我思う。「“日常”の有難さと“普通”の難しさは等しい」
東北関東大震災から、今日で2週間が経った。
未曾有の大災害からの復興に向けて、やっと前進し始めた感じなのでしょうか。
ただライフラインの復旧や救援物資の調達も少しずつではあっても、行き届いていっている
ように思うが、まだまだ細かく奥の方までは行き届いていないし、今もまだ安否の確認が
出来ていない方も大勢いるし、避難所で不自由な生活をして、体調やメンタル的な部分で
ケアが必要な方も多いことでしょう。
そして、懸念していた原発事故も、まだまだ予断を許さない状況は変わっていないし、
とうとう心配された農作物や水道水への汚染が問題になり、今首都圏では、計画停電や
放射能汚染で、さらなるキビシイ生活環境に立たされている。
今後は、経済活動の低下や消費の冷え込み、物価の上昇などで、じわじわと日本全土、
いや世界中に悪影響が及んでいくと思う。 残念だけど・・。
震災翌日にブログを書いてから、今日まではあえてペンを置いて、事態の推移を見ながら
「私にできることは何だろう」と自問しながら過ごしてきました。
結局出来るのは、ささやかな義援金を送ることと、私の地域は停電はありませんが、
少しでも、節電することくらい。 あとは、落ち着く事と祈ることくらいしかできない。
ただ世界中で、「日本を助けよう!」というムーブメントが湧き起こってることは
ほんとに心強いし、こんなに日本という国が愛されていたとは思わなかった。
こんなに早く、たくさんの有名アーチスト達が、コンサートやグッズ販売等で、
チャリティ活動をやろうと動いてくれるとは、なんと素晴らしいことでしょう。
私も震災から、しばらくは音楽からも遠ざかってました。
今までは音楽の力で、落ち込んだ時、寂しい時、辛い時など、勇気づけてもらいました。
けど、今回ばかりは、なぜか聴く気すら起きなかった。
特別に意識が変わったわけではないけど、「このままでいいのだろうか」という疑問が
私の耳から音楽を奪い去ったのだろう。
しかしブログの記事は置いたままでも、音楽は聴き始めるようになりました。
それは、あまりに“日常”に慣れてしまい、“普通”でいることが当たり前に思っていた
自分に気付いたから。 いつ何時“日常”が奪い去られるかも、“普通”でいられなく
なるかもしれない。 だからこそ、有難くもあり、難しくもあるのだと。
平常運転。 これって幸せなことなのだ。 思い見つめ直してみよう。
そろそろ置いてたペンを拾って、“平常な”音楽記事を進めたく思います。
ただ日が経ってくれば、ニュースも変わり、人もだんだん震災を忘れていくだろう。
そんな時も、まだまだ被災地では復興に向けて、血の滲む努力をしていることを
忘れてはならない。 エールを送り続けなければならない。
多くの被災者の方々に勇気と希望を。 復興の現場の最前線で活躍されている方々の
御活躍と健康をお祈りいたします。
未曾有の大災害からの復興に向けて、やっと前進し始めた感じなのでしょうか。
ただライフラインの復旧や救援物資の調達も少しずつではあっても、行き届いていっている
ように思うが、まだまだ細かく奥の方までは行き届いていないし、今もまだ安否の確認が
出来ていない方も大勢いるし、避難所で不自由な生活をして、体調やメンタル的な部分で
ケアが必要な方も多いことでしょう。
そして、懸念していた原発事故も、まだまだ予断を許さない状況は変わっていないし、
とうとう心配された農作物や水道水への汚染が問題になり、今首都圏では、計画停電や
放射能汚染で、さらなるキビシイ生活環境に立たされている。
今後は、経済活動の低下や消費の冷え込み、物価の上昇などで、じわじわと日本全土、
いや世界中に悪影響が及んでいくと思う。 残念だけど・・。
震災翌日にブログを書いてから、今日まではあえてペンを置いて、事態の推移を見ながら
「私にできることは何だろう」と自問しながら過ごしてきました。
結局出来るのは、ささやかな義援金を送ることと、私の地域は停電はありませんが、
少しでも、節電することくらい。 あとは、落ち着く事と祈ることくらいしかできない。
ただ世界中で、「日本を助けよう!」というムーブメントが湧き起こってることは
ほんとに心強いし、こんなに日本という国が愛されていたとは思わなかった。
こんなに早く、たくさんの有名アーチスト達が、コンサートやグッズ販売等で、
チャリティ活動をやろうと動いてくれるとは、なんと素晴らしいことでしょう。
私も震災から、しばらくは音楽からも遠ざかってました。
今までは音楽の力で、落ち込んだ時、寂しい時、辛い時など、勇気づけてもらいました。
けど、今回ばかりは、なぜか聴く気すら起きなかった。
特別に意識が変わったわけではないけど、「このままでいいのだろうか」という疑問が
私の耳から音楽を奪い去ったのだろう。
しかしブログの記事は置いたままでも、音楽は聴き始めるようになりました。
それは、あまりに“日常”に慣れてしまい、“普通”でいることが当たり前に思っていた
自分に気付いたから。 いつ何時“日常”が奪い去られるかも、“普通”でいられなく
なるかもしれない。 だからこそ、有難くもあり、難しくもあるのだと。
平常運転。 これって幸せなことなのだ。 思い見つめ直してみよう。
そろそろ置いてたペンを拾って、“平常な”音楽記事を進めたく思います。
ただ日が経ってくれば、ニュースも変わり、人もだんだん震災を忘れていくだろう。
そんな時も、まだまだ被災地では復興に向けて、血の滲む努力をしていることを
忘れてはならない。 エールを送り続けなければならない。
多くの被災者の方々に勇気と希望を。 復興の現場の最前線で活躍されている方々の
御活躍と健康をお祈りいたします。
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この記事に対するコメント
あらためて聴いた"When The Wind Blow"
今回の原発の騒ぎがなければ、もっともっとどれだけ集中して被災地に支援や協力が出来たかと思わざるえない。原発関係者から(政府を含めて)の想定外の災害という言葉は聞きたくない。これだけ危険なものを扱う場合の想定とは何なのか?。これはまさに人災である。
Roger waters の「風が吹くときWhen The Wind Blow」に納められた10曲をあらためて聴いた。今でも避難地域に避難せずに住んでいる何人かの善良な住民は・・・・・それを考えると、いてもたってもいられない。
風呂井戸 #vK3OctUo | URL | 2011/03/29 09:09 * edit *
>風呂井戸さん。
お久し振りです。 コメントいただきありがとうございます。
「風がふくとき」は、核戦争の悲惨さを描いたアニメ映画でしたよね。
ロジャーが音楽を担当して、ボウイが主題歌を歌ってました。
かなり昔に見たので、事細かには覚えていないのですが、
アニメのタッチが絵本みたいにやさしいのですが、背景がすごくリアルで、
ストーリーの残酷さといったら・・。
あの老夫婦が、核シェルターの中に避難できたとしても、
だんだん放射線による被ばくで・・・。
互いに抱き合っている姿だけは忘れられません。
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