝いたB面トップのハード・ブギー“Heartache Tonight”を、
アルバムの頭に据えるべきだった。
そうすれば、
ネガティブなこのアルバムの印象もかなり変わったと思うのだが・・。
前作の大成功から、
トップ・バンドとしての重圧とツアーの過酷さから、
オリジナル・メンバーだったランディ・マイズナー(b)が
突然脱退してしまったが、その後任には
POCOのティモシー・B。シュミットが加入する。
2曲目には、彼の澄んだセンシティブ・ヴォーカルが堪能できる名曲
“I Can't Tell You Why (言いだせなくて)”が座る。

「 僕が出て行こうするたびに、
何かが僕を振り向かせ、引き止めるんだ。
今までうまくやってきたのに、
今は問題をややこしくしてるだけ。
わからない。
なぜだか理由がわからないんだ・・。 」
シンプル・イズ・ベスト。
素晴らしい。
泣きの極みが冴え渡る。
良い曲には、
余計な装飾は必要としないことを証明しているような曲だ。
ジョーのオルガンと、フライのフェンダーの旋律に、
ドン・ヘンリーの重めの“刻み”に
ティモシーのベースラインを這わすだけのシンプル構造。
他には何もいらない。
あの印象深いギター・ソロは意外にも、グレン・フライが弾いてる。
変に“泣き”が入らないとこも含めて、
このチープさ、ドライさ、、危うさが実にいい。
(ビデオ・クリップやライブでは、ドン・フェルダーがプレイしているが)
しかし、ラストを締める“The Sad Cafe”こそ、
このアルバムのベスト・トラック。
ドン・ヘンリーの説得力のあるボーカルと、
シンプルなメロディに美しいハーモニー、
エレピとアコギの自然な響きが印象的で、
(アコギは、ドン・フェルダーが弾いてる)
曲のエンディングでフューチャーされてる
デヴィッド・サンボーンのサックス・ソロが、
更に洒落た雰囲気を醸し出している。
当時の彼らが最後の力を振り絞った力作だ。
自由や希望にあふれたアメリカで、
いろんな意味で“夢破れた”かつての若者たちが、
「俺達は、サッド・カフェに集まる孤独な群衆の一部だったんだ」と
過去を振り返る。
それは当然ながら、
「結局は、巨大な音楽産業の一部に過ぎないんだろう」と自らを、
自虐するメンバー自身にも重なっているワケだろう。
それ故、楽曲レベルは高い。
バンドの安定した演奏技術と全員が
ヴォーカリストであることの強みだ。
ただ良くも悪くも、この都会化した味わいが、
当時のAOR化したドゥービーと揶揄して、
「イーグルスよ、おまえもか」との声が聞こえてくるほど、
見事に洗練されている。
イーグルスというバンドは、
ここで終わって正解だったのだと思う。
各ソロになっても、
イーグルスのスピリッツは継承されていったのだから。
しかし、94年に彼らは再結成する。
正直、当時は嬉しかった。
ライブも素晴らしかった。
アメリカの“伝説(レジェンド)”が生き続ける意味。
それは、消失した“大いなるカリフォルニアの夢”を再確認して、
その魂(スピリッツ)を受け伝えていくことだ。
この「THE LONG RUN」時のメンバーで、彼らは現在も活動している。
でも今は4人しかいない。 ・・・。
ドン・フェルダーがいないのだ。

残念だ。
これは痛い。 痛すぎる。
彼は2001年にクビになり、
これが現在まで訴訟問題に発展してしまってる。
イーグルス側の理由は、
「音楽的に貢献していない」という何とも“不可思議”な理由だけど、
ガマンならないホントの理由は“ギャラの配分”だ。
どうも再結成後のイーグルスってバンドは、
フライとヘンリーが支配していて、
ギャラの配分も、解散前は全員均等の5等分だったのに、
印税やライブ等のギャラはフライ、ヘンリーの3分の1しかないらしく、
フェルダーは準メンバー程度にしか考えてないらしい。
(ジョーはもう少し取り分があるだろうけど、ティモシーも同等なんだろう)
コレ、ほんと悲しい。
バンド内のこういう話はよくあるけど、やはり悲しい。
イーグルスは、バーズやバッファロー・スプリングフィールドから
始まったカントリー・ロックの流れを受け継いだ最後の直系のバンド。
そこに、3rd「ON THE BORDER」から
フロリダ出身のドン・フェルダーが加入して、
カントリー・ロックだったイーグルスに、サザン・ロックのテイストを持ち込んで、
スケールの大きいアメリカン・ロックに押し上げた立役者で、
マンドリンやペダル・スティールに、スライドやアコギまで
自在に操る職人的ギタリストだ。
(バーニー・リードンを追いやった男?でもある)
様々なギター・スタイルに通じ、
計算されたメロディックなフレーズを生み出す
ドン・フェルダーと、ジョーのスライドをフューチャーさせて、
ヘヴィーなリフとドシンと重たいビートで、
メリハリの効いたロックのダイナミズムが増したサウンド
で固めるという、
(後期のエッジ・ロックを確立させたビル・シムジクのサウンド・
メイキングはもっと評価されていいと私は思うが)
これは初期にグリン・ジョンズが残響効果を
多く使ったエフェクト処理をしていた
アコースティックでナチュラルなカントリー・ロックとは、
真逆のサウンド。
だから、後期のイーグルスを“別のバンドだ”と批判する諸氏も多い。
しかし、あまり知られてないけど、
あの“Hotel California”の実質的ソングライターは、
フェルダーなのだ。
故に、どうも過小評価されていることが解せないのだ。
再結成後は、ライブ中心に活動していたが、
2007年になんと28年ぶりの新作もリリースした。
「ここで新作を出す意味があるのか」とも思ったけど、
2枚組の力作だし、良質の安定した円熟味、
貫禄と余裕にあふれるアメリカン・“オヤジ”・ロックが堪能できる。

でも言いたくないけど、あれは“駄作”。
全く必要性を感じない。
悪いアルバムではないけど、いらないアルバムだ。
楽曲レベルが平均的なのは許すが、
1曲でもいいから“キラーチューン”が欲しかった。
足らない。
フェルダーの必殺リフや印象的フレーズがないのだ。
いかに彼が大事だったのか、
皮肉にも証明したようなアルバムになってしまってる。
4人のソロの寄せ集めみたいだし、
富も名声も築き上げた晩年のイーグルスには、
緊張感も切迫したメッセージもない。
コレは仕方ないんだけど。
その時、その時代の風潮に、
自分達の人生や生き様に決して背を向ける事なく、
“音楽”を通じて世に説いてきたイーグルス。
人間や社会の、そして自分達の“内なる無常”を
見据えてしまった彼らは、
その“やりすぎ”なくらい音楽に真摯な態度で向き合い、
こだわり、そして、生きていく勇気を与えてきた。
それは、単なるアメリカン・ロックの雄としてではなく、
その事実が、別格な存在にまで高めた最大の要因であり、
いつまでも、人の心や魂を打ち続ける原動力となっているのだ。
だから、再結成は意味があったと思う。 が・・。
イーグルスは、「THE LONG RUN」で、
終ったことを忘れてはいけない。
追悼哀悼追記
2016年の初頭のグレン・フライの旅立ちは、
勇敢な鷲の翔び立ちだったのだろうか。
正直、私は嫌な奴の印象のまま。
高いプロ意識は素晴らしいが、欲しいままの独占欲と
リーダー欲をはき違えたまま、
逝ってしまったかなと。
ただイーグルスなど、
私の心の中では、遥前に終わっていたが。
« わし、買うもん! この“音”は、世界にひとつ。
世界一美しくて、未練がましく、みっともない“苦悩の芸術”。 »
この記事に対するコメント
いやぁ、今回の文章はいつにも増して読み応えがありました☆
イーグルスのラスト・アルバム(当時)にしては不評を買っていた本作ですが、
ナルホドなぁと納得させてくれるような表現に感服いたしました。(^^;
>ぶるじんさん。
毎度です!
ダラダラと長い文章にお付き合いいただきありがとうございます。
イーグルスは、ほんとに大好きなバンドなんですよ。
思い入れも強いんで、少々アツく書いてしまいましたが、
とかく“不評”だった、このアルバムのイメージ・アップ(?)のためにも、
と思ったんですが・・。 重苦しくも、意味深いアルバムだと思ってます。
最近の状がよく理解できました ^^)
イーグルスはリアルタイムに愛してきた私ですが・・・・「hell freezes over」あたりで止まってました。近年の彼らにはあまり興味がなくて、こちらで最近の状況を教えていただいて興味深く拝見しているところです。
最近、ライブは全くの閑古鳥で、ついに日程は途中で全て中止になったというニュースがあったように思いますが・・・多分ホントだとおもいますが・・・哀しいと言えば哀しいですね。
伝説のままの方が良かったのかしら?
>風呂井戸*floyd さん。
ようこそ。 コメントいただき感謝しております。
最近のイーグルスについては、現在まで、アメリカのレジェンド(伝説)として、
現役で活動していることについては、敬意を表しているつもりなのですが、
大好きなだけに、あえて少々辛口なことを書いてしまいました。
3月の来日公演は、たぶん最後の来日になると思います。
(果たして、3大ドームが“満タン”になるのか、疑問はあるんですが・・)
それだけに、何とか5人揃って欲しかった気持ちが強いんですよ。
“ホテ・カリ”には、絶対フェルダーのダブル・ネックは必要です!
サポート・メンバーが弾いてるようでは、魅力は半減します。
でも、あれだけ泥沼化した関係になってしまったら無理。
ならば、言われるように、伝説のままでいたほうがいいのかもしれないですね。
つくづく残念です。
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大新聞ですら、イーグルスモードになってきていますね。 昨日の○日新聞の朝刊にイーグルスの結成から解散に至るまでの経緯が2面にわたって掲載されていました。アルバム「呪わ ...
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